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目立つ馬車からは街に着く前に降ろしてもらった。
見る人が見ればバレるだろうが、明らかに領主御子息でござい、という馬車で乗り込むよりはマシだろう。衆目を集めるのは防犯面からもなるべく避けたい。
お嬢様の言う花畑は、この街から続く街道沿いの森の中にあるらしいが、しかし徒歩で移動するとなると、堪え性のないお嬢様は瞬く間に足を止めた。
「まあまあまあまあマリー! これ、とってもかわいいですわ!!」
今日のお嬢様は、いつに増して元気である。
案外彼女は徒歩移動を嫌がったりしないのだが、ただ三歩進むごとにあちこちの露店やショーウィンドウに張り付くので、一向に足が進まなかった。
今日は元々、彼女のための外出なので、それほど急かす必要はないのだが。
そう思い、マリーは燥ぐ声に顔を向けて──表情筋が固まるのを感じた。
(……えなに。布の塊だ)
マリーはつい半歩後退った。
パッと見では何がなんだかわからなかったが、よく見れば、それはどうやら服のようだった。レエスやフリルがたくさん……というか、その塊だ。
これでもかとあしらわれた強迫的なフリル。スカートどころか袖も胸も襟もフリル。フリルのバケモノ。見ているだけで胸焼けがしそうだった。
お嬢様は、それを嬉々として自分の身体に当てた。
胃が痛い。
「あ、あー…! キッカ様キッカ様にはこちらのお洋服もお似合いなんじゃないかとわたくし思います〜!」
マリーは必死で違う服を彼女の身体に充てがった。
そもそも彼女の興味を惹く店は、ちょっと前衛的、もしくは二百年遡ったくらい保守的な店が多いのだが、中でもなるべく現代に現れて違和感のないものを選んだつもりだ。
しかし案の定、お嬢様は首を傾げた。
「そーお……? でも、こっちの方がふわふわしていて、女の子らしいんじゃないかしら……」
ふわふわというかやり過ぎてモサモサしている。
彼女は欲目無しに素材はいい。まともに着飾れば、かなりの美少女になる筈なのに。本人の好みがコレなのだ。
常々思っていたが、彼女の授業成績が悪いのは手先の不器用さとか、そういったところにあるんじゃなく、それより更に絶望的な──生まれ持っての、感性のせいだと思う。
それはお嬢様が自覚しない限り、どうにもならないし──だって彼女は正解がわからないんじゃなくて、確固たる変梃な正解を持って生きているのだ──この通り、ファッションセンスにも遺憾無く発揮されている。
普段は夫人が選んだ服を侍女が着せているため、そう可笑しな格好をしていないので忘れていた。
(これも、せめてデビュタントまでにはどうにかしたい……)
人の好みにケチをつけるなと言われればそれまでだが、何せ貴族と呼ばれる人種は、人に見られるのも仕事の内みたいなところがある。笑われるだけで済めばいいが、御貴族様というのは多くが伝統と矜持が服を着て歩いているようなもので、服装一つで大問題にしかねないところがあった。
特に、お嬢様は性格がこうだ。
警戒して、し過ぎるといったことはないだろう。
ふと隣を見ると、ラームス様が口をポカンと開けて立っていた。
唖然としているのがよく分かる顔だ。──よし。
使用人である私には、口が裂けても「お嬢様それダサいよ」なんて言えやしないが、家族であり、男性であるラームス様からの忠言なら、お嬢様にも響くのではないだろうか。
隣で「さあさあ言っちゃってくださいよー!」と念を飛ばしていると、彼は目論見通り、わなわなと拳を震わせながら口を開いた。
「おい! なんだそれはッ!!」
うるさ。
近距離にいたせいで耳がキーンと鳴った。
その凄まじい声量に、店員も、路上の人々も、皆こちらを振り返っている。
予想外の衆目に、マリーは体を縮こめた。彼を頼ったのは悪手だったかもしれない。
しかし、当の本人はまるで気にしていない様子で、言葉を続けた。
「そんなもさもさした布を纏っていたら剣が振りにくいだろうッ!!」
……ちょっと、思っていたのと違う。
どうやら、彼の中では多くの物事が剣を中心に回っているらしい。
そういえば、使用人たちの間では、彼も少し変わった方だと噂されていたな、と思い出した。
【誇り高きこと、強きことを善しとするハイネンヴァルトの美徳には大いにかなった性格だと思うけど、いかんせん「世間体」とか「建前」だとか、貴族に必須のそこら辺がまるっと備わっていないんだよね〜。あマリたそクッキー食べん? 食べんか。あーしこゆの一人で食べたらヤバ太るんよね】──らしい。
良く言えば実直。悪く言えば脳筋。
そう考えると、お嬢様と兄妹だな、と思った。顔は全然似てないが。彼女も素直だ。頑固なので従順ではないが。素直すぎて人の悪意に鈍感なので、現在マリーが頭を抱えているワケだ。
ともあれ、ラームス様の忠告は、お嬢様にはまったく響かない。
言葉選びの問題だ。わざわざお嬢様に最も効かない言葉を引き合いに出してしまうあたり、彼が妹にまるで興味関心のないことがよくわかる。これなら、代わりを勧めたマリーの方が上手かっただろう。
お嬢様は案の定、マリーの時以上に、不思議そうに首を捻った。
「……? おないさまったら、何を言ってるのかしら。れでぃは、剣なんてふらないのよ?」
彼女は当たり前の顔をして、そう答えた。
「だって、かわいくないもの!」
「かわッ──?」
ラームス様には余程衝撃的な言葉だったのだろう。さっきのように大声で怒鳴ることも出来ず、頭の上に疑問符を浮かべている。
そりゃあ彼のようなタイプには大凡理解できない考えだろうが、しかし、キッカ様の行動原理には、本気でこれが罷り通っている。
ラームス様は、困惑した顔で口を開いた。
「な、何を言っているんだ! 貴様もハイネンヴァルトの──代々、《王の剣》を務めてきた誇り高き騎士の一族だろう!」
「まあおにいさまっ。キッカみたいなか弱い女の子が、剣みたいにおもたいもの持てるはずないじゃない」
「……そ、そうなのか?」
「それにキッカ、騎士にならないし」
「…………は?」
ラームス様はまた、ポカンと口を開けた。
でも、マリーたち使用人にとっては、全て今更だった。
彼にとって、ハイネンヴァルトの子は騎士になるのが当たり前で、だから妹の様子なんて、今まで気にして見たこともなかったのだろう。
見ていれば、彼女がその手の授業を一切受けていないことは、おのずと分かった筈だ。現に、使用人たちの間では周知の事実だった。
勿論、過去にはそのような授業が組まれたこともあったのだが、詳しくは知らない。こればかりはガヴァネスに教えられる内容ではなく、指南役をわざわざ王都から招いたらしい。それでも兄たちと違い、彼女が教えられたのは、剣術というより護身術に近かっただろうが──
教えられたというより、教わるはずだった、というのが、結果的に正しい。
侯爵ご夫妻は、キッカ様のあまりの嫌がりように、早々に剣を諦めた。
滅多に泣き言を言わない彼女が唯一地団駄を踏んでやまなかったのもあるし、そうでなくとも上に立派な騎士候補が三人もいるのだ。いずれ嫁ぐ可能性が高く、家督を継ぐわけでもない女に、無理矢理習わせる必要はなかった。
「騎士は、やる気のある人がやればいいと思う! キッカ、嫌」
いっそ清々しいほどに断固とした拒絶だった。続けて、「剣なんてふったら手がかたくなっちゃうし、きんにくだってついちゃうし、かわいくないもん」とのたまうお嬢様に、ちょっと肝が冷えた。
ただの兄妹喧嘩かと、路上の人々は殆ど二人に興味を失くしていたが、露店の前で騒がれている店主はそうもいかない。
身分を隠そうともしない二人のやりとりに、段々怪訝な顔つきになっていた。
──まあ、貴族の御令嬢として、キッカ様の言うことも間違っていないのだが。
ただ、ことハイネンヴァルトに於いては、例え女でも剣が強くて損はない。
何故ならこの侯爵家の人々は、代々そうして国や領民を守ってきたのだ。
資産の運用、事業の開拓が、特別苦手というわけでもないが、その道で特に大きな功績を挙げたという例はない。
ハイネンヴァルトが何故今の地位にいるのかというと、やはり武によるところが大きい。そういう家名だ。
(キッカ様、領地に何かあったら真っ先に領民に吊られるんじゃないかな……)
今現在平和なハイネンヴァルトなので、まずそんなこと起こらないだろうが。
何かあれば鬱憤の晴らし先にされそうだ。ポンコツなので。
一歩間違えれば、責務の放棄というか、度し難いワガママ令嬢にしか見えない。
彼女が使用人たちから軽んじられている理由として、剣の鍛錬を怠っているところも大きい。他がポンコツなのも、勿論理由の一つだが。
別に、誰も本気で、この少女に貴族の勤めを果たせと思っているわけではないのだ。
ただ、彼女の態度は、侯爵家の末妹としてあまりに無責任に映った。
マリーは近くで見てきたせいか、彼女を嫌いになることは、今後もないと思う。
しかし、大いに呆れてはいた。可愛さを保つためなら、常識外れて我を通す子だ。
──成長して、美人な町娘の生き血とか求めはじめないだろうか。心配だ。
「しかし! ハイネンヴァルトは代々、国を護る騎士として──」
「ごせんぞさまが騎士ばっかなのと、キッカかんけーないもん! キッカ、騎士っ、嫌!!」
おろおろと見守っているうちに、だんだんヒートアップしてきた。珍しくお嬢様がキレ気味だ。使用人はもう彼女に対して諦めているところが多いので、普段衝突することがないのだ。
しかしハイネンヴァルトの血筋は皆、性格はバラバラだが、我が強いところだけはどうも似ている。
「やりたくないからやらないなんて勝手が通ってしまえば、領地も領民もめちゃくちゃになるだろうッ!」
「知らない! やりたくないならやらなきゃいいじゃん!」
「それで! 俺たち全員が騎士をやめたら、いったいどうする気なんだッ!!」
「──ふぅん」
お嬢様は、酷く不機嫌な声を出した。
さっきまでの駄々のような癇癪は、言っても偶にあることだ。
しかし、彼女がこんなふうに声を上げるのは、初めて見た。
「そう。もしかしてお兄さま、領民のためにやりたくもない騎士をやってるの?」
「ッいや、それは──」
「領民のために仕方なく」
「そんな、」
「自分がやらないと、みんなが困るから? やめることができなくて?」
お嬢様の言葉は、どれもラームス様を労う筈のものだった。
領地のため、領民のために、まだ幼いラームス様が身を粉にする──それを大人が強いるならどうかと思うが、領主の子であることを自覚し、務めを果たさんとするラームス様は、高尚な志を持った方だと思う。
しかし、お嬢様の口ぶりは、その内容に反して、まるでラームス様を詰っているようだった。
「だってそれは。俺たちは、民を守るのが……それが、貴族の務めで……」
「ふぅん。義務だからってこと」
「お、俺は──」
ラームス様が言い淀む。
マリーは眉を顰めた。何をそんなに狼狽えているのだろう。
お嬢様は戦いたくなくて、騎士になりたくなくて、それを強いるラームス様に腹を立ててくだを巻いている。今彼女が述べた内容は、誇りに思って胸を張っていい筈だが。
するとラームス様は、少しの間黙った。
何か逡巡しているようだった。
やがて真っ直ぐな目で、「ならば、」と顔を上げた。
「……ならば、民が傷つき、助けを求めている時、お前はただ、見ているのか?」
今度はお嬢様が口を噤む番だった。
何か言おうとして、口を開いて、また閉じる。
そうして少し黙って、やがて、一人ごちるように言った。
「本当に……誰かを守りたいなら。剣を奮わずして、人を救う方法を考えるべき」
それを聞いたラームス様は、放心したように立ち尽くした。
マリーはお嬢様の常にない態度に、悪いものでも食べたのかと困惑していたが、当の本人が直ぐ「りょーちとかそゆのわかんない! そんなことよりキッカ、このドレスが似合うかわいい女の子になるのぉ!」と、いつもの舌足らずな調子に戻っていたので、些かホッとした。ホッとしてもいられない発言だが。
なにせ、彼女は、冷たい目で己を見つめる店主に全く気がついていない。
(気づいただろうな〜…いやラームス様声でけえのよな〜! そりゃバレるわ)
今のところ、ハイネンヴァルト領に影はない。ここまで平和な領地も珍しいくらい。悪評といえば、少し前に比べてちょっと財政が落ち込んでるかも〜ぐらいの噂を聞く程度だ。
護国の騎士団長にも一目置かれると言う、ハイネンヴァルト侯爵の治める領地。住民は概ね満足していた。
(しかし、次代もこう上手くいくだろうか)
マリーは莫迦なお嬢様と、愚直な御子息を見つめ、嘆息した。
そのあとは特筆することもなく、上の空のラームス様を引きずりながら、顔と同じサイズのリボンを頭につけようとするキッカ様を止めたり、「キラキラ〜」と言ってカーテンのタッセルをアクセサリーのように身につけようとするキッカ様を止めたりしながら、本来一時間足らずの森までの道を、三時間かけて歩いたのだった。
プロローグ長くてすみません……自分でもこれ、必要なのかよく分からなくなってきた……
あと2、3話で終わる予定です。




