第七話:宿屋にて
東へと歩き続け、体感時刻で言えば午後3時ぐらいになったころ、建物が見え始めた。旅人が休むことができる宿泊所があって、その他何軒か家がある小さな集落だった。宿場、というやつだろう。
村で聞いた話のとおりだな、と思った。
街道には、だいたい徒歩で半日歩いたぐらいの距離か、長ければ朝から晩まで歩いたぐらいの距離ごとに、宿場があると聞いていた。
「今日はここで休むとしますかね」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
宿屋と思しき建物に向かって歩きはじめたとき、今日の午前中にすれ違った旅人から聞いた話をふと思い出した。
俺が着ているような、詰め襟の学生服に似てる服装の悪党が目撃されているらしい、と言うこと。
俺は、学生服の上着を脱いだ。上半身がワイシャツ姿なら、その悪党と間違えられて驚かれることもないだろう。
俺は建物のドアを開けた。
中に入ると、正面にカウンターらしき場所があるが、そこに人はいなかった。
向かって右側の方に空間が広がっていて、食事用のテーブルがいくつか並べてあった。そこに数人の人がいた。
「宿泊したいんですが、空き部屋はありますか?」
俺が言うと、テーブルの方にいた女性が一人こちらを向いて、
「宿泊はできなくもないだよ。空き部屋はないがね」
面倒そうにそう言った。手にサイコロを持っているところを見ると、何かゲームかギャンブルをしていたのかも知れない。
「空き部屋がないのに泊まれるというのは、廊下にでも寝てろってことですか」
「そんなはずがあるかね」
女はケラケラ笑った。
俺が真顔でいるのを見て、女は少し真面目な表情になって、
「相部屋ってことだよ、誰か他の客とね。相手の客が良いって言えばだが」
「ああ、そういう事ですか」
「ほんとうに分からんかったのけ?」
「旅に慣れてないんで」
「あんれまあ」
女はまたケラケラと笑う。
特に悪意はない笑い方だったので、腹は立たなかった。
「なあアンタ、こっち来なよ、話でもしようぜ。そしたら俺が取ってる部屋に泊まっていいぜ。旅慣れてないんなら、相部屋の相手を見つけるのも大変じゃねえか?」
テーブルについていた男の一人が俺にそんな提案をした。なんだか海賊がかぶるような革の帽子をかぶった長髪の男だ。
おしゃべりを楽しみたい気分ではないが、相部屋の相手を探す手間が省けるのは楽だし、情報を得ることも大事かもしれない。そう思った。
宿屋の従業員らしい女性を含めて3人が座っているテーブルにおれもつく。
「それであんた、どこから来たんだ? あんまり見ないような服装じゃないか、上等そうな」
長髪の男が俺に聞いた。
「……直前までいたのは、ここから東にある村です。十日ほど滞在していました」
「ああ、スサウ村だな?」
そう言われて、俺は十日間も滞在しながら村の名前を確認していなかったことに気づいた。
「村の名前は、聞くのを忘れていました」
「なんだって? 十日間も滞在していて?」
「はい」
長髪の男、その横にいたヒゲの男、それから女の三人が怪訝そうにこちらを見た。
「嘘付いてるんじゃねえだろうな? そもそもあの村、宿屋もねえだろ。どこに泊まってたんだ?」
「ガンヘオさんのところに住み込んで働かせてもらってました」
俺がそう言うと、すこし場の雰囲気が緩んだ。
「ガンヘオか、あいつ独身だったよな。奴は元気だったか?」
「元気でしたよ、あと、ザオナって人と結婚してたみたいです」
「すばらしい!」
長髪の男は急に笑顔になり、俺に握手を求めてきた。
俺は戸惑ったが握手には応じた。
横にいるヒゲの男、それから宿屋の女も、安心したような顔になっている。
「ガンヘオとザオナのことを知ってるなら、どうやら本当にあの村にいたらしいな。疑って悪かった。」
そう言われて、俺はどうやらなにか疑われていたらしいこと、試されていたことを悟った。
適当に答えないでよかった。
「疑いが解けたってことですか」
「おうよ、しかし本当に村の名前は知らなかったのかい」
「知りませんでした、スサウ村っていう名前だったんですね」
「いいや? ルフタ村だ。まあそんなことはいいとしてだ」
なんだか罠まで仕掛けられていたらしい。
知ったかぶりで「はい、スサウ村です」などと答えていたら話はこじれていたのだろう。
しかし困ったな。
話が盛り上がりそうな気配があるが、このまま色々聞かれて、村に来る前どこにいたなどと聞かれると答えにくい。
『地球という世界にある日本という国から転移してきた』などと言おうものならどう思われるか予想不能だ。
「ちなみにその前はどこから来たんだい?」
案の定というべきか、ヒゲの男からその質問が来た。
「遠いところからです」
「どこだよ」
長髪の男は軽く笑ったが、さらに追求してきそうな気配があった。
「何で遠くから来たさ?」
女がそう聞いてくれたので、俺は上手い回答を思いついた。
「家族が……みんな……死んでしまって」
俺はうつむきながら言った。
実際には、今俺の心はそれほど痛みを感じていない。
だが、同じテーブルの3人が息を呑んだのが分かった。
「遠くに行きたくなったんです」
俺はそう続けた。
「ぶどう酒二杯」
ヒゲの男が注文して、女がそれを取りに行った。
ヒゲの男は運ばれてきたその一杯を俺に渡し、
「飲めよ。これはおごりだ」
そう言った。
俺は陶器のコップを受け取った。
どうやらうまく話の流れを変えることが出来たようだった。