11-10年越しの敵討ち
市長軍が全面的なオーバーシアとの対決姿勢を表してから数週間、シティは息苦しい重圧感に包まれていた。都市行政府は議会に対していくつかの窮屈な法案を提出し、戒厳特措法においてそれらは審議なしで承認された。それらは市長軍の権限を大幅に高めるものであり、軍は許可なしでの犯罪者処罰、あるいは射殺を許可されるようになった。
軍用サイバーグラスをかけ、大型のサイバーブーストアーマーを纏った兵士たちが街を練り歩く。彼らは40口径の大型マシンガンを装備し、威圧的に辺りを見回す。これは集中砲火を行えば、実際ロスペイルを殺害せしめる強力な武装だ。
当然、そうなれば僕のような探偵も非常に居心地が悪くなる。戒厳令環境下において、警察や探偵の捜査権限が相対的に縮小されることとなったからだ。犯罪の証拠は下手を打てば市長軍に接収されてしまう。もちろん、それを掻い潜るのも腕の見せ所だが。
僕はフードを目深に被り、裏路地を通って目的地へと向かった。2日も続いた長雨のせいでジメジメとした空気が漂っている。重金属に汚染された鈍色の雨は弱いものを容赦なく打ち据え、色々なものを洗い流した。汚濁、腐敗、そして犯罪の証拠……
浮浪者たちが身を寄せ合う、軒と軒とが重なり合った小さな安息地。サウスポイントとウェストポイントの間、道路を隔てたところにある貧民街。先住民たちは僕のことを一瞥し、やがて興味を失い視線を外した。こんな調子だから、4日前に起こった殺人事件の調査だって満足に行えない。彼らは部外者に冷たいのだ。
4日前、ここで人が死んだ。被害者の名前は村上佑、学園都市周辺のシノギ・ビジネスに強い影響力を持つ村上組の若頭だ。強引なシノギで強い恨みを持たれていたとはいえ、その死に様はあまりに凄惨で、常軌を逸したものだった。
何故なら、村上は全身をズタズタにされ、皮膚の一片さえも残さず死んでいたのだから。
そんな異様な死体が、自らの血に倒れ伏していたのだ。
だが、拷問死という様子でもなかった。彼の皮膚は引き剥がされたというよりは啄まれたという感じであり、皮下の筋肉にも損傷が認められたのだという。何かに噛みつかれ、全身の皮膚と言う皮膚を食い尽くされ、殺された。尋常な死に様ではない。すなわち、ロスペイルの仕業だということだ。そこで、僕にお鉢が回って来たというわけだ。
(やれやれ、『ギルド』も面倒な時に仕事を回してきてくれたものだ)
市長軍はどさくさに紛れて、犯罪組織の摘発さえおも行っているらしい。オーバーシアの支援団体の疑いあり、ということらしい。となると、ヤクザから仕事を受けている僕も協力者として睨まれることになる。まったくもって面倒だ。
「『ギルド』への義理はあるが、面倒なことになる前に退かせてもらうぞ」
僕はしばらくの間聞き込みを続けることにした。ヤクザの若頭がうらぶれた路地で死んでいた、誰か目撃者がいるはずだと思った。だが、そんなことはなかった。うらぶれた路地で暮らしているものは今日を生きるので精一杯であり、下らないことにかかずらっている暇などないのだ。雨脚も段々と強まって来ている、さっさと帰るに越したことがない。
「それじゃあ、次はこの問題ね。
さっき教えたことを思い出してみて、アリーシャ」
「うーんと……それじゃあ……こうですの! ねっ、正解でしょ?」
事務所に戻ると、ユキとアリーシャが勉強に興じていた。いや、勉強に興じるというのがおかしな表現だということは分かっている。だが、そうとしか表現出来なかった。
「ハイ、よく出来ました。
アリーシャは飲み込みがいいから、教え甲斐があります」
「フフッ、ありがとうユキ! それじゃあ……次ですの!」
「楽しんでるみたいだね、ユキ、アリーシャ。調子はどうなんだい?」
僕はレインコートを脱ぎ、頭を拭いた。安物のレインコートを買ってしまったため、若干雨が漏るのだ。このままでは将来ハゲてしまうかもしれない。
「うん、とってもいい。アリーシャは頭がいいんだね」
最初の内はやや他人行儀だったが、いまや二人はすっかり打ち解けている。
「それはよかった。
ユキ先生の話をちゃんと聞くんだよ、アリーシャ?」
僕の言うことはあまり良く聞いてくれないが、ユキの言うことは聞いてくれるらしい。
「分かりましたの! ところでお兄さん、こちらの問題なんですけど……」
「おっと、それは先生に聞いてくれ。僕はそう言うのが得意じゃないんだよ」
自慢じゃないが、僕はジュニアスクール中退だ。
高度な計算など出来るはずもない。
「兄さん、これそんなに難しい問題じゃないはずなんですけど……」
「バーカバーカ、ですの!」
ユキが苦笑し、アリーシャがはやし立てる。何とでも言うがいい、学校の勉強ができることよりも、実生活で役立つことが出来るかが重要だ。人の秘密を嬉々として暴き立てられるようにするとか。
「……しかし、クーもエイファさんもいないとなると、いささか寂しいな」
最近は事務所メンバー以外がいることも多かったため、何となくがらんとした感じに思えてしまう。アリーシャとユキは二人で楽しんでいるので、何となく疎外感がある。
「おっ、やってるようだな。邪魔するぞ」
「飲み屋じゃないんですから。
っていうかノックもしないで入って来ないで下さい」
そんなことを考えていると、エリヤさんが入って来た。
「まあいいだろう、私が地権者だ。私の土地にどう入ろうと勝手だろう?」
「店子の人権を認めてくれる気は無いみたいですね……」
ため息を吐きながら合成コーヒーを淹れた。まあ、枯れ木も山の賑わいという言葉がある。エリヤさんだっていてくれれば、場が随分華やぐことだろう。
「ところで、虎之助くん。いま仕事を抱えているそうだね。
どういうものなんだい?」
「耳が早いですね、エリヤさん。まあ、厄介な仕事ですよ。
『ギルド』の依頼なんです」
そら来た、彼女はこちらに仕事に首を突っ込みたがるのだ。彼女の洞察力や戦闘能力、そして探偵としての経験が役に立つことは否定出来ないのだが……まあ、いつも通りだ。興味を失えば帰るだろう。
「ウェストとサウスの間で、人が死にました。
村上佑って男なんですが……」
ところが、敏腕女探偵はその名を聞いた途端目をかっと見開き、わなわなと震えた。コーヒーカップを持つ手に力がこもり、やがて粉々に割れた。
「わぁっ!? ど、どうしたんですかエリヤさん!?」
ユキは驚き跳ね上がるが、しかしエリヤさんは答えない。
両目には鋭い光があった。
「虎之助くん。
途中からで悪いが、この件には私も関わらせてもらおう……」
「それは、もちろん大歓迎ですが……
どうしたんですか、エリヤさん?」
彼女の態度は尋常ではなかった。
エリヤさんは深いため息を吐き、呼吸を整えた。
「……村上佑はな、私の祖父……
朝凪幸三の死に関わっているかも知れない男なんだ」




