一握の砂3
「……喜ばないの?」
キッカがぼやく。ルカは固まっていた。
結構腹を括って打ち明けたつもりなのに、思っていた反応と違って、キッカは首を捻る。
今度はこちらが腰を下ろし、鼻先が触れるほどに身を乗り出して躙り寄ると、ようやく視線が合った。
「う……嘘だ」
また否定された。
しかしその手は、懐に飛び込んできたキッカの腕をしかと掴んでいて、身体は素直で思わず笑う。
「まさか、ほんとに──」
その先は声にならなかった。でも確信した。
ルカの持つ日記は、ファジュルが書いたものだ。
なぜなら、この約束は二人しか知らない。それを聞いてルカの瞳が揺れるなら、日記は本物で、かつファジュルが約束の言葉をある程度正確に書き残していたということだ。
思いの外、大事にされてたらしい。
「わたしだって。ルカに聞くまで、ファジュルがこんな口約束覚えてるとは思ってなかった。嫌われてたし。だから、守るつもりもなかった」
自分だけ反故にした状態というのは据わりが悪いので、ディスカードを協力するよう煽ったりはしたけれど。「あれは、シュンとファジュルの約束で、一度死んだわたしは関係ない……って、」
キッカは、腕を掴んでいない方の手を取って、指を絡めた。
今にも零れ落ちそうな橄欖石を、覗き込むように見上げる。
「──でも、また、お前に誓いたいと思った」
だからこれは、わたしたちだけの約束。
キッカがそう言うと、ついにルカの目が零れた。
瞳の中で宝石のようにキラキラしていたそれは、離れた途端ただの水になる。キッカはぼんやりその跡を見つめた。
「……わたしに泣くなって言っておいて、」
「今、ここで、死んでしまいたい……」
「話聞いてた?」
キッカが呆れた声を出す。
それは、さっきアレだけ止めたわたしの前でよくもまだ言えるな、という呆れであったが、ルカの方はというと、「あなたに認められた僕のまま、今、ここで死んでしまいたい──」なんて素直に口に出来ず、ただ、声にならない声で哭いた。
「あー…わたし、憧れの英雄の一人なんでしょ? 何かしてほしいこととかないの? なんでもしてあげる」
「な……ッ!? ッ! でッ、ダ、す……!」
「なんて?」
「あ、や……あの、もし良ければ! 旅の話が聞きたい、です……」
「そんなことでいいの?」
尋ねると、ルカは大きく首肯した。
本気で言ってくれるとは端から思っていないが、戴冠式をメチャクチャにぶち壊してください、くらい言えばいいのに、とキッカは思った。
「……ま、いいけど」
キッカは少し考え、いつかの夜に、ルカが強請った話を思い出した。
「そういえば、魔王とサシでやり合った時の話、しかけてたんだっけ」
「はい…………はい!? アレほんとなんですか……?」
「当事者だからね。ほんとだよ」
「それは……何故、そんな……自分を犠牲にするような真似を、」
「おまえに言われると腹立つな」
キッカはジトっとルカを睨み、肩を竦めた。
「犠牲になんて、考えたこともなかった」
戦場では常に自分のために戦っていたし、誰かの代わりに死んでやろうだなんて、思ったこともない。
「選択肢が目の前に用意されたんだ」
キッカは遠い記憶を引っ張り出しながら、そう呟いた。
古城でのことは、つぶさに覚えているわけではない。
しかし、自分の前に姿を顕した魔力の欠片が、何を問うているか、瞬時に理解したことだけはよく覚えている。
五人で魔王と戦争するか、一人で魔王と戦うか──
シュンは、サシの方がまだ勝算があると思った。
自分の力を驕っていたわけではない。旅の中、配下一匹々々にどれだけ手間を掛けさせられたか、よく覚えていたからだ。
「……罠だと、思わなかったんですか?」
「勿論、疑った。一種の賭けだったな」
しかし、これは誰にも言えないことだが、シュンは妙な自信があった。
己と繋がったスライムが単純なように。
今まで戦ってきた魔族たちの欲が、明瞭であったように。
その長たる魔王も、この場面で敵を謀るような生き物ではないのではないかと──
「──ま、賭けには勝った」
惜しむらくは、そうして軍勢を取り払ったところで届かなかった魔王の強さだ。
「それで、魔王を一人で……」
「相討ちだったけど」
キッカは笑った。
強がりである。殺した手応えはあったが、きっとシュンのほうが先に死んだだろうし、相対している間中、何度も死を感覚した。もう二度と味わいたくない体験だ。
「…………」
「また泣くのー…?」
「だっで、ほん゛とに、シュン=イルだ、っで……」
キッカは黙って、ルカの眦を拭った。
あの時、出来なかったことを、果たされなかった約束を、ルカ相手に叶えているようで、キッカはすぐに手を引っ込めた。
ルカは、次から次へ話を強請った。
帰りたいんだけど、とすぐ空気をぶち壊しそうなディスカードも、何故か大人しく話を聞いていて、驚くことにたまに相槌を入れたりもした。
穏やかな時間であった。
何百年も前に、此処であったように。
魔物たちが戯れに人里から奪って溜め込んでいた食糧と、粗末な酒を取り出して、踊って騒いだあの夜のように。
可惜夜は明けようとしていた。
「…………」
「ねえ。コレ、」
窓を見上げるルカの前に、キッカが差し出したのは、もうすぐ薄暮に消える月の下で、青く燦く髪飾りだった。
「エ゛ッ……僕、女性の髪を結った経験が……あ、ジゼルさん呼びましょうか!?」
「わたしが初めてなんだ。じゃあ、ルカの好きにしていいよ」
「す、好きにって……」
ルカは口をパクパクと鯉のように動かしながら、酷く緊張した面持ちで──しかも顔を真っ赤にして──髪飾りを持ち上げた。
キッカは石に詳しくないが、おそらく魔石を加工したものだろう。
宝石と違い、魔石はわりと自由に形を変えられるので、細工に向くと聞く。人工の魔晶石であれば尚更。
その中に、青い宝石がいくつも埋め込まれていた。
魔石以上に宝石には詳しくないが、これだけたくさん石がついていれば、高価なのだろうな、と想像はつく。
同じ青でも色味が違い、光を透かすと、朝露に濡れた花びらのように瞬いた。まるで、とんでもなく美しい大きな宝石を、花びらの形に切り取ったようだ。
奇しくもそれは、キッカの一等好きな形をしていた。
「……どうでしょう」
「鏡もないのにわかんない」
「それもそうですね……」
「ルカ」
キッカが呼ぶと、ルカは嬉しそうにこちらを覗き込んだ。
腹立たしくなるような、擽ったいような気持ちがした。
きっと、《キッカ》の前で、この顔は見せなかったろう。
「なんですか?」
「《シュン》として──」
キッカは、身体ごとくるりとルカに向き直った。ルカが膝立ちで、こちらを見下ろしている。
「いや……英雄として、最後にもう一度だけ言わせて」
「? はい」
「生きて欲しい」
ルカは暫くの間、キッカの目を見つめた。
そして、いつものあの、優しい顔で微笑んだ。
「その言葉だけで、十分です」
「……そ」
キッカは少し俯いて、頷いた。
それと、部屋の扉が叩かれるのは同時であった。
ディスカードが扉を開けると、外からジゼルの顔が覗く。
その表情は刻限を示しており、別れの時間がやってきたのが解った。
キッカは静かに立ち上がる。
ルカは動けなかった。
二人がこの部屋を去れば、あとは終わりを待つのみだ。
「……あの、」
「なに?」
「残念ながら、僕はこれから死にますが」
「おまえが言うの腹立つな」
「その……」
どれだけ説得しても応じなかったのはそっちだろうがと憤りながら、キッカは言葉の続きを待った。
ルカは酷く言い難そうに、眉を下げて、のぼせたような顔で、キッカを見上げた。
「もし叶うなら……僕のこと、忘れないでいてくれますか?」
ルカの瞳が揺れる。
キッカは爪先を扉の方から翻した。
そして、座ったままのルカの前に屈み込むと、抱きしめて額に口づけた。「死ぬまで忘れない」
「勇敢で気高くて強い、わたしの王様。最期まで見ていてやるから、安心して先に逝け」
笑った女の頭に、青い髪飾りが光った。
ルカの母が、婚約者に渡すように言った髪飾りだ。それを彼女が受け入れ、ルカに手ずからつけるよう強請った。
そうしてそんな彼女が──憧れた英雄が、最期まで、ルカのことを見ていると言った。
ルカの目がどろりと溶ける。
「…………はい」
#
「……人誑しが」
「? なんですのぉ」
キッカは、いつもと変わらぬ調子で返事をした。
その態度が、ディスカードの癇に障る。
部屋を出てから、暫くジゼルと話したが、キッカは結局、リストのことを口にしなかった。
ジゼルは何度かそわついていた。もしかしたら、彼女の方が言い出したかったのかもしれない。
二人が城から出る頃には、既に所狭しと群衆が広場へ押しかけていた。
皆、聳える城を見上げながら、新たな王の誕生を待ち詫びている。
或いは──
(……品の良い見世物だな)
ディスカードは白けた顔で群衆から目を逸らし、改めて、今日起きたことについて考え始めた。
レックスに言った通り、本当に、ディスカードにシュンを探す気はなかった。
だからこそ、偶然出会ってしまった時のことも考えていなかったのだが。そんなこと、起こらないと思っていたもので。
しかし、幸運なことに、彼女はこちらに気づいていないようだった。
なら、このまま知らないフリをすれば無かったことに出来る。
その方が、色んな意味で面倒は少ないだろう。
「……あのさ、」
「…………」
「キッカちゃん?」
「…………」
「……友達の逃げ道を絶った気分はどう?」
「……は?」
自分でも思わぬ憎まれ口が飛び出て、「アレ?」とディスカードは首を捻った。
しかし、出た言葉は戻ってくれないので、仕方なく返事を待つ。
一瞬、キッカの顔は怪訝に歪んだが、しかしすぐ澄ました表情に戻り、「おにいさまも見たでしょ? 止められるもんなら止めてますわ!」と答えた。
「キミだったら止められたと思うけど」
「アレ以上、どうすればよかったんですの」
「それは──」
《わたしより国を取るの?》とか、
《わたしを置いていかないで》とか──
「……さあね」
ディスカードは口を閉ざした。
キッカは最期まで、英雄としてルカに向き合った。
ルカがそれを望んだから。
だからは彼女はそう振る舞ったし、ルカもそれに見合うように、英雄としての死を望んだ。
それは、古今東西の英雄譚の例に漏れず、美しく、潔い。
彼にとって、素晴らしい最期になるだろう。
しかしディスカードは、こうも思った。
キッカが一人の人間として──一人の女として、ルカを引き止めていれば、結果は違ったのではないか?
今となっては、ルカの感情が本当にそういう欲だったのか、それともただの、ちょっと行き過ぎた憧れだったのか──それにしては熱烈だったが──知るすべはない。
とはいえ、会ったこともない、日記に存在するだけの人間に恋をするだなんて。普通に考えれば馬鹿げた話だ。
「……いやどこの世界に神を独占したがる信者がいるんだよって話だけどね」
「さっきからブツクサ。なんなんですのぉ?」
キッカがこちらを見上げてくる。
ディスカードも、その大きな眸を見下ろした。
「……彼の信仰は、神への愛には見えなかったな、ってハナシ」
「? 宗教の話ですの?」
「生きていれば、答え合わせもできたんだろうけど」
宗教の話と思ったのか、キッカは早々にディスカードの言葉に興味を失ったようで、視線を城に戻した。
ちょうど城内の儀式が終わったのだろう。新たな王が、楼門に姿を現した。
王は語り始めた。
そこにあった内容は、ディスカード達には既知のことだが──王の死の真実、第四王子の罪状、教会のやったこと等──新たな話が始まるたび、軍縮の騷めきは大きくなっていった。
新たな王は権力階層であっても腐敗を許さず、民のために立ち上がった反乱軍に、今後の教会を任せたいと宣言した。
反乱軍の存在も公にするのか、とディスカードは驚いた。
変化を求める民衆には、王家に反旗を翻す者でも懐に入れる寛容な決断が、新鮮に映ることだろう。悪くない選択だと思う。
遠目に見えた影は、相変らず背が高く、ガタイも良く、見目も良い。「王命、承った」──と、低くよく通る声で彼が拳を上げると、人々は沸き立った。
きっとこの民衆の中に、彼の仲間も紛れているのだろう。
彼等の太い雄叫びは、歓声の呼び水となった。
(上手くやったもんだ)
ディスカードは素直に感心した。
反乱軍という、虐げられてきた者たちの象徴であり、民衆の代弁者のような存在である男が、王家との協力を約束した。
彼の意思は、そのまま民衆に伝播するだろう。
そして、王子の死ほどセンセーショナルな催事もなく、王族でも罪を犯せば裁かれるということが、民の目にどう映るか、推して知るべしだ。
これはディスカードの想像していた以上に、良く出来た戴冠式であった。
あの男が、よくやる気になったものだという疑問は残るが──
(……ん? あ、この前の不機嫌はそれか)
ふと、二日前の男の荒れようが頭を過る。
きっとディスカードたちと違い、彼には今後起きることが、前もって伝えられていたのだろう。そして、求められる振る舞いも。
そりゃ、あの男ならキレそうなものである。
しかし、今あそこに立っているということは、最終的には申し出を受け入れたワケだ。どういう心境の変化か知らないが──
「…………」
ディスカードは、隣の女を見下ろした。
彼女は茫、と城を見上げ、聞いているのかいないのか、解らない顔をしている。
そこで、ディスカードは気付いた。
彼女は城を、まして王など見てやしない。
その下に用意された、まだ誰も居ない絞首台を、ただひたすら凝と、見つめていた。
そうして、その時は、間もなく訪れた。
「ッ──」
キッカの身体が、隣で強張るのを感じる。
正体を知った己にはそれが、今からでも絞首台をぶち壊そうか迷っているのだと、手に取るように解った。
直ぐにでもそうしないのは、彼女の愛に違いない。
ディスカードはそのことを、よく知っていた。
(……今生では血の繋がった妹で、問題を起こせば自分も巻き込まれる。彼女の一挙一動が、家の評判も左右する。勿論、国家間の問題なんて、一番避けたいところだし──)
ディスカードは弁明する相手もないのに、言い訳のように、心の中でツラツラと理由を並べた。
相変らず彼女の目は、ずっとルカだけを見ている。
──だからこれは、仕方のないことなのだ。
「【双魂互根】」
ディスカードは口を開いた。
キッカが前を向いたまま、目だけカッと見開くのが面白かった。
「【右回りに魂を撹拌し 左回りに運命を撹乱する
腑にして生 臓にして死
正昼熱体即ち父よ 御名に魔の命を捧ぐ
負夜冷神即ち母よ 御名に──】」
「オイッ!」
気づけば、キッカは思いっ切り飛び退って、ディスカードから距離を取っている。
こちらを睨みつけながら腰を落とす仕草は、獣の警戒する姿によく似ていた。
懐かしさに笑い出しそうだ。
「テメェ……」
「覚えてる?」
「自分を殺しかけた奴を忘れるか!」
キッカが吠えた。
ディスカードは思わず、肩を震わせた。
我慢ならず、腹から笑いが込み上げてくる。
「アッハッハ……にしては止めるのが遅いんじゃない?」
「魔力の気配があれば蹴り飛ばしてる」
「解呪したのボクじゃん」
「呪ったのもおまえだろーが」
キッカが目を細めた。
言葉を交わして、改めて実感した。
シュンだ。シュン=イル・ディエス──我等の台風の目。
「はー…笑った。効果ないってわかってんなら、怒ることないじゃん」
「怒ってねー。気に食わないだけ」
「悲しい」
ディスカードはしくしくと泣き真似をした。
相手が自分と解ったからか、容赦がない。言葉遣いまで昔に戻ったようだ。ルカと話していたときはここまでじゃなかった気がするが。
今やまるっきりご令嬢の皮の剥がれたキッカに、ディスカードは忍び笑いを漏らした。
それを見たキッカは、不満げに鼻を鳴らし、ディスカードに背を向けた。
「どこに行くの?」
「ついてくんな」
「首に縄をかけたのは彼だけど、踏み台を蹴り飛ばしたのはキミじゃん」
ディスカードは言った。まだルカを救うことを諦めていないのかと思ったからだ。
キッカはそれを正確に汲み取ったようで、舌打ちを返した。
「人のいないとこに行くだけだ」
彼女は、広場から少し離れた時計塔に向かうと、あっという間に屋根の上まで登っていった。
もちろん中からではなく、軽やかに外壁をよじ登って。
よく今まで脆弱なフリをしていられたものだ──と、魔術を使い、飛び上がったディスカードは思った。
天辺まで来ると、流石に王の演説は聞こえないが、代わりに広場より城がよく見えた。
「……止められないなら、迷いを消した方が良いと思った」
キッカは言った。
おそらく、先ほどのディスカードの言葉に対する答えだろう。
「迷うまま与えられる死は、怖いから」
「……そう」
「てゆーか、おまえよく信じたな」
「何が?」
「わたしが《シュン》だって」
全然、前と違うのに。
キッカは言うが、ディスカードは首を傾げた。
(──そうかな)
どうしたって、キミはシュンだ。どれだけ見た目が変わろうと。少なくとも、己にとっては──
しかし、それをそのまま口にするのは、厄介信者と同じようで憚られて、ディスカードは、「ボクもあの口上聞いてたから」とだけ答えた。
「盗み聞きかよ」
「失礼な。偶然聞こえてきたんだよ」
宴を抜け出したファジュルとシュンの後を尾けて行ったら、計らずも聞こえてきたのだ。
「……そういや、日記が本物なら、なんでルカは変な迷信を信じてたんだろうな」
「迷信?」
「アレとか」
キッカは、屋根の上から見える、竜を象った雨樋を指差した。
「そんな迷信、信じるルカもルカだけど」
「……シュンくん、覚えてないの?」
「なにを?」
キッカは首を傾げた。
ディスカードは、《ミニュイ・ノワール》の崖上でこの話を聞いた時、その光景がハッキリ脳裏に浮かんだ。
昔は無茶をしたもんだと、思わず笑ってしまったが、まさか本人が忘れていようとは。
「──キミは、竜に乗ったよ」
ディスカードは、空を見上げながらふと思った。
死を齎す赤い犬というのは、本当に、サーリヤのことを指していたのだろうか?
数百年前と同じ魔術を、これまた数百年来の再会をした魔物にかけながら、宙に砂で文字を綴り、ディスカードは考えた。
形を変えるのは彼女の意思一つで出来るが、それを長時間浮かせるには、ディスカードの魔術が必要になる。
キッカはおそらく、あの不審者の言葉を聞いて、サーリヤの国章を思い出したのだろう。
実際、彼は王城の下で処刑される。誰が見ても、その予想は正しいように思える。しかし──
ディスカードは目を細め、暁に輝く竜の背を見上げた。
母親譲りの美しい銀髪が、今は乾いた血のように赤い。
我ながら、上手く再現できたものだ。
かつての彼女の髪色も、元々は平凡な色であった。
今の彼女のような色が灼きついたのは、度重なる死闘の結果だ。魔術痕の一種である。
それ故、彼女が戦場でつけられた名は、赤に因んだものが多い。
《戦場の警戒色》《沈黙の朱色》《血の大狼》──
──《赤い狼》。彼女は仲間内でそう呼ばれていた。
それはカターリナの国章が《三ツ首の大狼》で、軍隊の名前もそれに因んでつけられていた影響がでかいだろう。
そしてサーリヤの国章も、おそらくそこを由緒としている。
ならば、ルカを喰い殺す《赤い犬》は、いったい誰を指していたのだろうか。
#
サーリヤでは、夜明け前、雲一つない空が群青に染まる時間を、《青の瞬間》と呼ぶ。
「悪政を敷いた王は死に、あなたがたを苦しめた男は、このザファル・サーリヤの名のもとに処刑を下す。王族であっても、間違いを犯せば裁かれるのがこの国の法であり、そのためであれば、綿々と続く王家の血を絶やすのも必定。今日この時から我々王族は、真実、民のための国を作ると、翠緑の冠に誓おう──」
ルカは目を閉じた。
後悔はない。しかし、恐怖がないと言えば嘘になる。
死を前にすると人間どうなるかはわからないので、案外、取り乱す気分でないことにホッとした。
【──どれだけ強くとも、人は死に様を選べない】
《彼》の日記には、そう書いてあった。
ならば己の死は、およそ人の得ることの出来ない奇跡のようなものだろう。
本来なら道半ばで野垂れ死んでいた筈の己が、使命を果たして死ねるのは、ひとえにこの死を意味のあるものにしてくれた仲間たちのおかげに違いない。
なんの力も持たぬ己であったが、人には恵まれた一生であった。
「王家と教会には、長く、互いに干渉してはならない不文律があった。それ故魔物が、王家と国民の対立として利用する隙になった。よって次代の教会は、民衆が政治へ参画するための機関として生まれ変わるべきである。我々はその運営に、反乱軍と呼ばれながら、国のため共に戦ってくれた英雄を召喚したい。我々王族が再び間違いを犯せば、国民の刃が、直ぐこの首に届くよう──」
その言葉に、ここ暫くの間に聞き慣れた、よく響く、低い声が応えた。
【彼女はきっと、これから色々な人間の運命になるだろう──】
──いいのか?
そう、昨日ルカに問いかけたのと、同じ声であった。
数日前に話したとき、烈火のように怒り狂っていたため、昨日は会うのにかなりビビっていたのだが。会えば、その落ち着きように拍子抜けした。
いいも、何も──
言われた時は困惑したものの、彼女の正体を知った今では、彼の言いたいことがよく理解る。
わかったところで、死にゆく自分が、彼女をどうにかできるわけでなし。
しかし、それはきっと、生きていても変わらない。
己が何を望んだところで、彼女は彼女の思うまま生きるだろうし、そもそも自分が、その生き様に、口を挟むことすら烏滸がましい。
(なのに最期、我慢出来ず口を出してしまった……)
なんと意志薄弱なことか。情けない。
にも関わらず、彼女は死にゆく者への手向けか、それを受け入れてくれた。憐れみのおためごかしであっても、ルカにはそれで十分であった。寧ろ、すぐ忘れられるくらいで丁度良い。
役人が側に寄る気配がした。
首に縄がかかる。
耳元でどくどくと、心臓が鳴った。
【処刑を!】
【処刑を!】
【旧き血に神罰を!】
【憎き王子に惨たらしい死を!】
大地を揺らす怒号が聞こえる。
役人の体が離れてゆく。
目蓋の裏で、棚引く赤色が、やがて線になって消えた。
──夜明けだ。
「………………。
…………?」
?
一向に浮遊感が来ない。
苦しみもない。焦らしてでもいるのだろうか。
ルカが疑問に思った時、耳が遠い騷めきを拾った。
【あれは──】
【──まさか!】
【伝説は本当だったのか──?】
広場が騒がしい。
役人達も、混乱しているようだった。
ルカは恐る恐る、目を開いた。
──眩しい。
遠い砂の大地が、朝陽を受けて赤く染まっている。
ルカの原風景。愛する国の色。
ふと、空を見上げた。
黎明の空に、暁光を受け、白く輝く竜が駆けている。
その背で何かが光り、民衆の目を焼いた。
皆が眩しそうに目を細めれば、それは暁より赤く、燃えるような髪色をした女が、その手に掲げた剣の燦爛であった。
ルカは笑った。声を上げて嗤った。
呵々大笑。
ずっと大人しくしていた王子が狂ったように笑うので、周りに居た役人達が狼狽した。
(ああ、ああ、ああ──!)
身体の奥底で恍惚の声がする。
湧き上がる歓喜に、いっそ吐き気すらしそうだった。
今気づいた。いや、ずっと気づいていた。雄々しい男性の像に目が眩んで、なんとなく意識の外にあっただけで。
初王の手帳。旅の記録から始まり、後半は殆ど私的な日記になっていた。
アレの伝えたかったことは、英雄への尊敬でも崇拝でもない。
直裁な表現をすれば──恋文だ。かなり情熱的な。
初王はシュン=イルにベタ惚れだった。文字の上では憧憬の糖衣で包んで誤魔化していただけで。ルカにしてみれば、だだ漏れだったけれど。
おかげで、このざまだ。
数刻前には確かにあった、迷いや恐怖が、すっかり消えていた。
何故なら、彼女がこの世界にいる。
《黎明の英雄》──いや、キッカ。
《キッカ・ハイネンヴァルト》
僕の英雄。僕の竜。
キミはこの空を誰より高く飛べる。
魔王も救いを求める人間も、もうあなたを縛れやしない。
ちっぽけな人間の死に、心を揺らす必要もない。
僕のことなんて、忘れていい。
愛しの竜よ、キミはこの空を誰より自由に飛べ。
「ぼくは、きみの夢を見るから」
第二章・完
閲覧有難うございました。
今後の予定や、三章が始まるまでに頂いた感想へのお礼は、活動報告に記載させていただきます。




