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転生した魔王殺しの騎士は、か弱いプリンセスに憧れる  作者: 陽譚子
【第二章:砂城の約束 後編】
39/74

砂籠の乙女4





 ──実のところ、ディスカードにも、ルカの思考は透けて見えるようだった。

 だからキッカを押し付けたのだ。

 あの妹なら、柱にしがみついても夜中の外出など拒否するだろうと思ったから。

 そして、それを一人置いていけるルカではないと思っていた。



「攫われたぁ?」


 ディスカードは自分の声が思いの外大きく響いたことに気づき、慌てて口を塞いだ。

 なんだなんだと客も店員もこちらを見る。

 溜息を一つ吐き出し、どうにか心を落ち着かせた。


 ──それが、このザマだ。

 己の頬が引き攣るのを感じる。

 目を離した隙に、想定した数倍の厄介事になっていた。

 キッカ・ハイネンヴァルトは、思い通りにならないという点において、天賦の才を発揮する。あの女が関わると碌なことにならないということを失念していた。


「……普通、人んちのまだ洗礼も受けてない妹を連れ出す? 夜中の繁華街に? こっちも恩着せがましくする気はないけどさ。報酬を対価にしてる以上対等な取引だと思っているし、好きで協力してるわけだから、ルカくんの行動を縛る気もない。けど、人んちの妹巻き込んで危険な真似するのは話が別だよね?」

「申し訳ございません……」


 ルカは言い訳をする気はないようで、ひたすら愚直に頭を下げるばかりだ。

 こうなると張り合いもなく、責め立てるのも時間の無駄であるので、ディスカードはすっぱり切り替えて状況を整理する。

 先程、店の女達が話した内容そのままの事件だろう。


「とりあえず、追いかけようか」


 レックスが席を立って言う。

 追いかけると言ったって、場所がわからないので、通った可能性のある道で聞き込みをするか、近郊の怪しい人間をひたすら脅しかけるしかないだろう。


「迷子札でも持たせときゃ良かった……」

「珍しいね。何にもしてないの?」

「なんか、機会が無かったんだよね」


 こういう事態を想定して、何度か探知魔術(ペンデュラム)を仕掛けようとしたことはある。

 しかし、タイミング悪く水を差されたり、キッカ自身どこかへ行ってしまったりで、結局機会が訪れないまま今日に至ってしまったのだ。

 せめて、ディスカードの魔力の付着したものでも持たせていれば、手掛かりになったかもしれないが──


「……あの、」

「なに? 今構ってられないんだけど」


 ルカの声におざなりに返す。

 流石に、死なれたり売られたりするのは困るのだ。

 キッカ個人にも多少興味が出てきたところだし、何かあればラームスが騒ぐ。何より面倒なのは、それだけの事が起きれば、ハイネンヴァルトが動くということだ。

 夫人はともかく、侯爵が特別キッカに気持ちを傾けているとは思えないが、それはそれ。消えたのを放っておけはしまい。体面の問題である。

 これは善意ではなく、その名を動かす騒動の一端を担うのは御免だという、利己的な理由であった。


「はい……あの、別れ際、キッカさんが……いえ、キッカさんに、万年筆をお渡ししましたが。それは……」

「ハァ? 最高。握手しようか」


 ディスカードがルカの手をがしりと掴んだ。鮮やかな掌返しである。

 万年筆、というのは、ディスカードが魔物の棲家を探すのに使って、ルカに渡していたそれだろう。

 つまりは己の魔力が籠もった《魔道具(ペンデュラム)》だ。

 ルカが非常事態にそこまで頭の回る男だと思っていなかったが、それなら話は早い。

 

「見つけられそう?」

「うん。ある程度あたりはつけられると思う」


 二人が歩き出すのを、ルカがワタワタと追いかける。

 ディスカードは、「ちょっと準備が必要だから」と言い置いて、先に店を出た。

 支払いはどっちかがやってくれるだろう。何せ二人共王子様だ。


「魔物の次は人攫いか……」


 思えば、この旅のキッカケを作ったのもキッカだった。

 つくづくトラブルに愛される女だ、とディスカードは独りごち、靴の踵で、地面に陣を書き始めた。





#





 一方、キッカは奇妙な邂逅を果たしていた。


「あれ、おねーさん?」


 連れてこられたのはどうやら普通の建物ではなく、でかい岩山に横穴を通し、そこに施設を作ったような、無骨で、しかし堅牢な人間倉庫であった。

 押し込まれた地下の檻は、格子が正面にあるのみで、あとは岩壁に囲まれている。

 正面には看守のようにこちらを監視する男が立っており、こっそり脱獄というのは無理そうな配置だ。

 ただ、さっきまでの荷台と違い、立って歩ける広さがあり、そこには既に、何人かの女がいた。

 そして見知った顔もあった。


「おねーさん、また売られちゃったの?」


 その言葉に控え目に頷くのを見て、「魔族なのに弱いんだねえ……」と、思わずキッカは気の毒そうな表情(かお)を浮かべた。

 檻の奥に座って居た、褐色の肌に、豊満な肢体の女──いつぞや、カターリナで不吉な予言を残した精霊使いだった。


「占いで自分の災難って回避できないの? というか、こないだ占ってくれた時に、この状況も出てたりした?」

「さあ……どうでしょう……」

「ふぅん?」


 キッカは首を傾げた。

 なにか、以前会った時と雰囲気が変わったような気がする。

 姿も口調も、感じる魔力だって変わらないのに。気のせいだろうか。


 ジゼルを振り返って、「見て見てこないだの」と手招くと、呆れた顔で首を横に振られた。

 長旅で疲れてしまったようだ。

 仕方ない、とキッカは魔族の女に顔を戻す。


「ここにいるってことは奴隷じゃなくなったの?」

「……代わりに、新しいところへ売られますが……あの……」

「なぁに?」

「貴女は、怖くないんですか?」


 キッカは固まった。


「…………」

「? あの……」

「こ、こわぁ〜い! キッカ、牢屋こわいよぉお〜!」

「牢屋というか、その……例えば、これからのこととか……」

「うわぁあん! そゆのもみんなこわいよぉっ!」

「オイ! うるせぇぞ!」


 ガンッ、と大きな音を立て、檻が蹴飛ばされる。

 周りの女達が、ビクッと身体を震わせた。


「ふぇえぇ〜…キッカたち、これからどうなっちゃうのぉ……?」

「あ? ボスに見せて問題なきゃあ海を渡って大陸行きだな」

「ボスに見せる?」

「捕まえた商品は一度ボスに見せる話になってんだよ」

「おじさんたちは反乱軍なの?」

「は? ちげーよ。あんなバカ共と一緒にすんな。俺らは別に、この国がどうなろうが知ったこっちゃねぇ」

「えぇ〜…おじさんたちが本当に反乱軍じゃないんなら、本物の反乱軍ってどこにいるのぉ?」

「知るか。花街(アルワルド)に頻繁に来てたっつうし、その近くなんじゃねぇの? 少なくともここは花街から──」


「なァに無駄口叩いてんだァ?」


 壁の死角になった方向から、間延びした声がした。

 それを聞いた目の前の男が、「ボス、来てたんすね!」と慌てて頭を下げる。すごい変わり身だ。完全に舎弟の動きである。

 それに、「おー」と気のない返事を返した男は、瞬きの瞬間に長い脚を振っていた。 

 ア、と思った時には既に、舎弟の背は硬い壁に叩きつけられ、ズルズルと沈んだ。


「──、」

「オレ、口の軽い男って、きらーい」


 さっきまでキッカと会話をしていた男が静かになり、檻の中に、痛いほどの沈黙が張り詰める。

 伸びた男から目を離し、ソロ、と見上げると、彼は、ゆらりと気怠げな足取りで、檻の前に立っていた。


 ──思っていたのと、随分違う。

 むさくるしい男たちがボスと呼ぶのだ。いったいどれほど強面のオッサンかと思いきや、現れたのは小綺麗な顔をした青年だった。

 否。青年というには、まだ顔に子供特有の甘さが残っている。

 言動にも、(わざ)とかわからないが、威厳は感じられない。ディスカードとそう違わない歳に見えた。


(……でかいな)


 タッパはレックス並だ。身体の厚みはそれほど無いが、縦に長いので、ひょろりとした印象の男だった。

 しかし、さっきの蹴りを見るに、見かけによらず荒事慣れはしているのだろう。あんまり近づきたくはないが……


「──ばぁ!」

「ッ……!」

「ハハハッ……怯えんなよ。オレら別に、なーんもするつもりねェから」


 急に目の前で屈んだ男に、キッカが肩を揺らすと、男は機嫌良さそうに笑った。


「──ま、オマエらが抵抗しなきゃだけど」


 オイル式の点火器(ライター)を取り出し、咥え煙草に火をつける。

 男はフイ、と横を向いた。


「良い値で売れそうだな」

「ボスの好みですか?」

「ガキにキョーミねーよ」


 ──自分も充分ガキだろうに。

 薄く笑う男の横顔を、キッカは茫、と眺めた。

 機嫌が良さそうなのは、きっとキッカが可愛いからだろう。

 この場合、喜んでいいものだろうか。つまり、高価く売れる商品と認識されているわけだ。


 ふ、と目が合った。

 男は何故か、()っとこちらを見つめてくる。その真顔がなんだか不気味で、キッカは何となく目を逸らした。

 すると、男の刺すような視線は簡単にキッカから外れ、牢屋の中の女達をぐるりと見回した。


「鍵開けろ」

「……は? い、いえでも、商品の中に……」

「いーから開けろッつッてんの」

 怪訝な顔をする仲間を見下ろし、男は目を眇めた。「……だりィな」


 ヒィ、と引き攣った声を上げて、さっき吹き飛んだのと別の見張りが鍵を開けた。

 仲間同士というより、恐怖で成り立つ関係らしい。まあ男の態度を見る限りそうなるだろう。


「よーし、スモアちゃん」


 檻の中にゆらゆらと入ってきた男は、キッカの横を通り過ぎ、別の女の前に座った。

 自分が特別怪しまれているわけでなさそうで、安堵の息を吐く。

 親しげにスモアと呼ばれた女は、ポンポンと叩かれた頭に、ビクと身を竦ませた。

 むちむちした真っ白な肌の、触り心地の良さそうな可愛い女だ。

 キッカはストンと平らに落ちた己の胸に視線を下ろした。


「難しいことは考えンなよ。オマエらは言われたことだけやってればいーの。優しいだろ? 今どき社会に出て、言われたことだけやってりゃいいなんてなかなかないぜェ?」


 な? と笑顔を浮かべる男。

 目の前の女だけではない。檻の中の全員に向けて言っているのだろう。

 そうして男は、優しく触れていた女の頭を、突然、大きな掌で掴んだ。


「脱げって言われたら脱げ。這い蹲れって言われたらそうしろ」


 ──わかったかァ?

 横から見た男の口許は笑っているが、目は酷く冷めている。

 具体的に言うなら、まるでここにいる女たちを、人として認識していないようだった。

 彼女は震えながら、どうにかコクコクと頷いた。

 それに男は、「オレ素直なコだぁい好き」と、語尾にハートでもつけていそうな甘い声で応えた。


「でもホント、オレらに対して、必要以上に怯える必要はないぜ? よっぽどのことじゃなきゃ、大事な商品に傷つけたくねーし」


 男は立ち上がりながら、軽い口調で言った。


「この先、オマエらに酷いことするの、オレらじゃねーから」──ニコッ


 部屋の隅に居た女が、堪えきれなくなったのか、さめざめと泣き出した。

 その嘆きは伝播するように、部屋のあちこちからすすり泣く声が聞こえる。

 キッカもそれに倣って顔を覆った。


 この男は、他の誘拐犯たちと違って、大きな声で脅したりしない。

 けれど、妙な迫力があった。

 有り体に言えば、怖い。

 彼の本気が伝わってくるからだ。

 キッカにも、彼女たちが怯える気持ちはちょっと解った。


「泣くなってェ〜…今生最後の自由時間だぜ? リラックスして過ごさないと損だろーが」


 困ったように言いながら、男は牢屋を出ていった。

 実際、まったく困っていないだろうが。


「もういいんですか?」

「おー。奥で寝てる」


 なんかあったら起こせよ、と言い置いて、男は消えた。


「…………」


 覆った手の平の間から、ジゼルをそろりと見る。

 泣きこそしないものの、膝を抱えた手が震えていた。


(うーん……どうしよう)


 ここまで怯えているのを無視して、居続けるのは如何なものか。

 しかし、反乱軍の手掛かりが得られそうな場所ではあるのだ。ジゼルも、収穫を得るためなら、我慢してここに残る方を選びそうだし。



「──何か調べてるのですか?」

「えっ?」


 振り返ると、例の魔族がこちらを見つめていた。

 そういえば、先程の見張りは檻を開けるのを躊躇していたが、彼女が理由か。

 魔族であることは知れているのだろう。とはいえ、相変わらず彼女に抵抗の意志はなさそうだ。


「……なんでですのぉ?」

「反乱軍について、質問していましたので……」

「あー…なんか、反乱軍の人たち、ココの女の人たちのこと、守ってくれてたみたいだから……助けに来てくれないかな〜って?」


 嘘である。

 でも、何故か本当の話をするのは気が引けた。

 キッカがへらりと笑っていると、ガンッ、と格子の揺れる音がして、皆そちらを振り返る。

 また見張りが暴れてるのかと思ったが、それは牢の中から与えられた衝撃だった。


「もう、いやっ……! 私は、奴隷になんて、なりたくない……ッ!」


 美しい頬には、濡れた跡が残っている。

 そして現在も、その目は新たな水分を生産していた。

 顔も目も真っ赤にして、彼女は檻を蹴ったり、殴ったりして、不満を顕にする。

 そんなことしても、どうにもならない──というか、悪い方にしか転がらないと、本人も解っているだろう。

 それでも吐き出さずにはいられないほど、耐え兼ねてしまったのか。


 案の定、見張りの男が、怒声と共に檻を蹴飛ばした。


「うるっせェなァ! ボスが起きたらどうすんだよ!」


 焦りと苛立ち混じりの表情(かお)

 どうやら、さっきの(ボス)は相当恐れられているらしい。


「閉じ込められて静かにしてられる方が頭おかしいんじゃない!?」

「口ごたえすんじゃねェ!」


 男は叫ぶ彼女を怒鳴りつけると、チラ、と檻の奥──キッカの隣にいる魔族の女を、一瞥したあと、動く気配がないのを確認して、ガチャガチャと檻を開けた。先程ボスがそうしたのを見て、気が大きくなったのだろう。


「キャア……ッ」

「これ以上騒ぐようなら、その面二度と見れねぇようにしてやる! てめェらなんぞ商品価値がなくなりゃ即処分だもんなァ!?」

「はァ? アンタこそ見るからにちんこ小さそうな顔しやがって! 商売女にも相手にされないからってこうやってか弱い女に暴力で訴えるのねこのド腐れクソ野郎!!」


(わあ強い)


 流石、夜の街を生き抜いてきた女だ。思ってたよりも怒り大なり嘆きである。

 放っておいたら豊富な語彙でひたすらに男を罵倒し続けそうな調子だったので、これ以上煽らないように、キッカは二人に近づこうとした。


「この……ッ!」


 遅かったようだ。

 口では勝てないと悟った男が、足を上げ、女に振り下ろそうとする。

 女は悲鳴を上げて蹲り、咄嗟に両手で頭を庇った。

 ゴッ──と鈍い音が身体に響く。



「──オイ! 何やってんだお前ッ!」

「いや、ッコイツが急に飛び出してきたから……!!」


 見張りの男たちが言い争いを始めた。

 ジゼルは、倒れたキッカに駆ける。


「大丈夫ですか!?」

「痛いよぉ〜!」


 ふぇえぇぇ〜! と、蹴られた腕を抱いて、大袈裟にのたうち回るキッカ。

 実際痛みは特にないが。

 ディスカードのような魔術師が近くにいるわけでもなければ、自分を守る魔力を出し惜しみするつもりはない。掠り傷にもならないだろう。

 しかし、やはり幼い子供は高価く売れるようで、思い通りに男達は青褪め、一旦牢を出ていってくれた。

 まあ、地上に続く出入り口が結局その扉しかないので、逃げられまいと高を括っているのだろう。

 扉の外から言い争いの声が漏れ聞こえてくる。


「なんで、こんなこと……」


 しおらしい声が聞こえて、キッカは隣に視線をずらす。

 さっきまで罵詈雑言を叫んでいた女が、キッカの横に侍っていた。


「なんで──?」

 聞かれて、キッカも固まる。


 ──なんでだろう。

 客観的に見て、今しがたキッカは、彼女のことを暴力から守った訳だ。

 それは、己にデメリットがなかったからだ。

 庇ったところで、多少の傷はだいたい自己治癒出来てしまうし、そもそも魔力を使えば傷も負わない。万が一でも己の可愛い顔に傷がつかないよう、攻撃だって腕で受けた。

 きっと、己に傷をつけられるような手練が相手なら、こんなことしなかっただろう。


 でも、それは、彼女を庇う理由にはならない。


「……ええと。あとで、おねーさんたちに聞きたいことがあるから」


 キッカは考えた結果、そう答えた。

 今己が欲している情報を、彼女たちは持っているかもしれない。

 だから、このメリットを踏まえ、己の身体は動いたのだ。

 恩を売るために。


(ルカへの協力は、過去へのケジメでもある)


 キッカは、《シュン》の記憶を顧みる気はない。

 しかし、キッカとして生きていくために、違えた約束は精算しなければ座りが悪いと、最近、気づいたのだ。


「ここは一つ、おねえさんに貸しということで」

「……(したた)かね。そうね……ここを出られたら、なんでも教えてあげる」


 女は、男たちの目が無くなった途端、ケロリと喋り出すキッカに一瞬目を丸くしたが、キッカの言葉を聞いて、ふふ、と微笑った。



「あの──」



 穏やかな空気が流れ出したキッカたちの間に、水を差す声があった。


「やめておいたほうが、いいと思います……」

「何を?」


 女は胡乱げに、声の方へ視線を向けた。

 それは、つい先程までキッカと言葉を交わしていた、牢の奥に座す魔族の女であった。


「逃げようと考えることを」


 しん、と静まり返った牢の中に、その言葉はいやに響いた。


「……じゃあ、どうするつもりなの? アンタは、奴隷になっても構わないって言うの?」

「構わない、というわけではありませんが……」


 女は首の後ろに両手を上げ、金属のチョーカーを、カチリ、と外した。

 胸元を覆っていた布がはらりと垂れる。


「抵抗したら、こうなりますので……」


 魔族は、感情の薄い声でそう言った。

 豊かな乳房の間に、火傷と裂傷の間の子のような醜い傷が刻まれている。

 それは、隣の女が息を呑み、牢のそこかしこで、ヒッ、と、喉の奥から引き攣った悲鳴が聞こえるような、嫌な傷跡であった。


 ──しかし、今ここの連中につけられた傷ではないだろう。

 キッカは思った。

 痛々しいが、それはそういう種類の傷というだけで、見目は古傷である。

 けれど、今ここで見せると言うことは、きっと、奴隷として生きている間につけられた傷なのだろう。


 とはいえ、他の女たちは、それがいつついた傷かなんて解らないので、悲鳴はまた啜り泣きの合唱に変わった。

 隣の気丈だった彼女も、俯いて黙り込んでいる。

 顔は青く、身体は震えていた。


「……みんな、具合悪そうだね」

「蹴り倒されたばかりのあなたが言いますか」


 ジゼルの口からはいつも通りの小言が出るが、しかし、いつもに比べて覇気はない。


(気づいていなかった──というか、)


 軽く見すぎていたのかもしれない。

 キッカが思うより、ずっと、限界だったようだ。



「……ジゼルさん」

「なんです?」

「出よっか、ここ」

「…………え?」


 ジゼルは、怪訝な顔でこちらを見た。

 そして、暫らくの沈黙のあと、返ってきたのは、「どうやって?」だ。

 そりゃそうだ。


(自分だけ逃げるなら容易い、が──)


 それだと当初の目的から外れる。

 花街の女達に恩を売らなければ、そもそもこんなところに来た意味がない。彼女たち全員連れて出るとなると、教会の時ほど容易くいかないだろう。

 キッカは肩を竦めた。


「やっぱり、助けを待ったほうがいいんじゃ……」


 珍しく、不安そうな顔でジゼルが言った。

 逃げ出したいのは山々だろうか、実際、自分たちでどうにかしようとなると心許ないのだろう。

 まあ、それは当然の心配だ。己を含め、細腕の嫋やかな女ばかりが集められているのだから。


「助けが来るの?」

「うーん……」


 隣の女の質問に、キッカは、懐から取り出した万年筆をクルクル回した。

 それをジゼルの掌に乗せて、「護身用」と呟く。


「これで護身できます……?」

「刺せるし、抉れるし、おにいさまたちも探しに来るし」

「はあ、」


探知魔術(ペンデュラム)ですか?」


 ジゼルが眉を顰めるのと反対に、奥で沈黙していた魔族は、万年筆を見てすぐ察したように尋ねた。

 キッカは素直に、「うん」と答え、そちらに近づく。


「あなたが?」

「え? ううん。まさか」


 お兄様の万年筆なの。と、キッカ。


「だから、助けがくると」

「うん? うん……そう、かな?」


 キッカは曖昧に、へらりと笑った。

 これはジゼルに伝えていないが、実はこの建物、おそらく中の魔力を外に漏らさない仕組みになっている。

 先程の荷台の魔術を強力にしたものと思えば分かり易い。

 そのため、ディスカードの追跡が上手くいくかは正直、半信半疑なところだ。ここまでの痕跡で、どうにか見つけれくれるんじゃないかと期待はしているが。それがいつになるのか解らないし、それまで、みんなの精神(こころ)が保つかも解らない。

 魔力の痕跡を封じるわりに、魔力封じ(アンチマジック)の気配がないのも気掛かりだ。

 それを幸運と取るか、不運と取るかは、微妙なところである。


「ジゼルさんと……そちらの、女の人」

「カベルネよ」

「カベルネさん。みんなに伝えてもらっていい?」


 檻が開いた時、自分がどうするか、決めておくようにって。


「……キッカさんはその間、どうするんですか?」

「わたしは今から泣くから」

「……?」


 ────?





 その後すぐに監視の男たちは戻って来たが、キッカは宣言通り、泣いて暴れて痛がって、男達がノイローゼ気味に「いい加減にしろォ!」と叫ぶまで、彼等の注意を引きつけ続けたのだった。





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