珪砂の剣7
──帰りにちょっと、寄っていい?
そう言ったのは、ディスカードだった。
明日にはユグエンにとんぼ返りする予定と聞いて、キッカはお土産目当てに街の中を散策するつもりだった。
しかし、聞けばラームスはディスカードに同行すると言う。
こうなるとキッカも着いて行かないわけにいかなかった。この旅に同行したそもそもの理由もあるが、そうでなくとも、一歩外に出ればラームスが離してくれないのだ。物理的な話。キッカに逃れるすべはない。
(行き先も知らないのに、頑なにディスカードのあとを追ってるように見えるけど……)
賭けの話を知らないキッカには、それが不審だった。
ちなみに、不審の矛先はディスカードだ。キッカは勘が良い。
「──あ。ここ。着いたや。じゃ、みんな好きにしていいよ。解散!」
暫く坂道を登っていると、突然ディスカードが勝手な宣言をした。
よくわからないまま着いてきた面々は、「は?」と云う顔をしたが、仕方なく辺りに散らばった。
セレニアもディスカードの自己中さに順応してきたようで、もう特に文句も言わなかった。
キッカは、ディスカードの進む先を見る。
崖の上だけあって空を近く感じた。景色がいい。
背後に聳える建物は、闇がぽっかり口を開けたように黒く、キッカにとって見慣れたものだった。
しかし街を見下ろそうとすると、覚えのない景色が目に入る。
最後に見たときより並ぶ石の数が増えていたり、以前はなかったボロボロの鎧が転がっていたり、錆びた剣が地面に突き刺さっていたり──
戦士の墓場だ。
キッカに覚えのない景色の数だけ、死んだのだ。
全てがあの時のものとは思わないが、史実によればここ数百年はわりあい平和だ。
一際目を惹く慰霊碑をチラと見るだけで、知った名前が目に入る。
近づいてよく見ようとして、ラームスの腕を二、三回振った。【離せ】の合図のつもりだったが、しかしラームスの手は微動だにしないので、仕方なくそのまま引っ張って歩いた。そうすれば素直に着いてきてくれるのは唯一の救いだが、それでも「マジでこれ旅の間中やるのか……?」と帰路を憂鬱に思うなどした。
「アレ?」
そんなことをしていたら、慰霊碑の前に立ち止まっていたディスカードが声を上げた。
視線はキッカ達の背後にあって、自ずと皆、そちらを向く。
「あ……皆さん、一昨日ぶりですね」
幾つもの視線に見留められて、ちょっと気拙そうな少年がいた。
数日前に見知った顔だ。彼は赤い花束を持って、こちらに向かって歩いていた。見覚えのある花のような気もしたが、どうにも思い出せない。
「ルカくんだ! 何してるの? ジゼルさんは?」
「墓を訪ねる理由なんて墓荒らしでもなきゃ参る以外ないでしょフツー」
答えたのはディスカードだった。
キッカは掴まれてない方の手を口に当てて、「はわわ〜」と声を上げる。
「やだ! おにいさまったら墓荒らしに来たんですの……?」
「なんでもう一つの選択肢省いたの?」
ディスカードと墓参りが頭の中で結びつかないからだ。
キッカの魔術師に対するド偏見であるが、次兄に故人を想う情緒があるとは思えなかった。墓荒らしまでは考えていなかったが、死体の魔術痕でも探しに来たのかと思った。
それは墓荒らしか。
「彼女には宿屋で待ってもらってます」
慰霊碑の前に辿り着いたルカが答えた。
隣のディスカードが、「まさかだけど。キミの言ってた目的地って此処?」と尋ねる。
「……はい」
ルカが、墓石の一つに花を添えた。
【旅の成功を祈って、験担ぎに】
以前ルカが言っていた。カターリナは信仰が薄いから、キッカはそれを不思議に思った。
どうやら彼が祈りを捧げたかったのは、神でも、聖女でもなかったらしい。
(──英霊か)
キッカはルカの方へとことこ近づいた。ラームスも背中にぴったりくっついているが、止められはしなかった。
もしかして、彼の出自にルーツのある墓があるのだろうかと思ったのだ。だとしたら、いったい誰だろう。知っている人物だろうか?
彼は真っ直ぐ一つの墓石を見ていたので、キッカはその視線を追った。
(……わたしの墓じゃない?)
いや、わたしのではないのだが。
彼の前にある立石には、【シュン=イル・ディエス 夜の眸 血の大狼 偉大なる英雄 ヘルマン・オルデンの館に眠る】と刻まれている。
《シュン》の墓だ。
どうやら中央の慰霊碑とは別にされたらしい。
「……墓に験担ぎって、意味わかんないけど」
ディスカードが言う。嘲笑いを含んだ声だった。
しかし言ってることは最もだ。この墓に安全祈願の加護などはないと思うし、墓の主は旅の最期に死んでいる。
それともわたしが知らないだけで、後世にそういうご利益が囁かれているのだろうか?
「まあ……その。ファンなんです、彼の」
「ふぁん」
「そうです。黎明の英雄ですよ。魔王殺しの英傑。そんなの、誰だって憧れるじゃないですか」
ルカが照れたように、少し口早に言った。
キッカは首を捻って口を開き、しかし結局何も言わずに目を伏せた。
(──アレは英雄だったのか?)
飲み込んだ言葉を胸中で吐く。
キッカは常々疑問に思っていた。ロウやアニスがそれらしかったのと、キリエの強さに巻き込まれて、どうやらシュンの評価は爆上がりしているらしい。
魔王殺しが功績としてデカかったのは解るが、アレは色々な要因が積み重なって成されたことだ。流石に幸運だけでとは言わないが、一人の力でどうにかなったものでもない。
物語の中の英雄は、万の魔物を退け、千の魔族を討ち、末に魔王の心臓を一突きにしたというが──
(そんな人間いたら、《シュン》は喜んで変わったろうな)
もし、あの戦いに英雄と呼べる者がいるのなら。
それはきっと、この慰霊碑に眠る人々だ。
英雄とは、常人に出来ないことを成し遂げた人間をそう呼ぶのだろう。
なら、己の命をなげうち、魔王への道を作った彼等は、まさしく英雄だった。
彼等は、死ぬとわかっていて成し遂げた。
シュンなら絶対、そんなことしないし、出来ない。
彼女は英雄に救われた、ただの生き残りである。
(結局、生き残ってすらいないけど)
死ぬつもりはなかったが、死んでしまった。間抜けである。
アニスやロウは、生きて立派に仕事を成し遂げた。今尚残る豊かな国を見れば、その仕事ぶりは明らかだ。
それに引き換えコチラは、後世に役立つものなんて何も残せやしなかった。キリエなんかは魔王討伐が生き甲斐のようなヤツだったから、先を越されて悔しがったかもしれないが。今思えば、ヤツが魔王と戦ったが誰も死なずに済んだかもしれない。後世まで残った最強の称号は伊達ではなかった。今更だが。
Dは知らない。さすがにアイツよりは仕事をしただろう。
「──そこに彼の死体はない。空の墓標だ」
声が、崖上に響いた。
凍りつくような沈黙が、場に立ち籠める。
興味無さそうに周りを見ていたレックスが、いつのまにか、真っ直ぐルカを見つめていた。
(……確かに)
とうの死体の主は、呑気に頷いていた。
記憶は、「魔王殺した! 絶対殺した!!」と思ったところで途絶えている。おそらくシュンの方が魔王より先に死が確定していただろう。最期の足掻きだった。
その後どうなったかは知らない。魔王の配下に八つ裂きにされたか、仲間が城を落としたとき、一緒に瓦礫に沈んだか。
生きている内ならいざ知らず、死んだあとの体について特に拘りはない。だから自分の死体がどうなったのだとしても構わないが、ただ、もし無惨な姿になっていたなら、ロウやアニスの目に触れていなければいいなと思う。
墓碑銘の語る名前は多いが、きっと、シュンに限らず、その多数の体がここにないだろう。
あの時代、あちこちで死んだ。回収は難しい筈だ。
名を刻んでくれただけで十分である。
「知っています」
ルカの声が、沈黙を破った。
彼の俯いた前髪の隙間から覗いた瞳に、キッカは一瞬既視感を覚えたが、瞬きのうちに消えた。
「体がなくてもかまいません。彼の名と、魂がここにあるのなら。僕はそれに祈ります」
ルカはそう答えた。
彼はずっと困ったような表情をしていたが、その声音には、誰の指図も受け付けぬ強情さが透けていた。
案外気の強い男なのだな、とキッカは意外に思う。
そして、今このときに限って、彼の言葉はそう間違っていなかった。
望みが叶うかどうかは別として、祈りは届く。
何故なら、魂はここにある。
「……ロイくんってば情緒がないな〜! いんだよ墓なんて。生者の慰めなんだし」
ディスカードがヘラヘラと声を上げたことで、気拙い沈黙は消えた。
レックスは特に反駁することもなく、しかし墓に興味もないようで、黙って墓地の入口まで捌けていった。セレニアも同様に、墓地を一瞥だけして、そのあとを追った。
ラームスも墓に興味があるとは思えないが、彼はキッカが離れなければ此処にいるだろう。
「ディスカードさんも、彼のお墓に?」
「マそんな感じ。どんなもんかなって見物に」
「お二人もですか?」
ルカがキッカたちを振り返った。突然水を向けられて、キッカの肩が跳ねる。
自分の墓参りをする感傷はない。いや。自分ではない。わたしはキッカだ。じゃあ他人のシュンに、キッカはどんな感情を向けるべきなんだ──?
「わ。わたし……」
「いや。ディスカードの目的地は知らなかったが。だが魔王を倒したのなら、たいそう強かったのだろう! そういう意味で興味はあるな!」
ラームスがでかい声を上げるのを聞いて、キッカはちょっと落ち着いた。
「……キッカは、英雄とか、戦いとか。そういうのこわいから……知らなぁい!」
キッカが答えると、ルカは落胆もせず納得したようだった。「たしかに、女性に英雄譚は血腥いかもしれないですね……」と頬を掻く。
「でも。でもすごいんですよ。彼は数え切れないほどの逸話を残していて。僕の国には今でも、【英雄が竜の上で払暁を見守っているから夜は安息の時間】という口承があります。信心深い老人たちは、それだから彼の庇護のある夜は安全だと言うんです……夜なんて、ほんとは魔物が一番活発に動く時間帯なのに」
「竜……?」
「はい! 僕の国で、英雄は竜に乗っているんです。一説でシュン=イルは、この世の生き物とは思えぬ、美しい水晶のような竜を従えていたとか──」
「ブッッ」
何故かディスカードが噴き出した。
笑うような話か? と思うが、確かにルカの語る逸話は現実味がない。
有翼の蛇は最上級の魔物の一種だ。魔族の王が魔王であるように、魔物の王に名前を挙げるなら彼等は外せない。
一口に竜と言っても種類は様々だが、中でも永く生きたモノは賢く悪辣で強大だ。殆ど天災と変わりない。
そんなモノが、人に従うはずがない。
斯くいうキッカも、まったく心当たりがなかった。倒したことならあるかもしれないが。
竜に限らず、人が従魔を持つこと自体稀だ。人間に対し、大抵の魔物は襲いかかってくるか、興味が無いかの二択である。屈服させるには時間がかかるし、懐かせるのは奇跡の域だ。
(……まあ、魔物を傍に置いていたことはあるけれど)
今日は同じ話に縁がある。
ルカはディスカードを見て、少し不服そうな顔をした。
「笑わないでくださいよ……確かにちょっと、夢を見ている自覚はあります」
「いやぁ……莫迦にしているわけじゃあないんだけどね……」
「ディスカードさんは、従魔を見たことありますか?」
「あー…あるね。ペトペトしたやつ」
「ぺッ……ぺとぺと?」
ルカが不思議そうな顔をした。
キッカは少し驚いた。奇遇にも、キッカの想像していた従魔も似合う擬音が「ペトペト」であったからだ。
いや、正確には従魔ではないのだが。勿論、最強の魔物でもない。
けれど誰より近くで時間を過ごした。それこそ、死ぬまで一緒に。
「──さて。そろそろ帰るか」
ディスカードは本当に見に来ただけのようで、故人を偲ぶ様子も無く、墓を一瞥するとあっさり踵を返した。
「そうですか。僕はもう少しいるので……さようなら」
ルカが手を振る。
キッカはラームスに手を引かれながら首だけで振り返り、空いた方の手を大きく振った。
「ルカくんまたね〜!」
「はい。皆さん、お元気で」
ルカはキッカたちを見送ってくれた。
緑の双眸が、崖の上からキッカたちを見下ろしている。
何故かキッカは目を逸らすことが出来ず、その姿が視界から消えるまで、凝と後ろを見つめ続けていた。
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──噂をすれば影。
夜。皆が寝静まった深い闇の中。キッカは部屋の窓から抜け出した。
呼ばれている気がしたのだ。それは実際に声が聞こえたわけではなく、直接思考が頭に捩じ込まれるような感覚だった。
それはキッカにとって覚えがあり、懐かしい感覚だった。
「まさか……」
キッカが息を呑んで見下ろした先には、その名を聞けば、誰もが姿を思い浮かべられるような、ありふれた魔物の姿があった。
街中まで入り込んできたあたり、よほど恐れ知らずと見える。
その魔物は月の光を浴び、ツルリと透き通って、偏光をあたりに散らしていた。
スライムだ。
(……いや、そんなはずがない)
キッカは一度己の頭に過った可能性を否定した。
しかし屈み込み、無遠慮にその体に触れてみても、抵抗も攻撃の意思もまるで感じられなかった。──有り得ない。
種類にもよるが普通、スライムは人間が近づこうものなら容赦なく消化液を吐きかけてくる。魔力を孕むものなら雑食なのだ。食べなきゃ死ぬわけでもないが、人間だって捕食対象である。
だというのに目の前のスライムは、キッカにされるがまま、ふにゃりと形を変えた。
(飢えはあっても、満腹の概念はスライムに無いはず……ていうかスライムの寿命って、どれくらいなんだ?)
否定した可能性が、頭を擡げる。
よくよく考えてみれば、スライムの寿命なんて知らない。だって、弱すぎて人間や他の魔物に瞬殺されてしまうから、そもそも寿命まで生きることが少ないのだ。そして誰もスライムのことなんて気にして調べやしないから、あまり情報もない。
ただ、スライムは無性生殖する生き物だ。単体で分裂・増殖し、体積を増やしたり、自己再生したりする。これは不死に近い構造だ。
しかし、万が一スライムに寿命が存在しないと仮定して──
それでもやはり、疑問は残る。
(なんで殺されてない……?)
スライムなんて生態ピラミッドの最下層。草食動物どころか草である。
いくら魔物が著しく数を減らしたといっても、代わりに元気の有り余った兵士に数百年もの間見逃されていたというのは考えにくい。
それなら、別の個体と考える方が自然だ。
意識し過ぎたのかもしれない。今日一日、コイツの話ばかり出てきたから……
(……確認は、してみるべきか)
「暴れるなよ」
キッカは一つ息を吸い込み、己の身体に魔力を巡らせた。
魔力は腹から胸へ。肩へ、腕を通ってゆく。
そして掌から、スライムへ流れた。
「…………おまえじゃん」
キッカは口をへの字に曲げた。
魔力は滞りなく流れ、スライムはキッカの思うまま、小さな犬の姿に形を変えた。
透明でつるつるしているので、とても本物には見えないが。
一瞬。気の所為かと思う程度、何か引っかかったような感じはしたが。それも薄玻璃を割るように、大した抵抗もなくキッカの魔力の前に砕けた。
繰り返すが、スライムの体に、キッカの魔力が流れたのだ。
(風属性は、自分以外の生き物に魔力を流すことはできない……)
というか、それは魔力使いの不文律だ。ただ他の属性なら魔術を用いて魔力を流すことはできる。風属性にそういった小手先の技術はない。だからラームスの傷を治すことも、魔力を直接流して感覚を伝えることも出来なかったのだ。
キッカと、このスライムのように、奇跡のような状態でなければ。
(間違っても望んで降り掛かった奇跡じゃないが)
頭の中ににやけ面の青年が浮かんで、キッカは思い切り首を振った。腹の立つことを考えても仕方ない。
……とりあえずコイツ、どうしようか。
「というかおまえ、これだけ長く生きたのにちっとも強くなってる感じないな?」
スライムは食べるモノによってその姿や能力を変える。長く生きればそれだけ、多くのものを身体に取り込むことになり、形も変わっていくものだ。
にも関わらずこのスライム、見た目が思い切り記憶のままである。
「……ん?」
ふと、キッカの言葉に応えるように、スライムが突然身体を震わせた。
魔力が、僅かに膨れる気配がする。
「ッ……なんだ?」
スライムが眩い魔力光を発した。キッカは目を細める。
光が収まったあと、そこにいたのは、先程と変わったスライムの姿だった。
「…………色、変わった?」
色が変わった。鮮やかな緑になっていた。子犬の姿のままなので、ちょっと気味が悪い。
そのあとあちこちひっくり返して調べてみたが、ほんとに色が変わっただけだった。
何らかの能力が付与されたとかそんなことはまったくなく、この魔物は数百年の時を経て、自分の体の色を変えられるようになったらしい。
キッカの肩から、力が抜けた。
「なに。それ」
キッカは笑った。これでめちゃくちゃすごい魔物とかになっていたら、きっとスライムとはこの場でお別れしただろう。
もう、わたしたちの魂を縛るものはないのだから。
しかし、毒気を抜かれた。
「……帰ろうか」
こいつが昔の通りなら、わたしの意に沿わないことはしない筈だ。
それに、己の形と色を変えられるだけの魔物が、北部の国境を守る屈強な騎士の膝元で、何ができるとも思えない。
何かあれば、わたしが手を下す間もなく討伐されるだろう。
──まさか誰も、《魔王殺しの剣》が、人語も解さぬ最弱の魔物だと思わないだろうな。
ここまでが新章の序章部分です。
今回の章から、過去の話も色々出ます。




