異質への恐怖
僕は、自分でも意外なほど驚いていた。あんなに強い負の感情を叩きつけられたのは、今までの人生で一度もない。そして、その切っ掛けが分かっていても、理不尽に思えてならなかった。
「エドワードさん、今日からまた三人で寝ましょうね……」
「あ、ああ……全面的に賛成する」
「ヤバすぎるでしょあいつ。どうなってんのよ……」
ケインのそれは、人間相手に向ける感情ではない。
あれは、殺意だ。
ケインはあの瞬間、明確に僕達の死を脳内で描いていた。
「奴隷達に囲まれて、それなりに幸せだろうと思っていたんだが……」
「別にあたし達、何もしてないよね? 追放以外は何もしてないよね?」
「していない、と思います……。本当に心当たりがないのですが、あそこまで恨まれていると……不安になってきました。追放前も必要がなければ触れないようにしていましたし、二人もそうですよね?」
嫌な雰囲気だった。二人が不安から自分達にも非があったのではないかと疑心暗鬼になっている。
僕が知る限り、追放前の二人には全く非がない。むしろケインの方からアンに近付いていたし、リリアに対しては強烈な見下しをしていた。彼は避けられていると感じていただろうが、それは二人が処置なしと判断していたからで、せめて彼の機嫌が悪くならないようにと最低限の配慮はしていたように思う。
「二人は悪くない、あるとすれば僕だ。でも、僕も正直……」
「あたし達が悪くないんだったら、あんたはもっと悪くないわよ。そんなの今更言う必要なんてないくらいだし……」
「エドワードさんの方が嫌がらせされてましたよね。魔物の集団を押し付けられたり、トドメを横取りされたり、攻撃の巻き添えにされたり……」
「彼にはその自覚がなかったのかもしれない。そうだったら、僕が一方的に怒っているように見えただろうし……」
「……本当にあり得そうで言葉が出ないんですけど」
「少しいいかね?」
三人で悶々としていると、優し気な声が聞こえてきた。
見ると、組合長が苦笑いをしながらアンの隣に佇んでいる。
「悪いとは思ったのだが、少し話を聞かせてもらったよ。ケイン君の言い分はお隣の酒場から十二分に聞こえてくるからね。君達の方はどうなのか気になってしまったんだ。気分を悪くしてしまったら謝ろう」
「い、いえ。僕達も混乱している状態でして、参考になるかどうかは……」
「それは私達が判断する事だよ。さて……座っても?」
「あ、はい。どうぞどうぞ」
立ち話で終わらないらしく、組合長はリリアが引いた椅子にドカリと座る。仄かな煙草の臭いが彼の白髪から漂った。
「私の見立てでは、君達の追放という判断は間違っていなかったように思える」
「……理由をお聞きしても?」
「サーラという、あの奴隷だよ。彼女はもう限界だ。全力で走り続けた馬のように、近々必ず壊れてしまう。このままいけば、来年の朝日は拝めないだろう」
「そう、ですか……」
「ケイン君には、昔から今のような片鱗があった。違うかい?」
「そ、その通りです。特に黄金級になってからは、私達も何度か死を覚悟する場面がありました……」
「ふむ、やはり君達はそうだったのだね。こちらもケイン君の追放によって判断がついたのだが、当時は君達が等級を上げる為に全員で無茶をしているのか、組合内でも意見が分かれていたのだよ。組合に相談するという方法はいけなかったのかね?」
「当時は感情的な問題もあり、極力内々で済ませようとしていました。……すみませんでした」
「聞いてよい内容かな?」
「はい。もう僕達もどうしていいのか分かりませんから……」
そこから、今に至るまでの経緯をかいつまんで説明した。
銀級までは我慢ができていたこと、ケインが変わってくれると信じていたこと。同じ故郷の出身だからと、彼に対する悪感情を抱かないように努めていたこと。
あの頃の僕達は、ケインを悪く思う自分達の心を狭量だと思っていた。人間なら誰だって欠点はあるのだから、それを認めた上で付き合っていくべきだと考えていた。
だから、至らない自分達の内側を誰かに明かすのが恥ずかしかった。誰かに相談してしまえば、それはケインへの悪口になってしまう気がして、悪口を言う自分達が汚い人間に思えて、我慢する道を選んだ。
皆、大人になっていく。だから何時かは状況が変わると、こんな不安だらけの現実は終わるのだと信じていた。黄金級の冒険者になれば、彼も満足してくれるだろうと、絵空事の未来に身を委ねてしまった。
そして実際に黄金級になった時、僕達は本当の現実を知ったのだ。
世の中には、変わらない部分がある。
人間の内面には、変えられない部分がある。
誰もが生まれてきた環境を違えるように、この地上に落ちる前、神様に与えたものは変わらない。覆らない。
黄金級になって一つの終わりを見た僕達とは違い、ケインはまだ次を求めた。決定的で、どうしようもない亀裂だった。
彼は自分こそが最も優れた人間だと疑わず、自分こそが特別なのだと信じ続け、その心のままに動き始めた。迷宮の到達階層を更新すれば、もっと深くへ。依頼の成功報酬が上がれば、もっと多くを。誰かから褒められれば、より大きな声を。自分には無限の可能性があるとばかりに、方々へと手を伸ばした。
そんなケインの最も近くに居た僕達は、いつしか彼が望む未来への歯車として見られていたのだと思う。
これをやれ、あれをやれ、どうしてそれが分からない。だからお前は無能なんだ。俺が居なきゃ何もできない。――そんな醜い言葉が彼の口から出始めるには、黄金級になってから時間が掛からなかった。
最初に音を上げたのはアンだ。ケインに付き纏われ、最も多くの言葉を聞かされ続けてきた彼女は、泣きながらリリアに縋りついていた。
次に音を上げたのは僕だった。許容量を超え続ける魔物との戦闘で大怪我を負い、お前が無能なせいで活動を休む羽目になったと罵倒され、感情のままに愛用だった剣をへし折った。
そして、折れた剣で掌を深く切った僕を見て、リリアまでもが泣き出してしまった。彼女が音を上げたのは、確かにあの瞬間だったと記憶している。
耐え続けた先で、僕達は知ったのだ。
ケインという人間は、決して僕達が共に居るべき存在ではない、と。
人間同士だろうと、根底から相容れぬ存在は確かに在るのだ、と。
「なるほど、理解したよ。君達の心中は察するに余りあるようだ」
「……いえ、僕の不徳でもあります」
「君がそう思うのは勝手だが、私達にも面子というものがある。ケイン君が君達に向けていたのは、殺気だ。僅かに踏み込もうという足運びまであった。彼がどう動くのかが分からない以上、私達は君達を保護する必要がある」
「え、それってどういう……」
「君達には不服だろうが、当分の間は依頼を受けさせない。出先で殺されでもしたら事だからね。今すぐ宿を引き払い、組合内にある宿泊所に来なさい。保護している間、組合職員と同じ額の給与を用意しよう。元黄金級の君達には足りないかもしれないが……」
「い、いえ! 是非お願いします! リリアさん、エドワードさん、やっと……やっとですよ! やっと安心できるんです!」
「……彼はどうなるのですか?」
「おそらくだが、サーラという少女は違法奴隷だ。加えて、黒い噂も少々掴んでいる。そこから何らかの確たる瑕疵を掴み、他所へと行ってもらうつもりだが……こればかりはどうなるか、私にも分からない。君達が活動できない期間は、状況次第でいくらでも伸びてしまうだろうね」
「エドワード……」
リリアに袖を引かれ、頷く。
「こちらからも、お願いさせて下さい。そして、この二人には護衛を。報酬は僕が払います。どうか、お願いします」
「ちょっとエドワード!?」
「了解した。護衛は付けるが、金は要らんよ。なにせ、こちらにはケイン君から買い叩いたらしい在庫が山ほどあるからね」
「……ははは」
「ケイン君にも言ったが、君達も羽を伸ばしなさい。まあ、書類仕事くらいはしてもらうと思うが、ね?」
そう組合長が締めくくって、僕達の身柄は組合の庇護下に置かれる運びとなった。