第五話:旅立ち
それから何日かが過ぎた。
怪物の襲撃があった日の翌日に、戦いの勝利を祝した宴があった以外は、いつもどおりの日常だった。
「今日で、アンタがうちに来てから十日になるな」
夕食の席で、ガンヘオさんが俺に言った。
部屋の奥の暖炉で、小さく炎が揺れていた。
「もうそんなになるのね。色々手伝ってくれるから助かってるわ」
奥さんのザオナさんが言った。
「で、どうするね、アンタがここに来たとき、とりあえず十日働いてみるかって言う話になったわけだが」
そう言えばそうだった。
十日前に、食料なども持たずにこの異世界に来てしまった俺は、とりあえず一番近くにあったこの家で、住み込みで働かせてもらえないかと頼んだのだった。
「ねー、ショーヘーは、何しにこの国に来たんだっけ?」
ガンヘオさんの子供が、俺に聞いた。
俺の名前は窪翔兵だが、この村の人には下の名前の『翔兵』だけ伝えてある。
「戦うため……と言うか……」
俺は、曖昧に言いかけた。
自分が、異世界から来たとは、誰にも言っていない。
「自分の戦う力を、役立てられるところを探しています」
俺は言い繕った。
この世界が、どんな世界なのか、まだしっかりとは分かっていない。
分かっていないが、
「【暗黒の王】を倒すために異世界から来ました!」
などと言えば、頭がおかしい人間なのかと思われてしまう可能性があると思った。
「兵士になりたいってことかい、だったら……」
ガンヘオさんが頷きながら言った。
「この村から東にずっと行った所に、クヴー砦って場所がある、そこには兵士がいるはずだから、まずはそこに行ってみると良いかもしれん」
「ありがとうございます」
「ショーヘー、行っちゃうの?」
子供が不満そうな声を出した。
「あなたがいてくれて、助かってたんだけどね。家畜の世話の手伝いも助かってたし、怪物が出たときには戦ってくれたんだろう? 良かったらまだうちにいていいのよ?」
ザオナさんもそう言ってくれた。
「ありがとうございます、でも、明日出発しようと思います、いいですよね?」
「ああ、かまわんさ」
俺の言葉を、ガンヘオさんは快諾してくれた。
「とりあえず十日働いていくかって言ったのはこっちよ。その十日、しっかり働いてくれたんだから、文句はねえよ」
「ありがとうございます」
「ただよ、ちょっと気になってたんだが……」
ガンヘオさんの口調が少し変わった。
「一体アンタ、どんな事情があったんだね? この村に来たとき、金も食べ物も無かったんだよな? 話せないなら話さないでいいが、アンタの住んでた所でなんかあったのかね」
俺の、住んでいた所。
この十日間、意識していなかった、忘れようとしていた日本での日常が思い出された。
そして、自分ひとりが家を出ていたときに、家に暴走したダンプカーが突っ込んできて、家族全員が死んだこと。
遺体安置所の冷たい空気。
人の形を留めていなかった家族の遺体。
「家族が死にまして」
俺は、つとめてなんでもない事のように、言った。
「死んだのはアンタの奥さんか?」
「いえ、親父と、母さんと、祖父と、妹です」
「そいつは……すまん、辛いことを思い出させたな」
ガンヘオさんが困ったような顔になってそう言った。
「いえ、大丈夫ですよ」
世界の全てに絶望したような気分で、商店街をさまよい歩いていた時に比べると、不思議なぐらい気分は落ち着いていた。
何でこんなに自分の心が落ち着いているのか、自分でも少し不思議だった。
次の日。
村から旅立とうとする俺を、多くの村の人が、暖かく見送ってくれた。
「これは餞別だ、持っていけ」
そう言ってガンヘオさんは、色々なものを渡してくれた。
多少の銀貨、保存が効く干し肉などの食料、水筒、それから衣服、それから……。
「これも良いんですか」
俺は、ガンヘオさんが最後に渡してくれたものを見て、少し笑った。
怪物の襲撃があったあの夜、俺が武器として使った棒だった。
「おう、アンタは棒で戦うんだろう? 無きゃ困るだろうが!」
「そうですね、本当にありがとうございます!」
かくして、俺は、色々と世話になったこの村を後にした。
今から目指すは東にあるという、クヴー砦。
俺は、なんだか晴れ晴れとした気分で、歩き続けた。
1時間ぐらいは。
1時間ぐらいが経過すると、急に雨が降ってきた。
俺は少し迷ったが、道を外れ、大きな木の下に行き雨宿りをすることにした。
なんだかため息が出た。
どんよりとした灰色の空を見上げる。
「すぐには止みそうにないな」
おもわず独り言。
「話し相手でも欲しいな……」
なんだか、いつも一人が好きだと自認している自分らしくもない言葉が出た。
つい一時間前まで、村の人の暖かさに触れていたから、何か寂しさを感じたのかも知れない。
そんなことを考えていると、ふと、自分には語りかけることができるかも知れない相手が一人いることに思い当たった。
俺をこの世界に誘った、天使か精霊か、そんな感じの存在。
「リリーア。リリーア、聞こえるか? 話はできないか?」
もちろん、ただ退屈だから話し相手になってほしいみたいな理由で呼んだのではない。
この世界について。
俺がどうすれば良いのかについて。
聞きたいことは、たくさんあった。