三郎、髪を切る
美容院の奥からは白いワンピースに美しい黒髪をなびかせて美女が現れた。そう先週、公園にいた女性だ。
驚いて目を丸くする三郎とは裏腹に女性は気付いている様子はなかった。
「いらっしゃいませ。今日はどうされますか?」
女性は言う。
「あの、カットをしてもらいたいんですけど予約してなくても大丈夫ですか?」
三郎はとりあえずはまず指示をこなさなくてはと女性に聞いてみる。
「大丈夫ですよー。それではそちらにどうぞ」
そう言うと女性はシャンプー台に案内する。
そして三郎が椅子にかけるとシャンプーが始まる。
思えば三郎は女性にまともに触れたことも触れられたこともない。
だから必要以上に緊張もするし心地よくも感じてしまう。
先週公園にいましたか?
そう三郎は女性に聞きたくて仕方がないのだがなかなかその言葉が口から出ない。
三郎と女性に交わされる言葉はただかゆいところはないかの確認だけだった。
シャンプーは手際良く終わり続いて三郎は鏡の前の椅子へ案内される。
「どんな感じにカットしましょうか?」
女性に聞かれて初めて三郎は何も考えずに来てしまったと思った。
目の前に出された雑誌を見ようにもどの髪型が良いかなんてわからない。
そもそもこんな顔に合う髪型なんてあるのかとさえ思い始めた。
そんな三郎もヘアワックスを中学の時はつけて投稿してみたこともあったが気になる女の子に寝癖と間違えられてしまってからはもう全く見た目にも気を使わなくなってしまった。
しかし今はとにかく何か答えなければならない。
「お、おまかせで」
三郎がなんとかひねり出した返事がこれだった。
女性はクスッと笑った。
「わかりました。じゃあとってもカッコ良くしないとね」
女性は笑顔を崩さずに言った。
そしてハサミを三郎の髪にいれ始めた。
カットされている間しばらくは沈黙が続いたが女性がその沈黙を破った。
「今日はお休みですか?」
「は、はい。そうなんです。だから髪でも切ろうかな、なんて」
今が仕事中なんて女性に言っても不審に思われるに違いないと三郎は思い無難に返す。
ましてや無職などと言えるはずもない。
三郎は今の話を切り替えるべく先程は聞けなかった先週の件を聞こうと話を切り出した。
「あ、あの、そういえば先週丸山公園にいませんでした?」
「はい、いましたよー。なんで知ってるんですか?」
女性はまだ気付いていない様子だった。この美容師くらいの美人になると三郎のことなど気にならないのかと思いショックを受けた。
「じ、実はあのとき僕も公園にいたんです。で、そのとき目が合ったのが印象に残ってて。つい気になって聞いちゃいました」
三郎は少し笑みを浮かべながらどもりつつ言った。女性には大変不気味に映っていたことだろう。
「へー、そうなんですかー。気づかなかったです」
女性にとってはもうどうでも良いことなのだろう。返事にも適当さが三郎でもうかがえた。
あの公園の近くに住んでいるのか。
あの日は何をしていたのか。
もしかして三郎を監視していたのか。
そう聞こうかとも思ったがもう話を広げるのをやめた。
この状況では不審がられるのが目に見えていたからだ。
その後は沈黙のままカットが進んだ。
極度に緊張したからか三郎は気がついたら眠ってしまっていた。
「終わりましたよー」
女性の声に気がついて三郎は目を覚ました。すると鏡には見違えるような姿が映っていた。
普段は自分で適当に髪を切っているため全くまとまりがなくかなり老け込んで見えていたが今は違う。しっかり年相応に見えるのだ。
あとは髭さえ剃れば何もおかしくなく見える。
「え、こんなに変わるんだ。ありがとうございます」
先程は気まずい空気があったが三郎は素直に心から感謝をした。
女性とこ会話にはモヤモヤを残したが髪がさっぱりし少し変わった三郎は美容院を後にした。