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転生した魔王殺しの騎士は、か弱いプリンセスに憧れる  作者: 陽譚子
【第二章:砂城の約束 後編】
46/74

叛逆の漂砂5





 《ガイルラベク湖記念公園》──サーリヤ国の王都にある国営公園である。

 名前の通り、美しい湖を中心に据え、湖畔には石畳の道が敷かれてる。

 その脇には日陰棚(パーゴラ)長椅子(ベンチ)が並び、緑豊かで、砂漠を歩いた後だと尚のこと、王都の栄えようが窺える景観だ。





「準備かーんりょ」


 人々が寝静まった夜更けの公園では、大して大きくもない声がよく響く。

 振り返ると、ディスカードが小さく手を振っていた。


「そっちの覚悟はどう?」

「遅え。とっくに出来てる」

「これでも急いだほうなんです〜」

 ディスカードはやれやれと肩を竦め、「宗教場は何かと既存の魔術が多いからね」と、視線を遠く見える教会の尖塔に投げた。

 それらに触れないよう気づかれないよう、となると、それなりに気を遣う作業だったのだろう。


「檻は吊った。後は降ろすだけ」

「大丈夫なんだろうな」

「魔王クラスならわかんないけど、高位の魔族でも出らんないよ」


 ディスカードが不遜に答える。

 本当に高位の魔族でも通用するかどうかは、実際に使ったことがあるわけではないだろうし、定かでないが。ただ、この男がそこまで言うのなら、相応の結界なのだろう。


「ただ入場制限ないからね。キミの部下に見張りお願いしてる」

「それは知ってる。オレからも伝達済だ」


(……なるほど。だから人数が少なかったのか)


 あれだけ居たセテカの部下が、この場には数名しかいない。

 自ら蚊帳の外にいるキッカは、今夜の作戦をぼんやりとしか聞いていないので、推測するしかないが。

 あとは全員、教会の周りを固めているのだろう。


 ディスカードの言う《檻》は、入ったら出ることの叶わないパターンのようだ。

 なら見張りは中の化物ではなく、外にいる一般人に対するもの。敷地は広いが、出入り口に絞ればカバー出来る。深夜の教会に侵入しようとする不届者がいればその限りではないが、まあそんな奴なかなかいないだろうし──

 ()()()()()()()()()()()



「確認だけど、目的は召喚陣(ゲート)の破壊、現場の保全、首謀者──無貌の討伐だよね」

「生かして捕らえられれば最高だけど、本物なら難しいでしょ。最悪死骸でも残れば証明になる。無理はせずってことで、」


 行きますか、とディスカードが足で地面を叩いた。


 そこは何の変哲もない、公園内の東屋(ガゼボ)で、教会は視界に入るが、そこそこ距離が離れている。

 そもそも何故我々がこんな場所にいるのかと言うと、話は単純で、此処が教会の地下通路の終点だからだ。

 通路自体は先の潜入の際、ディスカードが見つけていたらしい。この入口は昨日到着してから探し当てたそうな。

 用途は不明だが、想像はつく。

 見られて拙いものを通す通路ならば、おそらく死体か魔物の通り道だろう。

 どちらかは知らないが。


 ただ、この通路、ディスカード達にとっても都合が良かった。

 ここから入れば、以前のキッカのように、信徒の視線を掻い潜って地下まで潜る必要はない。

 この通路にいるということは、おそらく()()()であり、関係者は前提として人ではないので、暴力沙汰も問題なし。目撃者も居なくなるというわけだ。

 ただ一つ、問題があるとすれば──


「この入口を開くと同時に、檻を降ろす。魔力流すと向こうに伝わる可能性があるからね。そっからはスピード勝負だ」


(──まあ、そうなるよね)


 術者と回路が繋がっている魔術なら、異なる魔術が押し入った際、当然存在を気取られる。


「じゃ、二人はあっちの休憩所の方で待っててね」

「はぁい」

「……はい」


 キッカは元気に手を上げた。元より中に入るつもりは無かったので、当然である。深夜の公園はか弱い少女にとって心細いが、中に入るよりはよほどマシだ。

 問題はジゼルの方で、彼女は不満げな顔を隠そうともしなかった。

 ホルス村の時と同様、既にごねにごねた後で、やはり今回もルカの一声により、渋々キッカとお留守番である。

 それで正解だ。事の首謀であるルカはともかく、非戦闘員が行って役立つことはないだろう。


「それでは皆さん、安全第一で」

「締まらねえ鬨の声だな」


 ルカの声に、セテカが舌打ちを漏らす。

 地下へ進む男たちが東屋に集まり、キッカは一歩後ろに退がった。


「じゃ、行くよ」


 声と同時に、東屋の地面が、円を描くように口を開けた。

 思わず身を乗り出して、少しだけ中を覗くと、上の整えられた庭園に反し、無骨で、教会の裏口というよりは、斜めに掘られた洞穴のようだ。





「──フツーのガキっつッたのに、話ちげーじゃん」





 地面が抉れる勢いで、いち早くレックスが前に出た。

 キッカ達は庇われる形で、更に後退する。

 バチ──男と目が合った。


「えー…どちら様?」


 ディスカードが、レックス越しに声を掛けるが、男はキッカから目を離さない。

 キッカも、視線を逸らすことが出来なかった。


「……つーかこの女の仲間でただのガキもねーよなァ? 入口開く時点で間違いなく魔術師だしよォ……だりー…」


 ──余計なこと言うな。

 キッカは内心焦った。

 少年というには大人びているが、青年というには若く見える。ひょろりと縦に長く、赤と黒の特殊な髪色をした男──


「テメェ……ッ!」


 ──先日、ボコボコにした人攫いだ。


 彼を見て、ドスの効いた声を上げたのはセテカである。おかげで、男の視線がゆるりとそちらに移った。そういえば、知り合いかもしれないと言っていた。本当に知り合いだったらしい。

 セテカは掴み掛からん勢いで、ディスカードに宥められている。男の方は不思議そうな顔でその顔を覗き見たあと、眉を顰めて、「あ!」と声を上げた。


貧民街(スラム)のガキじゃん。まだこんな(とこ)いたのかよ〜?」

「てめえの方がガキだろーが!」


 男がケタケタと嗤った。

 解っちゃいたが二人共、感動の再会という雰囲気ではない。


「彼は……えっと、人間にみえるけど。魔族の仲間?」

「このタイミングで出てこられるとそんな気がするねぇ」

「おにいさま、アレ、キッカを攫った悪い人ですわぁ!」

「マジ? そこ繋がるんだ……」


 レックスの疑問に、ディスカードの背後からキッカが答えた。

 キッカとて意味がわからない。もう二度と会わないと思っていた男と、こうも早く再会するとは。


 しかし、幸か不幸か、あちらも雑談を楽しむ気はないようで、セテカの怒声に「うるせー」という顔をしながら、男は片手を懐に忍ばせた。



「もう喋んなよ。どうせ此処で死ぬんだし」



「──ッ!」



 ドンッ──、と衝撃があり、気付けばレックスとディスカードを除く全員が、地面の下に居た。

 ──いや待てコレ。


「え!? ちょ、なんで?」


 見てくれは何もない筈なのに、入口の外に手を出そうとしても、出せない。

 これが檻か。

 当たり前だが、地下通路も対象のようだ。

 外を見上げると、男の持っているのは薄汚れた紙で、錆のような色で魔法陣が描かれている。

 それをなぞるように、炎が爆ぜた。



「…………なんですか、アレ」



 皆が呆然とする中、小さく呟いたのはルカであった。

 驚くのも無理はなく、夜の公園の闇は、瞬きの間に、昼日中の輝きに照らされた。

 いや寧ろ、太陽より眩しく、煌々と。


 焦げ尽きて散る魔法陣。

 解き放たれた獣型魔物たち。

 中央に座すは、赤々と燃え盛る双頭の犬。

 ──キッカは答えを知っていた。


「赤い、犬」


 ジゼルの言葉に、ふと思い出す。

 炎を纏う犬の姿は、まさしく、そう形容する以外になかった。


【《血色の猟犬(ヘルハウンド)》──死を運ぶ冥界の犬】


 いつの日か、魔族の女が告げた予言だ。

 ディスカードが視線だけで振り返って、口を開けた。

 

「早々に悪いけど、作戦変更だ」

「ディスカードさん、あれは──」

「時間がないんだ。黙って聞けよ」


 ディスカードの顔は、珍しく表情が抜け落ちていて、その迫力に気圧されたか、ルカは素直に口を閉じた。


召喚陣(ゲート)の破壊はキミらでやりな。手段選ばなきゃ誰でも出来るでしょ。あとコレ」


 投げられた袋を、セテカが受け取る。

 中を覗くと、親指の爪くらいの石が幾つか入っていた。


「キッカちゃんたちに渡そうと思ってた簡易結界。長くは保たないけど、あげる」


 ──じゃ、頑張って。

 それだけ言うと、ディスカードはもうこちらを振り返らなかった。

 その背中はとうに姿を消していたレックスを追って、すぐ小さくなった。


 キッカ達が呆然としていると、「行くぞ」とセテカが背を向けた。

 ルカは後ろ髪を引かれる様子だったが、出られない以上、ここに突っ立っていたところで事態は好転しない。

 全員、セテカの背を追って、暗がりの通路を進んだ。


(……死を運ぶ犬は、あの二人の頭上に降りたのか?)


 しかし、事情を知らないセテカは勿論のこと、ジゼルもルカも、前だけ見つめている。

 キッカは一瞬だけ振り返ろうとしたが、やめた。



 ──炎を撒き散らす巨大な犬の魔物は、正式な名を《太陽を喰らう犬スコォル》という。

 恐るべきことに、かつて魔王の門扉を護る役割を勤めていた、強大な魔物である。

 無論人には扱えず、ただ災禍を振りまくのみで、呼び出した人間がコントロールを目的としていないことがよくわかる。

 人攫いはいつの間にか姿を消していた。


 学生が相手をするには、荷が勝ちすぎている。

 あの二人といえど、簡単には倒せないだろう。

 最悪の可能性も考えなければいけない相手だ。しかし、キッカは正直に言うならば、安堵していた。

 端から予言を信じていたわけではなかったが。

 それでも、一抹の不安はあった。


(──これで、()()()に、災厄は降りかからない)


 ディスカードとて、死んでいいとまでは思わないが、優先順位の問題である。

 兄二人のうち、どちらかが命の危機に晒されるなら、それは次兄の方が良い。


「大丈夫ですよ」

「……へ?」


 いつの間にか隣りにいたルカが、そんなことを言いだした。

 暫く黙り込んでいたキッカを心配してか、優しい視線を送ってくる。


「お二人は、きっと無事です」

「……前も、おんなじこと言ってたよね」

「そうでしたか?」


 ちょうど、予言を受けた時も、ルカは同じようなことを言った。


「なんで言い切れるの?」

「あの人たちは、強いですから。そう簡単に死んだりしないと思いますよ。僕が保証します」

「……へんなの」


 たった一月ほどしか共に過ごしていないルカが、家族であるキッカに保証するのもおかしな話で、思わず笑ってしまった。

 安心させようとしているのだろうが、いらぬ心配だ。

 そもそも今回のキッカは別に怖がっているわけでも、不安がっているわけでもない。

 ただ単に、優先順位を改めて並べ直し、己のやるべきことを整理していただけだ。


(上のことはいい。あの二人でどうにか出来なきゃ、ここで旅が終わるだけだ)


 ならばこちらは、上が順当に片付く前提で動くべきだ。

 素人でも壊せる魔法陣だと、ディスカードが言っていたが、あの男が言うならきっとそうなのだろう。

 問題は、そこまで無事辿り着けるかだ。


 通路は無理やり掘り出したような塩梅で、洞穴のような様相をしている。

 以前キッカが表から入った内装とは、あまりにも違っていた。


「……壊せって言ってたが、地図でもあんのか?」

「いえ。教会は王城の治外にありますから、僕も持っていないです」


 チッ、とセテカが舌打ちを漏らす。

 このまま一本道ならなんてことはないのだが、やはりそうも行かないようで、少し走った先で、早々に分かれ道が出現した。


「二手に別れるか?」

「キッカさんを連れている以上、人数を減らすことには賛同出来ません」

「それもそうだ」


 セテカは素直に頷いた。

 手持ちの武器は彼と、その仲間の持つ剣と銃器くらいで、あとはルカが魔石の袋を持っているが、それで魔物を相手するわけにもいかない。


「キッカさん……」


 ジゼルが物言いたげな目でこちらを見る。

 他の人の目にどう映っているか知らないが、キッカにはハッキリと、「なんとか出来ないのか」という圧が感じられた。

 どうもここ最近、彼女には便利使いされている気がするが、しかし、キッカとて、闇雲に走り回って魔物に見つかるのは避けたいところだ。


「……ちょっと持っててなのですわぁ」

「え……えッ!? キッカさん何やってるんですか?」


 砂よけの外套(マント)を投げると、ルカは狼狽した声を上げた。

 それも当然の反応で、外套だけでなく、洋服の袖口を肘の上まで捲ったキッカは、その足を覆った(デザートブーツ)もスルスルと脱ぎだした。

 裸足で地面を踏んだキッカは、意気揚々と腕を振り上げる。

 

「あっちですわ!」


 二つの道の内、一つを指さしたキッカに、ジゼルは脱ぎ捨てた靴を拾いながら、「じゃあそちらで」と答えた。

 ルカが、「エッ!?」と声を上げる。


「い、いいんですか?」

「どのみち手掛かりがないのですから、一先ずキッカさんの勘に従ってもよいのではありませんか?」

「まあどっちか選ばなきゃいけないのは変わらんしな。グズグズしてるより勘で決めちまおう」


 みんな話が早い。

 ジゼル以外に、キッカの言葉を信用する理由はない筈だが。ルカも二人の態度に呑まれたか、「それもそうですね」と簡単に納得してくれた。


「ところで愛らしいお姫様(エミィラ)、足が疲れたのかな? オレがおぶって走ろうか?」

「今は裸足の気分なのですわ!」

「キッカさんはたまにこうなるのです」

「そうなんだ……」


 そんなわけあるか。

 ジゼルの言葉にそう思いながら、否定はできない。じゃあ何のために? と聞かれたら困るからだ。


 素足で地面を踏むと、足の裏にひやりとした感触が伝わってくる。

 同時に、所狭しと設置された、魔力の通り道も。



 ──《風属性(ソード)》は、《火属性(ワンド)》と違い、体外に遠く魔力を伸ばすことは出来ない。

 しかし、肉体を守るため、体表を魔力で覆うことは広く知られている。

 魔術の退化した現代であっても、その認識は変わらず、これが風属性の基本性能なのだろう。

 それはなにも、耐久力の強化だけが目的ではなかった。

 魔力が身体を動かす。それが風属性(われら)の力であり、風属性の魔力は、使い手の筋肉となり、神経となり、常人の及ばぬ反射をもたらす。

 つまり、コントロールを密にした風属性は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。


 肌に触れる空気、魔力、振動──そんなものから風属性は己の周囲の空間を把握する。気配にも人一倍敏感だ。

 ただ、流石にこれは、常日頃からやっていられることではない。

 しかも広範囲でやろうとすれば、かなり神経を使う。

 常ならば防御に向く、衣服などといった皮膚を覆うものが、このときばかりは邪魔になるほどだ。


(昔は、こうして衣装を落とすと、《本気だ》って囃し立てられた……)


 防御が意味をなさない強者相手であれば特に、鎧など邪魔なだけだ。

 そして周囲はそんな己を見て、「お手並み拝見」と言わんばかりに、目を輝かせるのだ。

 今思えば、戦闘狂(バトルジャンキー)ばかりの職場だった。《シュン(わたし)》はさぞ場違いだったろう。



 キッカはその後も「勘」と言って、道を示し続けた。

 生き物の気配があれば避け、魔力の通り道が太く収束する方へと、皆を誘導していった。


(しかし──)


 キッカは首を捻る。

 魔力の筋が、少し不自然なほど、あちこちを走り回っているのだ。

 途中で合流する道もあれば、プツリと途切れるものもあって、魔物を召喚する用途にしては酷く雑然とした回路に見える。

 元々、教会にあった古い魔術を避けるためだろうか?

 少し違和感を覚えながら、しかし足を止めるわけにもいかず、キッカは走り続けるのだった。





#





「ロイく〜ん! だいじょぶそ〜?」


 魔物が現れる寸前に、湖の一帯──今や元・湖だが。魔物の炎に晒された其処は、干上がって見る影も無い──に簡易結界を張ったディスカードは、上空から叫んだ。

 はたから見れば浮いているように見えるが、実際は魔術で力場を踏み固めて立っている。

 そこから、結界内の蠱毒のような有り様がよく見えた。


「キミこそ、大丈夫かい? 既に結構消耗してるだろう」


 そんな地上にありながら、男は呑気な調子で、少し声を張り上げて返事をした。

 目を凝らすと、右手に魔物の首を引っ提げているのが見える。顔が可愛い分、見た目が恐ろしい。

 彼は事も無げにそれを投げ捨てると、もう片方の手に握った剣で、更に襲いかかる魔物を両断した。


「う〜ん。思った以上にバケモノ!」


 この距離なら聞こえないだろうと、ディスカードは小さな声でぼやく。

 魔力を持つ己達には耐えられないほどの熱ではないが、結界を張っていなければ、ルカ達は消し炭になっていただろう。己とて防衛魔術を使っている。

 が、見たところ地上の男にその様子はなかった。

 己の見立てでは、魔力持ちだからというより、彼の肉体はそもそも魔力への耐性が頗る高いのだ。

 恐らく、耐魔か何かのギフテッド持ちだろう。

 ならば炎に焼かれるにも時間がかかる。


 地上で魔物を千切っては投げしている男の方へ犬が向かわぬよう、上空でひらりひらりと身を躱し、ちょこちょこと攻撃を落としながら、ディスカードは考える。


 本気を出せば、力で押し勝つことも出来なくはないだろう。

 ここまで来ると、流石に単純な戦闘能力ではレックスの方が秀でているかもと思い始めたディスカードだが、最強で最高の魔術師は、自惚れでなく己である。

 しかし、レックスの言う通り、消耗が激しいのは確かだ。

 なるべく工夫して抑えてはいるが、それでも教会の結界に、湖の結界、その他諸々、ここのところ魔力を使いっぱなしである。

 侯爵家嫡男の魔力量がなければ、とうに音を上げていたところだ。

 しかも……


(この後に《無貌》が待ってるかもってなるとね〜…)


 ディスカードは地上に降りた。追って尾が振り下ろされるのを、すんでで躱す。

 目当ての男は、丁度猪のような魔物の胴体に、拳で穴を空けたところだった──拳で?


「いや剣は!?」

「壊れちゃったよ」


 あっさり答えたその手に、先ほどまで握られていた剣はなく。彼の指した先には、折れた刃と、折れて尚使ったのだろう、柄の生えた魔物の死骸があった。

 剣の強度が、レックスという男の強度についていけなかったらしい。

 どういうことだ。


「えー…どうしよ」

「どうかした?」

「この犬相手に三十秒時間稼げる? 無理なら断ってもらって良いんだけど」

「うん、わかった」


 言っている間にも、熱した鉄のような爪が襲ってくる。

 それを跳んで避けながら、レックスは、迷う間もなく承諾した。

 これには、一応その強さを信用しているディスカードも不安になる。


「え、素手だけど大丈夫?」

「別に剣がなくても──」


 二人が会話しているところを隙と思ったか、獅子のような魔物が、レックスに喰らいつこうと跳び上がった。


「──骨くらい、砕ける」


 素手でぐしゃりと頚椎を潰された獅子は、地面にドシンと重い音を立て、倒れた。


「……ありがと。直ぐ終わらせる」


(こわ……)

 内心ビビりながら、ディスカードは戦場のただ中から、少し離れた。

 そして早急に地面に両手をつき、蹲みこむ。


 ──魔王の番犬に、いち学生を素手で挑ませるなんて、己の気が狂ってしまったと言われても納得だ。

 でもなんとなく、レックスなら大丈夫だろうと思った。


 触れた地面に、浅い亀裂が走る。

 石畳が浮き上がり、礫になって空を舞う。

 湖を囲う柵は、ぐねりと細く、形を変えた。

 それらは揃って、魔物の周りに、巨大で複雑な紋様を描く。


 ──火属性(ワンド)のいいところの一つは、即興で地魔術(ペンタクル)を書き上げられるところだ。

 まあ、そんなものは二重属性(ダブルスート)の人間以外、実感することもないのだろうが。



「お ま た せ」



 たった三十秒。されど三十秒。

 脅威の身体能力でもって、燃える犬をいなしながら、雑魚魔物すらディスカードのもとへ通さなかったレックスが、この言葉を聞いて後ろに退がった。

 それを見届けたディスカードの口から、不思議な音色でもって、言葉が溢れた。



【──万物万象価値(あたい)を均し 一己一条の下座に(くだ)る】

【この地に己以外は要らず 己以外は()らず】


 



 そこから先は、レックスの耳にも、明瞭には聞こえなかった。

 ただ、地上から見上げる限り、ディスカードの口は絶えず短い魔術(ことば)を吐き、その度に魔法陣に囲まれた空間が、形を変えて歪んだ。

 ディスカードが扱っているのは、火属性の魔術だ。

 それはレックスにもわかったが、その反応が尋常ではない。目で追うことは出来ても、理解することは叶わない。

 ディスカードの魔力量は類稀なものだし、魔導科の多くの生徒と違って、肉弾戦にもそれほど弱く無いことは知っていた。

 しかし、それでもレックスと比べれば、赤子のようなものだと思っていたのだ。それが──


 空を踏み、火焔の中を泳ぎ、瞬きの内に魔物の頭上へ翻る。


 それはまるで、風属性のような身体能力で。

 その間にも地面が、砂が、瓦礫が、魔物の動きを妨害している。器用なものだ。


「さあ──これで最後だ」


 男は逆さ吊りの身体で魔物と目を合わせると、唇だけで笑った。



【 ────── 】



 ディスカードが何か言った。

 すると突然、魔物の存在する空間のみが切り取られたように、何処からともなく湧き出た水で満たされた。

 飛沫が立ち、外からは、魔物の姿が見えなくなる。

 そして十秒も経たぬ内に、水が突然重力を思い出したように、バシャリと決壊し、地面に叩きつけられた後には、あれだけ巨大な魔物が跡形もなく、その近くにいた小さな──人間からすれば十分大きい──魔物たちも、塵ひとつ残さず消えていた。


 残った魔物の処理を終えたレックスは、その跡を()っと見つめた。

 空からディスカードが降ってきたが、危なげなく着地した彼の身体には、水滴一つついておらず、背後を見れば、地面に叩きつけられた水も、何もなかったように乾き切っていた。


「今のは──」

「あ、そっちも終わった? さっすがぁ〜」

「何をしたんだい?」

「えー…? んん……まあなんていうか、空間の地位というか、存在の権威を下げたというか……常用言語での説明はちょっと難しいかな」


 ディスカードは誤魔化すように頬を掻いた。


「……風属性のようだったよ」

「まっさかぁ。本物にはとてもじゃないけど及ばないよ。自分を強化するには風属性(ソード)に敵わないし、チート能力は水属性(チャリス)の十八番だ。魔術師(ボクら)がそれに勝るには、(ココ)で勝負するしかない」


 ディスカードは自身の頭を指で叩いた。

 そのまま両腕をグッと上に伸ばし、「存在の価値を上げる魔術って、なにかと制約が多いし、難しいんだけど、価値を貶めることはわりと容易にできるんだよね。古代呪術ってだいたいそんなんばっかだし……」と、誰に聞かせるでもない口調でぼやいた。

 独り言のつもりだったのだろう。

 確かに、詳しく説明されてもレックスには理解出来ると思えなかったので、それ以上追求しなかった。


 ──ただ一つ、判ったことがある。


「……さっきの魔術を扱える人を見るのは、キミで二人目だ」

「えっ?」


 やだぁ〜うそぉ〜、とディスカードが黄色い声を上げる。

 信じていない様子が半分、もう半分は、何故レックスがそのようなことを言い出したのかという、興味のような色があった。


「コレ、ボクが考えた魔術なんだけど。同じ魔術思いつくやつがいるんなら是非会ってみたいところ──」

「──【命を押し流せ(フルーメンラメント)】」

「……は?」


 ディスカードが、パカリと口を開けた。

 何故ならそれは、魔力こそ籠められていないものの、真実、最後にディスカードが放った言葉であったからだ。

 ディスカードの目が怪訝に細められる。

 表情の失せた顔で、彼は言った。


「…………誰?」

「《D・サンクトゥス》」


 レックスは、真っ直ぐとディスカードを見下ろした。



「キミは、呪いを食ったことがあるかい?」





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