第六話
* * * *
「もう、冬、か」
白い部屋の中。
白いベッドの上の老人は、そう呟いた。
しわだらけの手に少しだけ力を込め、握り締める。
入院当初に比べれば、だいぶ回復した方だと思う。
……でも。
「…………」
病名は聞いた。
あの子に言うつもりは―――――初めからない。
残された時間だけで、何ができるだろう。
「…………」
目を閉じてまぶたに浮かぶのは、孫と過ごした日々。
段々と霞んでゆくのであろう、楽しかった思い出。
* * * *
「いっただっきまーす!」
苦しい授業から開放されて、お昼。
私の唯一の楽しみの時間となった。
堅苦しい雰囲気だった教室は一転し、にぎやかな笑い声であふれ出した。
「ほんとヒロちゃんは、食べるの好きですよねー」
「うんうん。見てるとこっちまで幸せ、ってゆうかさ」
二つ目のエビフライを口に収めたところで、声をかけられた。
しっぽまで食べて飲み込んだところで、ようやく返事をする。
「そうかな? 自覚はないんだけどなぁ」
「いやいやー。もはや、芸術と呼んでもいいくらいですよー」
「幸せそうに食べることにおいては、右に出るものがいそうにないわよ」
「そーですねー。幸せそうに食べるグランプリがあったら、間違いなく最優秀選手賞受賞できますねー」
口々にそんなことを言う。
……そんなことないと思うけどなぁ。
なんとなくやきもきしながら、四つ目のエビフライに手を伸ばしたところで。
私は再び声をかけられた。
「おい、ヒロリ菌」
出会い頭に細菌扱いされ、思わずとも力のこもる拳を押さえつつ。
私は声の主の男に、笑顔で応対した。
「なにかな、ちびケンくん?」
「っな………」
明らかに青筋が浮かんだ小さなケントくん(私より四センチ低い)を睨みつける。
一触即発とは、このことだろう。
「ヒロリ菌に言われたくねぇよ!」
「私だって、ちびっ子に言われる筋合いはないし」
「うるせー! お前もうこっちくんな!」
「声かけたのはアンタでしょ!?」
「知らねーし! ちげーし!」
しばらくそんなやり取りが続いた後、ケントくんはぷんすか怒りながら去って行った。
ほんと、何しに来たんだろう。
「いっつも私思うけどさ、あんた達、なんだかんだ仲いいわよね」
「ぅえ!? なんでっ?」
「そーですよねー。わりとちょくちょくお話してますしー」
率直な彼女らの感想に、思わずたじろぐ。
そんな私の反応を面白がってか、彼女達は更に続ける。
「ってかなんだかんだで、チビケン狙ってたり?」
「なるほどー、ツンデレですねー。わかりますー」
「え? ちょ、はぁ!? そんなわけないでしょ!?」
「慌てるところがさらに怪しいわねぇ」
「素直にならないとー、カラダに聞きますよー?」
「ぁ! ちょ、んぁー! やだやだっ! あはははっ! やめてーっ!」
強行作戦だと言わんばかりに、私をこちょこちょとくすぐる二人。
「まいった?」
「…はぁ…はぁ……ま、……まい、った……」
「カラダは正直ですねー。うふふー」
激しく挙動が不審な心臓と呼吸を落ち着かせる。
小さく深呼吸をして彼女らを見る。
「チビケンのことは、嫌いじゃないよ?」
「え! それじゃ―――――」
「でも、好きってわけじゃないよ。いい奴だとは思うけどね」
「……そうなんですかー」
なぜだか残念そうに肩を落とした二人。
二人でちらりと顔を見合わせると、言った。
「ここだけの話だからね?」
「実はチビケンさんはー、ヒロちゃんにご好意を抱かれてるんですよー」
言っちゃってよかったのかな、と小さく呟いてから、彼女らは俯いた。
正直、これだけでも結構インパクトのある発言だ。
顔が赤くなってゆくのが自分でも分かるくらいだ。
「で、でもそれ信憑性ないでしょ? 勘違いとか、早とちりじゃなくて?」
二人が小さく首を振る。
そして、気付かなかったの、とでも言いたげにため息をついた。
「私たちは、相談を受けたの」
「アイツと一番仲がいいのはお前らだから、だそうですー」
気がつかなかった。
いつも言い合いしてるし、むしろ私のことを嫌ってると思っていたのに。
きっとこんなんだから、ニブチンってからかわれるんだろうな。
チャイムが鳴った後も、私の頭はごちゃごちゃに渦を巻いていた。
「…………」
いつの間にか差していた西日と下校時刻を告げる鐘の音に、時間の流れの早さを知った。
相手の気持ちと私の想いに板ばさみされて、少しだけ窮屈だった。
風の冷たさと冬の訪れをより一層感じたのは、なぜだろうか。
* * * *