珪砂の剣6
カターリナに入ってからはそう長い道程ではなかった。
一日目に宿泊した場所で身形を整え、今はもう目的地に向かって、仕立てのいい馬車の中にいる。ここまでの旅程を労働階級水準でこなしてきたせいか、突然己の身の丈にあった服装に整えられた面々は、揃って怪訝な表情をしていた。
「急だね」
彼等の気持ちを代弁するように、レックスが口を開いた。
馬車の中は二人きりで、後の三人は後続にいる。
だからディスカードは、遠慮することなく答えた。
「突然の方が隠し立て出来ないかなって」
旅の目的地がカターリナの貴族の屋敷ということは、レックスも知っていた。だから彼は此処にいる。知らせていなかったのは、訪問の書状を送ったのがつい昨日という話だ。これは、貴族間ではかなり非常識なことだった。
たいていは、書状を出してから実際に対面するまでに、数日ないし数週間置く。
その無作法を、特に交流もない他国の貴族相手にやらかそうというのだから、普通なら厚顔無恥の誹りは免れまい。
「何か企んでるわけだ」
「それは着いてからのお愉しみ」
でも、ロイくんは興味ないかも。
ディスカードは窓枠に頬杖をついて呟いた。
彼の信仰を問い質したことはないが、自国の英雄を仰ぎ見る様は想像できない。
馬車は四半刻ほど街の郊外を進み、やがて大きな屋敷の前で止まった。
古くも手入れの行き届いたカントリー・ハウスだ。建築から、歴史の長さが窺える。
「さて。ここからはロイくんに矢面に立ってもらいますか〜」
「そのために連れてきたんだろう?」
「家格が下とはいえ他国の貴族だからね。失礼するには立場が欲しいんだよ」
今回の非常識をレックスに尻拭いさせる気満々のディスカードが答えた。
無茶を通すには、通せるだけの立場を持ってくればいい。
そしてその無茶を押し付けられたレックスはと言うと、彼は自分の地位に頓着がないというか、プライドがないようなのであまり気にしてなさそうだった。
屋敷の門扉は声を上げずとも勝手に開き、二台の馬車を迎えた。
格式のある屋敷といえど、高位貴族のそれに比べれば敷地はそう広くない。屋敷の玄関は目と鼻の先にあった。
「《マルケヌス伯爵》か──とてもキミの興味を惹くような、話題性のある貴族じゃなかったと思うんだけど」
「ロイくんって頭は良いけど、あんまり周りに興味ないよね」
「そうかな」
「マ、いいけど」
何にも大した興味を示さないからこそ、付き合い易いのもある。
学生の枠を明らかにはみ出した彼の強さに、《強い意志》や《欲》が加われば、良くも悪くも付き合い方を考えなければならない。
反面、欲がないというのは、行動をコントロールする術も無いということで、そこは少し恐ろしいところであるが。
(……いや。スポーツデイの時だけはやけに頑固だったっけ)
ディスカードはひと月前のことを思い出した。
彼といい勝負をした、謎の騎士科生──
その人物を上手く利用出来れば、レックスも扱いやすくなるかもしれない。が、いかんせん情報が少なすぎる。レックスの執着が好悪のどちらかもディスカードは知らないのだ。
(唯一手掛かりを持ってそうなラームスは頑なだし……やっぱキッカちゃんから探り入れるくらいしかないかなぁ。口も軽そうだし)
ホリデーが終われば、また学校行事がある。それを利用して聞き出すのも手か。
そんなことを考えながら、ディスカードが馬車を降りると、屋敷の前に、恰幅の良い初老の男が立っていた。
一応、隣の男に耳打ちをする──「伯爵だよ」
当主自ら出迎えてくれるらしい。レックスが、スッと片手を上げた。
「跪礼はいらない」
伯爵は、曲げかけていた膝を伸ばし、ゆるゆると頭を下げた。
「《帝国の第二の剣》に拝謁叶いましたこと、誠に光栄でございます……歓迎の準備が至らず恐縮ですが、どうぞご容赦下さいませ」
「急だったようだし、構わないよ。公式の訪問でもないから、礼もいらない。こっちの……友人が、卿に用があるそうなんだ」
「ご紹介に預かりました、殿下の学友です。この度は無理を言って席を設けていただき、こちらこそ恐縮でございます」
家名を名乗らないで礼をしたディスカードに、レックスは少し困った顔をした。あ本気で俺に押しつける気なんだ……という顔だ。そのつもりである。
ディスカードは頭を上げて、ふわりと微笑んだ。
「伯爵の時間を無駄に頂戴するのも申し訳ないので、端的に申しましょう。英雄の遺産を──
《聖剣》を、見せて頂きたいのです」
#
切り立った崖を背後に臨むその街は、《ノワール・ミニュイ》という。
名前のわりに平凡な街だ。特徴といえば、武具を扱う店が他より多いくらいで、観光に使えるような名物は何もない。
ただ一つ──背後の崖上に、一際目を惹く巨大な建造物が聳えている以外は、極めて平凡な街だった。
驚くことに、ディスカードの最終目的地は、キッカにとって酷く馴染みのある街だった。
見上げた崖上には、突然空間に穴が空いたように黒く、無骨な四角形が鎮座している。街の他のどの建物とも、似ても似つかない。
まさに、真夜中の黒。
国のあちこちに基地はあれど、カターリナの三頭の一角──かつてシュンの所属した《第三特殊義勇軍》が根城としていたのは、あの夜より黒い建物だった。
「……どこでその話を」
応接間に通された五人を、カターリナの貴族は強張った顔で見つめた。
その言葉に、「ちょっとしたツテですよ」と答えたのは、丁度男の正面に座るディスカードだ。
キッカは──というより、少なくとも同じ馬車に乗っていた三人は、誰もディスカードの目的を知らなかった。なので詳細はわからないが、次兄が他所の貴族に厄介な話を持ちこんだらしいことは、話の端々から察せられた。聞くに突然の訪問らしい。
「そう身構えずとも、ボクは他国の人間ですよ? 他所の貴族の所有物をどうにかする権利なんてありません。……ああ、彼がどうかは知りませんが。少なくともボクは、ただ見たいだけです。噂に名高い《聖剣》とやらを」
ディスカードが微笑んだ。
少し含みのある微笑いであったから、伯爵は余計に身を固くした。しかしディスカードは裏があってもなくてもそういう顔をする愉快犯なので、実際何か企んでいるかはわからない。
キッカはなんとなく、事情が掴めてきた。
つまり、この屋敷で大事にされているお宝を、次兄がどーしても見たいと駄々を捏ねているのだ。傍迷惑な男である。
(誰のだろ……)
しかし、キッカも少し気になった。メイドが出したクッキーをサクサク頬張りながら、頭の中に知る限りの《聖剣》を並べてみる。
過去の時代で《聖剣》といえば、大抵が悪名高い魔物や、魔族を討った剣のことだった。もっと昔は神託を受けた武器だとか、人同士の戦いでもそういうのがあったらしいが、それはキッカの知るところではない。
どちらにせよ、キッカの知る《聖剣》は成した結果から事後的に生まれるモノで、彼女の時代では、《聖なる力が宿った剣》が魔を倒すのではなく、魔を倒してこその《聖剣》だった。
つまり、キッカは結構な割合で《聖剣》の持ち主を知っている。
かつて彼女の周りに跋扈した魔の数に比例して、それを倒した者も身近にいたのは当然の結果だ。
「……確かに、国に報告をしなかったことで忠心に疑念を抱かれても仕様がないのでしょうが、しかしそれは偉大なる帝国に反駁の意思があったわけでは決して──」
「伯爵」
レックスが声を上げると、伯爵は青褪めた。
「彼の言った通りに。こちらも、それ以外の含みはないよ……今のところは」
「……畏まりました」
伯爵は深々と頭を下げ、部屋を出ていった。
レックスは、どうやらこの国でだいぶ地位が高いらしい。
次兄と仲の良さそうなところを見るに、対等か、寧ろ上かもしれない。ディスカードは得にならない人間に愛想がよくないので、レックスにも何らかのアドバンテージがある筈だ。
キッカは一人でクッキーを完食しながら、伯爵を待った。
ちなみに、キッカ以外誰も茶菓子に手を出す素振りはない。そもそも部屋に通された時点で、ラームスとセレニアは何故か椅子の背後に立った。
騎士科の性格なのだろうか?
キッカは無論、か弱いのですぐ長椅子にかけた。
伯爵はさほど時間を置かずに戻ってきた。
その手には、先程までなかった豪奢な布に包まれた長物がある。
件の《聖剣》だろう。
「……こちらが、我が屋敷がお預かりしている英雄の遺産──かつて《珪砂の剣》と、呼ばれたものでございます」
伯爵は中央のテーブルにそれを置いた。
紐で縛られ未だ中身は見えないが、長剣の類だ。
──ん?
(珪砂の……)
んん? とキッカは首を傾げる。
背後から、ラームスの怪訝な視線を感じた。
でも。なんていうか、それって──
(……わたしの剣じゃない?)
あの時代は人死が身近で、それこそ戦場では日常だった。だから生き残れば生き残るほど名は広く知れ渡り、通名は戦場を超える度増え、使う武器も、恐れと賞賛で持て囃された。あの頃の戦場はそういうものだった。
その中で《珪砂の剣》は、キッカの知る限りあまり有名ではない。
なぜなら使われた期間が短いから。けれど確かに、《シュン=イル・ディエス》が旅の途中から、死ぬその時まで共にした武器を、そう呼んだ人々はいた。後の世の扱いがどうなっているかは、キッカは知らない。
(まあ確かに……《聖剣》か)
よくよく考えてみれば、紛うことなき《聖剣》だ。魔王殺しを縁起とする剣など、それらの最たるものだろう。
史上での扱いは知っているが、英雄と形容されることに未だ実感の湧かないキッカは、己の剣を無意識のうちに埒外に置いていた。
(でも……まだ剣の形保ってるの?)
後生大事に持っててくれてる伯爵には悪いが、そんな大したものではない。アレはシュンが居ないと剣としての役割を果たさないし、そもそもまだ生きているのか──? ……いや。それなら大人しく布の中に収まっているわけがない。なら死骸か? 尚更大事にとっておくものではないだろう。
(記念品みたいな扱いなの……?)
皆が、ゆっくり開かれる布を食い入るように見つめている。
ラームスやセレニアは騎士科なので、武器に興味があるのは自然なことだ。そして、意外なことにレックスも、息を忘れたように真剣な表情で卓上を見つめていた。体格がいいので、武芸でも嗜んでいるのかもしれない。
ディスカードは、そもそも事の発端であるから当然だ。
しかし、何を思ってわざわざこんなものを見に隣国までやってきたのだろう……
(……なんか、はずかし)
成したことを考えれば大した《聖剣》である。しかし、こうも期待して見られるようなモノではない。仕方ないだろう。戦場で武器なんて選んでられないのだ。あるものでどうにかするしかないのだから──
そうしているうちに布は解かれ、キッカの胸の内に並べられた言い訳は、一瞬にして吹き飛んだ。
「こちらが、《珪砂の剣》でございます」
(……ウワーーーーッ!!!)
キッカは内心、感嘆とも驚愕ともつかぬ悲鳴を上げた。
「これは……」
誰からともなく声が上がる。
それはそうだろう。現れた剣は、全体が玻璃のように透き通って、加工により美しく光を撥ね返していた。刀身は宝石のようだ。実際、柄には蛋白石や色とりどりの金剛石がはめ込まれている。無論、鞘にも同じような意匠が施されていた。うっすらと魔力の気配もするし、売れば屋敷の一つくらいは余裕で建つだろう。
(な。ナニコレ知らん)
キッカは知らなかった。見たこともない剣だった。同名の別の剣だろうか。というかそもそも自分の剣が《聖剣》になってるかもしれないというのがとんだ勘違いだったのかもしれない。コレが《聖剣》なら、さしずめ己の使ってきた武器は全て長くて重い鉄の棒に過ぎない。魔王は殺したけれど。言ってしまえば価値はそれだけだ。
どちらにせよ、思っていた物よりよほど見応えのあるものが出てきたので、キッカはホッとした。これならディスカードがひと目見てみたい気持ちもわかる。
「……きれ〜」
キッカはキラキラした目で輝く剣を見つめた。
動揺が過ぎれば、あとは好意的な感情しかない。なんとも美しい剣だ。
かつて魔王討伐の遠征に出た当初、大隊の中で使っていた剣は支給されたものだったし、隊とも呼べぬ集まりになってからは、最早まともに剣とすら呼べぬ代物を使っていた。
なので、このように立派で、美しい剣は持ったことがなかった。
煌めく装飾品は乙女の憧れだ。実際、戦場で使うとなれば、耐久や扱いやすさを重視してしまうが。それはそれとして、今は素直に「いいなあ」と思った。
ラームスやセレニアも、背後で「すごいな」と感嘆の声を漏らしている。
騎士科の二人でも、ここまで立派な剣は──金額的な意味で──初めて見るようだ。
しかしさて、これを見たがっていた当の本人はどんな顔をしているのだろうと隣を見れば、彼の視線は剣になく、伯爵に向けてにっこり微笑みかけていた。
「いやぁ〜噂通り素晴らしい剣でした! わざわざ貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
ディスカードはそう言ってあっさり席を立った。
伯爵がポカンと口を開ける。キッカも同じ顔をした。
あれだけ脅すようなことを言ったのに、呆気なすぎる暇であった。
同じ疑問を持ったのだろう。レックスが、「いいの?」と首を傾げる。
「キミのことだから、無理を言って譲ってもらおうとするのかと思ってた」
持ち主の前でさらっととんでもないことを言うなこの人、とキッカは引き続き開いた口が塞がらなかったが、レックスのキラキラ光る睫毛の束や、甘い目許や高い鼻梁を眺めているうちに考えていたことを忘れてしまった。行き過ぎた美形には時に人格の粗を忘れさせる効果がある。
ディスカードは慌てたように首を横に振った。
「まっさかぁ! ボクのことそんな無茶苦茶するヤツだと思ってたの? 失礼しちゃうな〜…」
レックスに砕けた口調で文句を吐いてから、ディスカードはぐるりと首を伯爵に向けた。
「卿におかれましては、一介の学生に貴重な経験をさせてくださり心より感謝申し上げます。後日、本日のお詫びと御礼を送らせていただきますね」
身分の高いレックスに不遜な態度をとった後でそんなふうに言われたら、伯爵は首を縦に振るしかない。言外の脅迫である。
「それでは、長居するのも申し訳ないのでそろそろ」
言うや否や、ディスカードはもうこの場に興味を惹かれるものはないとばかりに出口に向かってしまった。
数日かけてここまで来て、目的はものの数分で達成されたようだ。
レックスは彼の奇行に慣れているようだが、キッカ含めて他三人は、首を傾げながらも仕方ないので彼の後を追った。去り際に未だ状況が掴めていない顔をしている伯爵に、ペコリと会釈をして行く。安心してほしい。キッカたちもよくわかってないから……
腑に落ちないまま廊下を進んでいると、正面に突然巨大な絵画が現れた。キッカは驚いて後ろに飛び退いて、ラームスにキャッチされた。
壁一面を覆う絵は、行く時は応接室と逆方向だったため、目に入らなかったのだろう。
「なんだ急に! ……絵か?」
「な。なんか怖い絵だからびっくりしちゃった……わは」
キッカは己の身長近く飛び上がったことを笑って誤魔化した。実際は怖かったと言うより、急に予想外の色彩が目の前に広がったことに驚いただけなのだが。
見上げると、思った以上に大きな絵だった。芸術に造詣は深くないので、なんの絵か全くわからない。わかるのは、でかくて黒いことだけだ。
「なんの絵だろね」
誤魔化しがてらラームスに尋ねるが、ラームスも首を傾げた。キッカも答えを求めていたわけではないのでそれで良かった。そもそも、この手のジャンルで答えが欲しければラームスに聞いてない。
そう思っていたら、意外なところから答えが返ってきた。
「聖女降臨だよ」
「えっ」
「下にタイトル書いてある」
ディスカードだった。何故か廊下を戻ってきたようだ。
絵画は縦にもでかかったので見落としていたが、絵の下の方、床のスレスレのところに、確かに金のプレートがあった。よく見ると、《戦場に降り立つ夜の聖女》と文字がある。
「カターリナには聖女信仰があるからね」
それはつい先日聞いたので知っている。
しかし、絵画の中に一際大きく描かれているのは、黒い薄布を甲冑のように身に纏い、黒馬に跨がり、輝く剣の鋒を天に向けた女であった。
(アニス、こんな格好してたっけ)
していない。というか、こんな格好で戦場に出る人間はいない。
そもそもあの人は剣を使わないし、馬でこんな最前線に出たこともない。出すわけないだろ。お姫様だぞ。
(元がアニスでも、時代が進むうちに信仰対象が《聖女》として概念化したのかな)
伝承は往々にして尾鰭が付いていくものだ。色々混ざっていてもおかしくない。
キッカが思ったのと同時に、隣のディスカードも、「わー…混ざってる混ざってる」とぼやきながら、絵の前から離れていった。
同じことを考えていたようだ。
やはりそうだろうな、とキッカも頷いて、絵画に背を向けた。




