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ただ一人の騎士になる

 



 

「お前……ッ」

「しー! 静かに」



 埃臭い物置部屋だった。

 木剣や、刃を潰した訓練用のロングソード、ランス、錘、棒、草臥れた防具、ボール。そういったものが雑多に散らばっている。

 第五塔の地下訓練場から放射状に伸びる通路には、そんな部屋がゴロゴロと点在していた。



 キッカは部屋に入るなり、壊れたアーメットを脱ぎ捨て、身体を覆うパーツも全て、地面へポイポイ放り投げていく。

 最後に、サイズの合わぬ鎧を纏うため、無理矢理巻いていた当て布すらペイッと投げ捨ててしまえば、残るは下着同然の頼りない少女の姿だけだった。

 ラームスは、何とも言えない気分になって目を逸らす。


「座りなよ。手当てした方がいいでしょ」


 キッカは平然とした顔で、部屋に転がった飾り気のない木の椅子を指して言う。

 ラームスは目を逸らしたまま、眉を顰めた。


「この程度、大した傷じゃない」

「確かに頭は大事無かったみたいだけど。身体の裂傷は激しいって言われてたじゃん。というか見た目やばいから部屋出る前にどうにかしてよ」


 確かに。己の身体を見下ろせば、血は既に固まっているが、服はあちこちがズタボロで、砂埃と赤黒いもので汚れている。


「石の床にめり込んで大事ない頭って……」


 キッカが地面に置いていた救急箱を持ち上げながら呟いた。

 ラームスの眉間に皺が寄る。己からすれば、無様に負けた記憶だ。


「別に、咄嗟に魔力で守っただけだ」

「魔力学び始めたばかりでそれが出来たら充分すごいよ」


 咄嗟の土壇場で身体の一部に魔力を動かせるなら、覚えがいい方だ。とキッカは言った。


「戦場では、常にベストなコンディションで臨めることの方が稀だし。そういう反射神経は大事にした方がいいよ」

「……そういうものか」

「うん」


 その時、グシャッと何かが潰れる音がした。

 ラームスが音の方に目を向けると、キッカが脱いだ鎧を素足で踏み潰している。


「救護班の人たち、ラームスが梃子でも動かないから、わざわざ救急セット置いてってくれたし」


 自分の試合は終わったのに。救護班の人たち呆れた顔してたよ。キッカが咎めるような口調で言った。

 そうではない。

 騎士科連中はだいたい意識がある限り全ての試合を見届けようとするので、救護班は毎年その手の輩に慣れている。アレは「またか」という顔だ。


 そんなことよりラームスは、常態なら訓練用の剣をまともに受けても小さな傷程度で済む重厚な鎧が、涼しい顔で話をするキッカに粉々にされていく光景の方がよほど気になった。

 彼女の前では鎧も、繊細な飴細工と変わりないようだ。


「というかその鎧、何故執拗に粉砕している?」

「一応、証拠隠滅」

 キッカがケロッとした顔で答えた。「この鎧、ちょっと目立ってたんじゃないかな。魔力の残滓で追跡されることもあるから、原型わからない程度に壊しとく」


 そう言って、キッカは粉々の破片を部屋を脇に寄せた。

 まあ、戦闘中に壊れていたし、元々物置に放棄されていたボロなので、誰も気にしないだろうが──


 相変わらず。彼女はラームスの知らない知識を、こともなげに話す。

 戦場の話も、魔力の話も。ラームスの知らないことばかりだ。

 当初は感心しきりだったし、今でも、すごいと思う気持ちに変わりはない。

 けれど、なんだか今日は、キッカが知らない言葉を話すたび、落ち着かない気持ちになった。


「? どしたの。座ってよ。手届く範囲は自分でやってね」

「いらん。平気だ」

「……ッも〜〜! なんなの! なんか今日意固地じゃない!?」


 キッカが地団駄を踏みながら、ラームスの腕を強引に引く。


「救護班も救護班で【騎士科なら手当くらい出来るでしょ?】ってわたしに救急箱渡してくるし! わたし! 騎士科じゃないのに! こんなか弱い美少女を見て! なにを!」


 これも魔力で強化しているのだろうか。抵抗しようにもびくともしない。

「それはお前が鎧を着て剣を佩いていたせいだろう」と言う前に、無理やりに椅子に座らされた。

 椅子は一脚しかないので、キッカは地面にペタリと座って救急箱を開ける。「水忘れた! 消毒液べしゃべしゃにして擦っていい?」と尋ねたかと思えば、こちらが答える前に布に消毒液を回しかけている。

 抵抗するのも面倒になって、ラームスはシャツを脱いだ。

 冷静になってみれば、治せる傷を残す理由もない。


 ラームスが布を受け取り、黙って傷口を清め始めると、部屋には自然と沈黙が落ちた。

 背中などの見えない部分は、キッカが綿紗で拭っていく。

 文句を言うわりに手つきは淀みなく、明らかに傷の処置に慣れている。

 大事ないとは言ったが、ラームスの裂傷は深く、固まりかけているとはいえ、鮮やかな赤が肉の間に覗いていた。

 荒事に慣れない女なら、見ただけで動揺しておかしくない。

 けれどキッカにそんな素振りはなかった。我慢しているようにも見えない。

 彼女は傷に慣れている。

 そしておそらく、己が傷を負うことにも──


「……お前は、戦いたくないんじゃなかったのか」

「へ?」


 突然の問いかけに、キッカは怪訝な顔をした。


「そうだけど?」


 なんで? という顔をするキッカは、ラームスの質問にピンときていない様子だ。

 しかし、そもそも戦いを苦手とし、恐れている人間は、()()()()()()をしない。

 負けず嫌いは言い訳にならない。あれは戦いに──命を賭けた戦場に、慣れた人間の遣り方だった。

 

「戦いたくないなら、お前は何故──……ッ!」



 ──守ってくれるんでしょ?

 キッカは言った。戦いたくない。だから、俺に守ってくれと言い、俺はそれに応えたはずだ。


 なのにコイツは、いとも容易くその身を危険に晒す。


 あまつさえ、自らその身を戦闘の犠牲に差し出そうとした。躊躇もなく。悲観もなく。当たり前のように。

 あの時、一気に頭に血が昇り、凄まじい喧騒が飛び交う客席で、意味はないと分かっていても、思わず立ち上がって叫ばずにはいられなかった。

 焦燥だけが身を灼いた。

 何がそんなに腹立たしかったのか、今思えばわからない。けれどその炎は、今も腹の内で蠢いている。

 心配したのか?

 ──いや、俺の心配を必要とする相手じゃないことは、俺自身、もうよくわかっている。

 実際、キッカは俺よりずっと相手を追い詰めていたし、ともすれば互角の勝負を見せていた。

 強いだろうと思ってはいた。四年前のあの日から。

 キッカに、ハイネンヴァルトの名に恥じぬ実力があることは、分かっているつもりだった。


 本当に、ただの「つもり」だった。





 一回戦──

 ラームスは、舞台に上がる直前、キッカと戦った騎士科(ナイト・クラス)の男とすれ違っていた。


「お。ラームス! おまえ、本戦に残って……いや! それより──ッ」


 滝のような汗を流しながら駆け寄って来たのは、グレイ・トーツ──トーツ伯爵家の次男だ。

 彼は卒業後、王に仕える近衛兵団の双璧を担う、《聖パロマ騎士団》に所属が決まっている。

 騎士科でも名の知れた男だ。


「見てたか今の!」


 そんな男が、負けた悔しさより、喜色を全面に押し出して興奮していた。

 男は更に言葉を続けた。


「もうスゲーのなんのって!! 戦ってたらオレ、どんどん強くなってって……お前、オレと手合わせしたことあるから、分かるだろ? 今日のオレ、めちゃくちゃ調子良かった……最後、首元に剣先突きつけられた時、【あ、やっぱコイツ本気じゃねえな】ってわかっちまったけど……や、まあ、ほんと。すんげぇ悔しかったけど。でも、」


 男は自分の剣を見つめた。

 その剣を通して、先程の戦いに──その相手に、想いを馳せているように見えた。


「……今までで、一番いい試合ができた。オレは、もっと強くなれるって分かった」

「……負けたのに、随分嬉しそうだな」

「それだけの価値がある試合だったろ。お前も見て勉強になったんじゃねーか?」


 男は暑くなってきたのか、頭の鎧を脱ぎ捨てて、服の裾で汗を拭った。

 ──勉強になったどころじゃない。

 キッカは、ラームスに己の強さを見せつけたわけじゃなかった。

 それでも一目で、《すごい戦い》と分かる試合を見せつけた。

 この男の強さは、何回か手合わせをしたことがあるから知っている。

 どの演習でも、今日ほどの力は出せていなかった。


「……つーか誰なんだろーな。あの十四番。騎士科にあんな強くて小さいのいたか?」

「見つけてどうする」

「え〜…いやぁ……弟子入り? 今日の試合もオレを成長させるため、みたいな試合だったじゃん? 頼めば稽古つけてくれかも〜…なんて」


 なぁ、お前心当たりねーの? と尋ねる男に、「()()はお前のためじゃない」と、口からまろび出そうになって、すんでのところで耐えた。


「……知らん」


 ()()は、俺のだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 その言葉を飲み込んだ。

 力を隠したいキッカのことを考えると、とてもじゃないが、口に出してはいけない言葉だった。


「ぁあ〜…ほんっと誰なんだろーな。会いてえな〜会って稽古つけて欲しい〜」


 男はそう言いながらダラダラと控室へと戻っていった。

 己も舞台へ上らないといけない。

 先輩の去って行った方向とは逆へ、ラームスは足を向けた。





 今日まで漠然と、キッカのことは「すごいやつなんだろう」とは思っていた。


 家にいた頃は何とも思わなかったキッカの指摘が、EKCに入学してからその意味を変えた。

 彼女の言葉は驚くほどに的確で、教師と同等か、それ以上に実戦的だった。

 だからキッカが入学して、「もしかしたらコイツに聞いた方が強くなれるんじゃないか?」と思いついて、剣闘試合までの鍛錬を頼んでみた。

 予想通りだった。

 魔力に関する知識も、実戦での応用も、彼女の造詣は、おそらくそんじょそこらの教師の比ではない。

 キッカが実際に剣を握っているところを見たのは、朦朧としていた四年前を除けば、今日が初めてのことだったが。


 すごい、なんてものじゃなかった。


(……なら、なんでこんなに腹が立つのか)


「ラームス?」

「……なんだ」

「いや、なんか黙ってるから……別に、焦らなくても、もっと魔力の扱いに慣れてくれば多少の傷は治せるようになるよ」

風属性(ソード)は、治癒魔術が使えるのか?」

「いや、風属性が出来るのは自分の身体の再生だけ。仕組みも水属性(チャリス)の《癒術》とは違うから、自然に治る傷なら魔力で治さなくていいんだけど……」


 キッカは少し口籠もった。

 言いかけて、言わない方がよかったか、思案しているような様子だった。

 こうしてキッカはまた、ラームスの知らない話をする。感心するような、腹立たしいような。キッカが言い淀むのも、苛立ちに拍車をかけた。

 ──あれだけ力を示しておいて、まだ俺に何か隠すことがあるのか。


(俺は、コイツの強さに嫉妬して、腹を立てているのだろうか)


 今まで、こんな気持ちを感じたことがなかった。

 次は負けないと奮い立つことはあっても、こんな、腹の底が燃えるような感情は初めてだ。


(……それだけ、今回の剣闘試合に懸ける気持ちが大きかったのだろうか)


 確かに、去年の雪辱を果たしたいとは思っていた。

 強くあることは騎士の本懐だし──ディスカードとの約束もある。

 勝ちたかった。

 負ければ悔しいと思う。それは、いつだってそうだ。


「ええと……元々、風属性は傷の治りが速いから。それをさらに押し上げるような感じかな。まあ、危ない場面での応急処置には有効だから、覚えといて損はないと思うよ」


 何かを誤魔化すように、キッカは話を終わらせた。

 いつの間にか手当は終わっていた。ぼうっとしている間に、キッカがあらかた終わらせてしまったらしい。やはり手慣れている。

 キッカは何も言わないラームスを見て、怪訝そうに顔を覗き込んだ。


「……ラームス、手え出して」

「……あ?」

「こう、両手を上げて」


 キッカが控えめな万歳のポーズをとる。

 ラームスは首を傾げながらも、同じように手を上げた。


「そうそう。よし」


 ギュッ

 そのまま、キッカはこちらの両掌と合わせ、指を絡めて握った。ラームスは息を飲んだ。

 反射的に腕を引いたが、案の定動かない。悲鳴を上げなかっただけ耐えたものだ。

 しかもそれだけじゃ飽き足らず、キッカは身を乗り出し、ラームスの両足の間に片膝を乗り上げて、さらにグッと身を寄せた。


「な、ッ!?」

「目で見る以外だと、掌が一番魔力の流れがわかりやすい。掌を合わせる作業自体、既に一種の魔術的要素だから……」


 肘まで合わせて、とキッカが腕をペタリとつけてくる。

 乾き切らない汗で、じっとりと湿った肌に、何故か唾を呑み込んだ。


「今、わたしの魔力けっこう良い感じだから。久々にちゃんと使ったからかな……全身くっつけば、もっとわかりやすいんだけど」

「そッ、それには及ばん……ッ」

「そう? 風属性(ソード)は魔力をそっちに流すことはできないけど、触れたところから流れは感じない? こんな感じで、隠から陽へ、五臓から五腑へ……」


 大事な話をされている気がするが、その声は耳を通り過ぎて消えて行った。

 キッカが掌を触れ合わせ、こちらを真面目な顔でジッと見つめながら説明するものだから、不用意に視線を外すことも出来ない。

 嫌でも目に入る、その身体。

 さっきまでの戦いが嘘のような矮躯が、スリップから透けて見えた。

 レエスのスリーブから伸びる腕は、掴めば折れてしまいそうなほどに細い。裾から覗く内腿は日に当たらないためか酷く青白く、起伏に乏しい身体は、余計脆く感じた。

 カッと顔が熱くなる。

 見てはいけないものを見てしまったような心地になった。


 この身体で、この痩躯で──この女は、上級生も含め、EKCのほとんどの生徒が相手にならない強さなのだ。



(……綺麗だった)


 不意に、ストンと腑に落ちた。

 綺麗だ、と思ったのだ。

 慣れない感情だが、美しいというのは、こういうものをいうんだろうと思った。

 そんな戦いだった。


 キッカは今まで様々なドレスを、装飾品を、綺麗だと言ってよく見せにきた。

 今までその言葉がよくわからなかった。ラームスはそういう、ヒトや、モノの美醜に、自分はあまり頓着がない人間なのだと思っていた。己の衣服の好みを言われてもわからないし、誰それが美人だと言われてもいまいちピンとこなかった。

 でも今日、わかった。

 俺の《美しい》は、あの戦いだ。

 俺の《綺麗》は、キッカの戦う姿だった。


(……なら、この得体の知れない不快感は、本当に嫉妬なのか?)


 違う気がする。

 そもそも、それなら鍛錬に付き合ってもらったりしない。

 そうだ。

 この強い、すごい女が、いつもなんだかんだと乗り気でない顔をしながら、それでも俺の鍛錬に付き合ってくれていた。

 なのに俺は、負けてしまった。

 俺が腹立たしいのはそこだ。


「どうだった?」

「……何がだ」

風属性(ソード)の戦い方」


 なんて、ごめん。負けちゃったけど。

 キッカが呟いて、自嘲じみた、乾いた笑いを漏らした。

 ラームスはその表情(かお)を見て、突き動かされるように、彼女の腕を掴んだ。


「……なに?」

  

 キッカはポカンと口を開けた。


「……いい、試合だった」


 何も浮かばなくて、迷った挙句、そんな気の利かない台詞で誤魔化した。

 けれどキッカはまた、一瞬ポカンとして、そして満足そうに笑った。「ラームスがそう思うなら、よかった」と。


「他の属性なら、人の傷を治したり、さっきみたいに水がなくても、魔術で出せたりするんだけど。風属性だって、悪くなかったでしょ」


 キッカはそのまま手を離し、ラームスの膝の上に小さな身体を丸めて収まった。


「ああ。そうだな」

「でも、むかしはもっと出来たんだけどな。まだ魔力操作に身体が慣れない感じする」

「むかし?」

「……んー…? ふふ、なんでもない」


 キッカは目を瞑った。

 一瞬、ラームスの腹にどす黒いものが込み上げてきて、しかしすぐに萎んだ。

 


 【守ってくれ】と言った、キッカの声が甦る。

 力も知識も、この女に及ばないのは、それ自体はもういい。これから越えればいい。

 ただ、キッカがこうして何か隠すのは、役不足と言われているようで嫌だった。

 この誰より強い女が、俺を選んだのに。


(……なのに、俺は負けた)


 それが悔しかった。腹が立った。そのせいでこうして線を引かれているのなら、力のない己自身に、酷い怒りが込み上げてくる。

 キッカを信じさせるだけの力が俺にないから、こいつは自分を危険に晒すのだ。


「……俺はもっと強くなる。俺が守ってやるんだ、お前の剣なんて、すぐに錆びさせてやる」

「うん」


 キッカは目を瞑ったまま、吐く息だけで笑った。

 身体が弛緩していく。眠りそうなのだろう。ここ暫く寝不足だったようだし、あれだけの試合を終えた後なのだから無理もない。


「……だから、ラームスに、守りたいたい、大事な人が出来たら言ってね。何も言わないで、いなくなったりしないでね」


 キッカはそれだけ言って、口を噤んだ。

 やがて、スースーと穏やかな寝息が聞こえてくる。


 そしてラームスは、はたと気づいた。


(守り、たい……?)


 ラームスはずっと、強くなりたかった。

 己が騎士になるため、力が欲しかった。

 そして、騎士にとって、国や領民は「守るべきもの」である。


 だから、ラームス自身が「守りたい」と思ったのは、これが初めてのことだった。


(……妹、だからな。当たり前か)


 兄というのは普通、妹を守ろうとするものだろう。だからきっと、已もそうなのだ。


 キッカは安心したような顔をして、寝入っていた。

 瞼の裏に、彼女が剣を振るう姿がちらつく。

 腕の中で眠る肌着姿の貧相な女が、血と汗の染みた石の舞台の上では、誰より美しかった。


 ラームスは、汗で額に張り付いた髪を払い除けてやり、その矮躯を抱きしめた。



 どうか彼女がもう、悪い夢を見ないように。





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