12-Sideユキ:シティの日常
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
深夜の廃倉庫に怒声と悲鳴が響き渡る。悲鳴を上げているのは口と手の甲から針を生やしたスティングロスペイル、怒声を上げているのは刀を持った女性、朝凪エリヤだ。ちなみに、針を生やして『いた』というのが正しい。それは既に丁寧に折られていたからだ。
「さて、それではインタビューの時間だ。
貴様らの雇い主はどこにいる?」
「バカめ、言うとでも思っているのか!?
俺たちは血の絆で繋がった……」
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
容赦ない連撃がスティングを細切れに裁断!
スティングロスペイルは爆発四散した!
「いや、言うとは思っていないよ。
お前さんが残したものを見せて貰えればそれでいい」
刀を鞘に納め、倉庫内にあった事務所を見てみる。そして、エリヤは舌打ちした。実のある情報はまったく無かったからだ。誘拐少年少女の類もなし。
(あいつら、最近やり口を変えて来ているみたいだな。
この街のすべての人間をロスペイルにしようとしている……
そうセルゲイは言っていたが、本当は違うんじゃないか?)
セルゲイが嘘をついている、と思ってはいない。だが彼がすべてを教えられているとも思っていない。セルゲイはあくまで金稼ぎのための駒だとエリヤは認識していた。
「ま、いずれにしろ連続刺殺事件はこれにて終幕だ。帰るとするか……」
エリヤは大欠伸をしながら倉庫を後にした。サウスエンドの住民を日夜震え上がらせていた連続刺殺事件の犯人は爆発四散し、人々は安息を取り戻したのだった。
「……ということがあったんだ。
まったく、どこもかしこも物騒で困るよ」
「そうなんですかー。ごめんなさい、ボク昨日早くに寝ちゃって」
「いいんだよ、あんなの私一人で十分だったんだ。
気にするほどのことじゃない」
少し愚痴っぽくなってしまったか、とエリヤは内省した。少なくとも、エリヤ自身はクーデリアに健やかに育ってほしいと思っている。市長軍による巡回が日常に溶け込み、内乱状態となったこのシティの中ではあるが、それでも子供には健やかに育つ権利がある。
「お待たせいたしました。いつもありがとうございますね」
「いやいや、近くにこんないい店を作ってくれたマスターのおかげさ。
美味い飯にありつける分、むしろ私たちが礼を言わなきゃいけないくらいだ。
なあ、クーちゃん?」
「そうです! 牧野さんのお料理、みんな大好きです!」
クーデリアの素直な感想に、恋もまた笑顔で答えた。
「そう言えば最近結城さんがいらっしゃいませんね。
お仕事、忙しいんですか?」
「ちょっと遠出していてね。
なんだい、彼の行方が気になったりするのかい?」
エリヤが少し下種な表情を作って肘でつつくと、恋は否定しながらもまんざらでない表情をした。彼女が虎之助に救われたのは一度だけではない――少なくともここで言いふらすようなことではないが――。なので、彼女は虎之助に好意を抱いている。
「ま、そんなに心配することはないさ。
あいつは強い、ひょっこり戻って来るさ」
「そうだといいですね。結城さん、うちの料理苦手みたいですから」
「おかしいですよねー、トラさん。
こんなに美味しいのばっかりなのに……」
クーデリアが口をとがらせ、いまはここにいない人物に抗議した。
「……あら、そう言えばもう一人いらっしゃらない方がいますね。
アリーシャちゃんでしたっけ?
結城さんの事務所でお預かりしているっていう、あの子」
「私の事務所なんだが……
まあ、そうだよ。彼女はいまウェストの図書館にいる。
少なくともサウスにいるよりは安全だろうからな。
御守りを一人置いているのさ」
「御守りって、正幸くんのことですよね? この前ここにも来ていた」
エリヤは煙草に火をつけ、一口煙を吸い込み吐き出しながら言った。
「ああ、アリーシャちゃんもユキくんに懐いている。
ユキくんも、ああいう子供の面倒を見るのが好きなんだろうな。
まったく、私にはどうしても理解出来ないことだよ」
遅めの昼食を終えてマーセルを後にし、二人はウェストポイントにある古びた図書館へと向かった。古代神殿を思わせる壮大な建物であり、周囲のコンクリート建築の中ではあからさまに浮いていた。むしろ、存在感を漂わせていると言った方が正しいだろうが。
アーチ状の玄関を潜ると、内部もやはり装飾性を重視したつくりになっていた。吹き抜けのエントランスからは鈍色の空が、最奥部の大窓からは腐敗した街並みがよく見える。かつては行ではなかったのだろうな、と思いながらエリヤたちは歩を進めた。
「よう、ユキくん。すまないね、定期的にこういうことを頼んでしまって」
「あっ、エリヤにクーですの! ほら、こっちこっち! 早く来るですの!」
「アリーシャちゃん、ここでは騒いじゃいけないの。ほら、シー?」
ハーフフレームの眼鏡をかけたユキが、唇の前に人差し指を置いた。
「ユキくん、眼鏡かけるんですか? 何だか印象が変わりますねぇ」
「ハイ、勉強をするときはかけるようにしているんです。
別に見えないわけじゃないんですけど、マインドセットというか……
こうした方が集中力が上がる気がして」
そう言ってユキは苦笑した。
本当にマインドセット以上の意味はないのだろう。
「色々な本を読んでいるみたいだね。
『黒猫のタンゴ』『100万匹わんちゃん』『犬猫友情物語』『優しい魔王』……
なるほど、アリーシャちゃんはこういう動物が好きなんだ」
「はい! フワフワしていて可愛くて……抱きしめてあげたいですの!」
ゴワゴワして狂暴な野良しかいまのシティにはいないんだよな、と思いながらも、二人はそれを心のうちにとどめた。子供には夢を見ていてほしいものだ。
「しかし、司法試験は来月だろう?
言っておいてなんだが、こんなことをしていていいのか?
勉強に遅れが出てしまっては、さすがに申し訳がないんだが……」
「大丈夫ですよ、ここじゃなくても勉強は出来ます。
それにいい気分転換になる」
「素晴らしい。お前の兄貴に是非とも聞かせてあげたい言葉だな」
実際のところ、虎之助は作業効率が低下したと嘆いていたのだ。
「様子を見に来たが、特に問題は無いようだな。
どれ、我々も少しばかり本とやらを読んでみることにするか?
ここまで来て何も読まないのは、さすがに失礼だろう」
「いいですね、それ! 何だか面白そう!」
リキむクーデリアを見て、三者三様の楽し気な反応を示すのであった。
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……それを観察する者がいた。
彼は気付かれぬよう、慎重に様子を探った。
「おおッ……おお、あれが、あれが神の子……!
有り難い、有り難すぎて目が潰れてしまいそうだ!
これ以上直視しては、さすがにマズい……!」
彼は本棚の影に隠れ、呼吸を整えた。
単なる変質者にしか見えぬが……しかしそうではない!
見よ、彼の行動を咎めるものは周囲には誰もいない!
誰もが倒れ伏し、意識を失っているからだ!
彼は凶悪な能力を持つロスペイルに他ならない!
「師父、お導きを!
ここまでいたはいいですが、イカがすればよろしいでしょうか!」
彼は耳に手を当て、小型通信機で外部と連絡を取った。
返事はすぐ返って来た。
『私が表で騒ぎを起こす。
スクイッドと共に帰還しろ、彼女を連れてな』
「はっ! しかし、もし余計なものが付いてきた場合は……?」
『それも連れて来い。
ここで始末するより、連れて行って始末する方が簡単だ』
「アリガトウゴザイマス! それでは、失礼いたしまして……」
彼は、タイアードロスペイルは時を待った。
神の子をその手で抱ける、その時を。




