10-去る者と残る者と
御桜さんは太い足で跳躍、ビルからビルへと跳んだ。
僕もそれを追いながら叫ぶ。
「待ってください、御桜さん! 話を、話を聞いて下さいよッ!」
『オカモト』の看板がかかったビルの屋上に、彼女は降り立ち、止まった。僕もそこに着地し、変身を解除した。御桜さんは目にも止まらぬ速度で振り向き、爪を向けて来る。僕の体を引き裂かんばかりの勢いで放たれた爪は、しかし目前で静止した。
「もし、あたしに殺す気があったら死んでたよ。
それでも、いいっていうの?」
「御桜さんが正気を取り戻しているって、僕は信じていましたから」
彼女の体が光に包まれた。
2m以上あった身長が縮み、彼女の姿が戻って来た。
「あたしを信じて、死んじゃったらどうするんだよ。
あなたには、守らなきゃいけない人たちがいるんだろう?
それを、こんな……化け物のことを信じるような真似を!」
「違います、あなたは人間だ。
それはあなた自身が分かっていることじゃないんですか」
僕は御桜さんの肩に手を置いた。
彼女はビクリと震えたが、僕を突き飛ばさなかった。
「帰りましょう、御桜さん。
あなたには帰る場所があって、帰りを待っている人がいるんです。
例え人間でなくなってしまっても……人であろうと思っているのならば。
人として生きるつもりがあるのならば、きっと生きて行けると思うんです」
御桜さんは唇をかみしめ、天を仰いだ。
鈍色の雨が僕と御桜さんを濡らした。
「ダメだよ、結城さん。あたしはもうダメだ。
もう、戻る資格なんてないんだ……!」
「そんなことはありません! あなたは……」
「あたしは人を殺してしまった!
あたしはもう、人の社会で生きていけない存在だ!」
僕は息を飲んだ。確かに彼女は、そう……戦いの余波に巻き込まれ、アスファルトの散弾に撃たれ、踏み潰されて、死んだ人は大勢いる。そして、僕は人を殺すロスペイルを倒すために戦っている。それに従うなら、彼女は倒すべき敵だ。しかし……
振り上げた拳を振り下ろすことなんて、僕には出来ない。彼女が被害者であることは誰よりもよく知っている。だから……だから僕は、彼女を見逃そうとしているのか?
「……人だって、人殺しの罪を犯すことはある。
でも、罪を償うことは出来るはずですよ。
あなたに人として生きて行くつもりがあるのなら……!」
「ありがとう、結城さん。優しいんだね、あなたは……本当に」
優しい?
違う、エゴイスティックなだけだ。それも自分の思いすらも貫けぬ中途半端な存在。自分の事情で信念をころころと変える最低最悪な存在。
彼女のは右腕を怪物の物に変え、拳を握り十分に加減した一撃を繰り出した。あまりの痛みに、僕は動くことすら出来なくなる。吐瀉物が迸り、地面を汚した。
「父さんには、死んだって言っておいてほしいな。
それから、ありがとうって」
そんな重い、大切なことは自分の口から伝えてくれ。そう言おうとしたが、口が思うように動かなかった。御桜さんは跳んだ、彼女を見つけることはもう出来なかった。
5分後、ようやく動けるようになった僕は下に降りた。地獄絵図の如き光景だった。フラワーロスペイルの謎めいた攻撃を受けた人々は既に事切れていた。僕たちの戦いの余波で死んだ人々が運び出されて行く。吹き出した鮮血がグラフィティめいて刻まれた。
「トラさん!
大丈夫ですか、刺されたって聞きましたけど……!?」
クーはユキと一緒にいた。ユキはお腹を押さえ、具合悪そうにしているが、取り敢えず命に別状はなさそうだ。アストラの鎧の力だろうか?
「ああ、僕は大丈夫だ。それより、刺されたっていったい誰に?」
「黄色いエイジアですよ! ジェイドでしたっけ?
あの人はいなくなりましたけど」
さすがに逃げ足が速い。けたたましいエンジン音が聞こえて来たかと思うと、市長軍の装甲車が何台か現場入りした。ここまでの被害者が出れば、彼らも黙っていられない。
「取り敢えず帰ろう……
どれだけ犠牲者が出たかは分からないけど、いまは……」
今更になって痛みが蘇って来る。僕はその場に腰を下ろした。携帯端末で母さんに連絡を入れる、こちらは問題がないこと、そしてユキを預かっていることを。
「いまエイファさんたちを呼んでいます。一緒に帰りましょう」
脂汗が止めどなく流れ、痛みが意識を刈り取ろうとする。
「なあ、ユキ。
お前が使っているあのデバイスをくれたのは、クーだろう?」
だから僕は二人に問いかけることにした。ユキははにかんだような笑みを浮かべて頷き、クーは笑顔で答えた。大事な弟に何をしてくれるか。
「ハイ、地下都市構造体で見つけたものです。
エリヤさんはあんまり好きじゃないって言っていましたから。
アリーシャちゃんと二人きりになった時に渡してあげたんです。
あれを使って守ってあげられたらいいな、と思って」
おかげさまで命を守られたのだ、特に文句はない。
それでも……
「心臓に悪いから、今度からはこういうことをしたらちゃんと報告をいれてくれ」
「へへっ、ごめんなさいトラさん。今度からは、絶対に」
「それから、ユキ。気を付けろよ。
あいつらに目を付けられたかもしれないから……」
「うん、ありがとう兄さん。僕も、気を付けるよ」
僕は壁に体を預け、少しだけ目を閉じた。数分後、二人が合流して来たので、僕たちは事務所へと向かって帰って行った。騒乱の後をそこに残したまま。
翌日、市長軍は正式に声明を発表した。
現在サウスエリアで頻発している事件には、カルト宗教団体オーバーシアが関与していること。百名規模で死傷者を出した集団を特定過激思想団体と認定し、徹底的な調査と鎮圧を行うこと。
シティ全体に戒厳令が発令された。
オーバーシア狩りが始まろうとしていた。




