11-強者と強さを求める者
ローチは素早く腕を振り上げると、それを容赦なくマリオの頭に振り下ろした。優香は彼の体を掴み、乱暴に投げ捨てた。上品な白のスーツが薄汚れた泥に汚れる!
「ヒッ、ヒィッ!? た、助けて! だ、誰か助けェーッ!」
追い掛けようと地を蹴るローチ。
速い、だが対処出来ないほどではない。優香は掬い上げるような爪の一撃を彼に繰り出した。爪が胸を抉る、その寸前でローチはバック転を打った。三連続のバック転で距離を取ったのち、彼は構えを取った。
「何者だ、貴様。オーバーシアとかいう連中の手先か……!?」
「オーバーシア? あんたがだろう。罪もない一般市民を殺そうなんて」
そこまで考えて、果たしてあの男に罪がないのだろうかと優香は思った。ヤクザに護衛をさせ、自らも拳銃を帯び、迷うことすらなく発砲した。何らかの犯罪に関わっていて、殺される覚えがある、ということだろうか。考えようとしたが優香はやめた。
「ま、あたしの前で人は殺させないよ。
やりたいんならあたしを倒してから行きなさい」
優香も構えを取った。彼女の構えはまったく洗練されておらず、素人丸出しであったが、しかし強い。それは彼女が変化したロスペイル――古代生物学に堪能な者であればアルクトドスの名を上げただろうう、熊の祖先とも言われる強靭な生物だ――の特性によるものだった。凄まじい筋密度と、瞬発力。矛盾する二つを備えた奇跡の肉体だ。
そんな怪物を前にして、ローチは怒りを爆発させた。闘志が可視化したようにさえ、優香には見えた。怒りが大気を揺らし、地を震わせた。優香は生唾を飲み込んだ。
「人は殺させん、か。立派な心掛けだ。
生きている価値のないクズを生かそうとさえしていなければな……
立ちはだかるのならば、私は貴様にも容赦はせん……!」
「へぇっ……
容赦をしないってんなら、いったいあたしをどうしてくれるんだい?」
震える声で言う彼女の二の腕に、チクリとした感覚があった。
そこにいたのは、蜂。
「ッ……!? こんなもので、あたしが倒れるとでも!」
優香は虫を振り払った。その瞬間、ローチが動いた。慌てて腕を引き戻そうとするが、遅い。乱雑な攻撃はあっさりと避けられ、懐に潜り込んだローチが蹴りを放った。
「イヤーッ!」「グワーッ!」
ローチは顎先を蹴り上げ一回転! サマーソルトキックと呼ばれる技だ! 見せ技の類だが、しかし優香の頭部に決して無視出来ぬダメージを与えていた。視界が揺らぐ中、彼女は驚異的なタフネスを持ってその場に踏み止まり、着地したローチ目掛けて蹴りを放つ。
「イヤーッ!」「グワーッ!?」「イヤーッ!」「グワーッ!」
伸びて来た足を、ローチは脇に抱えた。そして容赦のない肘打ちを膝に打ち込み、関節を破壊! 更に足を持ち上げ、未だダメージの抜けきらぬ優香の体を持ち上げる! 不安定な体勢になった優香は転倒、ローチは無防備な彼女に何度もストンピングを繰り出した!
やられっぱなしではない、優香は倒れたままの状態で腕を振るった。だが、彼女の巨体はこの狭い路地で十全に力を発揮することが出来ない……読みやすい軌道を見抜かれ、ローチによって折り砕かれるだけだ! 恐るべき獣の咆哮が路地の中に木霊する!
「身体能力に頼り切った雑な格闘……!
その程度で俺を殺せるとでも? 笑止!」
ローチは一際強力な瓦割りパンチを優香の顔面に突き下ろした。衝撃で彼女の体が跳ね、そして止まった。変身が解除され、少女の体が露わになる。
「オーバーシアではなかったか。とんだ時間の無駄だ……!
だが、マリオ=パッセリーノ、貴様は逃げられん。
せいぜい震えて明日を待つがいい……!」
ローチは優香に目もくれず去って行った。
彼女はぼんやりと空を仰ぎ見た。
(……何されたのか、さっぱり分からない。
強い、な。あんなのがいるのか)
折り砕かれた手足は、アルクトドスの凄まじい再生能力によって既に復元していた。しかし、あまり立ち上がる気になれなかった。とにかく空腹だったのだ。再生にはエネルギーを大量に消費する。何かエネルギーを補給しなければ、と思ったがそれをする気力さえ湧いてこない。しばらく寝て待とう、そう優香は思ったが、足音が聞こえた。
「チィーッ、虫けらめ。
逃げ遂せやがったか。これは大損失だぞ!」
転がりながら、優香は目線だけをそちらに向けた。ダブル・ヤクザスーツを着込んだ二人組の男がそこに現れた。しかし、優香の鋭敏な嗅覚はそれらが放つ人間とは異なる臭いを捉えていた。
すなわち、この二人組はロスペイルだ。
(立ち振る舞い、気配、目の動き……
ああ、なるほど。こいつらはローチほど強くない)
彼女の野生的感覚は、強敵との交戦によって研ぎ澄まされていた。残虐な本能が刺激され、彼女は自然と笑みを作った。強大な肉食捕食者の笑みを。
「ン? オイ、あそこにガキが倒れているぞ! 情婦か?」
「中々の上玉だぜ! 死んでるッつっても、これは、役得だぜ!」
益体のない話を続けるヤクザは気付かない。彼女は素早く立ち上がり、二人を見た。呆然と立ち尽くす二人は変身することさえも忘れている。
「お腹減ったんだ……食べさせてよ」
エッ、と言う間抜けな言葉を最後に、男たちは死んだ。一人は喉元を噛み千切られ、一人は巨大な腕に押し潰され。5分後、そこにはヤクザの死体しか残っていなかった。




