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スポーツ・デイ1





「うぅ〜ん! 良い朝ですわぁ!」


 目覚めたキッカは窓を開け、おはよう小鳥さん! と木の枝に留まる鳥達に元気に挨拶した。

 しかし、突然開いた窓に驚いた鳥達は、既に跡形もなく逃げた後だった。

 でもキッカは気にしない。

 何故ならお姫様は、窓をバンと開けて小動物に挨拶するものだから。なんなら歌も唄うのだ。本に書いてあった。

 キッカは身支度のため、とりあえず洗面台に向かった。



 学園では、一年の頃から個室が与えられる。

 生徒数を考えると随分豪勢だが、貴族の子息からすれば酷く不満らしい。貴族と平民の部屋に差はなく、一般生徒より広い部屋を持っているとすれば、寮長と監督生くらいのものだろう。実際使っているかどうか定かでないが、寮内の采配は彼等が握っているので、そうなっていておかしくないという話である。


 ところで、キッカ・ハイネンヴァルトは貴族の──それも、ユグエンの数少ない侯爵令嬢であるが。

 にも関わらず、入学当初から部屋に一切の不満を漏らさないキッカは、貴族の子息たちの間でまあ浮いた。理由は勿論他にもあるが、彼女がクラスメイトから疎外される最初のきっかけである。


 しかしそうは言われても、キッカにとって寝台と文机と小さな衣装箪笥があるこの部屋は、十分贅沢に感じられる。

 何せ、同じくらい部屋に、八人の巨漢と雑魚寝した記憶があるのだ──それこそ、生まれるより前の話だが。

 それでも、そっちで生きた時間の方が今より長い。

 そもそも、キッカにとって、屋根がある時点で上等な寝床である。貴族的な感覚が馴染まないのも仕方なかった。



 ふんふふ〜ん、と鼻歌混じりの上機嫌に朝の支度を済ませ、キッカはボスン、と寝台に腰を下ろした。

 そろそろ朝食を摂りに行かねばならないが、その前に、とキッカは枕の下に手を突っ込んだ。

 引っ込めた手には一通の手紙。

 ニマッ! とキッカの顔が綻んだ。


 昨日、キッカの母から届いた手紙だ。

 学園での生活を心配する声や、キッカの幸せを願う愛の言葉が沢山書かれていた。

 ハイネンヴァルト侯爵家の仲は、悪くはないが良いとも言えない。

 それぞれ個性が強いため、あまり他人に──いや家族だが──頓着しないのだ。


 そんな中、目に見えて溢れんばかりの愛を注いでくれる母が、キッカは好きであった。

 母は兄たちにもきちんと優しいが、彼らに対する態度は侯爵夫人としての完璧であり、母として、ちょっと駄目なくらい可愛がってくれるのはキッカだけだ。

 生きた時間を記憶で数えるならもう随分大人なキッカだが、それでも母の手紙は嬉しかった。寧ろ、生まれるより前の母の記憶がないから、余計に嬉しいのかもしれない。


「それじゃあおかあさま、今日も一日頑張ってきますわ!」


 手紙をしまい直し、キッカは立ち上がった。

 今日は待ちに待った《スポーツ・デイ》である。

 キッカ自身は競技に参加しないが、力の限りクラスメイトの応援を頑張る所存だ。


「……ラームス、大丈夫かな」


 兄の試合だけが、ちょっと気掛かりだった。

 魔力の扱いはだいぶんマシになってきたと思う。時間をかければ剣に魔力を送れるようになったし、一度送れば、ある程度維持できるようだ。不意の戦闘は別として、今日のような試合では問題ないだろう。

 ただ──


(この学校、ちょこちょこバケモノじみた人いるからなあ……)


 ラームスの勝ち負けはどうでもいいのだが。ディスカードみたいのが相手だと、勝負の後の後遺症が気になる。魔術師との戦闘はあとを引くのだ。訓練に付き合った手前、大怪我されると寝覚めが悪い。

 まあ流石に、学校行事でそんな悪辣なことはして来ないだろうが。


(気にはなる……けど、)


 淑女が剣闘試合を見に行くなんて、世間的にどうなのだろうか?


「……とりあえず、ご飯食べよ」


 剣闘試合が始まる午後まで、まだ時間がある。

 周りの様子を見てから考えようと結論づけ、キッカは食堂に向かった。

 何はともあれ腹拵えである。

 今日の朝食はクロックムッシュだ。なんかよくわからない上のソースがめちゃくちゃ美味いので好きだ。









 開会式は、剣闘試合の行われる闘技場(コロッセオ)で、華々しく始まった。

 学園長の挨拶、軍務卿が預かってきた国王からの挨拶、騎士団長代理の挨拶、近隣領主の挨拶──

 挨拶が長い。

 ほんとにただの学校行事とは思えないメンツだ。

 生徒に貴族が多いため、当たり前と言えばそうなのだが。来賓貴族の多さったらパーティ会場さながらである。

 あからさまな品定めに、いっそ潔さすら感じた。


 キッカはといえば、父兄が来ているわけでも、競技に参加するわけでもないので、挨拶の大半を聞き流しながらコロッセオを見渡していた。

 午後にはここでラームスが闘うのだと思うと、ついつい細部に目がいく。

 今は円形の客席に囲まれた、ただの土の地面だが。建物のそこかしこに魔術の気配を感じるため、可動式の建造物の可能性が高いだろう。さて、どこがどう動くのかは判らないが。


(……いやでもラームス、フィールドは見たことあるのか)


 去年も出場したと言う話だし、競技そのものに関してはキッカより詳しい筈だ。そもそも闘技場は騎士科の領域(フィールド)で、彼等の勝手知ったる場所である。


(……気にしすぎか)


 どのみち闘技場に上がれば一人だ。キッカに出来ることはない。


 気づけば割れんばかりの拍手が鳴り、いつの間にか、式の最後を締め括る寮長たちの宣誓が終わっていた。

 気持ちを切り替え、キッカは馬術競技の会場へ向かう。クラスメイトが出場するのだ。

 中には、血縁であろう貴族たちと話し込んでいる生徒もいた。

 ハイネンヴァルトから人が来ることはない。領地が遠いのだ。今朝見返した母の手紙にも、来られないことを嘆く言葉があった。二年前の同じくらいの時期に、長兄の最後のスポーツ・デイだから、と母が観に行きたがっていたのを覚えている。結局侯爵の許しが出ず、叶わなかったが。


 手紙を見たら久々に会いたくなってしまった。

 今日は無理だが、来月にはホリデーがある。それまで待てば家に帰れるのだ。

 帰る家があると言うのは、なんだか安心感があるものだった。





 厩舎は闘技場から近い。庭園の南にあるのだ。同じ場所に馬を走らせる馬場もあるので、そのままそこが馬術競技の会場となっている。

 それにしても広い学園だが、同じ場所へ向かっている人がちらほら居たから、迷うことはなかった。

 到着したキッカは、辺りをキョロキョロ見回しながら歩き回る。

 探し人は厩舎にいた。

 

「……アメリアちゃん、緊張してる?」

「ッ!!?」


 キッカのクラスの代表の一人、アメリア・フロレンスであった。

 何やらそわそわしているように見えたので、気になって声をかけたら思い切り飛び上がられた。


「なっ……わ、びっ……びっくりさせないでちょうだい!」

「ご、ごめん……そんな驚くと思わなくて」


 隣の馬も落ち着かなそうに、ジッとキッカを見つめていた。

 美しい毛並みの黒馬だ。元々大きな馬だが、アメリアと並ぶと更にでかく観じる。

 アメリアはキッカをひと睨みしてから、気遣わしげに馬の背を撫でた。


「それに気安く呼ばないでくださる? 友人でもないのに馴れ馴れしいですわ」

「えっ! アメリアちゃん、キッカの初めての女友達なのに……」

「いつから友達になったんですの!?」


 顔を真っ赤にして怒られた。

 キッカにとって、教師と兄の次によく話す相手がアメリアという話である。怒鳴られたり嘲笑(わら)われたりも含むが。

 もう立派な友人関係だと思っていたに、アメリアの友達判定は厳しいらしい。


「そっかぁ……じゃあフロレンス嬢、」

「なんですのその呼び方……というかちょっと。貴女が来てからエイミーの様子がおかしいんですけれど。興奮剤でも纏ってらして? それとも、こないだの仕返しに邪魔しにでも来たのかしら」

「仕返し?」


 キッカが首を傾げると、アメリアが顔を歪めた。

 馬がキッカを警戒しているのは、キッカにとって当たり前の反応だ。

 昔からキッカは、あまり動物に好かれなかった。気性が荒ければ襲いかかられ、小動物なら逃げられる。大半どちらかの反応だ。

 その点、目の前の馬は警戒で済んでいるあたり、よく躾けられている。もしくは、馬がアメリアを信頼しているから、キッカが近づいても落ち着いていられるのかもしれない。


「惚けないでちょうだい。あなたのその髪──」

 アメリアは言いかけて、途中で止めた。「……やっぱり、なんでもないわ」


「それより、あなたこんなところにいていいの?」

「なんで?」

「ラームス様、剣闘試合に出るんでしょう?」


 ディスカード様はわかりませんけど、あの方が出ないはずありませんもの。とアメリアが言う。

 実際は、ラームス云々以前に、騎士科は全員参加するそうだが。


「出るけどぉ……でも、剣闘試合は午後からじゃないのぉ?」

「それは本戦よ。予選は午前中に終わるわ」


 なんと。知らなかった。


「でも、おにいさま午後からだって言ってた……」

「まあ! ラームス様は、当然のように本戦へ進む気なんでしょう。自信があって、実力もあって……素敵な方ですわ」


 彼女は遠くを見つめ、キッカに話しかけるでもなく、独り言のようにそう言った。

 少々自信過剰過ぎる気もするが……。キッカは思いながら、首を捻った。


「なんかアメリアちゃん、ラームスおにいさまのこと詳しいね」

「そ……ッそんなことありませんわ!!?」

「わ。びっくりした」

「ラームス様の強さは有名ですし! あれだけ容姿も端麗なんですもの。歳の近い女の子は憧れて当然ですわ! いえわたくしはそんな浮ついたこと考えていませんけれど! 現にみんなそっちを見に行って、こちらは閑古鳥が鳴いているでしょう!?」


 アメリアが、耳まで赤くして怒鳴っている。

 確かに。

 交友の広い彼女の応援なら、本来もっと大勢来ていておかしくない筈だ。しかし、会場の観客は大人が多く、生徒の数は疎らだ。


「外から来た人たちはどうか知りませんけど。生徒たちにとって、今日の花は剣闘試合ですもの」


 アメリアが呟いた。

 なるほど。剣闘試合は志願制とはいえ、学園の強さナンバーワンを決めるような競技だ。年頃の男たちにとっては、熱い行事なのだろう。

 女の子たちにとっても、意中の男の子の活躍の場と考えれば、盛り上がるのかもしれない。


(──ラームスも、有名なんだ)


 キッカはちょっと驚いた。

 ディスカードなら、わかりたくないがなんとなくわかる。普段は物腰柔らかいし、優しそうに見えるし、魔導科(セレマ・クラス)は頭の良い印象もあるし、威圧感を与えるほどムキムキもしていない。そして、本人が他人(ひと)に好意的に見られるよう振舞っている。

 けど、ラームスは優しくもなければ、優雅でもない。

 冷たいわけではないが。分かり易い気遣いは皆無だし、どちらかというと無骨な男だ。あと騒がしい。鍛錬の話しかしない。王子様とは程遠い。

 長男(ラーディクス)の優秀さは教師(づて)に、次男(ディスカード)の噂はクラスメイトの会話から漏れ聞いていたが、ラームスの話は、先日までキッカの耳に届いたことがなかった。

 フィニッシング・スクールとして学園に通う淑女たちにとって、《騎士科(ナイト・クラス)》の話題は刺激が強すぎるのだろうと、キッカは思っていたのだが。


 実のところ、キッカは知る由もないが、ラームスは話題はクラスでもたびたび会話に上がっていた。

 御伽噺に騎士と姫が付きもののように、騎士科の生徒に憧れを抱く淑女は多い。

 しかしいかんせん。そういう色恋絡みの話は、仲の良い友達とヒソヒソやるものであって、友達のいないキッカの耳に入ることはなかった。



「で、でも。淑女が剣闘試合見に行くなんて……血とか出るし、野蛮じゃない?」

「まあ! それは戦場に出る殿方に対して、失礼な考え方じゃなくって? 淑女(レディ)には、いずれ戦地へ向かう殿方を、気丈に見送る責務がありましてよ? ……まあ、今は平和だから、そんな機会も少ないでしょうけど。男が戦っている間、女は信じて待つことしか出来ないんですから、」


 日頃から慣れておくに越したことありませんわ、と言い切るアメリアに、キッカは「なるほど……!」とメモを取り出した。目から鱗である。

 そうか。淑女は戦場の男に想いを馳せるものなのか。

 なにせ戦場に居た側だったから、その考え方は未知のものだった。


「じゃあアメリアちゃんも試合見に行くの?」

「……見に行けるなら、行きたかったですわ」

「……もしかして、間に合わない?」

「どうかしら。剣闘試合は選手も会場も準備があるから、他の競技とは少し開始時間がズレますの。自分の番が終わって、すぐに行けば間に合うとは思いますけれど……」


 アメリアは、そこで顔を曇らせた。

 そわそわしていたのはそれが原因か、と納得していたキッカの耳に、思いがけない言葉が届く。


「……でも、ラームス様はきっと、わたくしが行ったら嫌に思うでしょう?」

「……えっ?」


 一瞬何を言われたか分からず、キッカは頓狂な声を上げてしまった。

 アメリアは苛立ったように、もう一度、少し声を荒げて繰り返した。


「ラームス様は、きっとわたくしを嫌ってますわ。妹があんな目に遭わされて、なんとも思わない方じゃないですもの」

「でもアメリアちゃん、特に何もしてなくない?」


 手紙の件に関しては、全面的にディスカードが悪いし、怒るのも仕方ない。キッカの髪を切ったのは別の生徒だ。


「で、でも、わたくし頭に血が上って、周りが見えなくなっていたから……」

「おにいさま、怒ってないよ」


 やり返さないのか、みたいなニュアンスのことは訊かれたが。ラームス自身が介入してくるつもりはないだろう。

 そもそも、しようとしたら止めている。


「……そういう貴女は、わたくしたちのこと、恨んでませんの?」

「うらむ?」

「わたくしは何もやってないと言いますけれど、それなら、その、髪を切った娘のことは憎く思わないんですの?」

「? なんで……?」


 髪を切らせたのは自分の落ち度だ。

 本気で抵抗すれば出来ただろうが、そうしなかった。

 怪訝な顔で首を傾げるキッカを見て、アメリアはやがて、長い溜め息を吐き出した。


「……苛々するのも馬鹿らしい気になってきますわ」


 空気を叩くようなものね、とアメリアは言って、厩舎を出る。


「……今は、まだ少し、勇気が出ないけれど。今度、ラームス様にはきちんと謝りたいですわ。その時は、会わせてもらえるかしら?」

「ラームス……おにいさまに? え。なんで?」

「わたくしたちが我を忘れてあのような行動をとってしまったばかりに、ご足労おかけしたんですもの。貴女に謝るつもりはありませんけれど……」


 でも、髪を切った娘は、ちょっとやり過ぎだと思いますわ。

 ちら、とこちらを伺いながらアメリアは言った。

 どうも髪のことを気にかけてくれているらしい。

 そりゃ当初はそれなりに落ち込んだが、今じゃミディアムカットの自分も大変愛らしいことがわかっているし、そもそも自分がやったことではないのだから気にする必要はない。


「会わせるのはいいけどぉ……ほんとに気にしてないよ、おにいさま」

「それじゃあ、わたくしの気が済みませんわ。ラームス様が会いたくないと仰られれば、その時は断ってくださって構いません。

 とりあえず、貴女はさっさとコロッセオに向かいなさいな。わたくしも自分の出番が終わり次第行くわ」

「え、でもアメリアちゃんの応援……」

「さっきからしれっと名前呼びしてるんじゃありませんわよ」


 スパンと言われて、キッカはしょぼくれる。

 アメリアはフンと鼻を鳴らし、「わたくし、貴女の応援が要るほど落ちぶれてませんわ!」と、一つに纏めた長い髪を払いのけた。


「それより、ラームス様が万全の状態で試合に挑めるよう、サポートしてらっしゃい。わたくしが行くまでにラームス様に何かあったら、ただじゃおきませんわよ!」

「わたし!?」

 

 わたしが出るわけじゃないんだから、そんなこと言われても……と思ったが、アメリアの気迫の前に、キッカはコクコク頷くしかなかった。



「あ、でも、結果はいいの?」


 キッカが尋ねる。

 盛大な表彰式は本日の最後のプログラムにあるが、途中で会場を離れたら、それまで結果がわからない。

 しかし、アメリアは何でもなさそうに「構いませんわ」と答えた。


「わたくしはわたくしのベストを尽くすだけですもの」

「ご家族とかは……?」

「……伯爵家の家長ともなれば、毎日多忙ですもの。それが貴族の責務ですわ。そう簡単に、王都までは来れません」


 そんなものか。まあうちも来ないしな。と思いながら、アメリアに急かされ、キッカは後ろ髪を引かれる思いで会場を後にした。





#





 ラームスは何故か、闘技場の外にいた。

 身体の要所が守られた、兵士の訓練着のような格好をしているから、もう開始時間が近いのだろうと思ったが。誰かと話しているようだ。


「おにいさま、時間大丈夫なのぉ〜?」


 後ろから声をかけると、「あまり大丈夫ではない!」と大きな返事が返ってきた。

 やっぱりそうか。

 もう少し近づくと、ラームスの影に隠れるようにして、小さな少年が蹲っているのが見えた。

 座り込んでいるからハッキリとは判らないが、騎士科に似つかわしくない痩躯に見える。ラームスが近くにいるせいで、より際立って見えるのかも知れないが。


「……いじめ?」

「違う!!」


 分かっているが言ってみただけだ。

 少年は、ラームスのクソでか声にいちいちビクついていて、見ていて同情を禁じ得ないほどだ。彼の片腕が痛々しい三角巾に吊られているのも、その印象を助長させた。


「ぼ、僕は怪我をしてしまったから、もう試合には出れません……!」


 少年が、ラームスに向かって叫ぶように言った。

 敬語を使っているあたり、後輩だろうか。


「おにいさままさか、怪我人に試合を強要してましたの……?」

「そんなわけないだろ!」


 これはちょっと半信半疑だったが、違ったようで安心した。

 ラームスなら善意でやりかねないと、ちょっと思ったのだ。


 聞くに、試合前に姿が見えなくなった後輩を、迷子になったと思いここまで探しに来たそうな。

 そうしてあっさり見つかった後輩は、なんと怪我をしており、仕方がないから棄権を勧めたら、この膠着状態に陥った。

 ……なんで?

 そもそも他の会場ならいざ知らず、第五実践棟(コロッセオ)は寮塔に次ぐ騎士科(ナイト・クラス)のホームだ。試合に出る予定で、ラームスの後輩なら、彼は二年生だろう。丸一年も学園にいて迷う筈がないし、そもそも開会式の会場が闘技場だったのに、なんでわざわざ離れて、しかもそこで怪我してるのだ。

 いや、それより疑問なのは……


「きけん、したくないんですの?」

「だって……僕が出なかったら、騎士科は、参加出来る人間全員参加するのが伝統なのに……人数が揃わなくなっちゃう。僕のせいで……」


 どんどん小さくなっていく少年を、「怪我をしたなら仕方ないだろう」とラームスが宥める。

 なるほど。罪悪感から姿をくらましていたのか。

 そしてそれを、ラームスに気づかれてしまったと。

 気の毒に。

 人探しには適任すぎる男だ。ちょっと犬のようで締まらないが、兄は人より五感の優れた、おそらくギフテッド持ちである。


「ほら、棄権すると報告しに行こう」

「で、でも……そんなことして寮長や、クラスメイトにバレたら……?」

「そう気に病むな。剣闘試合は志願制だ。伝統と言っても、自然とそうなっただけだろう。どうせ会場へ転移する時に人数が計上されるんだ。そこで騎士科が想定より一人足りないと解るより、先に言ってしまった方が気も楽だろう」

「そんな……ッラームス先輩には、どうせ僕の気持ちなんかわかりませんよ……!」


 少年は今にも泣き出しそうな声を絞り出した。

 個人の名前は明かされないと聞いていたが、人数が足りないことが解るなら、一体誰だと話題に上がる可能性は高いだろう。このマンモス校だから、普通なら特定するのは困難に思うが。

 ……まあ、こうあからさまに三角巾を吊っていたら、「お前か?」ってなりそうな気はする。

 気の弱そうな少年だ。そんな状況になるのが嫌なのだろう。それならラームスの言う通り、先に言ってしまった方がいい。

 それか、泣くほど出られないことを悔しく思うなら、いっそ、怪我をおしても出てしまった方が楽なのではないか? 推奨はしないが。


(……いや、でもさっき、怪我をしたから出られない、ってハッキリ言ってたな)


 万全な状態で出られないことが悔しくて、自棄になっているのだろうか。

 それにしては、自分のことより、周りの反応を気にして見える。


 あんまりにも頑なな少年の態度が、キッカには段々、不自然に見えてきた。


「……きけん、しちゃえば? たかが学校行事なんだから。怪我してまで出る必要ないでしょお?」


 キッカが言うと、少年はバッと顔を上げた。

 青褪めた顔には、怯えと苦しみ、そして、嫌悪に似た色すら浮かんでいた。


「そんなこと言うなら、キミが代わりに出ればいい……!」

「おい、やめろ」

「キミみたいな守られるばかりの女の子に、僕の、騎士の立場なんて解るわけない……!」

「ッおい!」


「待って」


 ラームスの言葉を遮り、キッカは、少年の前で膝を折った。

 近くで見ると、流石にキッカよりはでかいだろうが、目線はあまり変わらなかった。間違いなく、騎士科の中ではガタイに恵まれていない方だ。

 少年は威嚇するようにキッカを睨みつけていたが、バッチリ合った瞳の奥には、相変わらず、酷い怯えがチラついていた。


「…………」


 キッカは、三角巾に釣るされた手に、そっと触れた。


「ッなにを……」


 少年が狼狽える。

 キッカは一瞬だけ眉を顰めたが、「まぁ!」と声を上げると、すぐに手を離した。


「ひどいケガですわぁ! ラームスお兄さまぁ、どうにか力になってあげましょうよぉ〜!」

「だから棄権しに行こうと、」

「ッそんなことしたら、みんなに──」

「ええ、ええ、お気持ちわかりますわぁ!」


 キッカは、少年の声を遮るように大きな声を上げ、バッと立ち上がった。


「騎士科の皆様に申し訳ないんでしょう? そうですわよねぇ?」

「えっ……うん? ……いや、その……」

「ラームスお兄さま!!」


 煮え切らない少年の態度は無視して、キッカがぶんっ、と振り返った。

 その勢いに気圧されたように、「な、なんだ……?」とラームスが答える。


「キッカたちで、代わりの選手見つけてきましょう! 騎士たちは名乗りをあげないんでしょう? ようは頭数が揃っていればいいんですわ!」

「いや、それは……」

「まあおにいさま! 将来人々を守る騎士が、困っている後輩を見捨てちゃっていいんですの!?」

「そんなわけなかろう!!」


 ラームスが鼻息荒く言い切った。

 こちらをポカンと見つめる少年の手に、再びそっと触れたキッカは、その目を(じっ)と見つめて、言った。


「──大丈夫」


 きっと、あなたが恐れるようなことは起きませんわ。

 キッカがにっこり笑って言うと、少年は、はく、と口を開いて、閉じて。その瞳に涙を溜めた。

 やがて俯く少年のつむじから、洟をすする音と、嗚咽と一緒に、「ありがとう」という言葉が微かに漏れた。

 キッカは、自分の推測が間違っていなかったことを確信した。


「おにいさまがなんとかしてくださいますもの! 心配いりませんわ!」


 キッカは元気に返事を返し、二三、ラームスに試合について尋ねた。

 そうして少年の制服から、寮章を借り受けた。


「最低でも、予選が終わるまでは姿を隠してますのね」


 ──腕そのままにするんなら、試合で負ったって言えばいいわ。

 キッカが言うと、少年は頷いた。

 それを確認して、その場に背を向ける。

 あんまり時間がないようだし、早急に準備する必要があるだろう。

 ラームスは困った顔で二人を交互に見遣ったあと、腑に落ちない顔をしながらキッカの後を追った。





「おい! 代わりなんてどうするんだ」


 喚くラームスを無視して、キッカは予選会場となる訓練場に早足で向かった。

 人目につく前に、幾つか準備しなきゃいけないものがある。


「そもそも、参加登録されていない人間が出場するなんて不正だろう!」

「別に、名乗る必要ないんでしょ? なら誰でもいいじゃない」

「そんなことしなくても、ただ棄権すればいいだけの……」

「ラームス」

「なんだ?」


 キッカが立ち止まると、ラームスも立ち止まった。

 向かい合って、キッカが口を開く。


「ラームスは、騎士だわ」

「あ、? ああ、そうだ……まだ道半ばだが、いずれは立派な護国の騎士に──」

「それに強いわ。その歳にしては、かなり」

「フハハそうだろうとも! 日頃の鍛錬を欠かしたことはないし、最近はお前の言っていた魔力の扱いもだんだんと──」

「だから、解らないのよ」


 ラームスは首を傾げた。

 別に、解らないのは悪いことじゃない。

 突き詰めれば他人同士分かり合えることはない。自分のことは自分にしかわからないし、他人(ひと)のことなんて大抵自分がそう思ってるだけで、結局は自分の中身に過ぎない。

 そんな中、解らないなりに、他人(ひと)の大事にしているものを尊重してくれようとするラームスは、いい奴だとも思う。


 だけどラームスには、どうしたって、《弱い人間》を理解することは出来ない。


(たぶん、怪我は嘘だ)


 キッカは少年の様子を思い出した。

 身体の反応でだいたいわかる。怪我はしてない。もしくは擦り傷程度。

 けど、彼の恐怖は本物だった。

 彼は怯えていた。寮長の反応に、クラスメイトの反応に、そしてそもそも──


(……剣闘試合自体に、怯えていた)


 志願制なんて言ってはいるが、それも毎年続けば、彼の言ったとおり伝統になる。

 同調圧力だ。

 考えてみれば当然の話。騎士科といえど、全員が全員ラームスのように剣術馬鹿なわけがない。

 一年生は参加出来ないようになってはいるが、二年生でもまだ十分幼いだろう。

 そんな子供が大勢、みんながみんな、戦いを恐れない筈がなかった。

 特に、今は永く平和な世の中で、皆、戦に慣れているわけでもなく、痛みに恐怖を感じないほど、感覚が麻痺しているわけでもない。

 初めラームスに聞いた時、当たり前に疑問に思うべきだった。自分に関係ない話題だと思っていたから──まあ実際関係ないし──聞き流して、深く考えないでいたのだ。

 騎士科(ナイト・クラス)は科の特色からして、強さに重きを置くだろう。

 そして気高く勇敢で、高潔であることを誇りにする。

 誇り高き騎士の家系と言われるハイネンヴァルトで育ったから、そこらへんの傾向は、よく理解していた。


 そんな(クラス)で剣闘試合を恐れる少年に、周りがかける言葉は? 反応は?

 ──果たして、どんなものになるだろうか。


 ラームスほど素直で、悪意の乏しい人間は、世の中稀である。 

 だから少年は、怪我を装った。

 でも迷いに迷って、今日まで実行できなかったのだろう。出来ていたら、もっと早い内に棄権していた筈だ。授業も休む羽目になっただろうが、信憑性は増す。

 しかし当日の、それも朝に怪我をこさえたとなると、正直周りに疑われる可能性は高いだろう。騎士科なら、身体のつくりに詳しい者も多い筈だ。杞憂では済まされない。


「……ラームス、彼の体型と同じくらいの全身鎧ってある?」


 彼がどんな経緯で騎士科(ナイト・クラス)にいるのか、キッカは知らない。

 騎士科は戦いを学ぶための(クラス)で、だから、先に言ったような風潮があるのは、そうおかしなことじゃない。

 騎士科は士官学校の一面を持つ。

 戦場に出なければならない時になって、戦いが怖いと逃げていたら、死ぬだけだ。


「なにを……」


 ラームスが、怪訝な顔をした。



 ──けれど、

 けれど、こんな平和な世の中で、

 魔王も、人を喰らう怪物も跋扈しない世の中で、

 それでも、弱さを許されないことが、



「──わたしが出る」



 キッカには、どうしても許せなかった。





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