一方で……
この日、いつもの子供達への勉強が一段落したアインは、この孤児院アーグリム・ハウスの主である、ミス・グレイストンとの話に花を咲かせていた。
「それで、子供達はちゃんと勉強してくれたかしら?」
彼女の問いに、アインは笑いながら答える。
「はははっ! いつもと同じように、授業そっちのけで遊んでましたよ。でもそれなりに聞いていましたし、何より子供は元気が一番ですから」
「まあ! それは微笑ましいですわ」
ミス・グレイストンも、それにつられて笑う。
「ここの子供たちは、みんな私の息子や娘と同じようなもの。貴方達二人も、昔はあんなに小さかったのに…………こんなに立派に成長してくれた、親代わりの私にとって、こんなに嬉しいことはないわ」
「僕たちにとっても、グレイストンさんは母親同然で、子供達もみんな可愛い兄弟姉妹だからね。だから、僕と兄さんはレースを……」
そんな会話の途中、部屋にシロノが入って来た。
「やぁ、グレイストンさんに、そしてアインも。私もやっと子供たちから解放されましたよ。少し昼寝してから戻って来ましたけれど、もう…………ヘトヘトです」
二人は彼の姿を見て、思わず笑いそうになる。
「……? 二人とも、何がそんなに面白いのですか?」
何故笑いそうになっているのか分からないシロノに、ミス・グレイストンは笑いを堪えながら、小さな手鏡を彼に見せた。
鏡に映っていた自分の姿を見て、シロノはギョッとして驚いた。それは、いつもの彼とは思えないほどの反応だった。
「こっ、これは! いつの間に! まさか私が、寝ていた時に!」
彼の美しい銀髪はヘンテコに結ばれ、端正な顔にもヒゲや〇✖模様、動物の落書きなどなど、子供達に色々なイタズラがされていた。
その衝撃で固まるシロノに、アインは何とか声をかける。
「で……でも、ぷぷっ……、それはそれで似合っているかも……くすっ、だって兄さんは外見は良いんだし…………ぷっ、あははははっ!」
だがとうとう堪え切れず、アインは腹を抱えて大笑いした。
「また――笑いましたね、アイン! 今日という今日は、もう我慢できませんよ! 覚悟してください!」
とうとうムキになって怒ったシロノは、アインに掴みかかろうとした。
「はははっ! たったそれだけで怒るなんて、みっともないよ兄さん!」
アインはそんな兄をひらりと避け、逃げ回る。そしてそんな弟を、シロノは追いかけ回る。
「やっぱり貴方達も……いくつになっても子供ね」
呆れ半分、微笑ましさ半分と言った表情で、ミス・グレイストンは二人の様子を眺めていた。
追い掛け回した末、ようやくシロノはアインを捕まえた。
「さぁアイン、たっぷりと灸をすえてあげますよ!」
しかしその時、電子音が鳴り響いた。それは、シロノの服に入れた通信機からだ。
彼が通信機を取り出し内容を確認すると、通信相手は何と――銀河捜査局からであった。
銀河捜査局、それは宇宙の各星系・惑星に存在する、無数の社会体制を問わずに活動する、犯罪捜査機関であった。
しかし何で、そんな所から通信が? そう疑問に感じながら、シロノは通信機を取った。
「はい、シロノ・ルーナです」
すると、通話機から何を聞いたのか知らないが、シロノの表情に緊迫は走った。
「ええ……分かりました。……今から急いで向かいます」
シロノは通信を切り、傍にいる二人に言った。
「ごめんなさいグレイストンさん、急用が出来たので少し出かけます! アインも、一緒に来て下さい!」
そう言い終わるとともに、彼は席を立って出て行った。
「ああっ! 待って兄さん。その前に顔を洗わないと」
アインも、慌ててシロノの後を追う。
シロノ達二人が向かった場所、それは惑星ギャザーロードの軌道上にある宇宙ステーション。そう、シロノの機体であるホワイトムーンを停泊させた場所である。
ステーション内の指定された小部屋に入ると、彼らを待っていたのは、灰色の制服を着た痩身の男だった。
その顔付きは鷹のような猛禽類に近い顔つきをしており、職務に忠実、そして有能な仕事人間である印象を感じる。
男はシロノ達に自己紹介をした。
「急な呼び出し、申し訳ない。私は銀河捜査局捜査長官、ヘンリックだ」
シロノとアインも、ヘンリックに挨拶をする。
「初めましてヘンリックさん。急用だと聞いたので駆け付けたのですが、一体何が?」
小部屋の窓には他の宇宙船とともに、宇宙ステーションのドッキングアームに接舷され、停泊しているホワイトムーンの姿が見える。
ヘンリックは窓にうつるホワイトムーンを横目に眺め、こう答える。
「実は、貴方の宇宙船に、つい先ほどナンバーズ・マフィアが襲撃に入ったのだ。その名前と噂は――少しは聞いたことはあるだろう
?」
自分の機体の襲撃されたことに、シロノ達は驚きを隠せなかった。
加えてナンバーズ・マフィアの存在…………、その噂は二人も聞いた覚えがある。
それは銀河捜査局と同じく、宇宙の広範囲で暗躍する犯罪組織の一つである。盗み、裏取引、暗殺、破壊工作など、報酬次第ではどんな仕事をこなし、この組織による事件は、現に幾つも存在している。
そして……組織がナンバーズ・マフィアと呼ばれる所以、それは組織の構成員には名前と記憶は無く、ただ番号としての存在として、活動している。
これまでにも、マフィアの組員や幹部を逮捕に追い込んだ事は数多い。しかし…………。
「襲撃犯は全員逮捕した。だが例によって彼らが組織にいた頃の記憶は、薬物で全て消しており、何も情報も得られないままだ。持ち物を調べた所で……知れる事は少ないからな。いつも通り、かつてナンバーズ・マフィアの構成員だったと分かる程度だ」
若干うんざりした様子で、ヘンリックは溜息をついた。
「しかし、どうして私の機体が?」
シロノは彼に尋ねた。
「二週間後に開催されるG3レース、その有力な選手である貴方を先に潰す為に、おそらく何者かがマフィアを雇ったのだな。そして……」
更にヘンリックは続ける。
「襲撃を受けたのは、恐らく貴方だけではないだろう。最近もG3レースの出場者を襲う、不審な事故が多発している。練習中の機体トラブルに、選手の事故…………最近ではローヴィスで起こった爆発事故だ」
「レースの出場者を――狙っているのか」
シロノは彼の言った言葉を、確かめるように呟く。
「――その通り。それに、この事は君たちのスポンサーも予想していたらしい。ふふっ、まさかあのスリースター・インダストリーの会長、クラウディオ・メナードが直々に私へ、君達と機体の護衛を私に依頼して来るとは……」
「彼が私たちと、ホワイトムーンを?」
「ああ、だからこそ、マフィアの破壊工作を未然に防げたのだ」
そんな会話の中、アインは一つの事を尋ねた。
「あの、ヘンリックさん、一ついいですか?」
「何かな?」
「一連の襲撃、それを起こしたマフィアを雇った存在の目的は、G3レースの出場者を潰すため、そう言いましたね」
「それが、どうした?」
「以前、僕はクラウディオさんから聞きました。G3レースの出場選手『ジンジャーブレッド』のスポンサーであるゲルベルト重工…………それが怪しいと。ヘンリックさんは、どう考えていますか?」
これを聞いたヘンリックは、腕を組んで考え込む。
「私も、それには同意見だ。あの企業の今までの行為、その様相を考えると……グレーと言ったところか。
――だが、襲撃の目的を考えると疑問が多い。何しろジンジャーブレッドは長年のブランクがあると言え、現役不敗を誇った伝説のレーサー。彼を優勝させる事が目的なら、果たして小細工をする必要はあるだろうか? 理由があるならば――他の目的があるはず。それにはっきりとした証拠も、未だない状況だ。ナンバーズ・マフィアは仕事こそ二流程だが、組織の体質上、証拠や情報の隠蔽は我々より上手だからな。しかし現時点で一番黒幕の可能性があるのは、あのゲルベルト重工、今でも捜査局は隠密に張り込みを続けているが、それでも何か得られるかどうか……」
「そう……ですか」
僅かに不安を覚えながら、アインは呟く。
「しかし悪い知らせだけではない。もし黒幕をゲルベルト重工と仮定するなら、今後襲撃を起こすことはないだろう。何しろこれ以上選手狙いの工作行為をすれば、事故とG3レースとの関与も、強く疑われかねないからな」
これでようやく話すべき事を話し終えたらしく、ヘンリックは一息つく。
そして二人に笑みを見せて、こう言った。
「ここまで、長話に付き合わせて申し訳ない。では、一旦休憩を入れようか。大体の内容は全て話し終えた訳だが、細かい話はまだ残っている。さて……飲み物は何がいい? コーヒーか? ミルクか? それとも、紅茶かな?」




