心惑わす煽ち風
草原の国は、その名の通り草木のよく生い茂る草原の中にある国である。
緑が大変豊かであり、城下町も、花や木が住家の隙間を埋めるように茂っている。
それは、城下町に限った話ではなく、城の中も同様だ。
城の中には多くの中庭や植物園が存在し、草原の国の生えている植物の種類の大半を、ここで調査、研究の意味も込めて栽培されていた。それはまるで、ちょっとした草木のテーマパークのようである。
その中でも、最も華やかで、最も王族らしい場所。
それは、薔薇園。そこは、草原の国の第一王子スリジエのお気に入りの場所でもあった。
いつも時間を見つけては、あてもない散歩をする。
他人にはわからないが、少しの間、気を張った生活をしていたぶん、久しぶりのゆっくりとした時間を彼は楽しんでいた。
ドン
彼の目の前に突き刺さるのは、大鎌。
それを握っているのは、橙色の髪の少女。
「あなた、その緑色の瞳、王族の人間ね。どっちかしら?スリジエ?ローレル?」
「…スリジエだよ。」
咄嗟に避けるスリジエ。
しかし、刈る反動でできたはやさに乗り、ツムジはスリジエの左腕に思いっきり長い柄を叩きつけた。
「く…!」
「…大鎌の手入れがきちんとされてないようね…。やっぱり、他人に貸すんじゃなかったわ。避けられちゃったじゃない。…あっと、いけないいけない。…ねぇ、“橙の心臓”は何処かしら?」
その問いにスリジエははっとなり、そして、しまったという顔をする。
「その顔…へぇ、そう。あなた、知っているのね?“橙の心臓”が何処にあるのか…言いなさい。」
ゆっくりと、スリジエに近寄る。大鎌の射程距離に入ると、にっこり微笑み、大鎌の刃をスリジエの首に当てた。
「橙色の力は神の力だ。神の力は我らのもの。橙の心臓を返せ。」
「君は…橙の民か…。フキノトウの仲間なのかな?」
「フキノトウ…?それって、ゲイルさんのこと?あの人も馬鹿よね。裏切らなければ、殺されることなんてなかったんだから。」
ツムジの眼が妖しく光る。
スリジエは震えた、格が違う。人殺しの眼だ。
「う、わぁああああ!!」
腰が抜けたのか、しゃがみ込んでしまう。
それが幸いしたのか、ツムジの大鎌の刃から逃れることができた。
ツムジに背を向け、逃げだす。
薔薇の生い茂る花壇の中をあたふたと、走る。
「待ちなさい!!」
ツムジも、スリジエのあとを追いかけ、花壇の中に入った。
この花壇にある薔薇の棘は長く、二人の足に無数に突き刺さる。
それでも気にせず、逃げ、追いかけた。
ツムジは気にしないわけではなく、気にならなかったのかもしれない。
橙の四天王であり橙の民一の長物の使い手と恐れられている自分がみすみす取り逃がしてしまうとは…。
ギリッと奥歯を噛みしめ、目の前で逃げる獲物を逃しはしないと、悪鬼のような形相である。
「!?」
スリジエがこける。
追いつくツムジ。
息を整え、大鎌を振り上げた。
「…!?」
突然ツムジの動きが止まる。
振り上げた腕は徐々におろされ、膝をついた。
頭がうまく動かない。身体を倦怠感が襲う。
この感覚は…眠気。
「あぁ、やっと効いたんだね。」
スリジエはゆっくりと左腕を庇いながら起き上がり、ツムジに笑顔を見せた。
「あなた、何を…し、たの?」
「僕は何もしていないよ。…誰かが何かをしたというのなら…君じゃないかな?」
「え?」
スリジエは側に咲いていた薔薇を一輪とってツムジに見せた。
「この花は通称“スリーピングローズ”。草原の国特有の薔薇なんだ。こいつは、見かけは他の薔薇と違って、小ぶりで可愛らしいけど、微量の毒をもっている。…まぁ、毒といっても死ぬものじゃないから安心して。睡魔が襲ってくるだけだから。」
「…じゃあ、何で、あなたは…平気なの?」
「この毒は本当に弱い毒。二度目以降は効かないんだよ。抗体がすぐにできてしまうからね。」
ツムジの視界が徐々に暗くなっていく、眠ってはいけないと分かってはいても、身体は彼女の言うことを聞かなかった。
「寝かしつけたのは僕だけど、こんなところで寝るのは止めてほしいな…サイプレス。」
名前を呼ばれると、サイプレスは何処からともなくあらわれる。
服装は少々汚れていた。
「この子、邪魔だから国外に捨てておいて。」
「かしこまりました。王子。」
スリジエは一旦両手を上げて伸びをすると、サイプレスに抱えられたツムジの姿をもう一度見た。
「それにしても…何で、橙の民が“橙の心臓”を…三種の神器を狙っているんだ…?」
一瞬考えこむが、サイプレスの衣服が汚れていることに気づき、きれい好きな彼はそれを指摘する。
サイプレスはスリジエの問いに、答えようか否か迷ったが、正直に答える。
「それが、先ほどローレル王子が、橙の民と名乗る男に狙われて…。」
膝をつくアオチ。
四肢からは血が流れ、自慢の得物も砕かれてしまっていた。
対照的に草原の国側の損傷は少ない、ローレルがかすり傷を負っている程度だ。
「私たち二人がいるときにやってきたことが、不幸でしたね。」
サイプレスはアオチの胸倉を掴んで言った。
サイプレスとアカンサス。
その役職は違うが、二人の実力はほぼ同等だった。
ローレルを守りながら、というハンデは二人揃えばお釣りが出てしまうだろう。
「くっ…。」
「何か、言いたいことがあれば聞きますよ?私たちは慈悲深いですから。」
「…お前は。」
カラカラに渇いた喉で、絞り出すように、アオチはゆっくりと言った。
「お前は、守られてばっかりなんだな。」
にやり、と笑う。
その言葉は他ならぬ、ローレルに向けられたもの。
ローレルは目を見開き、アオチの言葉を頭の中で反復した。
「…サイプレス。牢屋にぶち込んでおけ。反逆罪として、国際治安維持委員会に引き渡す。」
アカンサスはサイプレスにそう指示を出すと、ローレルを見つめた。
「王子、すぐに医務室へ行きましょう。傷の手当を。」
差し出された手をローレルは払いのけた。
「大丈夫だ。一人で行ける。」
眼を合わせずに言い放った。
とぼとぼと一人で歩く姿は、どこか物悲しかった。