砂中偶語3
──乾いた熱が肌を焼く。
鮮やかな赤土の建物の間に、所狭しと露天が並び、町は熱に負けじと活気に満ちていた。
往来の人々は、照りつける太陽から身を護るため、皆小麦色の肌を白い布で覆っている。
──水の女神よ、憐れみ給え……
どこからか、嗄れた古い祝詞が聞こえる。
この辺りの国の象徴は、赤色と、燃える火輪が多い。
彼等にとって、遥か天上から燦々と人民を睨み降ろす偉大なる太陽は、即ち国であり、炎であり、男であり、王であった。
しかし信仰の多くは、水の女神に集められている。
乾いた土地柄、信仰心も強く、この地で最も親しき神は《水の女神》と呼ばれ、穢れを押し流し、人の世を均す女神なのだとか。
(……案外、覚えているものだ)
壁に彫り込まれた女神の姿をなぞり、昔聞いた話を、反芻した。
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「《緑豊かな西のユグエン、水に囲まれた東のミスティリオン》──とかなんとか言われるだけあって、まあ大陸の真反対にあるからね。陸路を選ぶなら途中、幾つかの国を経由することになる」
行程を全て把握しているディスカードが、手許に地図を広げて言った。
「明日、この町で馬車の乗り換えがあるから」
「キッカ、町を見に行きたいですわぁ!」
「いいけど……」
ディスカードが腰を爺のように叩きながら、疲れた顔で片眉を上げる。
「キッカちゃん、案外タフだよね。カターリナの時も思ったけど」
キッカはピシリと固まって、一拍後、動き出したと思えば額に手を当て、くらりと上体を蹌踉めかせた。
「ぁあッ! 目眩がぁ〜! 長旅による疲労でか弱いキッカの細腕は今にも折れてしまいそうですわぁ〜!」
「いや、腕より、尻とか背中とか痛くないの? ずっと同じ体勢で座りっぱなしでしょ。ボクもうヘトヘトなんだけど」
「! あぁ~~ッ! 全身くまなく折れそうですわぁ〜!」
「いや、元気じゃん……」
ディスカードが引き攣った顔でごちる。
そうは言うが、キッカにだって、身体の軋みは多少ある。鍛え方が足りていないせいだ。しかしそれも、少し動けば治る程度。
ディスカードもハイネンヴァルトである以上、ラームスほどでないにせよ、鍛錬はしているだろう。
多分、座り方が悪いのだ。
こういうのは慣れもある。
一昼夜、劣悪な環境でこんな体勢を繰り返せば、そのうち気にならなくなるものだ。
「──体調が悪くないなら、それに越したことはないだろ?」
騒ぐ二人の背後から、穏やかな声がかかる。
キッカはそれを聞いて、尻尾を振る犬のように、笑顔で振り返った。
(ラームスに言った、売り言葉に買い言葉が、まさか本当になるとは……)
彼は、鼻の上まで覆っていた布を、少し引き下げた。
カターリナから東には砂漠が多く、道中幾度も砂埃が視界を覆う。
そのため彼──レックスも、キッカやディスカードと同じように、砂よけの大判の布を頭に巻きつけていた。
ただ、それでも、覗く目元だけで顔の良さが窺えるとは、相変わらず凄い顔面である。
キッカは、両手を顔にあて、頬を染めた。
「まあアランさまったら、キッカのこと、そんなに心配してくださってたなんて……」
「アラン様じゃないし。してないしてない。元気有り余ってるよね?」
「アランさま、あのぅ……キッカお町までご一緒しませんこと? ディスカードおにいさまはおつかれのようですから、宿に置いてふたりで……」
「ちょっとぉ! この妹下心が見え見えすぎるんだけど! てかアラン様って誰だよ」
レックスに話しかけているのに、逐一横から口が入る。
それをことごとく無視して、キッカはふわふわとレックスに擦り寄った。
レックスは、そんな二人を微笑ましいような表情で見ている。
キッカたちの《アウティング》は数日前に始まり、カターリナと、更にいくつかの小国を越え、ちょうど折返し近くに辿り着いたところだ。
行き先は《ミスティリオン聖教国》──奇しくも、アメリアと同じ国である。
(まあ、アメリアは《転移塔》で先に行ってるみたいだけど……)
話を聞くに、我々の行き先は、アウティングの中でもかなり遠い部類あたるそうだ。
にも関わらず、魔術を使わない道程を選んだのは、なんとディスカードの意向である。
国に点在する、転移魔術の陣を置いた塔は、確かに高額な使用料を請求するが、ハイネンヴァルトが渋るほどの額ではない。
魔術師である彼が、何を考えてそれを避けたのかは謎である。というか、馬車の上で早々に後悔する声を本人から聞いているので、いったい何がしたかったんだという気持ちだ。
──とはいえ、キッカはどちらでも良かった。
ハイネンヴァルトに生まれてこの方、あまり遠出したことのないキッカは、正直疲れが気にならないほど、この旅程を楽しんでいる。
行き先に友達はいるし、今のところ、ディスカードも変なことはしてこない。心惹かれる王子様も同行している。
キッカにとっては、幸先の良いアウティングになりそうである。
「今回、キミのお兄さんは一緒に来れなかったようだし、辛くなったらいつでも頼ってほしい」
にこりと微笑むレックスに、キッカは黄色い声を上げた。
「まあ! キッカ嬉しい〜! ラームスおにいさまなんか居なくっても、アランさまがそばにいてくださればそれで充分ですわぁ〜!」
「ちょっと。キミのお兄様いるんだけど、ここにも」
ディスカードの言葉を無視して、キッカはレックスに笑顔を向ける。
次兄の監視付きのアウティングなど、話を聞いた当初はうんざりしていたが、蓋を開けてみればこんなに優しい王子様と、急接近の大チャンスである。
ただ、一つ、気懸かりがあるとすれば──
(……来れなかった、というか、伝えてないんだけど)
キッカは内心、一人ごちる。
ラームスのことである。
話を聞いたのが急だったのもあるが、アウティングの詳細を、キッカは伝えて来ていない。
ラームスはしつこく問い質してきたが、しかし彼にもアウティングは迫っていた。のらりくらりと躱して、どうにか時間切れを果たした感じである。
最初は別に、隠すつもりはなかった。
しかし、ふとホリデーのことを思い出して、レックスと共に行くことを、伝えていいものかと首を捻ってしまった。
どういう因縁があるのか知らないが、ラームスはどうも、レックスと反りが合わないらしい。
レックスは優しいし、何か誤解があったとしか思えないが、しかしそれを伝えた時、万が一、ラームスが本来行くべきアウティングを蹴っては事である。
無論、あの男は騎士になるために生きているような男だ。キッカのために、強くなる機会を不意にすることはないと思う。
ただ、これもホリデーで実感したことだが、彼は大雑把に見えて、その実面倒見が良い。
もっと言えば過保護である。
その万が一が、無いとは言い切れなかった。
(……ミスティリオンに着いたら、手紙でも送るか)
妹を心配して、兄がアウティングで全力を出しきれない事態は避けたい。
手紙で上手いこと言って、誤魔化しておこう。
本来、か弱い己の心配をしてくれるのは誰でも大歓迎なのだが。今回はシチュエーションが悪い。
ラームスには、強くなってもらわなければ困る。
それには、この機会を存分に利用してほしい。
「てゆーかそろそろ、そのアラン様ってのやめてよ。一瞬、誰? ってなるし、なんかロイくんも慣れてきちゃってるし」
ディスカードに言われて、キッカはラームスのことを一旦頭の隅に追いやり、小首を傾げる。
「えぇ……でもぉ、おにいさまのも愛称でしょう?」
「そうだけど。アランはもう原型ないじゃん」
「じゃあ、キッカもロイさまって呼んでいいですぅ?」
どうせ呼ぶならわたしも愛称がいい。
キッカが上目遣いにレックスを見つめると、言われた彼は困った顔をして微笑った。
「いや……その呼び方は、あまり好きじゃないんだ」
俺のことは、レックスと呼んで欲しい。
そう言う男に、キッカは更に首を傾げる。
「でも、ディスカードおにいさま……」
「あはは。ボクが言うこと聞かないだけ」
あっけらかんと答える次兄に、キッカは眉を顰めた。やはり魔術師は性格が歪んでいる。
キッカの批難はものともしないが、さすがにレックスにも呆れた視線を向けられたのに焦ったか、ディスカードは両手を振って弁解した。
「いやいや、いいじゃん! うちの英雄と一文字違いだよ」
「それは……光栄だね」
「うちのえいゆー?」
「あれ、キッカちゃん、もしかして《魔王殺しの英雄》の話、知らない?」
「あ、知ってる、はい」
キッカは片言で答えた。
というか己がその一人だ。
「じゃあユグエンの英雄は一人でしょ。《ロウ・ユグエン》──始まりの王であり、王国の盾」
「ああ〜…なるほど」
ロウとロイ。確かに、響きが似てると言えば似ている。
性格は全く違うけれど。
レックスの方がずっと落ち着いているし、穏やかだし、かっこいいし、本物よりずっと王子様らしい。
「一人じゃないだろう。《D・サンクトゥス》も、ユグエンの英雄じゃないか」
「えぇ〜…国益的に見ても、ロウ様はおおやけに公国と呼ばれていたユグエンに、王族の血筋を入れて、正統な王政を敷いた重要人物だよ。それに比べてDって人、特になにかした情報残ってないじゃん?」
「それを言うならロウ・ユグエンも──」
レックスはそこで言葉を止め、チラ、とキッカに目配せをした。
(……えっ、わたしのこと好きなのでは?)
キッカが的外れな確信を得ている間に、レックスは視線を前に戻して、口を噤んだ。
「……いや、ユグエンの国民の前で言うことじゃないね」
ディスカードはそれを聞いて、誂うように笑う。
「あれれ〜? もしかしてロイくん、あの噂気にしてる感じ? この呼び方嫌がるのも、英雄と名前が似てるからって理由だったり、し、て……」
ディスカードの台詞は、途中でか細く消えた。
レックスは無表情だった。
ディスカードの顔からも、笑顔が消える。
「……本気で?」
「いや……済まない。軽率な発言だった。ただの噂だって、解ってはいるんだけど」
「? なんですの〜、ウワサって」
キッカが尋ねると、ディスカードは微妙な顔をした。
しかしキッカが目を逸らさないので、やがて言いづらそうに、「よくある史上の裏話だよ。英雄となった国王と王妃は実は魔族と通じていたとか、国民を生贄に捧げようとしていたとか……」と、答えた。
「ふぅん」
「ま、キッカちゃんはこんな話興味ないか……」
「興味ないというか、有り得ないですわ」
言い切るキッカに、二人は目を瞬かせた。
「作り話なら、もっと面白い話にすればいいのにですわ〜! 王様は人の家の楊梅を盗み食いしようとして木から落ちたとか、王妃は料理を作ろうとして鍋を爆発させたとか、」
まあこれは作り話ではないが。
後で聞いても笑える話だ。
「……キッカちゃん、意外に英雄サマのファン?」
「いやですわぁ〜! たたかうお話なんて、キッカこわくてみれなぁ〜い!」
失礼な勘違いである。それでなくてもあんな無鉄砲な王子、誰が憧れるだろうか。
アニスに関してはまあ、百歩譲って肯定していいが。
わたしも大概だが、ロウだってだいぶ美化されている。
(でも──)
真実でないにせよ、そんな噂、どこから出たんだろうか。
有名になればそれだけ悪意に晒されやすくなるのは分かる。ただ、二人を見知った人間が、そんな疑いを持つとは思えない。
しかし実際、他国の、それも後世にまで広く噂が残っている。
一時でもそんなに大きく広まったのだろうか?
……火種はなんだ?
キッカが歩きながら思考を余所に飛ばしていると、背後のレックスが、「……そうだね。歴史の上でも、その噂は誤解だったとされているよ」と呟いた。
そりゃそうだ。史実として書かれていたら吃驚である。
「気を悪くしないで欲しい。俺も、ほんとに信じてるわけじゃないんだ」
「まさか! 気を悪くなんてしてないですわぁ!」
キッカは有り得ないものをそうと言っただけで、本当に気にしていなかった。
そもそも、元はと言えば噂をコントロール出来なかったロウが悪い。
(そこらへん、姫さんが手綱握ってくれると思ったんだけど)
ロウが権謀術数について苦手としているのは、知己には周知の事実である。
アニスはそれをカバー出来る人であった。
史学に意図して触れないようにしているキッカは、後世に残る話を詳しくは知らないが。彼女も聞き齧った話にあるような、穏やかな善性だけで出来ている女ではない。
あんなに美しく嫋やかで、そして強かな女を、キッカは他に知らない。
「……ま、とりあえず市でも行こうか。お腹も空いてきたし」
ディスカードが、気を取り直すように声を上げる。
──よく考えれば、ディスカードのほうが意外だが。
護国の英雄など、鼻で嘲笑いそうな人種だと思っていた。
しかし先程の口ぶりでは、まるで、ロウのことを尊敬しているような様子である。
「……おにいさまは、おるすばんしてていいんですのよ?」
「キッカちゃん、ボクに冷たいの隠さなくなってきたよね……?」
「なんのことですのぉ〜?」
一瞬ギクリとしたが、アメリアと手紙の一件を考えれば、キッカの態度はさほど不自然ではないだろう。
まさか、魔術師だから警戒されているとは思うまい。
キッカは、軍事に無知な深窓の令嬢である。
「あらいい匂い! キッカもおなかが空きましたわぁ〜!」
「ちょ、ただでさえ見通し悪いんだから走り回るなって!」
話を逸らしてキッカが駆け出すと、ディスカードが慌ててそれを呼び止めた。
確かに、ここら辺は所狭しと民家が並んでおり、家と家の間にあるのは路というより隙間に近い。死角が多く、遊撃にはもってこいの立地だ。
加えて、そういった路地には、窓を通していくつも物干しが渡され、色とりどりの布が垂れ下がっているのだから、それが光を遮って、昼でもなお薄暗い。
今のような、逢魔時には尚更だ。
キッカはふと、横道に視線をやった。
──橄欖石が転がっていた。
暗闇で光る若草色は、地べたにゴロリと転がって、憎々しげに覆い被さるものを睨みつけている。
以前見たときには感じなかった猛烈な既視感。
キッカはそれを、まじまじと見つめ──
「…………」
「…………ぁ、」
目が、合った。
「スゥ──……おにいさま変態がいますわーーー!!!」
自分では添削一生しない気がするので、読んだ方で気になるところがあったらいつでもお伝え下さい。




