07-再来
事務所に戻った僕は嘆息した。
いつもそこにいるはずの人が、いない。
まだ慣れない。
「んー……あー、おはようございます結城さん。
今日のご飯は何ですかぁ?」
「昼過ぎまで眠っている穀潰しに食わせる飯はない。
と言いたいところだけど、僕もお腹が空いているからね。
簡単な昼にしよう、それが終わったらすぐに捜査会議だ」
帰って来ると女の子がいる、という環境にもようやく慣れて来た。
最初はドキドキしたが、すぐにクーデリアのポンコツっぷりが明らかになったので鼓動も自然と収まって来る。よく食って、よく寝る。物事を考えるのが苦手で、力押しで解決する傾向がある。女の子になった僕を見ているようで、何だか心まで萎えてくるような気がしてくる。
「あれ、どうしたんですか結城さん?
何か微妙な顔してませんか?」
「いや、何でもないよ。
取り敢えずテーブル片付けておいて。用意するから」
了解、とクーデリアは右手で敬礼をした。
どこで習って来たんだろう、あんなの。
成形豆食材を簡単に味付けして、それを昼飯にした。調味成分の類は簡単に手に入るが、しかし味気ないことに変わりはない。とは言っても、マーセルに毎日通えるほどの稼ぎがあるわけでもない。何よりこれは圧倒的に安い。
「ぷはー、ご馳走様でした!
いやー、今日も飯が上手くて元気が出ます!」
「これを美味しいって言えるのが羨ましいよ。
っていうか、あれ……?」
クーデリアはサイボーグのはずだ。生身の部分に見える場所も多いが、大部分は機械だろう。そんな彼女が食事をとる必要が、果たしてあるのだろうか……?
「まあ、いいや。
ところでクーデリア、ダイナソア・インダストリの件は知ってる?」
「いえ、知りません! 何かあったんですか?
事件ですか、事件!」
この娘は本当に事務所で寝こけていたらしい。
僕はイチから説明を始めた。
「ほうほう、大企業の社長が爆発四散したと……
これは事件の臭いがしますね!」
「そりゃ人間がひとりでに爆発四散するわけはないからね。
本当なら、ダイナソアは長年社会に溶け込んできたことになる。
ロスペイルでありながらね」
ダイナソアもまた、知性を持つロスペイルの一体だったということだろう。ダイナソア社は強引なシノギで問題を起こしていた企業だ。非人道的なまでと揶揄されるほどだったが、まさか本当に人街が運営していたとは誰も夢にも思わないだろう。
「取り敢えず、周辺一帯の聞き込みに行ってこようと思う。
クーデリアも来る?」
「行きます行きます!
街の北側ってあれですよね、とっても綺麗なあれですよね?」
語彙の足りないクーデリアが騒いだ。
あんまりいいところじゃないと思うんだけど。
「あ……そうだ、結城さん。
いつまでも『クーデリア』呼びはナシじゃないですか?
何だか他人行儀な気がして落ち着かないんです。
もっとフランクに来てください」
「フランクに、ねえ。とすると、クーとかそう言うのがいいのかな?」
「いいですねクー!
カワイイですし、ボクも呼ばれているってすぐ分かります!」
クーデリア……クーはそう言って笑った。
呼び方ひとつで大袈裟な子だ。
「じゃあじゃあ、ボクも結城さんのことはトラちゃんって呼びますね!」
「ちゃんって……まあいいよ。キミの好きなようにしてくれ、クー」
この子が来てからもうすぐ一月が経つ。
随分と、事務所も明るくなったものだ。
等間隔に立ち並ぶ街路樹。鏡のように磨き抜かれたフェイク大理石の壁面。サイバーグラスのガイダンス機能が効力を発揮し、迷うことなく目的地に辿り着けるのはこの辺りだけだ。
ここはノースエリア、成功者のために作られた街だ。
「デカい! 広い! 凄いですね、ここ。
もっと早く来てみたかったです!」
「あんまりはしゃぐなよ、クー。
ほら、変な目で見られてるだろ」
僕はクーに声をかけた。道行く人々の服装や立ち振る舞いも、サウスエリアのそれとはまったく違う。洗練された品のいい、汚れやしわの一つもない衣服を纏った人々。そこにはこの世の汚濁など欠片も存在しないかのようだ。彼らは僕らを見て目を伏せる。
(ちょっと場違いだったかな……
母さんに服借りて来ればよかった)
サイズの合うものがあるかは分からない。
母さんと比べるとクーはとても平坦だ。
「……トラちゃん、何だかボクのことを見て失礼なこと考えませんでしたか?」
「まさか、キミに失礼を働くことなんて出来るものか。
それより、仕事を始めよう」
あっさり見透かされて少し慌てながらも、僕は仕事を始めた。
仕事の要領はいままでと同じ、道行く人々を呼び止め、あるいは喫茶店まで誘導し、話を聞く。ダイナソア・インダストリは持ちビルではなく借地の最上階に居を構えていた。店舗になっている部分も多く、その時間は多くの作業員が残業をしていた。誰かが知っているのではないかと思ったが……現実は甘くない。というか、それなら警察がすぐに見つけてしまうだろう。
「思ったより都会の人って、周囲の出来事に無関心なんですねえ」
「日々を生きるので精一杯だからさ。
死人のことになんてわざわざ関わってられない」
ダイナソアで殺人事件が起こったことさえも理解していない人が大勢いた。サウスとは違って、良くも悪くも他人に無関心だ。この辺りは呼べば警察がすぐに来るし、防犯システムもうまく機能している。だから、わざわざ危険に関わる必要さえもない。
「どうしましょう、トラちゃん!
早速手詰まりになってきた感じがありますけど!」
クーは勢いよくアイスコーヒーを吸った。安いのでも普段飲んでいるのの倍以上の値段がするのだから、もうちょっと味わっていただきたい。
「落ち付いて、クー。
初手で情報が得られることなんてそう多くはないんだ。
これは僕にとっても予想通りのことだ。
ただ、少し調査の方向を変える必要があるだろうけど」
「変えるって……どんなふうに変えるんですか?」
それはまだ考えていなかったので、コーヒーを飲んで誤魔化した。さて、どうするべきか。僕は雑踏を見ながら次の一手を考えた。その時、不思議なものを見た。
僕たちと同じく、周囲に溶け込むことが出来ていない人影があった。腕や胴の部分にたくさんのベルトが付いた、黒いロングコートだ。頭をすっぽり覆うタイプのフードを被っており、暗がりにいることも相まって影がそこに立っているようだった。
その人物は、すぐ路地の中に消えて行った。
いったい何だったんだ?
特に不審な点はないはずだ、だが目を離せなかった。
まるで、吸い寄せられるかのように。
「どうしたんですか、トラちゃん? 物思いに耽っちゃって」
「いや、何でもない。それよりやっぱりちゃんはあんまり……」
その時だ! 信号待ちのトラックが何かによって押し潰された! 轟音と衝撃が辺りを包み込み、閑静なノースタウンは一瞬にして混乱の坩堝に投げ込まれる!
「くっ……! なんだ、これは!」
衝撃で窓ガラスさえ割れた。
爆弾か何かが爆発したのか?
僕はトラックを見た。
ひしゃげたコンテナの上に乗っていたのは、鋼鉄のソリッドロスペイルだった。




