それぞれの思い
がたっ。
橙の園の巫女シナトは祈祷中、突然立ち上がり、激しく震えだした。
彼女のその行動にゲイルの死後、シナトのお世話係と護衛係を命じられたソヨは慌てた。
「シナト様…!?一体どうなさったのですか?」
シナトが風邪をひいたり、怪我をしたりしたものならば、責任は全てソヨにあることになる。
以前までは、その職を護衛係はゲイル、お世話係をツムジが担っていた。
ゲイルはソヨのことを実の妹のように可愛がってくれていた。彼女に何かあればすかさず補助をしてくれた。
そんなゲイルはもういない。
ソヨは橙の民の宝であるシナトのお世話を仰せつかった莫大な責任と、シナトに対する純粋な心配の両者からシナトに駆け寄った。
「ソヨ、大変です。三大国が攻めてきます。」
「…え…。」
シナトはまた言葉を続けようとするが、上手く言葉が出ない。
呼吸が荒く、何かに怯えているようだった。
そんなシナトの怯えを察してか、ソヨは側に置いてあった毛布を一枚とり、シナトの肩へ優しくかけた。
「大丈夫ですよ、シナト様。あなたには予言の力がありますが、それは万全のものではない。あまり気を負わないでください…。」
ソヨの言う通り、シナトの予言の力は完全なものではなかった。
もともとは、天候の予言に特化していたものを、ウラガンがその能力を見初め、天候以外の多くのことを予言できるように向上させたのだ。
しかし、あくまでも向上させただけであった予言は、橙の園の全てを予知することはできなかった。
以前に予言した、ハヤテの勝利も。
蓋を開ければ、確かに賊は退散したようだったが、その被害は甚大でハヤテも死んでしまった。
これでは勝ったのか、負けたのかも分からない。
ソヨは慰めるつもりで言ったのだが、シナトは責められていると思ったのか、頭をおさえる。
「シナト様…。」
こんなとき、ゲイルさんならツムジさんならどうするのか…。先代二人の偉業に少しでも近づきたい。
亡くなったゲイルさんの分まで、職務を全うする。
ウラガンから、草原の国の者にゲイルとサランが殺されたと知らされたときから心に決めていたのだ。
そして、草原の国の者に対する憎悪も密かに燃やしていた。
「…。」
シナトはもう一度目を閉じて、自分の見た光景を思い出そうとする。
怒った顔が見えた。
笑った顔が見えた。
悲しげな瞳が見えた。
誰が怒った?誰が笑った?誰が悲しんだ?
混乱した彼女には、その全てが混合して見えた。
しかし、これだけは自信をもって、言う事ができた。
「もうすぐ、ここが、戦場になる。」
自分の身に、仲間の身に危険が迫っている。
「戦の準備をしろ。陽動を用いる。兵は最小限だ。第一戦闘隊、暗殺部隊は戦闘用意を、他の者は城と国の警護に全力を注げ!!」
火山の国からの帰国後、アカンサスはそう叫び、兵に指示を出していた。
火山の国と大海の国との連携が上手くいくのか。それが気がかりだった。
基本的に、アカンサスは国外の人間を信用していない。
特に、女。
女は平気で嘘をつくし、女の言っていることは全く理解することができない。
大海の国の策士が、ミストの兄から、ミストへと移ったときには、それはそれは苦い顔をしたものだった。
策に一抹の不安を感じながら、アカンサスは大げさに溜息をつく。
「アカンサス。」
彼を呼ぶ声。
アカンサスの主人の息子の一人、王子ローレルだった。
ゲイルとサランの件以来、ローレルの様子は何処か変だった。
あの事件はゲイルがローレルを利用したものだ。ローレルに否はない。
と、いうことになっていた。
元来、正義感の強いローレルは自分がもっとしっかりしていれば、あの事件は起こらなかったのでは、という一種の自己嫌悪状態に陥っていたのであった。
ローレルは目を泳がせ、一つ大きく深呼吸するとアカンサスを見据えた。
「私も、連れて行ってくれないか?私だって、戦える。」
「…!?」
王族の人間が軍隊に入るのは、何も珍しいことではない。
数百年前、まだ三大国同士が争っていたときには、軍の士気をあげるために王族が進軍に同席していたものだった。
それに、ローレルは次男で、王位継承権はもっていないはずだ。軍隊に籍を置くのは、むしろ普通の話だった。
「それは…願ってもいない。有難い提案なのですが…いったい何故?」
「…私はいつも、守られてばかりだ…本当なら私が兄上を守らなくてはいけないのに…。」
ローレルの脳裏には、先日アオチに言われた言葉がこだましていた。
『お前は守られてばかりだな。』
ローレルは自分が次男であることを小さな頃からよく理解していた。
父母は兄もローレルのことも平等に接してくれたが、まわりの家来たちは違った。
スリジエは第一王子。次期王筆頭候補。選ばれた存在。神童。
ローレルはスリジエとは兄弟でも、次元が違っているような気がしてならなかった。
だが、それと同時に自分に優しくしてくれた兄とずっと共にいたいと考えていた。
兄上は次期王。ならば私は兄を守る。兄上の背中を守る。そんな存在になりたい。
あの事件のとき、スリジエも父も自分を頼っているような気がしてとても嬉しかったのだ。
だが、もう過ちは繰り返さない。
「私は、今度こそこの国を守る行動をとりたい。間違いをおかした私を改めさせてくれないか?」
「…王子。」
アカンサスはローレルに向かい静かに跪いた。
「王子、それがあなたの望みとあらば、私はあなたに従います。」
ローレルはにこりと微笑み、剣を強く握った。
「どういうことか説明してもらうよ…。」
わなわなと声を震わせ、両手でミストの襟元を掴み、オンディーヌは詰め寄る。
目は真っ赤に充血しており、頬には涙の跡が残っている。
ずっと泣いていたのだ。
「手をどけてください。これでは、軍隊に指示を出しにいけません。」
「話を反らそうとするなよ!僕も橙の園へ連れていけ!!!お父様の仇を討たせろ!!」
ミストは掴まれた両手を自らの両手で覆い、優しく外した。
「許可できません。」
「なんでだよ!?ウンディーネには参戦許可を出したこと、僕は知っているんだからな!!!」
「申し訳ございません。」
目を閉じて頭を垂れるミストに、オンディーヌは思わず右手を振り上げる。
しかし、すぐに思い直したのか苦々しげに右手を下げた。
「如何なる罰をもお受け致します…しかし、あなた様は今や王位第一継承者…。そんなあなた様を、危険な戦場に向かわせるわけには参りません…。」
ミストの口調がいつもと違うことが、オンディーヌには辛かった。
いつものように、主従関係を超えた、気軽に冗談を言えるような関係に戻りたかった。
父が死んだ今、自分に王位が継がれる可能性が高いことを、オンディーヌもよく理解していた。
しかし、オンディーヌはまだ、大人に成りきれることはできなかった。
場所は変わり火山の国。
アウルムはジルベルの部屋に来ていた。
ジルベルはまだ、ベッドの上で眠ったままだ。
医者の話では、順調に回復に向かっているらしいが、一向に目を覚まそうとしない。
アウルムは控えめに、手をジルベルの頬に伸ばした。優しく撫でる。
「大きくなったね。ジルベル。」
20数年ぶりにあった弟の姿に、ジルベルはそっと涙を流した。
彼女の記憶の中では、ジルベルは乳呑児のまま止まったままだったのだ。
衝撃と混乱は大きいだろう。
「良かった…私と同じ、お母様似だね。」
―あの男に似なくて、本当に良かった。
やっと会えた、唯一の家族。
手を口にあて、声を押し殺した。
耐えきれなくなり、部屋を出る。
そこにはロシェが立っていた。
「…こちらを。」
上質の絹で作られたハンカチをアウルムに渡した。
「ご心配せずとも、ジルベルは目を覚まします。」
他の者に言われれば何の根拠もない言葉だが、昔からロシェの言葉だけは信用できた。
彼の言葉はいつもアウルムを勇気づけた。




