一握の砂2
──速い。
魔力を持っていることは知っていたが、キッカは驚くべき脚力で王城までの道を駆けた。
間違いなく《風属性》だろう。
彼女の遠慮ない魔力を己の探知領域に感じて思う。馬車なんて必要なかったのだ。長旅に疲れた様子が見えないのも納得である。
王都の中心に入り、キッカは人の多さに一時足を緩めたかと思ったが、街の人々から頻りに上がる噂話を聞くと、更にスピードを上げた。
──曰く、明朝。
第四王子の処刑が行われるとか。
建物の屋根や、壁を駆け上がり、道なき道を征服していく女を、どうにか魔術を使って追った。
これまで彼女に感じていた違和感が、紐解かれる予感があった。それを逃すディスカードではない。
「噂が、ホントだとしてッ、何するつもりなの!?」
そろそろ息切れし始めた喉で、風に掻き消されぬようディスカードが声を張り上げる。対して、キッカの呼吸には一分の乱れもない。──とても、庇護を必要とする御令嬢には見えない。
「止める」
「国家間の問題になるかもよ!」
「そんなん知らない」
ワガママは相変わらずだ。
キッカは軽々と城門を飛び越え、城の扉の前に立った。
出発した時に傾きかけていた陽は既に落ち、辺りは闇に沈んでいる。
「止まれ!」
忍ぶ様子のないキッカは、当然ながら警備の兵に止められた。
しかし、彼女はそれを無視してズンズン進んでいく。あまつさえ、「ルカくんはどこ?」と剣を抜こうとする兵士に問いかけた。
処刑される罪人の名を出す奴があるか。
流石にコレは、とディスカードが止めようとしたところで、背後から「お待ち下さい」と声がかかった。
「その方は、私の連れです」
聞き慣れた声に振り返る。キッカがポカンと口を開けた。
兵士は剣に手を伸ばしたまま、「客人の……しかし、」と困惑した顔をする。
「彼女たちこそ、私に協力してくださった客人です。他国の要人ゆえ表向きには出来ませんが、救国の英雄に剣を向けることは、王とて望まないでしょう」
「……そういうことでしたら」
兵は剣から手を離し、一礼すると、持ち場に戻っていった。
女が手招き、「こちらへ」とディスカードたちを呼ぶ。
そのまま、二人に背を向けて歩き始めた。
「ジゼルさん、わたしッ……良かった無事で! でも、ルカくんはなんで……助けなきゃ、」
我に返ったのか、キッカが詰め寄る。
ジゼルは、いつもの無表情で肩を竦めた。
「やはり、街で聞いてしまわれたのですね」
「……どういうこと?」
キッカが困惑の声を上げる。
ジゼルは、どんな時でもルカのために尽力していた。ルカのために、命を懸けてすらいた。旅を共にした者は、みんな知っている。
だからこそ、ルカが処刑されるとなれば、ジゼルも相応の扱いをされていると、キッカは思っていたのだろう。
けれど、彼女はこうして無事でいる。
それも、冷静に、事の次第を見ている。
「キッカちゃん」
ディスカードは、なんとなく察しがついてしまった。
「なに、」
「そもそもこの人、ルカくんの従者じゃないよ」
「……え?」
「門番は《客人》って言った。ならおそらく城の人間じゃない。それに、ルカくんの客人なら、解るだろうけどこんな扱い受けられない。彼は罪人で、処刑を待つ身だ」
誰の客人なの? ディスカードが尋ねると、ジゼルは平然と、「第一王子」と答えた。隠す気も無いようだ。
「だろうね。あんな簡単に兵を納得させられるんだから」
「知り合ったのは、ここ数日ですけどね」
「……なるほど、」
「どういうこと?」
キッカが、ディスカードを見上げた。
身体能力は高いが、頭は今までの印象と変わらず、回転が鈍いようだ。──もしくは、私情で目が曇っているのか。
「ルカくんを罪人として突き出したの、ジゼルさんでしょ」
「……え、なに、?」
「地位や金欲しさに命をかける女には見えないけど……ねえ、ジゼルさんてもしかして──」
「答え合わせは後にしましょう」
ルカ様に会いに来たのでしょう?
ジゼルはそう言って、小さな木扉を開いた。
それは、聳える城から少し離れた、寂しい塔の入口であった。
キッカが迷わず扉を潜るので、ディスカードもあとに続いた。
「姉です、私は。《アル》の」
その名前に聞き覚えはなかったが、ディスカードはそれが誰のことか解った。
キッカは怪訝な顔をしたが、ジゼルが、「教会でルカ様と出会い、その夜二度と帰らなかった男の子の名前ですよ」と丁寧に説明をすると、思い出したように目を丸くした。
彼女はルカに長年連れ添った従者などではなかった。
ふた月あまり前に、初めて出会った、赤の他人だったのだ。
「なんで、ルカくんと」
「復讐のために決まってるじゃあないですか」
ジゼルはそう言うと、彼女には珍しい柔らかい笑みを浮かべた。
ゾッとするような、冷たい微笑であった。
「最初は、王族を殺してやろうと思ったんです。両親が魔物に殺されたのも、孤児になったのも、教会に化け物がいるのも、全部治める人間の不始末だって。でも、私にあなたがたのような特別な力はありませんから。全員殺せるとは思っていませんでした。丁度、殺し易いところにやってきたのが、あの人だっただけで」
「そんな素振り、全然……」
「キッカさんと出会ったのは、協力関係になった後ですから」
ルカは、自分を殺そうとするジゼルに、最初こそ抵抗したものの、教会の話を聞くと大人しくなったらしい。
そして最後に、取引を持ちかけてきたという。
【今の自分の死に、なんの影響力もない】
【第四王子なんて、消えたところで、王も、魔物も、教会も、何も変わらない】
【それなら腐っても王族である自分を利用し、本物の復讐をしないか】──と。
「絵空事を、と思いますよね。私も思いました。口だけならなんとでも言えると。けれど、彼は覚悟の証に、王の首を獲りました」
「!」
「その時点で、彼は退路を断ったのです」
ルカは王を病気だと言っていた。
その話をした時には、既に、その手で父親を殺めていたのか。
「そりゃビックリ。初めて聞いたな」
「王殺しなんて醜聞を、王族が無闇に漏らすはずないでしょう。しかも身内の犯行で、犯人を捕らえてすらいない」
でも、それも今日までです。
ジゼルが言った。彼女の持つ油燈が、暗闇の階段をゆらゆらと照らす。
「民衆に告げる大義名分ができました。きっと、誰の心にも残る戴冠式になるでしょう。あなたがた影の英雄が、教会の魔族と手を組み、王位の簒奪を企てた第四王子を捕らえてくれたおかげで──」
「なに、それ。ぜんぶ嘘」
「なるほどね」
ディスカードは頷いた。
ルカは善人が過ぎてディスカードの案を跳ね除けていたのかと思っていたが。意外と現実的であったらしい。
【罪には贖いの銀を】
【それが叶わないのなら──】
「──最初から、自分が《罰》を引き受けるつもりだったワケだ」
ディスカードの言葉に、ジゼルは頷いた。
キッカも案外察しは悪くないようで、顔を顰めてジゼルを見上げた。
「……仲の良い主従だと思ってたんだけどねえ」
まったく気がつかなかった。きっと誰も、二人の本当の関係を察することなんて出来やしなかっただろう。
なのに、二人は利害の一致するものが、手を取り合っていただけに過ぎない。
国のために魔物を倒し、真実を明らかにしようとする男と、
弟を殺された復讐者として、王子の立場を利用する女。
それだけの関係だったのだ。
「……それならなんで、わたしたちをここに通したの?」
キッカが口を開いた。
「なんでわたしをルカくんのところに案内するの。わたしはルカくんを生かそうとしてる。ルカくんが死ななきゃ、ジゼルさんの望む結末にはならないんでしょう?」
「……別に。私は、ただの共犯者で、彼の命については傍観者に過ぎません」
ジゼルは、階段の突き当りで止まった。
ここが最上階のようだ。これより先に階段は無く、目の前には、小さな格子窓のついた扉が一つあるだけだった。
「止められるものなら、どうぞ。お好きに」
彼女が扉にかけられた錠前を指す。
開けてみろ、ということだろうか。
「……とんでもない女だな」
階下に沈んでいくジゼルの後ろ姿に、ディスカードは呟いた。
「……止めてほしいんだ」
きっと。二人の会話が、あの旅のすべてが、嘘だったとは思えない。
キッカはそう言って、閂を掴んだ。
錠前はいつの間にか、ブラリと下がって開いていた。
#
ルカは、天井近くに空いた窓から、月明を浴びるように座っていた。
それがまるで宗教画のようで、キッカは腹立たしくて、わざとドカドカ音を立てて入室した。
振り向き様──逆光で影の落ちた横顔に、橄欖の眸だけが光を弾いて、草露のように光った。
「……さてはジゼルさんですね」
参ったな、とぼやいたルカは、いつもの、あの困ったような笑みを浮かべている。
まるで、処刑を待つ身とは思えない。呑気な声色である。
「説明して」
「髪飾りは受け取ってもらえましたか?」
ルカがあさっての返事をする。
キッカは一瞬考えて、「うん。貰った。ありがとう」と答えた。そうして、「処刑て何?」と、簡潔に尋ねた。
「処刑は今回、絞首刑ですね。報酬の件は……その、すみません。今僕のもとに自由になるお金がなくて、国からの後払いになります。ジゼルから、僕の作ったリストは受け取りました?」
「え、あ……なんて?」
「一応あれ、僕の個人的な人材リストなんです。だから、ルカの名前を出せば、きっと便宜を図ってくれるでしょう。もう仕事を回すことのない客より、貴方がたの持っている方が有用ですから」
「……うん。わかった。後で見る」
キッカは嘘をついた。ジゼルからそんなものは渡されていない。
代わりに、ディスカードが金銭を受け取った。
髪飾りは正しくキッカに渡されたものだったが、しかし、金銭はそうではなかったのだろう。
出所がルカでも、国でもないのなら、可能性は一つしかない。
ジゼルだ。そして、平民で尚且つ教会暮らしの孤児である彼女が、そんな大金を持っている理由がないので、おそらくそれは彼女の報酬だ。王殺しの第四王子を、処刑に突き出した報酬。
それを、丸ごとディスカードに渡してしまったのだろう。
「……ねえ、ルカくん」
「実はあの髪飾り、母の形見なんです。結婚相手に渡すように言われていまして」
「だからそういう話じゃ…………エ"ッ!?」
キッカは驚いた。のらりくらりと質問に答えないルカを、どうしようかと思っていたら、とんでもない言葉が飛び出してきた。
「わ、わたしたち結婚するの?」
「何を言っているんですか明日には死ぬ男に」
ルカが不思議そうな顔をする。お前が言ったんじゃねーかと思う気持ちと、本当にこの男は死ぬつもりなのだという確信が、キッカの頭でごちゃついた。「なにそれ」と責めるような声が漏れる。
つまり、最初から、彼の旅は死に向かうための道程だったのだ。
初めて声をかけられた時も。
教会から戻らない兄を一緒に待っていた時も。
宿屋で魚介料理が好きだと話していた時も。
二人で、星を見上げたあの夜も。
ずっと、ルカは一人死を前にして微笑っていた。
「……大丈夫だって、言えるわけだ」
キッカは思い出して吐き捨てた。それは、予言を聞いた酒場で、彼がキッカに言った言葉だった。
そりゃ安心してと言えるはずだ。死の犬が噛み切る首は、己のものと決まっているのだから。
「好きって言ったくせに」
「? …………あ。あ!」
キッカが詰ると、ルカはすっかり自分が言ったことを忘れていたようで、バツの悪そうに頬をかいた。
「いえ、あの、アレは言葉の綾というか……憧れとか、羨望とか、そういうのがまとめて言葉になったアレというか……髪飾りも、なんというか処分されるのが偲びなくて、」
「なにに憧れるの」
「あなたの強さに」
キッカは口を開けて、閉じて、また開けた。「ルカくんの方が強い」
強い、というのがどういう意味で使われた言葉かわからないが、認めるのが癪でそう答えた。
ジゼルにはわりと色々見られた自覚もあるが、ルカの前では、いつも愛らしい淑女だった筈だが。多少のわんぱくは可愛げの一部である。
ルカは苦笑した。
「まさか。僕がもっと強ければ……せめて、レックスさんやディスカードさんの十分の一でも力があれば、こんな回りくどい遣り方をしなくても、国を救えてたかもしれません」
「……そんなことない」
そりゃあの二人は強いけれど。それだけじゃ人も国も救えない。教会で別れた夜に伝えたことは、なんにも伝わっていなかったらしい。
力の強さで出来るのは、敵を薙ぎ斃すことのみ。
現に今、キッカの声は何一つ届かないし。
目の前の友の意志一つ、潰せない。
──キッカという人間は、天秤に他人の命と、己の欲が乗っていれば、後者へ傾く人間だった。
教会でも、地上で兄が負ければそれまでだと思ったし、子供の命と、己が剣を持つことを天秤にかけて迷った。ディスカードが負けることは即ち、ルカの死──つまり、遠からぬ国の崩壊に繋がるとしても。
キッカはそういう人間で、それが普通と思っているから、後悔もない。
しかし、ルカは違った。
「ルカくんは、強いよ」
今度は誤魔化しではなく、本気で言った。
ルカは、已を切り捨てられる人間のために、命を投げ出せる人間だ。
この身体でもおそらく、番犬を斃すくらい出来ただろうし、崩落とて身一つで生き残れる。そもそもの前提が、キッカとルカでは違う。キッカの命が天秤にかけられることはまずない。
にも関わらず、ルカは地下の崩落の折、キッカを庇おうとした。
(ディスカードがあの夜、魔法陣の破壊を容易だと言った理由にも、ルカは気づかなかったんじゃないだろうか)
簡単なことだ。
子供を殺せば、魔力供給は止まる。
キッカは実行しなかったが、簡単に思いついた。
ルカはきっと、考えすらしなかっただろう。
「最初からボクの案を使ってれば良かったのに」
ディスカードが言った。
確かにこれは、対象を変えれば、ディスカードが旅の始まりに提案したのと同じ話だ。
ルカはその案に否定的に見えたが、それは彼にとって度し難い悪辣な策だったからではなく、既に自分で同じものを用意していたから、必要なかったのだ。
「教会はあくまで市民のもので、働いてる職員も、殆どは市井の人々ですから。一方的に断罪したんでは、やはり王家との間に禍根が残ります。それよりは、【教会は王座の簒奪を狙う第四王子と手を組み、国家を混乱に貶めたが、新王は責任を取り第四王子を処刑し、教会は恩情をもって許す。代わりに新たな市民を教会の代表に据え、王家に市民の声が直接届くような政治を行う】とかのほうが聞こえが良いかと」
「ちゃんと考えて敵愾心調整してるわけだ」
見直したよ、とディスカードが手を叩く。
「前に、《キミの自殺じゃ国は救えない》って言ったけど──こうも盛大な舞台を用意するとはねえ。これは確かに上手くいくかも」
「おにいさま!」
「しかも、僕は先王を殺してるわけですから。僕との対立をもって、王家は被害者にもなれますし。他にも、僕が死ぬといいことがあるんです」
ディスカードに褒められたからか、ルカは少し、得意げに言った。
この男はなんて酷いことを言うんだろう。キッカは思った。
ルカが死んで良いことなんて、キッカには一つもないのに。
「実は、僕と今の王家は、血が繋がってないんですよ」
「え?」
ルカの瞳に、懐かしい面影を見ていたキッカは、信じられない気持ちで彼を見た。
するとルカが、「あ、いえ、違うな」と首を捻った。
「父親は一緒なので、ちょっと語弊があるんですけど。母の父──僕の祖父はですね、一途な人で。息子を産めない妻でも、ただ一人を愛しました。なので先王は、言ってしまえば入り婿で。だから、正確に言うと、この国で初王の血が流れているのが、僕だけなんです」
「……それの、なにがいいことなの」
「僕の処刑で、旧王家の血が途絶えるんです。新たな時代を迎えるにあたって、これほど良いパフォーマンスはないでしょう」
キッカは言葉を失った。
ルカはつまり、これまでの長き国の不幸を己の血に押し付け、その犠牲の上に新たな王政を敷けば良いというのだ。
キッカの表情を見て何を思ったか、ルカは慌てたように両手を振った。
「いえ、あの、確かに初王様には少し申し訳ない気がしてますが! これぐらいで彼の偉業が薄れるわけないですし、《ファジュル・サーリヤ》の勇名に傷がつくことはないでしょう。魔物が出没した時期的に、僕の祖父くらいまでは暗君と呼ばれるかもしれませんけど」
ルカがからりと言う。
キッカはもう、それが許せなくて、なりふり構わず地団駄を踏んだ。
「やだ。なんで、犠牲がいるの。確かに魔族は逃がしたのかもしれないけど、教会から魔物を呼び出す召喚陣は消えたんだからそれでいいじゃん。なんでわざわざ死体を増やすの」
「キッカさん……」
ルカは、キッカの目の前に跪き、こちらを見上げた。
駄々をこねる子供を、宥めるような顔であった。
「納得いかない気持ちはわかりますが、国民の怒りはそれで収まるものではないでしょう。一度王家を憎んだ以上、そこに何らかの罰が下らなければ、更なる不幸が生まれる原因になりかねない」
「てか前に話したでしょ。かつてどでかい人魔大戦があった時、魔王に打ち勝ち、魔族を殲滅した人間が、次に何をしたか」
ディスカードがルカの話に乗る。
キッカは眉を顰めた。
「ディスカード……おにいさまは、ルカくんが処刑されてもいいの?」
「別に。彼の意志でやることだ。ボクに否はないよ。バカだとは思うけど。意味がないことだとは思わない」
ディスカードは言った。
──魔王が倒されたあとも、暫くすれば貧しさへの憎しみは《人間狩り》に向かった。魔族の扇動があったとはいえ、それは果てに、王の首をも狩り取った。
「思い知るよ。平和に必要なのは、共通の敵だって」
ディスカードは、どこか吐き捨てるように呟いた。
確かに、覚えはある。
人魔大戦のあった時代、国同士の争いはなかった。どこもみんな、手を取り合って戦っていた。勿論、荒れた時代だったから、小競り合いはあったけれど。
実際、キッカに、人同士の戦争の経験はない。
「……でも、ルカくんが死ぬなんておかしい」
「では、ディスカードさんの言うように、魔の手に落ちた教会に責任を負わせるほうがいいと?」
「ッそれは──」
キッカが言葉に詰まる。
ルカは優しい微笑みを浮かべた。
「……気にする必要はありません。僕は、父を殺した時点で罪人に違いありませんから。これが最善です」
でも、最善が教会の人々を犠牲にする方法だったとすれば、ルカはきっとそれを選ばなかっただろう。
「……やだ。絞首台破壊する」
「ちょ、キッカちゃんそれ国の問題に発展しかねないって──」
「だからなに」
キッカには関係のないことである。
ディスカードがくるりとルカの方を向き、「マジでやりかねないから止めてよ」と訴える。
ルカはそれを本気と捉えていないのか、ぼんやり困った顔をした。
「えーと。絞首台を壊しても、他の方法で処刑されますよ」
「じゃあ役人みんなどうにかする」
「国民からの私刑になるんじゃないですかね」
「……ルカくん連れて帰る」
「突然得体の知れない男を連れてこられた親御さんが困るでしょう」
「…………結婚するって言えばいい」
「そんな苦渋の選択をしなくても」
ルカは微笑った。
「要りません。コレは、僕のわがままなんです」
じゃあ自分もわがままを通していいだろうが。と思った。
しかしキッカはそれを口に出す代わりに、「どういう意味」と尋ねた。
「かつて初王は、この国を救った英雄と約束しました」
「……そう」
「彼は豊かになった己の国を、いずれ帰ってくる英雄に見せることを約束したんです」
「…………だから?」
「僕が、約束を守りたい」
キッカは、目眩がした。
「……ルカくんは、英雄が、約束を守って死ぬことを望んでると思うの?」
「……さあ。でも、英雄は関係ないんです。僕がそうしたいだけで」
「じゃあルカくんは、英雄が、ルカくんに、国のために死んでもいいと思ってると、思ってる?」
「ならばこのまま、骨肉の争いを続けますか?」
人の憎しみは、誰かが割りを食うまで止まらない。ならばそれは自分でいい。英雄には及ばずとも、己も国のために生きて死にたい。
ルカは言う。それが誰でもない、自分の望みだと。
「泣かないでください」
「泣いてない」
実際、キッカの目は乾いていた。この期に及んで、涙の一つ流れない。泣くことに慣れていなくて、やり方がわからないのだ。
でも、ルカは、キッカの眦を指の腹でなぞった。
「……じゃあ、英雄が死ぬなって言ったら? そしたら、死なない?」
「いいえ。だから、これは僕の望みだって言ってるじゃないですか」
「しぬことが?」
「──正確には、この血を絶やすことが」
キッカは怪訝な顔をした。「またその話?」
しかし、ルカは苦い顔をしていた。秘密にしたかったことを、諦めて打ち明けるような顔であった。
「僕じゃなきゃ、だめなんです。英雄がいずれ先の未来で、僕以外の誰かと約束を果たすなんて──許せない」
ルカは微笑った。キッカは、ルカが何を言っているのかわからなかった。口をポカンと開いて、「……どういうこと?」と問いかけた。
「実は、僕も王になりたいと思ったことがあります」
「……? えと、そうなの?」
「はい。僕が、初王様に憧れていたことは知っているでしょう? けど、先王は平等な人でした。後妻であった王妃様も、既に死んで居ませんが、彼女は今際のとき、子供たちを平等に育ててやって欲しいと頼みました。王は、その通りにしました。血など関係なく、全て平等に。……王権すらも」
キッカがあからさまに、「そんな素振りなかったじゃん」という顔をしたからだろう。ルカは、「確かに、それ自体はもう納得してます」と答えた。
「王は正しく平等でした。力があればきっと、僕を王にもしたでしょう。けど実際は、第一王子のほうが僕より政治が上手く、第二王子は剣と戦事に長け、第三王子も知略に秀でていた。全てに劣る僕が王になれないのは当然で、先王の選択は、正しかったと思います」
「じゃあ、何が言いたいの」
「だから、僕がこの血を終わらせるワガママくらい、認めて欲しいという話です」
ルカは続ける。頬が薄っすら蒸気して、些かの狂気を孕む微笑みを浮かべていた。
「僕は会えなかったけど、もしかしたらこの先、僕の子孫が英雄の子孫と出会うかもしれない。それで、この国を見せるかもしれない。どうだ、僕の国だ、って
──そんなの、ずるいじゃないですか。
王位は兄のものになる。その方が国民の為になるなら、僕はそれは構わない。でも、きっと未来に生まれる誰より、僕が一番《彼》のことを想ってる。僕が約束を守って死ぬ。この血をあとには残さない。それが僕の──」
ルカは静かに、屹然とした表情で言った。「僕の──砂城の約束なのだから」
それは砂上の楼閣ならぬ、砂上の誓いであった。
キッカは瞠目した。
果たされることのなかった、空誓文の口約束。
なのにあの男の血は、目の前の男は、そんな不確かなものを、ずっと──
(──止められない)
止めて欲しいとも、思われていない。
キッカが唇を噛んだその時、ディスカードが、「どう考えても信仰じゃない」とぼやいた。
呆れたような声色であった。
ルカは、困ったように笑った。
キッカは考えた。
止められないのなら、どうすればいいか。
己が一番後悔しない遣り方は、何か。
「次代の王と、ジゼルが死ぬまで、この国はきっとあなたがたの力になるでしょう。……だから、どうか今夜はお帰りください。死体なんて、わざわざ見たいものでもないでしょうし」
──勝手な男だ。
腹が立った。今夜だけで、一年分くらいムカついた気がする。
だから、キッカは、腹を決めた。
一度目を瞑り、深く息を吐く。
頭の中のスイッチが、バチンと切り替わった気がした。
「……ま、その通りだ。悪い旅じゃなかったよ。お疲れ様」
「そう言っていただけると、少し肩の荷が下ります。このご恩は忘れません。死んでも」
「いらないよ、重いなあ」
ディスカードが鬱陶しげに片手をぶらつかせる。
ルカが、「ではジゼルに馬車を──」と言いかけた。
「やだ」
「は?」
二人が、キッカを見た。
キッカはもう一度、「い や!」とハッキリ言った。
ルカはまた眉を下げ、ディスカードは呆れた顔をする。
キッカは構わず言葉を続けた。
「解った。おまえの選択は尊重してやる。だからわたしも好きにする」
「……え、あの、なにを」
「わたしはおまえを英雄だと思う」
ルカが驚いた顔をした。
それにキッカが舌打ちすると、今度はディスカードが驚いた顔をした。
この男に、キッカの言葉は、ほんとになんにもまったく伝わっていない。
「わたしはおまえの生き様に敬意を払う。だから、おまえが選んだ道を、最期まで見届ける」
キッカは笑った。
おおよそ、幼気な少女の浮かべる表情とは思えぬ、怒りを孕んだ凶悪な笑みであった。
「一度しか言わないからよく聞け」
──約束しよう。
ルカが目を見開いた。
【ファルーク・サーリヤ、おまえの勇気と献身に感謝をこめて】
【わたしの名前はシュン=イル・ディエス】
【おまえが道に躓いた時】
【おまえが暗闇に取り残された時】
【おまえが一人で立てなくなった時】
【おまえが、助けを必要とした時】
【わたしは、おまえの前に現れる】
「──誠実で勇猛な、若き王に栄光あれ」
「…………嘘だ」
「失礼なやつ」
キッカが目を眇める。
そうして、長い時を経て再会した砂漠の王の歪む顔を、きつく睨みつけた。
「──約束を果たしに来た」




