橙色東風
火山の国の作戦会議室に各国の智者たちが集っていた。
他でもない先日発見された、遺体についてだ。
火山の国の頭脳でもあり、国王でもあるジルベル。以前までは、側近のロシェの知恵で身を守るため、ロットという偽名を使っていた。
草原の国の軍師アカンサス―草原の国の中でも古くから国王に仕えているベテランの智者だ。
二人は、大海の国の策士ミストの持ってきた資料を見つめた。
「以前の事件で、委員会に引き渡す前に仮に大海の国の牢へ収監しておりましたが…スリジエ王子に頼まれた口添えが成功し、二人を釈放してすぐの出来事だったかと思われます。」
「つまり、この遺体の身元は先日の橙の民で間違いはないのだな。」
資料から目を離しアカンサスは、ミストを見下すように見つめた。
実際立ち上がると、アカンサスはミストよりも背が高い。今は座っているわけだから、見下しているように見えるのは彼の気質によるものだろう。
「…首無し遺体のため、確証は持てませんが、着ている衣服や年代から推測すれば、恐らく遺体の主はフキノトウ…ゲイル殿かと。」
本名に訂正し、アカンサスの問いに答える。
アカンサスは鼻を鳴らし、資料を机の上に投げるように置いた。
「やれやれ、あの若造の息の根は私が止めてやろうとしていたというに…どこの馬鹿だ。」
灰白色の混じった緑髪の頭をかきながら言う。
アカンサスは、見た目は若々しいが、ミスト、ジルベルとは親子以上の年が離れていた。
そんなアカンサスの様子に今度はミストが嘲笑した。
「随分大きく出たものですね。もうお年なのですから、無理をなさらずに。若い者に任せてくださいな。」
ぴくりと、アカンサスの眉が動いた。
「若いのに任せられるわけがないだろう。特に自分を賢いなどと勘違いしている未熟な小娘には、な。」
その言葉に今度はミストの頬が動いた。
「年寄りは年寄りらしく、庭の手入れでもしれいれば良いんですよ。」
「はっ、私に喧嘩を売るとは、百年早いわ。」
机を挟んで繰り広げられる睨み合いに、ジルベルは溜息をついた。
この言い争いには、彼はもう慣れたものだった。
『ロット』と名乗っていた時から、二人は会合をするたびにもめていたのだ。
大海の国は、能力さえ認められれば性別年齢問わず、高い位につくことのできる国。
草原の国では、男性は軍人になって国を守り、女性はそれぞれの家を守るものと、役割がはっきりと分かれている国だ。
そんな草原の国の人間に、大海の国女性軍師の存在は異質なものとしてうつるのだろう。
もちろん、アカンサスとミスト二人の相性の悪さによるものかもしれないが…。
しかし、そろそろ話を戻さなくてはならない。
どうやって止めようかと考えていると、ジルベルは地図を持ってくるのを忘れていたということに気づき、言い争う二人を横目に、逃げるように部屋を後にした。
黒と赤で統一された趣味の悪い廊下をジルベルは歩いていた。
国王と、正式に名乗るようになってからは、先代国王の執務室を使うようにしていたが、彼はそこがあまり好きではなかった。
「ジルベル。」
後方から自分の名を呼ぶ声。
反乱を起こす前から、ジルベルの良き理解者でもあり、良き友でもあるロシェであった。
漆黒の長い髪を靡かせてジルベルに近づく。
「どうかしたのか?」
ロシェは国王補佐官の位についているが、敬語といった堅苦しいものは使わなかった。
ロシェとジルベルは幼い時から共に過ごしており、ロシェはジルベルの身を案じ、王という立場の身代わりを務めていたこともあった。
彼ら二人の間には固い友情があるのだろう。
「うっかりしていて、地図を忘れてしまったんだよ。取りに戻ろうと思ってね。」
その答えにロシェは首を捻る。
「地図…?そういえば、執務室の本棚に入っていたやつか…すまない、もしかしたら俺が抜いたかもしれない。部屋を確認してみる。」
そういって、ロシェは踵を返す。
「じゃあ、俺は執務室で待っているよ。」
とてもじゃないが、あの二人の言い争う場には、いたくない。
そう苦笑して部屋の扉を開けた。
誰かがいた。
窓の前、夕方のため、日光が窓に差し込み逆光して顔はよく見えない。
ジルベルは部屋の掃除をしていたメイドだと思い、そんなに警戒はしていなかった。
「あ、あの…。」
おどおどとした女の声。
こんな声のメイドはいただろうか…。
メイドの数はまだそれほど多くないので、記憶力に自信のあるジルベルは首を傾げる。
「あなたが…ジルベル・ヴォルガン…?」
その問いにジルベルは不審に思った。
この城で自分の顔を知らない人間などいないのだから。
「君は、誰だ?」
質問に答えず、威圧的に言って見せた。影はびくつく。
「す、すみません…。自己紹介を、わ忘れていました。」
影はゆっくりと窓から離れ、ジルベルに近づいた。徐々にその姿がはっきりとしてくる。
最初に目にとまったのは橙色の髪。
目元まで伸びた髪から除く瞳は、不安そうにジルベルを見つめていた。
「あたしは、橙の民。ハヤテ部隊の、コチです…。」
コチはそう言って目を泳がせる。
「その、金髪…やっぱり、あなたが…ジルベル・ヴォルガン…な、なんですよね?」
怯えているようにも取れるコチの様子に、ジルベルは慌てる。敵としっかりと判断できないこの状況は、彼の優しさがつい出てしまう。
「えっと…確かに俺がジルベル・ヴォルガンだけれど。」
ジルベルはすっかり忘れていた。国王であるのだから、不審人物に名前を問われても素直に肯定してはいけないと、ロシェに言われていたことを。
肯定してしまえば、命を狙ってくる者もいると言われていたことを。
「…良かった。見つけた。」
コチは右腕を延ばした。すると、袖口から小刀が顔を出す。
「あたし、ハヤテさんに、頼まれちゃった…んです。橙の瞳を取り返してこい…って…ハヤテさんに頼まれたんですから。他の方は、草原の国の橙の心臓とか、大海の国の橙の翼を…お願いされたみたいなんです…。他の方は凄く強い人ばかりだから…あたし、こんな、ダメな人間だから…ちゃんとやらないと、ハヤテさんに迷惑かけちゃう…恥を…かかせちゃうから…ダメなんです。」
小刀をジルベルへ向けた。
「橙色の力は神の力だ。神の力は我らのもの。橙の瞳を返せ。」
素早くジルベルへ突進する。
交戦しようとも思ったが、ジルベルの手元に武器などない。
ジルベルには避けることしかできなかった。
「実は、予想はついているんです。あなた達が持っている、橙の瞳がどこにあるのか。」
「なに…?」
「橙の“瞳”って名前なんですから、国王の眼玉じゃないのかなぁ?って…。」
コチの口角がにぃっと上がる。
対照的にジルベルの顔からは血の気が引き、思わず後ずさりしてしまう。
「逃げないで、よ。」
ドスッ
コチの投げた小刀は、ジルベルの脇腹に刺さる。
「…え。」
「に、逃がさない。はやく、か、返して。」
ジルベルに駆け寄り、腹部から小刀を抜き取る。
ジルベルは膝から崩れ落ちた。
腹部から、溢れる、鮮血。
視界が霞む。
ガチャ
ドアが開いた。
「…ジルベル?」
入ってきたのは、ジルベルとは対照的な漆黒、ロシェだった。
目の前に広がる光景に、固まるロシェ。
ジルベルはロシェの姿を見て、安心したのか、糸が切れたように倒れこんだ。
握っていた地図がひしゃげる。
蛇のような瞳をコチへと向けた。
「お前が、やったのか?」
その問いにコチが首を傾げた。
「…?そ、そうですよ。」
それが、どうした?
そう言いたげなコチの様子が、ロシェの神経を逆なでた。
「お前が、やったんだな。」
一言一言確かめるように、怒りを露わにする。
言葉からは確かな殺意が伺える。
「あ、わわ。さすがに、無理、です。漆黒の刃は、こ、怖いです…。」
ロシェに圧倒され、コチは後ずさりし、窓から飛び降りた。
ロシェはデコポンを追い掛けず、すぐに手近にいた兵達に大声で指示を出す。
侵入者の始末よりも、国王の命のほうが、優先される事柄なのだ。