油断大敵
――ふふっ……いい感じ。……このまま行けば――
このまま行けば…………あのジンジャーブレッドに追いつける。
大加速による負担がかかりながらも、マリンは嬉しそうに笑う。
――何だ、案外どうにかなるじゃない。伝説だなんだって言われても、どうせ、昔の話よ。それとも……私とクリムゾンフレイムが、凄すぎるのかしらね――
一度は運に助けられて、ここまで来たことも忘れ、やや増長気味のマリン。
まぁ……宇宙レース屈指の大レース、その優勝候補のレーサーと対等に渡り合えると分かれば、こうも高揚するのも当然か。
マリンは、先ほどから響く何かの警告音と、バイザー左端のレーダーの存在に見向きも気づきもせず、中央に大きく広がる映像を凝視し続けていた。
映像に映るブラッククラッカーの姿は、その大きさを増す。
リミッターの解除時間は、たった一分だけ。
けど、このまま行けば……何とか時間内には、追いつくことは出来そうだ。
――これで、私はジンジャーブレッドを越せる。上手くすれば、そのままゴールまで私がトップ……、本番前の景気づけに、一発逆転、大勝利ってね…………うっぷ!――
つい興奮しすぎたことと、加速の影響によって急に気持ち悪さが襲い、マリンは一瞬戻しそうになる。
彼女は何とか、それをこらえる。
――ううっ、我慢我慢、マスクを着けたまま、中の物を出したりしたら、たまらないもの――
残りはあと少し、レーダーでも互いの推定距離は数百メートル程度だ。
あと少し、あと少しでジンジャーブレッドに……、マリンはそう考えていた。
その時だった、正面ディスプレイに映っていたブラッククラッカーが、いきなり上へと上昇した。
――えっ? どう言うこと? 何で今、上に上がって……――
しかし、そう考える暇すら、マリンには与えられなかった。
今までは安定して、進行方向へと流れていた巨大ガス気流、その流れがふと止まる。
次の瞬間――逆方向から強い乱気流が逆流し、マリンのクリムゾンフレイムを襲った。
一瞬、彼女は機体全体が強く下から持ち上げられる感覚を覚えた。そして、そのまま一気に、クリムゾンフレイムは乱気流に吹き飛ばされた。
「きゃぁああっ!」
姿勢が崩されコントロール不能に陥った機体は、激しい揺れと回転に襲われた。もはや、成す術もなく、マリンは悲鳴を上げる。
もはや、ジンジャーブレッドどころの話ではない。
彼女とクリムゾンフレイムは、遠く、遠くへと飛ばされる。
あのブラッククラッカーの姿さえ、もはや見ることはない。
――愚かなお嬢さんだ、まさかあれに気づきもしないとは――
あの時、ブラッククラッカーが上昇したのは、乱気流の発生を感じ取ったからだ。
ガス惑星であるツインブルー、大部分が気体で構成されているこの星は、それ自身の熱や圧力により、常に多くの気流の流れと渦を生み出している。
気体の温度も変われば、それにより空気が上昇、下降し流れを生み出す。
この時も、惑星の奥深くでガスと空気が熱で膨張し、強い上昇気流を生み出した。
それがやがて乱気流となり、マリンの乗るクリムゾンフレイムを襲った……と言う訳だ。
人機一体型システムによって最新のセンサー機器からの情報を、神経に直接、鮮明に受け取ったジンジャーブレッドはいち早く察知して、乱気流の影響から逃れた。
ただ、今回の乱気流は急なアクシデントだったにしろ、クリムゾンフレイムのセンサー機器でも、本来なら回避するのに十分な距離と時間を取って、感知出来たはずだった。
それでも最後まで、乱気流ともろに衝突するまで気づかなかった。……つまり、ジンジャーブレッドの追跡に全神経を注いでいたせいだ。
――だが、正直危ない所だったかもしれないな。詰めが甘かったのが残念と見える。……しかし、本番には期待出来るかもしれない。無論、私の勝利には何一つ影響しないがな――
勝負は私のものだ。それが当然と言わんばかりの様子で、ジンジャーブレッドは目を細めた。




