02-機甲少女
「あなたは、いったい……」
ロスペイルの爆散臭が、辺りに立ち込める。
煙越しに、恋は少女を見た。
「……おかあ、さん?」
少女は振り向き、そう呟くと目を閉じ倒れ込んだ。恋は慌てて彼女に駆け寄り、倒れていく体を抱き寄せた。安らかな寝息を立て眠る少女を見て、恋はほっと息を吐いた。
「……これはいったい、どうなっているんだ?」
その上空から、もう一つ声があった。
聞き慣れた声だ。降り立ったのはエイジア。
「結城さん!
お久しぶりですね、その節はお世話になりました」
「牧野さん!
そうか、追われていたのはあなただったんだ。でも……?」
虎之助は辺りを見回し、釈然としないような態度で言った。
「何があったんですか?
牧野さん、あなたがロスペイルに対抗出来るわけが……」
「詳しい話はまた後でしたい。
いまはこの子を安全なところへ……追われているの」
虎之助は装着を解除し、少女を見た。
夢の中でまどろむ彼女を。
◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆
結局、僕たちは牧野さんの部屋へと向かった。
……そう言えば、女性の家に入るのは初めてだ。
落ち着かない。
「あんなところで結城さんに会えるなんて思いませんでした」
「偶然ですよ。パトロールは日夜行うことにしているんですけどね」
あなたのその後が気になりました、とはさすがに言えなかった。
「……それにしても、にわかには信じられませんね。
その子がロスペイルを?」
振る舞われた合成コーヒーを飲みながら、僕は少女を見た。全体的に色素が薄く、弱々しい印象がある。髪の色も白に近い茶色、顔立ちも可愛らしい。女性の細腕では、否、どんな人間でもロスペイルには敵わない。なのに彼女は5体ものロスペイルを殺したそうだ。
「でも、あなたが襲撃に遭って生きていることを考えると真実のようですね」
「本当にダメかと思いました。その時、彼女が起き上がって来たんです。
徒手空拳でロスペイルと戦って……そして」
ショッキングな光景だったのだろう、牧野さんは小刻みに震えている。
「運がなかったですね、牧野さん。
彼女に会えたのは幸運だったんでしょうけど」
「彼女はいったい何なんでしょう、結城さん?
もしかして、この子も……」
「ロスペイルではないでしょう。
ロスペイルは感情に従い、欲望を満たそうとする。
彼らとの対話は不可能です。
何より、人を守ろうと何てするはずがありません」
ロスペイルにとって人間は『餌』だ。
そんな生物と分かり合うことなんて出来るはずはない。
「奴らは知性無きモンスターなんです。
もしそうだったなら、あなたも」
「……でも、私を襲ったロスペイル。
彼らも人の言葉を話していました」
えっ、と僕は声を上げてしまった。
言われたことがよく理解出来なかったのだ。
「彼女を差し出せば、命までは取らないと。
そう言っていました、あの怪物は」
「そんなバカな。ロスペイルがそんな、知性的なことをするなんて……」
少なくとも、僕がいままで戦ってきたロスペイルとはまったく違う。
ロスペイルのことを完全に理解しているわけではない。しかし……
人語を介す、知性を持つロスペイル。
突如として現れた謎の少女。
この事件は、いままで僕が関わって来た事件とは違う。
何となくだが、そう思った。
考えをまとめようとしていると、呻く様な声が聞こえて来た。
ベッドに横たわる、謎の少女が発したものだ。もっとも、呻きとは言っても苦しみではなく眠気によるものだろうが。彼女は何度か寝返りを打ち、そしてベッドから転がり落ちた。
「――っは!
いけないいけない、こんなんじゃお母さんに怒られちゃう……」
寝ぼけ眼を擦りながら、少女は体を起こした。
そして、辺りをきょろきょろと見回す。
「って、ここはどこ!? し、知らない間に知らない場所にー!?」
「お、落ち着いて? ここは私の部屋。分かる?
あなたは、私を助けてくれたよね?」
牧野さんは少女をなだめた。すでに深夜を回っている、こんな大声を出したら顰蹙ものだ。牧野さんの懸命の説得によって、彼女は何とか落ち着いてくれた。
「ここはお姉さんの部屋だったんですか。
わざわざ何とも……ありがとうございます」
「い、いえ。大したことじゃないの。
私は命を助けて貰ったんだから」
そう言われると、少女は得意げに微笑んだ。
ころころと表情の変わる、面白い子だ。
「ところで、キミは誰なんだい?
どこから来たんだい? ご両親は?」
彼女が落ち着いたタイミングを見計らって、僕は彼女に問いかけた。
ところが、まだ落ち着いていなかったのかもしれない。
彼女の口から放たれたのは……
とても僕たちの理解の及ばない、とんでもない言葉だったのだから。
「ハイ! ボクはHID―10、クーデリア!
なんていうかいわゆる……そう、サイボーグなんです!」
まだ彼女は寝ぼけているようだった。
「……ごめん、ちょっとまだ寝ぼけてるのかな?
もう一度言ってくれない?」
「ハイ! ボクはHID―010……」
「いや、ありがとう。分かった。腐ってるのは僕の耳の方だった」
サイボーグ? そんなバカな、有り得るはずがない。
確かに体の一部を機械化した者もこの都市にはいくらもいる。だが、せいぜい失った腕を不細工な義手に変えたり、その程度だ。全身をサイボーグに変換することなど出来るはずがない。
彼女の体をまじまじと見てみる。
柔らかそうな頬、滑らかな手足。
機械とは思えない。
「えー、ちょっとじろじろ見ないで下さいよー。
照れちゃいます」
「そういうところも機械っぽくないんだよなぁ……」
赤面するクーデリアを見て、僕はため息を吐いた。
以前どこかの資料で見たことがあるが、機械化手術を受けた人間は感情が希薄化するのだそうだ。まだ原因は特定できていないが、生身であった場所が機械に変わることによる違和感、あるいは嫌悪感が原因らしい。全身機械となったら、さぞ凄まじいストレスに晒されるのではないだろうか。
「そもそも、サイボーグなんて物が本当にあったら最重要機密だぞ。
おいそれとこんなところに出て来れるはずがない。
キミはいったいどこから来たんだ?」
「いやー、それがよく分からないんです。
いわゆる、記憶喪失ってやつ?」
なぜそこを疑問形で聞いてくるのか。そもそも脳を機械化したサイボーグに記憶喪失が存在するのか。そういうのはメモリーの損傷と言うべきではないのか。
「あの、結城さん。きっと彼女の言っていることは本当です。
彼女、撃たれていたんですけど血が出ていなかったんです」
どんなに当たりどころが良くても、出血しないはずはない。それに、彼女は独力でロスペイルと戦っていたという。常人でないのは確かなようだ。
「記憶喪失でも、何か覚えていないのかい?
名前とか、そういうもの以外で」
「一つだけありますよ! 怪物を倒して、人を助ける!
私はそのために来たんです!」
クーデリアと名乗った少女は、目を輝かせながら言った。そう言って勢いよく立ち上がって、そしてすぐに倒れた。牧野さんが彼女を気遣うが、眠っているだけのようだ。
「少なくとも彼女はロスペイルの存在を知っていた、ってことか。
でもどうして……」
「結城さん、疑問はあると思いますが明日にしませんか?
今日はもう遅いです」
「そうですね。牧野さん明日はお仕事でしょうし……
明日の朝、また伺います」
「ありがとう。まあ仕事って言っても、まだアルバイトだけどね」
牧野さんは恥ずかし気に頬を掻いた。彼女は夢に向かって働いている。羨ましいな、と思う。僕が目指すべき場所は、果たしていったいどこなのだろうか?
そんなことを考えながら、僕は空を見上げた。鈍色の闇が広がっているだけだった。
翌日、僕は再び牧野さんの部屋を訪れた。
仕事着に着替えた牧野さんが僕を出迎えてくれた。クーデリアも彼女の持っていた服を着ている。服装を変えると、年頃の女の子と言う感じがより強くなった。
少し話し合って、彼女のことは僕が預かるということで一致した。ロスペイルは彼女を狙っていた、一緒にいれば牧野さんにも危険が及ぶ。二人を守るという意味でも、僕と一緒にいた方がいいだろう。
「それじゃあ、クーちゃんのことを頼みますね。結城さん」
「一晩のうちに、仲良くなったみたいですね」
「何だか、あの子のこと他人だと思えなくて。
彼女のことが何か分かったら……」
「ええ、必ず報告させてもらいます。それじゃあ、また」
先に一階に降りたクーデリアが『早く行きましょうよ!』と手を振っている。彼女はどこに行くのか分かっているのだろうか? 思わず苦笑してしまう。
僕たちは大通りを歩き、サウスポイントへと向かった。同じ色の作業着を着た、同じ髪型の人々が次々行き交う。彼らを識別するのは、胸に付いた企業エンブレムのみだ。同じ格好の人々は蛍光グリーンのドリンクを、さも美味そうに飲む。あるいはVRディスプレイに投影された啓発映像『タノシイ』を鑑賞する。脳を刺激し快楽物質を分泌させることによって、安全な精神高揚を行うそうだ。
「なんでしょう、これ。仮装大会でもやっているんですか?」
「そうじゃないよ。港湾プロジェクトで働く人たちだよ。
服装の規定が厳しいから、どこも同じ格好をしているんだ。
大変な仕事だって噂だよ……」
それは、彼らの生気のない瞳を見れば分かる。
建設現場はただでさえ殺伐としており、危険な重機械がそこかしこにある。しかも、港湾には凶悪なバイオ生物さえも出没するのだ。それらの被害に遭い四肢を失い、働けなくなる人さえもいるという。先が見えない仕事を、しかし人々は続けざるを得ない。他に働く場所はほとんどないのだから。
中央ではエグゼクティブたちがオフィスの中で高給を掠め取る。その下には幾名もの下層労働者が、明日をも知れぬ危険労働を強いられている。ヤクザはそうした人々を取り込み、金を餌に違法ビジネスを強要させる。港湾プロジェクトはギリギリのところで踏み止まろうとする人々の坩堝だ。都市の現状を否定したいから、僕は……
人並みに混ざって、青い制服が目に入った。都市警察機構に支給されているものだ。僕は思わず身を固くし、帽子を目深に被った。彼らとすれ違う時、心臓が不自然に高鳴った。何事もなかったことを確認し、僕は深いため息を吐いた。
「どうしたんですか、えーっと結城さん。
なんだか緊張していたみたいですけど」
「いや、何でもないよ。
でも、そういうの分かるんだね。さすがはサイボーグ」
「ふふん、褒めたってなにも出ませんよ」
クーデリアは胸を張った。
僕は前を向き、サウスポイントへと足早に向かった。




