09-見据える『敵』
個人用エアプレーンを所有している人間は少ない。そして彼はその僅かな一人だ。だがそれは操縦できる人間がいないということではない。操縦桿はエリヤが握った。
「大丈夫なのか、お前は?!
本当にこれを操縦出来るんだろうな!?」
「賠償請求されないように頑張って見せるさ。
舌を噛まないように注意していろ!」
計器類をチェック、少し燃料は少ないが問題ない。
二つのローターがゆっくりと回転を始め、機体がほとんど垂直に飛び上がった。それは段々と速度を増し、黒炎と炎を切り裂いて空に舞い上がった。鈍色の空に、白い軌跡が描かれた。
「終わりだ、もうおしまいだ……私は、私はもう……」
「ううッ、狭いですよエリヤさん。
これじゃあ潰れちゃいますよぉっ」
「すまんね、シティに着いたら降ろしてやるからさ。
それまで待っていてくれ」
エアプレーンのスピードなら1時間もしないうちに辿り着くだろう。現にビルの長い影が視界に映っている。ルークは相変わらず、絶望的な繰り言を紡いでいる。
「なあ、あんたもそろそろ現実を受け入れたらどうだ?
施設は崩壊しちまったし、アンダー・ザ・サーティーンとやらも死んだ。
もうどうしようもないだろう?」
「お前は分かっていない。
クルエルさんは死なない、絶対に俺を殺しに来る……」
「どうかな? エイジアは強い。
あんな奴、指先一つで弾いちまうさ」
クーデリアも頷いた。
トキシックは強い、だが虎之助が負けるとは思っていなかった。
「あんたはどうするんだ。このまま唯々諾々と殺されちまっていいのか?
あんた?」
「……よくない! 私は全然儲けていないんだぞ!
それなのに、あいつら……クソ!」
ルークの脳裏に、彼らからもたらされた屈辱的な待遇の数々が思い出される。珍重していた部下を殺され、地下に妙な施設を作らされ、それでいてマージンは微々たる額。逆らえば威圧的な演舞が開催され、時には部下が木人代わりにされた。実のところ、今日は胸のすく思いがしていたのだ。
「なあ、ルークさん。これはチャンスだぞ?
あんたの人生にのしかかってくる困難を排除する術がある。
私たちに協力さえしてくれれば、矢面に立たなくたっていいんだよ。
アンタが情報をくれれば、あいつらは私たちで排除してやる」
ルークは思った。これは悪魔の契約だ。
ならば……乗った!
「分かった、くれてやる。
代わりに、代わりにあいつらを絶対に殺してくれ!」
「ああ、分かった。探偵は依頼人を裏切らない、そういうものさ」
「あいつら私の部下を殺しやがった! ネンゴロにしていたあいつも……」
都市の影がどんどん近付いてくる。
エリヤは安堵したような笑みを浮かべた。
CRASH。
DOOM。
そんな音が聞こえて来たのは、まさにその時だった。
フロントの防弾ガラスが粉々に砕け、隣にいたルークの頭が粉々に弾けた。
「これは……! まさか、敵の攻撃か!
だが、いったいどこから攻撃を!?」
エリヤは周囲を見渡した。襲撃者の影は見えない。
だがクーデリアは前を指した。
「見てください、エリヤさん。
あそこです。あそこに、人影が……」
確かに、そこに人影があった。
地上400mはあるビルの屋上に。だが、それは。
「ここから3kmは離れているぞ……!?
あんなところから狙撃など、出来るわけが」
ビルの上にいた影が、腕ほどに太い何かを構えた。エリヤはハンドルを傾け、120度機体を傾けた。しまっていなかった車輪が何かにもぎ取られた。
「決まりだな、あいつだ。
あいつは何らかの手段を使って攻撃を……!」
「どうするんですか、エリヤさん!
この距離じゃあどうしようもないんじゃ……」
エリヤは猛獣を思わせる凶悪な笑みを作り、機体を更に加速させた。時速120kmをゆうに超える鉄塊が迫って来るのを見て、屋上の人物が鼻根を寄せるのが見えた気がした。
大柄なテンガロンハット、ダスターコートにジーンズ。ウェスタンスタイルの大男が発砲。エリヤは機体を傾けかわした。ルークの体に二発目が撃ち込まれた。
摩天楼の屋上にエアプレーンが墜落!
エリヤとクーデリアは一瞬早く脱出し、屋上に転がった。クーデリアは起き上がりざまにガトリングガンを発砲! 航空燃料に高熱を纏った弾丸が命中し、燃え上がり、そして機体ごと大爆発を起こした。
「……やったんでしょうか?」
「いやぁ、やっちゃいない。構えを解くなよ」
ダスターコートの男はクルクルと回転しながら炎の中から飛び出し、着地した。
「ドーモ、アンダー・ザ・サーティーンの刺客。
私は私立探偵、朝凪エリヤだ」
エリヤは挑発的な笑みを浮かべて男を見た。
男は無表情に二人を見る。
「俺のことを知っているのか。
この男がいたということは、クルエルか」
「あの男なら死んだ。
アンタも大人しく、その後を追ってくれると助かるんだが」
ダスターコートの男はふんと鼻を鳴らし、踵を返した。
クーデリアは銃を下げない。
「クルエルを殺したというのならば、こちらも本気で戦わねばならん」
「望むところだ、クソども。貴様らの好きにはさせんぞ」
それを聞くと、男はビルから身を躍らせた。
やはりロスペイルだったのだ。
「アンダー・ザ・サーティーン……
いったいどういう人たちなんでしょうか?」
「さあ? 分かっていることと言えば……
さっさと逃げなきゃヤバイってことだ」
サイレンの音が近付いてくる。こういう時だけ対応が早いものだ、とエリヤは思った。二人の超人は同じように屋上から身を躍らせ、夜の闇の中に消えて行った。
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今回の仕事は散々な結果に終わった。
モニターを眺めながら、つくづくそう思う。
『午前0時頃、トルニクス産業廃棄物処理場で大規模な火災が発生しました。
懸命な消火活動が続けられていますが、依然火は消し止められていません。
現場では死者行方不明者合わせて10名以上が確認されており……』
『トルニクス氏はプレーンで逃走中に事故に遭い墜落したものと見られます。
病院に運び込まれましたが、全身を強く打ち死亡が確認されました。
警察では余罪を追及し……』
僕は電源を切った。
事務所内を重い沈黙が支配していた。
「大変なことになってしまいましたね。僕のせいだ……」
「あのロスペイルが自爆装置を発動させたのさ。
原因を作ったのはお前かもしれんがな。
奴らの所業にまで心を痛めていたら、要らぬ苦しみまで背負うことになるぞ」
エリヤさんは煙草に火をつけようとした。
だがすぐにさかさまだと気付いた。
「私たちに出来るのは、これ以上被害者を増やさないことだけだ。
死んでしまった人々のことは……どうしようもない。
一度戦いを始めてしまった以上は、な」
「分かっています、エリヤさん。
僕だって、こんなところで放り出すつもりはない」
せめて、前を向こう。
糾弾も怨嗟もすべて受け入れて、前に進もう。
「ただいま帰りましたのー!」
そんな風に考えているとアリーシャがユキと一緒に帰って来た。
「ごめん、ユキ。アリーシャのこと、一晩頼むことになっちゃったね」
「ううん、いいんだよ。
父さんも母さんもちゃんと受け入れてくれたからね」
両親にはアリーシャの出自に関しての情報も伝えてある。謎めいた地下都市、そして彼女を狙う者たちの存在。受け入れてくれたことを感謝しつつも、家族に何の被害もなかったことが素直にうれしい。出来ることなら、それほど頼りたくはない。
「それじゃあね、兄さん。アリーシャちゃんもまた、ね」
「はい! またですの、ユキ!」
アリーシャは去っていくユキに向けて手を振った。子供っぽい子だな、と思った。あるいはユキが14にしては大人び過ぎているのかもしれないが。
「ま……これからのことをはこれから話し合うことにしよう。
飯にでもしないか?」
「いいですね!
この時間ならきっと空いてるでしょうし、マーセルに行きましょう!」
あれ以来、クーはマーセルのバイオ料理を気に入ってしまったようだ。多少は躊躇われるが、しかし一同特に反対意見は無いようだ。仕方ない、僕も受け入れるしかない。
「分かったよ、それじゃあ行こう。今日の会計は僕が持つよ」
「ええっ、マジですか! ありがとうございます!」
もともとクーはカネを持っていないので、僕かエリヤさんのどちらかが持つことになるのだが。戸締りを済ませ、部屋を後にする。マーセルへの道中で、僕は考えた。これからのことを。トルニクスの下に残っていた資料、それはこれからの道しるべとなった。
(……『真理射抜く瞳』)
おぞましき十字眼のシンボルの下には、そう書かれていた。
オーバーシア、それがこの街に巣食う敵の名前。
初めてわかった気がした。
僕はこいつらと戦うために、エイジアとなったのだと。




