テスト飛行
ここは、何処の恒星系にも属さない、広大な宇宙空間。
この周辺の空間は全て、スリースター・インダストリーと呼ばれる大企業が所有するものである。
スリースター・インダストリーは自社の謳い文句『ナノテクノロジーから惑星開発まで』のもとに、幅広い分野の工学技術を扱っていた。
勿論、その中には宇宙船開発も含まれている。
会社が新たに宇宙船を開発する際、その試作品のテストを行う空間がここである。
普段この空間には、小惑星の欠片一つとして無い、空虚としたものであったが、今回は違っていた。
複数のランプを点滅させながら、機械のリングが宇宙空間に浮遊している。その数は多く、数え切れない程だ。
そしてリングとは別に、そこにはさながら鯨を思わせる、スリースター・インダストリー所有の巨大宇宙船、ブルーホエールが鎮座していた。
「こちらはシロノ。機体のシステム、計器ともに異常なし、いつでも大丈夫です」
シロノはホワイトムーンのコックピットで、周囲を確認しながら、何者かと通信を交わしていた。
ディスプレイの外部映像には、何やら格納庫のような薄暗い光景が映り、機体の前方にはカタパルトのレールが敷かれていた。
〈了解、兄さん。ところでどうかな? 新しいホワイトムーンの具合は? 〉
通信用のディスプレイには、顔の右半分に長い前髪がかかった、研究員らしい格好の内気そうな少年が映っている。そして、少年の容姿と顔立ちは、どことなくシロノに似ていた。性格はシロノとはだいぶ違うらしいが、どうやら二人は兄弟のようだ。
〈せっかくだからブースターの修理ついでに、全体的に改良を加えたんだ。性能は以前より、上がっている筈だよ〉
「ええ、確かに計器では、出力や機動性、レーダー機能は、以前より上がっているみたいです。しかしまずは、実際に動かさない事にはね。ふふっ、期待していますよ…………アイン」
ディスプレイ上の少年、アインは頷く。
格納庫の天井が開き、ホワイトムーンはカタパルトごと、上へと上昇する。
そしてカタパルトがブルーホエールの甲板にまで達すると、上昇はそこで止まった。
レールの縁が淡く輝き、光の道標を示す。
「シロノ・ルーナ、出ます!」
シロノの声とともに、ホワイトムーンはブースターを噴かし、レールを滑走する。
ブルーホエールの甲板のカタパルトから、ホワイトムーンは星明りをきらめかせ、宇宙空間へと飛び立った。
コックピットのディスプレイからは、宇宙空間に浮かぶ、多くのリングが見える。
備え付けられた三次元レーダーにも、各々のリングの位置が全て表示されている。
「……アインの言う通り、機体の出力は前より上がっていますね。やはりこうして飛んでみると、よく分かります」
〈上手く機能しているようで良かった。でも、性能テストはこれからが始まりだよ。まずは、赤いリングの前に、機体を移動させてくれないかな。そうだね、位置は…………この辺り〉
するとレーダーに示されるリングの一つが、赤く点滅する。
シロノは機体を動かし、所定の位置へと移動させる。
そして、ホワイトムーンは移動し、数あるリングの内、唯一赤く塗装されたリングの正面で停止した。
〈所定の位置についたようだね。・・・・・・よし、それじゃテストコース、起動〉
すると、リングから光のチューブが伸び、別のリングへと繋りはじめる。それが全てのリングで起こり、あっと言う間に一つのコースを作り上げた。
チューブの太さは大きくなく、ホワイトムーン一機が飛ぶのが精一杯な程度の太さであった。
〈テストの内容は簡単、兄さんにはレースと同じように、テストコースを飛んでゴールを目指してもらうよ。ただし、チューブを形成する指向性光線に当たらないように〉
「随分と、楽しそうですね。これまでは、ただアインの指示通りに飛ぶだけでしたけど、今回はこんな形ですか」
〈ついでだから兄さんの実力も、再確認したくてね。それで僕が用意したんだ。一つ言っておくけど、僕の設計したこの特別コース、改良したホワイトムーンの性能を十二分に発揮しないと、いくら兄さんでも完走は難しいよ〉
「それはどうでしょうね? 幾ら私の弟でも、過小評価してもらっては困ります」
そしてシロノは、お得意の余裕の笑みを、顔に浮かべた。
〈兄さんとホワイトムーンの様子はこっちで視ているから、いつでも始めて大丈夫。でも、一応こっちでカウントした方がいいかな? ええっと、3…………2…………〉
「了解です! ホワイトムーン、スタート! 」
だが、アインがカウントを聞き終わらないうちに、シロノは機体を全速力で発進させた。
〈ひどいよ兄さん、僕の言葉を最後まで聞かないで〉
若干ムッとしたアインに、シロノはついうっかりしたと気づいた。
「あっ、すみません。つい興奮してしまって…………。でも、なかなか面白いではありませんか」
こう話しながら、シロノは巧みな操縦でホワイトムーンを操り、急角度の傾斜やカーブが次々と続く、難度の高いテストコースを、上手く飛びこなす。
そんな彼の様子は、心底楽しそうだった。
多くの機械装置とモニターが設置された、ブルーホエール内部に存在する広い部屋、アインはそこでホワイトムーンと、そしてシロノの様子をモニターしていた。
「……さすが兄さん、僕が思っていた以上だよ」
アインはモニターに表示されるリアルタイムのホワイトムーンの様子と、数値やグラフで示される各性能の出力データを確認する。
ホワイトムーンは正確にコース通りに飛び、チューブに触れる事もなく、高速度で駆け抜ける。
「強化した分の性能もしっかり使いこなしているし、それ以上に、兄さんの操縦技術も凄いものだね。少しは苦戦すると思ったけど、こうも楽しむくらいの余裕を見せるなんて。はぁ、せっかく僕が兄さんのために特別に、高難易度のテストコースを用意したのに……」
「ははは、そう言っている割には、随分と嬉しそうな表情ではないか」
部屋にはアインの他にもう一人、身なりの良い四、五十代の男性がいた。
高価なスーツに身を包み、金髪碧眼の恰幅の良い紳士、その雰囲気からは、彼の地位の高さが感じられた。
アインは後ろに立っている男に振り向き、少し照れながらうっすらと笑う。
「ふふ、何せ自慢の兄さんですから…………クラウディオさん」
「それに、あの機体を開発したのは君ではないかね。シロノ君も流石だが、アイン君も十分に流石だと思うぞ」
この男、クラウディオ・メナードは、スリースター・インダストリーのCEO、つまり企業の最高責任者である。
二人の兄弟はそれぞれ、シロノは卓越したレースの腕前を買われて会社専属のレーサーに、アインは天才的な科学技術の才能により、若くして此処の科学者となった。
そしてホワイトムーンは、アインがレーサーである兄の為に開発した、超高性能機なのだ。
クラウディオはモニターに映るホワイトムーンの飛行を、しげしげと眺める。
「やはりシロノ君とホワイトムーンは素晴らしい。これなら、あのG3レースでも、いい勝負が出来そうだな」
この言葉に対し、アインは首を横に振る。
「いいえ、兄さんならきっと優勝してみせます。例えどんなレーサーが現れても、兄さんとホワイトムーンが負けるはずはありません。その気持ちは、兄さんだって同じはずです」
それを待っていたかのように、クラウディオはアインに微笑む。
「良い意気込みだ。やはり狙うは優勝…………そうでなくては」
だが彼は、表情にある種の懸念を表してこう続けた。
「……ところで君達二人は、ジンジャーブレッドと言うレーサーを知っているかな?」
「あ、はい。兄さんから、三十年前に活躍した伝説のレーサーだったと聞いています。その話では確か、現役だった三年間、常に無敗だったとか。そして、今度のG3レースに参加するために、つい最近復帰したみたいだと……」
「ああ、正にそれだよ。幾ら伝説と称されても、引退してから二十七年も経った今になって、こうして復帰するなんて、実に奇妙だと思わないか?」
「ええ、まぁ……」
クラウディオの言いたいとする事がいまいちよく分からず、アインは僅かに困惑する。
「私が思うに、これにはジンジャーブレッドのスポンサー、ゲルベルト重工が一枚噛んでいると思うのだよ」
そして彼は、考え込むようにして続ける。
「分かってはいるだろうが、企業がレーサーを雇うと言うことは、その活躍が企業の宣伝になるからだ。増してや此処やゲルベルト重工のように工業・産業を取り扱っているなら、その機体に使われる会社の技術を、外にアピールする絶好の機会にもなる。しかし、過去の情報ではゲルベルト重工は宇宙レースに関わりを持ってはいなかった。ジンジャーブレッドにしても、かつて現役だった三十年前にはスポンサーはおらず、フリーの宇宙レーサーだ。……だが、こうして復帰した途端に、何故かゲルベルト重工は、ジンジャーブレッドのスポンサーとなっていたのだ。
かつてフリーのレーサーが後にスポンサーをつける話は珍しくない。だが、三十年前に活躍していた頃には、あの会社はレーサーを雇う事すら見向きもしなかった。そして何十年も経ってから、会社はかつて伝説だったレーサーのスポンサーとなった。……何しろ相手は、あの悪名高きゲルベルト重工だ。恐らく、何か裏があるのではとな」
ゲルベルト重工については、アインも知っていた。
このスリースター・インダストリーは大企業の位置に属するが、宇宙ではそれ以上に大きな企業が数多くある。ゲルベルト重工も、そうした大企業の一つだ。
そして同じく工業関係の企業である事から、スリースター・インダストリーにとっては厄介な商売敵だった。
だがその実態は、相当な悪徳企業である。産業スパイに悪質な不当契約、贈賄に恐喝などなど、それこそ、例を挙げるのがきりが無い程に。そして質が悪いのは、それでも問題とされずに経営を続けている事だ。決定的な証拠を掴ませないことや、法律の穴をかいくぐり自らの行為を合法化して、大企業として君臨していた。
ついには警察にも目をつけられ、常に動きを監視されているのだが、それでも一度も、尻尾を出した事は無かった。
ゲルベルト重工が大企業としてここまでのし上がったのも、こうした背景があるからである。
「だが、まぁこれはあくまで推測だ。しかし…………仮に何かしら商売敵の企みがあるなら、企業の経営者として放っておく訳にはいくまい。とにかく、この事はこちらで調査を行う。もし何か分かれば、君達にも知らせよう。一応、頭に入れておいてくれ」
この大企業の経営者としての指令に、アインは頷く。
そしてモニターに目を移し、言った。
「……ホワイトムーンの性能テスト、終わったみたいです。兄さんもすぐに戻ってくるでしょう」
「それでアイン君、テストの結果はどうだったかな?」
クラウディオの問いに対し、表示されるデータとその成績を確認し、さも当然のようにアインは答える。
「もちろん文句なしの、大成功ですよ」