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転生した魔王殺しの騎士は、か弱いプリンセスに憧れる  作者: 陽譚子
【第二章:砂城の約束 前編】
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珪砂の剣5





「礼なんて……寧ろ、余計なことをしてしまったくらいで、」

「いや、この娘そういうのよく分かってないから。真に受けないで。普通に助かったよ」


 察しが悪いというか、悪意に鈍感というか。

 ディスカードはそう言って、うんざりしたようにキッカを見下ろした。


「ま、ここで愚痴っててもしょうがないか……お礼と言っちゃあなんだけど、遠慮なく食べてってよ」


 彼が指したテーブルの上には、大皿料理がみっちりと並んでいた。


 日も暮れ、昼間閑散としていた宿屋の一階は、既に賑やかな酒場に姿を変えている。貴族が泊まる宿かと言われると、かなり格は落ちるだろうが。小さな街の中では上等な宿だ。

 なんてったって飯が美味い。

 育ち盛りの学生ばかりなので、並んだ料理も妥当な量だろう。キッカもこれで、身体のわりによく食べる。


(勘は良い方だが?)


 実際、あの傭兵の男にこちらに対する害意みたいなものは感じなかった。

 キッカは、ディスカードの物言いに少々不満を感じながら、黙って鶏肉をトマトと煮込んだものを大きく切り分けて頬張った。──美味い。オリーブの香りと酸味が、良いアクセントになっている。

 キッカは基本的になんでも食べるが、味の良し悪しがわからないわけではない。食べる物が美味ければ、人間寝床はなんとかなる。そこんとこディスカードはよく分かっているらしい。

 キッカは更に、ミートローフにグレイビーソースをかけ、葉野菜と一緒にパンに挟んで頬張った。天才の味である。


「ルカくんたちは何しに?」

「この街が目的というより、馬車の中継地で……」

「じゃあボク達と一緒か。ユグエンから? でもユグエンの人じゃなさそうだよね」


 一人目を輝かせて食事に集中するキッカの頭上で、言葉は交わされる。

 妹を見つけてくれたお礼に──なんて、意外と義理堅いタイプなのかと思ったが、なんのことはない。少年に用があるのだろう。いつも口の回る男だが、今日はやけに饒舌だった。

 少年の出身については、キッカも思っていた。

 ジゼルの方は、ユグエンやカターリナの人間と言われてもなんら違和感を感じないが、ルカと名乗った少年は、この辺の人間に見えない。服装はありふれた旅装束だが、装飾品のセンスか、浅黒く焼けた肌のせいか、どこか異国の匂いがした。

 だからどうというわけでもないが。

 ディスカードの琴線には、何か引っかかったようだった。


 質問に、ルカは一瞬動きを止めたあと、ふわりと微笑った。


「──はい。そうですね。故郷を離れて、暫く旅する予定なんです。だから今回の目的は、旅が成功に終わるよう験担ぎといいますか」

「験担ぎねえ。カターリナに?」

「まあ、はい」

「わざわざユグエンを経由して?」


 キッカはスモークソーセージのパスタ半分、話半分に聞きながら、「ん?」と首を捻った。

 傭兵も言っていたし、己もその認識だが、信仰の薄いカターリナに教会は殆どない。──つまり、旅の安全を祈願をするような場所に、思い当たるところがないのだ。

 それも聖女信仰と一緒で、ここ数百年の内に出来たものなのだろうか? ならばキッカの知り及ぶところではないが。


 そんなことを思いながらキッカがソーセージを飲み込んだ時、酒場が揺れた。



「──ッこの、役立たずがッ!!」



 椅子を引き倒すような騒々しい音。

 怒声。ダンッ。大きなものが倒れる音。


 驚いた周囲の人々は、水を打ったように静まり返った。

 皆それぞれ、音の方を振り返る。

 キッカも、例に漏れずそうした。



「貴様の先読みの力に大枚をはたいてやったというのに……出来んとはどういうことだッ!?」



 そこにいたのは、老いさらばえた容貌からは想像もつかぬような剣幕で喚き立てる、白髪の老爺だった。

 そして置物のような顔で立ち並ぶ従僕たち。

 老人は身形からして金持ちだろうが、貴族的な振る舞いではない。羽振りの良い商人か。

 彼の足元には、髪の長い女性が蹲っていた。


「……精霊たちが、見えないと……」

「それをどうにかするのがお前の仕事だろう!」

「私には……どうすることも……」


 ゆっくりと嫋やかで弱々しい声音は、余計に老爺を挑発した。

 老爺は罵声を浴びせながら、床に転がる女性を蹴りつける。

 キッカの腰が浮く。

 ラームスがそれを押さえつけた。

 振り返ると、「どこに行く気だ」と、無言の眼差しがこちらを見ていた。


 見つめ合っていると、「そこで頭を冷やしておけ!」と一際大きな怒声が響いて、老爺は酒場を出ていった。

 揃いの格好をした従僕たちがあとに続き、残されたのは床に転がる女だけ。


「……魔族かな、あの女」

「え?」


 ディスカードがポツリと呟いた。

 キッカは思わず聞き返す。


「あの足元の鎖、奴隷でしょ。大枚はたいて買ったって言ってたし」

「どれい……」

「まさかキッカちゃん奴隷を知らない……ことは、流石にないか。まーユグエンって奴隷制ないから、初めて目の前で見ると衝撃かもねぇ〜」


 ディスカードがチキンを頬張りながら言った。

 いや、見たことはある。

 詳しいとは言えないが、カターリナには昔奴隷制があったし、行軍中にも他国で見かけた。

 そういう文化が未だ存在することは、なんら不思議ではない。


 キッカがわからないのは、奴隷と魔族の関連性だ。


「まぞくだと、なんでどれい……?」

「ん? や。そうと決まったわけじゃないけど。なんていうか、そもそも、奴隷っていうのがわりと前時代的な制度なわけで。今は人権問題とかで廃止してる国が殆どでしょ? カターリナも出入りは禁じてないけど、国内で市場を開くのは禁じられてるし。強国だけあって奴隷の権利もしっかりしてる。外聞悪いから、表立って使われることもあんまりないしね。

 ただ、魔族は別」

「べつ?」

「魔族には人権ないから。てゆーか人じゃないし。奴隷として扱っても構わないってわけ。表向きは奴隷禁止を謳っても、安価な労働力として魔族を使役してる国はわりとあるよ」

「魔族が色んな国で奴隷……!?」

「そんな驚く?」


 驚くも何も。

 キッカには、魔族が人間の奴隷をしている、という話がまったく想像出来ない。

 キッカの中で、魔族は絶対的な強者だった。

 彼等は人間より優れた生物で、その名の通り、端から魔力を扱い生活する種族だ。

 人にとって魔術は修めるもの、才ある者の特権であるが、彼等にとってそれは手足と変わりない。

 体の一部であり、日常の一片。

 彼等には人間の学ぶ四属性のようなものはなく、代わりに種族ごと、個体ごとに固有の魔術──魔術師が言うには、魔法と呼ぶに適切なモノが多い──を持つ。

 基本的に人間の魔術師より、生まれながらにして強力な術を持つ化け物だ。

 だから人間は虐げられ、鏖殺された。

 死にゆく同胞に、怒りを滾らせ剣をとる人々。

 そして勝利した。

 人は自由を得たのだ。

 その結果が──


「魔王が居ない今、魔族はみんな弱体化してる。端から人間の方が数は多かったんだから、支柱がなければ烏合の衆。立場も逆転するもんだ」


 ディスカードは頬杖をついて、つまらなそうに答えた。

 キッカは己の認識と現実の差異に、頭を殴られた気分だった。


「でも、それだけで魔族と決めつけるのは早計じゃない?」


 声を上げたのは、レックスだった。

 キッカは頷く。最もな疑問だ。

 そもそもディスカードも、奴隷と魔族が必ずしもイコールだとは言っていない。人間の奴隷はこの時代、珍しいようだが。


「だってあの女、《精霊》って言ったじゃん」


 ディスカードは事も無げに言い放つ。


(──うん?)


 だからなんだ。

 確かに精霊使いは珍しいが、居ないわけでもない。過去には軍で共に戦ったこともある。

 遠くの戦況まで見渡せる彼等は、作戦を立てるにも、敵の奇襲を看破するにも、非常に有能な斥候兵だった。


 しかし、キッカが首を捻る前で、レックスはあっさり納得した。


「ああ、なるほど」

「セオリー通りの占いなら、ボクでも出来るけどね」

 

 どうやら二人で通じ合っているようだが、キッカは余計に首を傾げた。

 魔術に明るくないラームスも同じような反応だが、見ればセレニアやルカも、特に疑問を持っていないようだった。


「そうなのか?」

「キッカちゃんはともかく、ラームス授業聞いてないワケ?」

「む……」

「丁度三年時の内容だった覚えがある。まだかもしれないな」


 セレニアが助け舟を出した。

 ディスカードは仕方がない、というように肩を竦める。


「四属性に当てはまらない魔術を持った人間は、大昔にみんな殺されたんだよ。だから、精霊使いなんて最近じゃまず見ない」

「殺された? ……魔王倒したのに?」

「そう。鋭いねキッカちゃん。コレは倒した後の話だ。クリスティー・メイベル著《人間社会に潜む魔族〜見分け方とその対処〜》や、アラン・ドイル著《魔を裁く》あたりでも読めば?」


 ディスカードはどこか吐き捨てるように答えた。

 その答えにセレニアは眉を潜め、ルカは「ディスカードさん、」と嗜めるような声を上げた。

 キッカが意味のわかっていない顔でぽかん、きょとん、ほげぇとしていたら、周りから非難じみた目を向けられたディスカードが両手を挙げた。


「じょーだんだって。どうせキッカちゃん、本とか読まないでしょ」


 ──ドキ☆恋とかは読むが。

 確かに、歴史書の類はキッカが最も読まないジャンルだ。幼少期に読み聞かせされた絵本くらいの知識しかない。

 軍事学書なら昔よく読んだが、そこで得た知識は今や、埃を被った古物だろう。


「ま、今どきそこまで過激なのは珍しいけど。その手の思想はあるところには未だある。魔族の仲間だとか、魔族の血を引くとか。そんな理由で四属性に外れた人間は、何世紀も前に狩り尽くされた。

 だから、そういう力を使える人間はもう、殆ど残ってないのさ」


 例え使えても、後ろ盾がないと吹聴しないだろうね。

 頭の後ろで手を組んで、椅子の背にだらしなく体重を預けながら、ディスカードは言った。


(──こうなったのか)


 キッカの中の違和感が、ストンと腑に落ちた。

 ずっと疑問に思っていた魔力持ち衰退の理由が、こんなところで明かされた。

 暗闇の時代が終わり、必要なくなった力が自然と弱体化していったのかと思っていた。いや、それもあるのだろうが──

 同族で間引いたのだ。


(……ラームスのようなギフテッドは誤魔化しが効くだろうが、確かに、中には魔族の能力に似たギフトもある)


 それこそ魔法と呼ばれるような代物だ。

 戦時中、重宝された彼等が、戦いが終ったあとどうなったのか、あまり考えたくはない。

 旅の最後の方には、己の部隊から完全にはぐれてしまっていたから、終戦後にどれだけ生き残っていたかは知れないが。何人かは顔も思い出せる。特殊な魔術はそれだけ戦況を動かし得る力になるから、そりゃ頭に残っているわけだ。

 ……既に遠い過去に過ぎたことで、アレコレ考えても仕方がないが。

 英雄となったロウやアニスが、彼らを守ってくれたことと願うしかない。



 ──バンッ

 再び床を打つ音がして、キッカはハッと顔を上げた。


 音の方を見れば、先程の老爺が去ったため立ち上がりかけていた筈の女が、また地面に倒れていた。

 周りを見れば、それを見下ろし男たちが嗤っている。──誰かが足許の鎖を引っ掛け、転がしたのだろう。酒杯を片手に、中には下品なジェスチャーをする者もいた。

 

 男所帯が長かったせいか、キッカはこういう事態には慣れている。

 腹を立てるべきか安堵すべきか、自分がそういう目に遭った記憶はないが。

 ──確かに、劣情を催すに値する肢体だろう。

 鼻から下はベールに覆われ、薄らとしか窺えないが、綺麗な顔をしていると分かる。浅黒い肌も、濡羽色の髪も、艶やかで美しく、豊満な肉体はシャルキーの踊り子のような薄衣に包まれ、考えようによっては裸体より煽情的だ。


「あぁ〜っと足が滑っちまったァー! わりィな魔族のねえちゃん」

「玉のお肌に傷はついてないでちゅか〜? おにぃさんが上の宿でやさし〜く手当てしてやろォか?」

「オマエ魔族なんて相手にすんのかよ、ゲテモノ食いだなァ」


 ぎゃははと男たちが嗤う。

 女はずっと、困った表情(かお)のまま、何も言おうとはしなかった。

 一般人でも、この様相を見て魔族と察するのか。

 これが、今の魔族の常体なのか。


「あ〜あ。盛り下がっちゃった。どぉでもいいけどあーいうの余所でやってくんないか……なッてちょ、ちょっとキッカちゃん!?」

「キッカ……ッ!」


 ラームスの手が空を切った。

 ふらりと立ち上がったキッカは、急いだようにも見えないのに、二人の兄の手を見事すり抜けて行った。

 彼女は誰にも邪魔されることなくテーブルの間を縫い、瞬く間に酒場の中央に躍り出た。


「なんだァ?」


 男達の視線が、キッカに集まる。

 キッカは、目の前で蹲る魔族を見つめた。


(……別に、奴隷なんて幾らでも見てきた)


 魔族は好きではない。

 同胞を殺され、そして己も大勢殺した。


「ああ! お嬢ちゃんも魔族に罰を与えてやりてェのか?」

「神の名の下にィ〜ってなぁ!」

「ぎゃはは! 人間様の恨みを買ったのが運の尽きだわ薄汚ぇ魔族がよォ」



(……でも、腹が立つもんは腹が立つ)



「きゃあぁあぁ〜!」


 キッカは何を思ったか、倒れた女の上に重なるように、思いっ切り転んだ。

 ガンッ、と鈍い音が響く。

 周囲の男達は目を丸くし、怪訝な表情を浮かべた。


「いったぁ〜い!」


 そんなに痛くはなかった。

 しかし膝丈のカッチリしたドレスシャツの下から覗く足は、一応季節柄もあり厚手の沓下ストッキングに覆われてはいるが、それで防御力が上がるわけもなく。普通は痛みに泣いておくべきところだろう。


「立てなぁ〜い」


 本当に泣けやしないが、しくしくと間延びした声を上げながら顔を覆うと、すぐにラームスが飛んできた。


「何もないところで転ぶなッ!!」


 開口一番怒られた。

 もっと他に可愛い妹に掛ける言葉はないのかと思ったが、ラームスには色々と知られているため仕方がないかと肩を落とす。


「だってぇ〜…ココに、つまづいちゃってぇ」


 女の方を指差すと、ラームスの後ろから来ていたディスカードが、ヒク、と頬を引き攣らせた。

 彼が見ていたのは女の足許──正確には、鎖の千切れた、奴隷の証である足枷そのものであった。


「ちょっとそれ……」

「あらぁ? ふるくなってたのかしらぁ〜?」

「《封魔》の枷が老朽化で壊れるかしらぁ〜!?」


 ディスカードがキッカの口調を真似て頭を抱えた。

 老朽化はどうか知らないが、封魔の魔道具はだいたい内の魔力を封じるのに強く、外からの魔力に弱い。外から壊すのは容易いのだ。


「……まあ、」


 女がこちらを見て、吐息のような声を上げた。

 眉根を寄せて、困ったように、頬にほっそりとした手を当てている。

 つくづく庇護欲をそそられるというか。変な趣味を持つ男だったら逆に嗜虐心を煽るような態度をする女だ。


(……今後の参考にさせてもらおう)


 キッカは両脇を抱えられて立ち上がりながら、一人ウンウン頷いた。

 ちょっと目指す方向とは違うが、王子様の心をつかむにはこういうのも有りなのかもしれない。実際キッカはドキッとしたし。


 背後で、ガタッ、と大きな音がした。

 振り返ると、椅子が倒れた音のようだった。

 ふと周囲を見渡すと、周りの男たちが皆、席を立って後退っている。

 その目に揺れる慄れを見て、キッカはなんだか拍子抜けした。


(……なんだ)


 魔族を憎んで食って掛かるのは、別に好きにすればいいと思った。

 今は、反撃出来ない奴隷相手だったのが気分悪いだけで、そこに異を唱えるつもりはない。

 しかし、男たちは女の魔力が開放された途端、背を向けた。


(それなら端から何もしないほうがマシだ)


 やるなら最後までやれ。キッカはそう思う。

 そして肝心の魔族の方は、自由になっても抵抗の素振りはなかった。

 大人しいものだ。目に見える範囲で、人間に害意は感じられない。


「……どーせ直接危害は加えらんないくせにね。時間の無駄」


 そそくさと出て行く男達を見送って、ディスカードが小さく呟いた。


「そうなの?」

「まーね。言っちゃえば奴隷はモノだから、コレに何かすれば、器物破損で訴えられるし。あいつらだって金持ち敵に回したかないでしょ」

「ふぅん……」

「ってことで今回のは事故! 鎖は勝手に壊れただけ! キッカちゃんもいちいち面倒起こしに行かないでよねー…」


 ディスカードが頭上で説教するのを聞き流し、キッカは女を見た。彼女もこちらを見上げていた。

 別に己が気にすることでもないが、地面に女が──正確には魔族だが──倒れているのは気になるので、キッカは手を伸ばした。

 彼女は一瞬目を丸くして、しかし素直にその手を取った。


「……お礼を、」

「? 手を貸しただけなのに、お礼なんていらないよぉ〜」

「いえ、足枷の──」「アーッ! ディスカードお兄さまの言うとおり、事故で足枷が壊れちゃったみたい! 折角だし、このまま好きなところへ行っちゃえば──」


「それはムリ」


 女でなく、ディスカードが答えた。


「奴隷の──特に魔族との契約には、別に契約書がある筈だよ。地魔術(ペンタクル)製のガチガチのやつ。だから魔力が使えるようになったところで逃げられない」


 女もそれは解っていたようで、小さく頷いた。


「気にしないでください……私、食べるのにも困っていませんし……大きな怪我もありません。今のままで、大丈夫です」


 彼女はキッカの目を見て言った。

 嘘をついているようにも、我慢をしているようにも見えなかった。些か信じ難いことであるが、本当に気にしていないのだろう。


「そう……」

「でも、助けにきてくれて……嬉しかったですわ。まるで……騎士様みたいに、」


 キッカの顔が引き攣る。

 騎士。それは理想のお姫様とは対極の存在である。


 彼女はキッカの言葉に構わず、「御礼を」と言って、手近なテーブルに近づいていった。

 本当に大したことはしていないのに。助けたわけでもない。契約は残っているし。腹の立つ光景を蹴散らしただけで、礼も何もない。

 何をするのか気になって見ていると、彼女は客が食べ終わったあとの皿に、飲み残しの水を注いだ。


 いち早くピンときたのは、ディスカードだった。


「ああ……お礼ってそういう」

「はい……私の業は《羅針盤(アトラス)》──直截に言えば、《占師》ですわ」


 その言葉でキッカも、彼女が何をしようとしているのか理解した。

 食べ残しのテーブルで行われるのは初めて見るが。なるほど──

 《水盤》の代わりだ。

 確かに水と、平らな器さえあれば、目的には事足りる。


「あなたがたの行く手にある様々なモノ……映して御覧にいれましょう……」


 女は皿の上に、己の血を垂らした。


 水は何かを()()のに相性がいい。これは極めて一般的な魔術の話である。

 鏡でもいいが、今回のように流動する魔術の結果に対して、形を持たぬ水の方がより相性がいいのだろう。


「いらな〜…」

「魔術師なのに?」


 背後で、うげえ、と舌を出すディスカードに、レックスが問う。

 確かに、この手の技術は魔術の領分だ。失せ物探しにも共通するところがある。キッカも、ディスカードは興味を持つのではないかと思っていた。魔術師の好奇心は強い。

 しかし、次兄は首を横に振った。


「《遠見》とかはねぇ、わかるよ。遠くにあるものを写し撮る術なんだって、分かる。でも《未来視》とかはさぁ〜…なぁんで決まって無いもんが視えるのかね。ただの勘違いじゃない? 傀儡の術で命令通りに先の行動をさせる、とかの方がよっぽど信憑性あるんだけど」

「ディスカード様も他人(ひと)を胡散臭いとか思うんですね」

「あっ、セレニア嬢って魔導科(セレマクラス)嫌いなタイプの騎士科生(ナイトクラス)?」


 そんなやりとりをしている内に、水盤に何を見たのか、女は感嘆の声を上げた。

 キッカはそのテーブルの縁に顎を載せ、「なにが見えたの〜?」と女を見上げる。

 見上げた表情(かお)は、水面とキッカを交互に見て、どこかうっとりした視線を投げた。


「一際輝く獅子の心臓(コル・レオニス)……騎士(エクエス)狂言回し(ディーラー)復讐者(ルヴァンシュ)小さな王(レグルス)、そして……まあ。素敵な星」

「ほし?」

「精霊は水の中に小さな宇宙を作り、その中に私の欲しいものを見せてくれるのです……でも、あぁ……こんなに美しい星々の、行手に映るのは血色の猟犬(ヘルハウンド)ですの……精霊たちも、意地が悪い」

「ヘル……?」

「死を運ぶ冥界の犬ですわ」


 女は、未来視でもっとも厄介な話を平然と口にした。


 最も求められ、しかし忌避されるのが死にまつわる未来視だ。

 上手くすれば回避出来るとしても、実際告げられれば、信心深い者ほど落ち着かなくなる。気にしすぎて自ら死に向かっていったような逸話も多くある。

 キッカのように、予言があろうとなかろうと死ぬときは死ぬ、と思っているタイプでも、気持ちの良いものではない。


「誰の下に降りてくるかはわかりませんけれど、」


 彼女はまた頬に手を当て、ほう、と吐息を漏らした。


「わあ、面倒くさい話がきた」

「というか、さっきの奴には『未来が見えない』と言っていなかったか?」


 セレニアが怪訝な顔で問いかけると、魔族はなんてことのない顔をして、「ええ、はい……見えませんでした」と答えた。

 セレニアは首を傾げたが、その意味するところを知るディスカードとキッカは、黙るしかなかった。


 それは、死が見えると言うより明確で、恐ろしい未来視だ。


「幸運な旅の方々。私の《羅針盤》は、未来を変えるためにあります……どうか、お気をつけて」


 そう言うと魔族は、一寸名残惜しそうな表情を見せた気もしたが、あっさりこちらに背を向けた。

 どうやらキッカ含め、一行は信心を知らぬ者ばかりらしい。呼び止める理由もなく、厭な爪痕だけ残して、女は宿を出て行った。


 ──さて。


「ふぇぇ〜! キッカ、犬こわいよぉ〜!」


 満を持して恐怖を示すキッカに、ルカが横から、「大丈夫ですよ。キッカさんには、怖いことなんて起きませんからね」と気を遣って宥めてくれた。

 気弱そうな少年かと思ったが、意外と肝は据わっているらしい。それもそうか。見た目通りの性格なら、ゴツい傭兵に声は掛けまい。


 ラームスとセレニアはどちらかというと、「急に変なことを言われた」というような困惑の顔をして、レックスやジゼルに至っては、表情にまったく動きがない。

 全員メンタルが強い。この手の魔術は本物が珍しいので、よく分かっていないというのもあるかもしれない。

 そう考えると、キッカを除き、一番厭な顔をしているのはディスカードだった。が、これは未来視を恐れているというより、単純に気に食わないのだろう。


(実際、あの魔族の術が本物かはわからないしな……)


 とはいえ、当分ラームスは犬と赤いものに近寄るの禁止だ。

 キッカはいち早くテーブルに戻り、また黙々とフォークを動かし始めた。

 馬鹿笑いしていた男達は居なくなり、酒場は先程と比べると静かになったが、それでも相変わらず人の声は多い。

 この程度のいざこざも、奴隷の魔族も、そう珍しくないことなのだろう。

 和やかな喧騒を背景に、夜は更けていった。

 






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