第九話
* * * *
事態は突然変わった。
おじいちゃんの容態が、急変したらしい。
今の今まで安定した状態だっただけに、私はいつになく慌てて病院へ向かった。
おじいちゃんの病室の前。 小さく深呼吸をして私はドアを開ける。
「………おじい、ちゃん…?」
薄暗い病室の中、ドアから入る光だけがベッドを照らす。
荒くない、いつも通りの呼吸音に私は安堵のため息をついた。
「………誰、だい…?」
かすれた声が聞こえた。
私は急いでおじいちゃんのそばに近寄る。
「私だよ、おじいちゃん…。裕子だよ…。大丈夫だからね」
弱々しく伸ばされた手を、私はそっと握った。
「………そうか…すまないな……」
握り返す手が、驚くほど冷たい。
まるで今まで、氷を握っていたかのように。
「今まで、迷惑をかけた」
「…そんなこと、ないよぅ……」
その冷たい手が、私の手を握り返してくる。
あまりに弱々しく、壊れてしまいそうな感覚。
きゅっとその手を握り続けていたら、おじいちゃんが口を開いた。
「―――――そろそろ行っておくれ」
私はおじいちゃんの言葉に耳を疑った。
「―――――……え?」
それも当然。
まさかそんな言葉を言われるなんて思ってなかったから。
私は強く手を握り、子供のようにだだをこねる。
「そんなのやだっ! もしかしたらこれで最後になっちゃうかもしれないのに……、そんなのやだぁ!」
「―――――…ひろこ…や……」
凛とした一言におもわず、私は口を止めた。
「物事には―――――ことに、ヒト、という存在……には、決められた運命・・・・・・という、ものがあ、るんじゃ・・・・・・」
「………っ……おじいちゃ…」
「もうわしは、それ・・・に、逆らえなんだ・・・・・・」
「…そんなの………」
「……よく、ききなさい。そし、て忘れな・・・」
おじいちゃんはぎゅうと私の手を握ると、消え入りそうな声で呟いた。
「…私と同じ……―――――を助けられるのは―――――……だけなんだよ……」
「―――――え……? なんて―――――」
「すみません! 部屋をご退室下さい!」
言いかけたところで部屋に医者が入ってきた。
私は一緒に入ってきた看護士に部屋を追い出された。
肝心な言葉を聞きとれなかった自分に私は激しく怒りを感じた。
「………なんで……っ」
私は傍らにあった椅子に腰を落とした。
両手をぎゅうと握り締め、唇をつよく噛む。
「―――――お前、どうした?」
ふいに、声が聞こえた。
声の主は私の隣にどかっと腰を下ろすと再びこう言った。
「どうした?」
私は両目をこする。
真っ赤な目が彼に見えぬようそっぽを向いた。
が、彼は続ける。
「………お前―――――」
「――――お前、じゃないもんっ!」
突然の大きな声に彼は一瞬固まったがすぐに何かを考え込む素振りを見せた。
しばらくするとはっとした様子で 「ひろこ……?」 と呟いた。
「そうだよっ。 忘れたフリなんかしないでよ」
「…………」
どこか安堵したように彼は小さく息をつく。
それから私はユウにことの経緯を話した。
話してる間も私はこらえられなくなって何度も言葉がつまった。
ユウはそんな私の手を優しく握ってくれた。
「…………」
……握ってはくれたけど、優しい言葉の一つもかけてくれやしない。
でも、今はそれでもよかった。
これはこれで、彼らしい。
「……ありがと、ユウ」
「…………」
一通り話し終え少しだけ落ち着いた私は、今日はいったん帰ることにした。
おじいちゃんのそばを離れたくはない。
だが、ここにいたところで私には何もできやしない。
できるのは、非力な自分を恨むことくらい。
だったら私のできることなんて決まっている。
「今日は早く寝て、明日朝一番、できるだけおじいちゃんのそばにいる!」
「………そうか」
ユウは小さく頷くと、自分の病室に戻っていった。
私はさきほど彼に握られた手を見る。
こんなときに不謹慎かもしれないけれど、すごく安心した。
彼がきてくれて、ほんとうによかった……。
「おじいちゃん……また、くるからね……っ」
私は扉の向こうにいるであろうおじいちゃんにそう呟き。
掌に残った彼の体温―――――氷のように冷たかった温度とともにその場を後にした。
* * * *