表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

不出来な交渉

 あれから数日が経った夜、僕は薄暗い路地の先で目的地を見付けていた。

 明らかに普通とは言えない酒場の扉に、手を掛ける。

 扉の向こうから流れてくる空気は、大衆酒場のような五月蠅くも温かいものではない。貴族が通うような上品な静謐もない。ただ暗く、粘度を持った雰囲気だった。

 彼にも居心地の善し悪しなんてあったのだろうか、などと思いながら扉を開く。そして、少しだけ後悔した。

 誰も彼もが僕を誰何している。どう見ても後ろ暗い者達の視線だ。


「失礼、そこに居る男に話があるだけだ。要件が済めばすぐに立ち去る」


 そう伝えると、男達はすぐに目線を逸らす。

 こんな人間達にも関わり合いになりたくないと思われているとは、流石としか言い表せない。本当に、僕の元パーティメンバーは周囲に迷惑を掛ける名人なのだろう。


「お前、エドワードなのか? ……どういうつもりで現れた?」

「やあ、ケイン。実はちょっと相談があってね」


 自分でも下手くそだと分かる作り笑いなんて浮かべながら、ケインの向かいの席を見る。

 そこに座っていたのは、初めて見るが、知っている奴隷だ。銀の髪と整った容姿は見目麗しく、豊満な体をしている。なるほど、如何にもケインが好きそうな女性と言えそうだ。

 だから、僕はごくごく自然に女性の肩に手を置いた。


「邪魔だからどいてくれないか? 殴り飛ばしたくなるから、さ」


 掌の向こうで、ミシリと骨が軋む音が鳴る。

 今、ケインが最も贔屓している奴隷だ。そして、サーラを追い詰めた一人でもある。


「い、痛っ!」

「テメェ! 俺のローリに何してんだ!」

「話の邪魔だから席を外してもらおうと思ってね。ケイン、君の大好きなお金の話をしよう。なに、そんなに時間は取らないさ」


 手を放すと、奴隷はそそくさとケインの隣へと移動し、彼の腕に絡みつく。こんな時にまで媚を売るとは、本当にケインが作り出した環境の異常性がよく分かる。呆れすら湧いてこない。

 ゴトリと鋼の剣をテーブルに立て掛け、椅子に座りながらケインを観察する。

 全ての指に魔道具らしき指輪。杖はやめたらしく、腰に細長い曲剣を差している。服装は細部に至るまで乱れが見えず、低位貴族のそれよりも高くつきそうな上着とズボンで身を包んでいた。


「君は随分と稼いでいるみたいだからね。是非にと話を持って来たんだ」

「……ハッ、だから言っただろ? 俺を追放したら後悔するってな。お前達と別れてから、俺は短期間でこの成り上がりだ。どうだ、悔しいか?」

「確かに、あの時の判断は少し間違っていたかもしれない。まあ、それはいいだろ? 見ての通り、今の僕にはお金がないんだ。早く話をしたい」


 そう言いつつ、自分の格好を見せる。

 明らかにお金持ちなケインとは違い、僕は全身を古着で済ませていた。コツコツ貯めていたお金で装備やら何やらを買ったら、新品の服が買えなくなったからだ。この日を想像して気が重かったせいで、髭を剃るのも忘れている。


「胡散臭いな。お前はいつも胡散臭い」

「そうかい? まあ、お金がないのには理由があるんだ。実は、パーティを追放されてね。退組金が払えないと言われて、こんな一張羅しか買えなかった。おまけにタイミングを考えない追放だったから、冒険者資格も凍結だ」

「……はぁ?」


 僕の言葉が一瞬分からなかったのか、ケインは呆けた顔でこちらを見る。

 しかし、それは一瞬だった。彼はすぐに真顔へと戻ると、次に口の端を上げ、目を三日月のように曲げる。

 なるほど、アンの言っていた事がよく分かった。確かにこれは気味が悪い。僕には真似できそうにない類の笑みだ。


「クハ……ハハ、ハハハハハッ! なんだお前、追放されたのかよ!? それで金がないって? ハハハ、こりゃ傑作だ! お前みたいなクソ聖騎士が俺を追放したかと思えば、今度は自分が追放されやがった! ざまぁ!」

「喜んでもらえて何よりだよ」

「それでさっきから下手に出てんのか? 金を持ってる俺に恵んでくれないかと考えて? アハハハハ、恵んでやるかよ! どう苦しめて殺してやろうかと考えてたが、そこらで勝手に野垂れ死んでろ! クク、お前にはそれがお似合いだ!」

「……気は済んだかい?」


 ここまでくると、ある種の才能を感じる。ケインは他人を苛つかせる天才だ。

 なんだか昔の記憶が蘇るようで、また頭に鈍痛がしてきた。

 普通に考えて、自分が殺そうとしていた相手がノコノコと顔を出した理由が、そんな馬鹿らしいものではないと分かるだろうに。


「ハハ、笑い過ぎて腹が痛いぜ。アンもビッチもお前じゃ駄目だって分かったんだろうな。こんなに笑わせてくれたんだ、あの二人は殺さないでやるよ。許しを乞う時、顔が潰れるまで踏みつけはするだろうがな」

「ああ、よかった。もう殺す気はないんだな?」

「お前は別なんだが? 野垂れ死ななかったら殺す。逃げても殺す。俺はお前を絶対に生かしておくつもりはないぜ?」

「君は突き抜けてるな……。まあ、君らしいと言えばそうなのかもしれないが」


 まさか追放されたと知っても殺そうとするとは、流石はケインだ。なかなか真似できる事じゃない。むしろ、絶対に真似をしてはいけない。

 しかし、リリアとアンから僕へと意識が多く裂かれるようになったのは予想通りだ。追放されて後ろ盾のなくなった僕は、さぞ害意を向けるには都合の良い相手として見えるだろう。まさか殺害予告までされるとは思わなかったが、これはこれで都合が良い。

 さて、ここらで駄目押しといこう。ケインの意識が強く僕に向いている今こそが、本命になる爆弾の落とし時だ。


「俺らしい、だと? おいおい、お前みたいな蛆虫が何を知ったような口をきいてるんだ? もっと這い蹲って物言えよ。俺の足元に跪きながらな」

「ケイン、本題といこう。追放された僕は、お金がない。そして冒険者資格が凍結されたせいで、どこのパーティも拾ってくれない。だから、奴隷でも手に入れようと思うんだ。君みたいに、ではないが」

「馬鹿かお前、奴隷はお前が考えてるような安物じゃないんだが?」

「いやいや、僕が持っているコレなら足りると思うんだ」


 そう言って、テーブルの上に一つの紙を広げる。


「実は退組金が払えないと言われた後、コレを拝借してきたんだ。二人は諦めていたみたいだが、今の僕には関係ない」

「……テメェ」

「分かるだろ? 君が使い込んだパーティの運営資金、雀の涙しか回収できなかったんだ。差額があまりにも大きくてね。司法院で聞いたら、取り立てが可能だと教えてもらえた。追放された時に退組金を貰えなかった件も一緒に伝えたら、これの所有権を正式に僕へと移す手続きまでしてくれたよ」

「払ってもらえるとでも思ってるのか?」

「こうして書状の形になっている以上、これは義務だよ、ケイン。残念ながら、君の意志は関係ない」


 ここで初めて、僕は笑った。ケインの眉が寄ったのを見て、少し胸が空いたからだ。自分でもなかなかに下種な理由で笑ったものだと思う。

 そもそも、この書類は本当に黙って持ち出してきたのだから、僕は本物の下種野郎だ。パーティ追放も当然と言えよう。


「とはいえ、君が格好だけの男だと僕は知っている。本当はお金なんてないんだろ? 奴隷にまで逃げられて、冒険者組合を困らせるくらいだからな。がめつく稼いだ依頼料も、もう手元にないんだろうさ」

「エドワードッ、この場で殺されたいのか!」

「否定の言葉が抜けているな。これは図星だったか……」

「黙れ! お前の戯言に答えるつもりがないだけだ!」

「まあいい。僕は君を信用しないから、今のは忘れてくれてくれ。別に本当の答えが聞きたかった訳じゃない」

「殺す! やっぱりお前は惨たらしく殺してやる!」


 今すぐにでも腰の剣を抜きそうになりながら、ケインは怒声を吐き続ける。少し突いただけのつもりだったが、予想以上の激昂っぷりだ。

 しかし、手は出してこない。僕の後ろ盾が冒険者組合から司法院――国の法を司る機関となったのだから、迂闊に動ける筈がない。

 ただ、今この瞬間にもケインの激情は熱を増しているように見える。少し冷静さを失わせて言質を引き出しやすくしようとしたのだが、ここまでの熱量は面食らうばかりだ。彼がこうも怒るのは、()()の僕に好き勝手言われるのが我慢ならないからに見える。……僕はケインから、どれだけ見下されているのだろうか。


「別の方法で手を打とうじゃないか。ああ、あのサーラという奴隷がいいな。君が用意する貨幣は偽物かもしれないし、ああいうのの方が信用できる」

「サーラは俺の物だ! テメェみたいな雑魚蛆虫の元にやる訳ないだろうが!」

「……は?」


 今までの演技が吹き飛ばされるほど、ケインのその言葉は意外だった。

 雑魚の元には行かせないとは、まるでサーラが大切な存在だと言っているように聞こえる。


「待ってくれ、要らないんじゃないのか? なら、なぜ彼女はあんなに傷付いているんだ? 安い奴隷だから、死んでもいいと思っていたんじゃないのか?」

「お前と一緒にするな! サーラは、今を乗り越えたら強くなる! 皆と話し合った時、そう結論が出た! サーラも頷いていたぞ!」

「み、んな? それは君の奴隷達とサーラを含めるのか? サーラが頷いたのは、他の奴隷達がその場に居たせいじゃないのか?」

「俺はお前達みたいに誰かを見捨てたりしない! 全員で話し合う!」

「なら、なんで君がサーラを守らない」

「俺の元に居れば十分だろうが! 全て与えてやれる……全てをだ!」

「……分かった。よく分かったよ、ケイン。サーラは君が残していった負債の代わりに、僕が貰っていく。彼女は君と居れば不幸になる」


 この男は、どこまでも狂っている。追放されても自身を省みず、己こそが正道だと信じている。全ての考えを自分の中で完結し、それを前提として覆そうとしない。ある意味で、本物の化け物だ。

 僕では、もうケインを止められないのだと知る。故郷を共にし、五年の間も苦楽を共にし、その中で何一つ生まれていなかったのだと理解する。僅かに願っていた救いは、欠片も存在しなかった。


「待てエドワード! 逃げるな!」

「……その声を聞かせないでくれ。もう辛いんだ」

「いいや、お前には聞く必要がある! これでなぁ!!」


 何事かを叫ばれ、僕の胸に硬い物が当たった。床に落ちたそれを拾い上げてみて、言葉を失う。

 ケインが投げたのは、青いコインだ。神殿にて神様から役割を与えられる時、誓いを立てた証として与えられる物だった。

 これはただのコインではない。本物の祝福が宿り、持ち主以外の誰にも壊せず、無くしても朝日と共に戻ってくる。

 これを投げるという意味は、とても重い。それは随分と古臭く、しかし決して蔑ろにできないものだ。簡単に破れば、神様から見放される。そして――


「……正気か? 君が死なせようとした奴隷だぞ」

「決闘だ、エドワード!!」


 決闘に負ければ、役割を失う。

 僕が負ければ『聖騎士』が失われ、ケインが負ければ『付与師』が失われる。そればかりか、神様が関わる全てを失う。魔術も、役割から伸びた技能も、レベルも、何もかも。

 だというのに、不公平や無意味な内容では成立しないという前提条件がある筈なのに、誓いのコインは確かな光を放っていた。これは神様が決闘を認めているという証だ。

 こうなったら、もうこの先は決闘を申し込んだ本人以外の誰も揺るがせない。

 人が定める法の外、遥か上に在る法だ。

 人間は神様の指先から生まれ、故に人間は神様の子供で在れる。神様から見放されるのは、人間ではなくなるという意味を指していた。


「悪魔にでもなりたいのか、ケイン。今すぐ取り消せば、まだ軽い罰で済む。君がやろうとしている事は――」

「負けるお前が悪魔になるだけだろうが……何を勝つ気で居やがる! 俺から何もかもを奪い取ろうとするお前こそ、本物の悪魔だ!」

「……流石に怒るぞ。僕は君から何も奪っていない。君が失っただけだ」

「お前から何もかも奪い返してやるぞエドワード! アンも、サーラも、金も名誉も未来も何もかもだ! この決闘は誰にも邪魔されない、誰にもだ!」

「引き返さ――引き返せないんだな?」

「そうだと言っているだろうが腰抜け! 神がこの決闘を認めた今、もうお前は逃げられない! 五月蠅い世の中のルールは、もうお前を守れない!」


 血走った目で吠えるケインは、僕が知る昔の彼ではなかった。

 何をどう掛け違えたのか、もう僕には分かりそうにない。あの時の追放では足りなくて、本当なら彼を故郷に帰してやるのが正解だったと思っていたが、それすらも間違っているように思えてくる。

 ケインは、半年前までパーティメンバーだった。それが少し前は、元パーティメンバーになった。なのに、今となっては……。


「了解した。僕、エドワードはこの決闘を受ける。いと高き光に誓って」

「俺、ケインは悪魔をこの決闘にて打ち滅ぼす! いと高き光に誓って!」


 そして、終ぞ決定的な誓いは結ばれた。

 ケインが不要としていた筈のサーラを負債の代わりに解放し、彼の意識をリリアとアンから逸らせれば終わるのだと考えていた。同じく追放された僕を見下せば、多少は彼の気も晴れると思っていた。最悪のパターンとして暴力沙汰になるのも覚悟していたが、その時は仲良く衛兵のお世話になればいいと高をくくっていた。

 全ての厄介事が解決するまでサーラを守れるなら、少々の無茶でも問題ないと思っていた。

 だというのに、何もかもが狂っていく。思惑通りなのは、リリアとアンを巻き込まずに済んだという点だけだ。

 今のケインが、僕にとっての何なのか分からない。

 分からないまま、戦わねばならない。

 明日の朝、太陽が昇ると同時に決闘が始まる。神様の見てる時間に、僕達は戦う。

 どちらが死ぬより重い罰を受けるか――それを決める為に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ