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兵達に俄に動揺が広がる。
《火属性使い》は、自然に干渉する能力を持つ、比較的希少な魔力持ちだ。まさか、相手に魔術師が居るとは思わなかったのだろう。魔力を持つ者はそもそも数が少なく、しかも貴族層に集中している。市井の魔術師は、《闇夜の時代》にその多くが死に絶えたのだ。
「おにいさま」
お嬢様の舌足らずな声が、ラームス様を呼んだ。
家族以外で初めて見る魔術師が、こんな野蛮な男どもではさぞ怖かろう。そう思ったが、案外その声色はいつも通りに聞こえた。
「キッカね、まじつし、まずおさえた方がいいと思うのぉ」
「そうだな」
「みんなにいっせいに攻撃してもらって、やっつけちゃお」
「だが、人数がな……」
ラームス様の頭でも、多勢に無勢というのは理解出来るらしい。なら初めから声を上げるなと思うが。
「まじつし他にいないから、へーき! やっつけたらすぐ逃げよ」
「だが、馬車に──」
「だいじぶだよ」
お嬢様が、視線は男達から逸らさぬままに、「そのためだよ」と呟いた。
マリーは彼女の顔をまじまじと見つめた。それに気づいたのか、彼女もこちらをちょっとだけ向いて、ニコッと笑った。
何故、魔術師が他に居ないと断言出来るのか。何故、当然のように次の行動を考えられるのか。
疑問は幾つもあったが、とりあえず──状況が、分かっていないだけかもしれない。かもしれないが、この状況で、いつも通り振る舞える彼女の胆力は、素直に凄いと思った。
ラームス様は少しの逡巡の後、頷いて、兵に指示を飛ばした。
彼も彼で凄い。この歳で、兵を動かすのに躊躇いがない。
兵たちが一斉に動き出す。
(──キッカ様は、戦いは苦手かもしれないけど)
剣を持ち、自らの身体で血を被ることは、出来ないかもしれない。けれど、彼女がハイネンヴァルトであることに変わりないのだ。
マリーは、今の彼女を屋敷の使用人達に見せてやりたい、と強く思った。
魔術師を倒し、兵士たちは残りを振り切りながら退却した。ついでとばかりに二、三人倒れている。流石はハイネンヴァルトの私兵だ。
「それじゃ逃げましょ!」
「だが、」
「だいじぶだって。まとまって逃げて」
「何故まとまって、」
「ばらけても、狙われるのはキッカと兄さまだけだから」
ラームス様は一瞬言葉に詰まって、「なるほど」と頷いた。
「そういうことか。しかし誰が戻る」
「キッカが行く。おにいさまは、お花畑行く。池に着いたら、おにいさまが赤いスイレンを刈り取るの。そしたらすぐに池をはなれてね」
「何故だ?」
「そうすれば助かるかもしれない」
「よし、わかった」
何がわかったんだ。
二人の会話は、マリーには意味がわからなかったが、それ以降は質問しようにも、背後の怒号にかき消されて無理だった。
後ろから剣戟の音が聞こえる。兵士たちが殿となって応戦しているのだろう。
マリーたちは振り返ることなく走るしかなかった。足を止めればそれだけ、私たちを逃すために戦ってくれている兵たちの負担になるのだ。
お嬢様が居ないことに気がついたのは、花畑に着いてからだった。
「ラームス様、キッカ様が……ッ!」
「確か池はこっちだったな!」
話を聞け。
「キッカ様がいません!!」
「……ああ、」
ラームス様は振り返ったが、立ち止まらなかった。
兵士の数は目に見えて減っている。後ろで足止めをしてくれているのか、それとも既に──
「も、もしかしたらキッカ様も、あの男たちに……」
「あいつは、ハイネンヴァルトだ」
ラームス様は、彼らしからぬ静かな声で言った。
「だから問題ない」
──何が問題ないんだ。
そうは思うが時間がない。さっきのお嬢様の指示は、まったく意味がわからないが。ラームス様は律儀にそれを果たそうとしているらしい。
兵士の、更に後ろで声が聞こえた。まだ追ってくる奴らがいるらしい。
「池の──なんだった!?」
「赤い睡蓮です! 赤いの刈り取って逃げるんですよ!」
自棄になって叫んだ。マリーも泣きそうだった。この赤い睡蓮が、何かの薬になったりするんだろうか。それとも、起死回生の強力な武器か。
赤い睡蓮──何か、聞いたことがあるような気がしないでもないのだが。
しかし、この状況で頭が正常に働く筈もなく、あと少しのところで思い出せなかった。
ザッと風を斬る音がして、ラームス様が剣を振り抜く。
お嬢様とそう変わらないのに、ラームス様の成長は早く、純粋な膂力に関しては長男には及ばずとも、もう上の兄には引けを取らないらしい。
ブチ──ッ、と植物らしからぬ手応えで花を刈り取って、ラームス様は、怪訝な顔を浮かべた。
マリーも彼の視線を追って、その手元を見た。
「なんだ、これは……」
ズズズ……と唸りを上げて、地面が揺れた。
池の水面が、大きく波打つ。
兵士たちは立ち止まり、追ってきた男どもも蹈鞴を踏んだ。
ラームス様の持つ睡蓮の茎から、どろり、と粘性の液体が垂れた。
断面を見れば、赤黒い肉壁のような内部が見えて、ゾッとする。
「どうなっている!?」
兵士が叫んだ。池の水が嵩を増し、ズズ、と盛り上がっていく。
いや、そうではない。池の底が迫り上がっているのだ。花をそのまま、背に乗せて。
──そう、背だ。
アレは、地面じゃなかった。
「ヒィィイッ」
情けない悲鳴が上がった。
追ってきた男達は、皆逃げ惑っていた。
魔物だ! 逃げろォ! と兵士からも怒号が上がる。統率が取れている分、盗賊たちより上等だ。
マリーは目の前の巨大な姿を見て、記憶が紐解かれていくのを感じた。
「王都の図書館で、見たことがあります……」
「でかい亀だな!」
「《古き睡蓮の王亀》──数百年と生きる、でかい亀です」
逃げ惑う男達が、次々に倒れていく。
亀の背では、さっきまで閉じていた睡蓮の花が、大きく開いていた。
そう、確か赤い睡蓮には、王亀の痛覚が通っていて、昔の文献には、それを知らずに摘み取ったせいで小隊が壊滅した話なんかが載っていた。
痛みを感じた王亀は、夜であっても背中の睡蓮を見事に咲かす。そして──
ガクリ、と体の力が抜けた。目の前で、ラームス様の身体も同じように傾く。
説明しようにも、口に力が入らない──でも、動いたところで後の祭りだ。
危機に瀕したこの亀は、睡蓮から魔力の粒子を飛ばすのだ。
そして、周りの生き物を皆、深い眠りにつかせてしまう。
《古き睡蓮の王亀》はそもそも肉食ではないから、進んで生き物を襲ったりしないが、一度望まぬ目覚めを齎せば、そいつは安らかに踏み潰されると書いてあった。
泣きそうだった。だから逃げろって言ったのかキッカ様。いやでもリスキーすぎる。こんなところで命を乗せた賭けをしないで欲しかった。
激情と後悔でなんとか意識を保っていると、幸いにも、亀は周りに動くものがなくなると、しずしず池に戻っていった。
気性が穏やかな亀だったのか。魔物の思考なんて、分かるはずもないけれど。
「ラームスおにいさまッ……きゃっ、マリーまで!?」
お嬢様が、駆け寄ってくるのがうっすら見えた。
──良かった。無事だったのか。
そういえば、そもそも彼女は、何故この魔物の存在を知っていたのだろう。池に首突っ込んでいた時? だとしたら度胸がすごすぎる。いや、けれど一目見ただけで、その習性は分かるものか? ならそれは、元々彼女がこの亀を──ああだめだ。意識が朦朧とする。思考が纏まらない。
お嬢様の後ろに残党が見えた。
そういえば、最初から全員で追ってきてはいなかった。馬車に積荷もあっただろうし、何人かはそこに残った筈だ。悲鳴を聞いて、駆けつけたのか。
──業務外労働ばかりだ、今日は。
マリーはどうにか立ち上がろうとするが、力が入らない。どうしよう。このままお嬢様が攫われたり、あまつさえ殺されたりでもしたら……命が助かってもクビになる。運が悪けりゃ首が飛ぶ。
「ラームス、おい……クソッ! なんでてめーまで眠ってんだよ!」
お嬢様がラームス様に近づいて……え、なんて?
「この脳筋! 妹に残党置いてくんじゃねーよ! いざというとき役に立たねーなバカ!」
ちょっと待って、今お嬢様の声で……いや、なんて?
まさか、ちょっと声が似ていたというか、驚くほどそっくりだったけどまさか。残党が言ったのよね。そうよね。お嬢様は「ふぇえぇ〜! ひよこさん可哀想だから卵食べれないよぉ〜!」って言うようなお方だもの。
「チッ……オイ貸せ!」
お嬢様は、ラームス様が腰に挿した剣を抜き取った。
瞼は落ちたがっているし、意識は泥のように重くなってくるし、魔力の見せる幻覚か、お嬢様が剣の柄で盗賊を殴り倒しているところが見えるしで、もう意味がわからなくなってきて、マリーは意識を飛ばした。
──でも、そうか。
お嬢様は可愛くなりたがっているけれど、きっと、この感じなら、処女の生き血とかは求めなそうだな、と思って、マリーは少し安心した。
♯
最悪も最悪。亀は何故かラームスを眠らせて池に戻っていた。
この後の戦力として数えていただけに、がっくり肩が落ちる。
「摘んだら逃げろっつったのに……」
まあ、マリーは眠ってもらって良かったが。彼女はただの家庭教師で、戦力には数えていない。寝てたほうが怖い思いもせずに済むだろう。
だからラームスなぜお前が眠っとんだという話だ。
──声を上げたのは、お前だろう。
キッカはラームスを見下ろした。
こいつの耳には、乗合馬車に詰め込まれた商品たちの声が聞こえていたのだろう。
戦力差のわからない馬鹿ではないと思う。しかしそれでも、ラームスはその声に応えた。
そして、こいつの囮行為のおかげで、馬車の中身は無事逃げおおせたというわけだ。
まあ多少、馬車の周りにいたのはこちらでどうにかしたし、戻る途中で兵士の首に刃をかけようとしていた奴等も、闇に紛れて幾らか大人しくしたが。
それは、キッカのようにか弱い令嬢が、助けを呼ぶには必要な処置であった。
逃げた商品には、キッカの服のリボンを持たせ、侯爵邸への道を伝えたから、じき助けがくる筈だ。
そう。だから、逃げる彼等を追う者がいてはいけないのだ。
これは決して戦闘行為ではなく、ただ兄に協力せんとする、幼気な妹の行動だ。──その筈だったのに。
(おにいさまが寝転けたせいで台無しだわ)
キッカは、ラームスの腰からスラリと剣を引き抜いた。
障害物の多い森の中で、この小さな身体は実に有利であった。
しかし、ここは開けた花畑。
目の前には、ラームスに倒してもらうつもりだった残党が四人。
「可愛らしいお嬢さんが剣なんかもって、なんのつもりかなぁ〜?」
「つーかてめぇら、何しやがった? さっきの化けもんはなんだ?」
見る目はあるようだが、話し合いに応じてくれそうな様子もない。
周りの兵は皆寝ているし、途中で足止めをしていた兵も殆どが倒れ、意識のある者も這々(ほうほう)の体だった。悲鳴を上げて、ここまで呼ぶのも気が引ける。
──やっぱりラームスが起きていれば、きっとみんな解決したことだ。ラームスが悪い。
キッカは頬を膨らませた。
(どうするか、)
もう一度亀にちょっかいをかけた場合、奴等も警戒していることだし、こっちだけ眠ってしまうリスクが高い。
この身体で、眠気覚ましの魔力を練れるかどうか。試したことがないから微妙だ。
ということは、この場に、頼れるものがない。
キッカは剣を握りしめた。
「さぁ〜あ! お嬢ちゃん! 危ないもん置いてこっちおいでェ?」
「そうそ。素直に言うこと聞いてくれりゃあ、悪いようにゃしねェからさぁ〜」
キッカはゆっくりと男たちに歩み寄った。
男たちは皆、にやにやと笑いながら、少女を見下ろした。
彼等の目の前までたどり着いたキッカは、だらりと剣を下ろしたままで、立ち止まった。
男たちはよしよしと、彼女の剣に手を伸ばす。
一人目。
体を捻り、回転するようにして体重を乗せた剣の柄が、屈み込んだ男のこめかみを殴り抜く。男はぐらりと体制を崩した。そいつの背に飛び乗って──
二人目。剣の腹の部分を後頭部に振りかぶる。ゴィンと、鈍い手応えと痺れを感じたが、それを無視して──
三人目。落下の体重をそのままに、首の後ろに肘を落とす。上手く決まったようで、男はぐらりと前方に傾いた。
あと一人。
地に足をつけたキッカは、男が「テメェ」の「テ」の字を吐いたかどうかというところで、下から顎に向かって拳を振り抜いた。男の目がぐるりと回り、脳震盪を起こしたのだろう。足腰が崩れて地面に倒れた。四人目だ。
そして、キッカも倒れた。
「痛ィッた〜〜ッ!」
ゴロンゴロンと花畑を転がりながら叫んだ。
ふざけるなよラームスめ。なんか、どっかの筋が切れた気がする。
昔の身体と違うことはわかっていたし、意図して弱くなろうとしていた。しかしまさか、この程度の動きでここまでダメージを食らうとは。
魔力で一時的に強化した筋肉が悲鳴を上げている。体格が体格だから、魔力で補わないと、よほど急所に上手く決まらない限り相手を無力化することも出来ないのだ。なんて……なんて……
か弱い身体だ! 最高だぜ!!
「……でも、死にたいわけじゃないしな」
どうしよう。キッカは落ち着いたので、上体だけ起こして考え出した。
竜種とかが相手ならまだしも、流石に人間相手に遅れをとるのは、命に関わるのでは?
魔物と出くわすには森に分け入る必要があるが、人間は何をしなくともそこら中にいるのだ。
以前のように、死闘を行うための筋肉はつけたくないが、ちょっと引き締まるくらい許容する他ないんじゃなかろうか。ま、命には変えられまい。
傷ついた体組織を魔力を流すことで治癒しながら、痛みの苛々の中、キッカは一人ぼやいた。
「つーか筆頭騎士ってなに……ただの平民出のいち騎士だったけど……?」
歴史の授業のたび、盛りに盛られた話を聞いて、笑えるやら腹が立つやらで震えるしかなかった。
つーか《キリエ》に強いとか言われたことねぇ〜! なんだその美しき仲間像。実際は喧嘩絶えなかった。まあ《ロウ》が賢王って言われてるあたり、歴史って相当歪んで伝わるものなんだろう。時の流れは無情なもので、それはもう、ある程度仕方のないことだと思う。
「……いやでも許せないこともある!」
初めて聞いた時は、「え、誰が伝えたその歴史?」「どこのどいつが捻じ曲げたん?」と頭が真っ白になったものだ。
思い出して腹が立ってきたキッカは、誰も起きていないのを良いことに、思いっきり息を吸った。
「わたしのこと男って言ったのだ〜〜〜〜れだ!?」
あの四人の中の誰かか。それとも他の人間に勘違いされたのか。
キッカ──数百年前には《シュン=イル・ディエス》と呼ばれた少女は、自棄になって、また花畑に大の字で寝転んだ。
次から主人公目線で話が進みます。




