思考・可能性
「はっ!」
夢から覚めた。
けれど指一本動かすのも怖かった。
心臓が早鐘のように鳴り響いて、うるさい。
けれどアタシは怖くて怖くて、眼を開けたまま、身動き一つできなかった。
体からは血の気が引いたままで、文字通り、凍り付いてしまった。
眼に映るのは十年前から住んでいる自分の部屋のはずなのに、どこか違和感を感じてしまうのは何故?
それはきっと…夢のせい。
しばらくすると、外が白くなり、鳥が鳴き出した。
そこでようやく、体の力が抜けた。
「…ヤな夢」
自分の仕事についてのところまでは、まだ良かった。
けれど霞雅美を見た途端…血の気が一気に引いてしまった。
そして思い出してしまった。
アタシは正直、彼がとても怖い。
少しでも彼を裏切る素振りを見せれば、すぐに処分されてしまうだろう。
金の卵を他で産まれる前に、雌鳥ごと潰す―。
それは霞雅美にとっては、造作も無いこと。
そしてその時、アタシはなす術も無く、消されてしまうだろう。
彼にとって価値があるのは、アタシの職人としての腕のみ。
それが分かりきっているからこそ、恐ろしくも頼もしいのだ。
彼は怖いけれど、その分、ちゃんと強く守ってくれる。
この職人としての十年間、無事に過ごせたのは霞雅美のおかげだということは、言われなくても分かっていた。
「けど、皮肉なもんね」
霞雅美のことを怖いなんて、アタシが考えるべきことじゃない。
なのに恐怖心は拭えなかったみたいだ。
この十年間、騙し騙しだったのは否定できないこと。
打ち解けているようで、お互いの壁はあまりに高過ぎる。
それが夢の原因だろう。
「だからと言って、分かり合えはしないんだけどね」
アタシも彼も、属性は闇。
しかし闇は深く、理解できない存在なのだ。
「…まっ、気が向いたらデートみたいなことはしても良いかな?」
アタシが彼にワガママを言うのは、一種の甘えのポーズ。
それだけ心を許しているということを、暗に語っているのだ。
それで少しは彼も信用してくれるのならば―と何度か一緒に出かけていた。
でも最近は買い物以外、二人で出かけることがなかった。
そのことが寂しいとかでは、決して無い。
そういう信頼の証が減っていることに、彼が苛立っているのではないかと、心配になったのだ。
「でもどうせ、今は遠出は不可能だしなぁ」
それでも一応、言い出してみよう。
そう決めた時、ケータイの着信音が鳴り響いた。
この曲は…霞雅美からだ。
「もしもーし」
『あっ、起きていましたか。朝食を作りに来ました』
「勝手に入って」
『分かりました』
家の合鍵を持っているくせに、入る時にはわざわざ断りを入れてくる。
まあ女性として扱われていると思って良いだろう。
アタシは重い体を引きずるようにして、茶の間に出た。
ちょうど霞雅美が紙袋を抱えながら、茶の間に入って来たところだった。
アタシの寝起きの顔を見て、苦笑した。
「起きたばかり、という顔をしていますね。作るまで時間がかかりますから、シャワーでも浴びてきてはいかがでしょう?」
「まあシャワーは浴びるけどさ…」
「ん? 何です?」
ジト眼で睨むと、霞雅美は首を傾げた。
「アンタ、昨夜、アタシに対して物騒なこと考えなかった?」
「魅古都について、ですか? そりゃまあ、いつまでも仕事を再開してもらわないと、困るとは思いましたが」
「…それもあるだろうけどさ。万が一、アタシがとっ捕まるようだったらナニする、とか、とんでもないこと考えなかった?」
そう言うと、霞雅美の動きがピタッと止まった。
図星かっ! だからあんな夢を見たのか!
「…魅古都はテレパシー能力があったんですか?」
思いっきり心外そうな顔で言うことか!
「あるワケないでしょう! アンタの場合、恐ろしいから感じ取ってしまうのよ!」
コイツにあるのは本気だけで、シャレは一切あり得ない。
冗談を言ったとしても、返って来るのは本気だけ。
なのでアタシはおふざけを一切コイツの前では言わなくなった。
「あ~! ヤな夢見た! お詫びにお昼と夕飯も作ってけっ!」
「まあ構いませんが…そんなに嫌な夢を見たんですか?」
「そんなにどころか…多分、アンタの考えがダイレクトに伝わってきただけだと思うわ」
「おやまあ。付き合いが長いと、波長が合ってきてしまうんですね」
よりにもよって、何で合う相手がコイツなのっ?
再び血の気の引く頭を軽く振り、アタシは風呂場へ向かった。
「…じゃあお風呂入って来るから」
「はい、お待ちしています」
熱めのシャワーを浴びると、頭も体も解されてきた。
だからあの夢のことも、考えてみればムダに恐ろしかっただけではないことに気付く。




