05-連続不審死の真相を追え
事務所の屋上に立ち、僕は野木さんに教わったプログラムを反復した。攻撃を受け止め、捌き、反撃を行う。自ら飛び込み、相手のペースを乱し、一方的に攻撃を加える。
ここに来るまでフィジカルトレーニングも、格闘技訓練もしたことがなかった。僕が生きて来た場所はそうした、生き残る訓練をする必要がなかった。そして、僕はそれに大いに疑問を抱いていた。眼下の世界では生きるか死ぬかの戦いが繰り広げられているのに。
だから僕は家を抜け出し、ここに来た。
出来ることは増えた、だが負けた。
ジャッジメントを名乗る強大な力を持つロスペイルに、僕は負けた。
あの恐ろしい力に、技術に、そして躊躇いのなさに。僕は恐怖を覚えた。正直な話、死ぬと思った。鵲さんが命を賭けて僕を救ってくれなければ、きっと死んでいた。
(無駄にはしない、拾った命。
ジャッジメント、僕はお前を……!)
再度の反復。何度も、何度も、何度も繰り返す。
自分の体に染み込ませるために。
二時間のトレーニングを終え、僕は事務所に戻った。
汗臭くなった体を洗いたかった。
「あっ……久しぶり、兄さん」
「……ユキ!? おまえ、どうしてこんなところに!」
だが、事務所を開けて待っていたのは意外な人物だった。結城正幸。
「あ、お邪魔してます結城さん!
妹さんも貰っちゃってますよー!」
そして、いつも通りのクーデリアの陽気な声も聞こえて来た。エイファさんは興味なさげに携帯端末を弄っている。当のユキは困ったような表情で苦笑している。
「……クーデリア。間違えているぞ。そいつは僕の、弟だ」
クーデリアはユキの顔を見て、きっかり二秒フリーズした。
「ウソぉ、声も高いし色も白いし華奢だしカワイイし!
女の子だと思ってました!」
「男の子だから気を付けてやってくれ。
それより、ユキ。どうしてここに?」
「兄さんが探偵をしているって知って、調べてみたんだ。
そうしたらここが見つかった」
そんな簡単に見つけられるとは……
素性は隠してきたつもりなので、ショックだ。
「それでね、今日は相談があって来たんだ。
僕の、っていうわけじゃないんだけど」
そう言った時、トイレで音がした。野木さんが使っているのか、と思ったがそうではなかった。トイレから出て来たのは、やはり僕が予想もしていなかった人物だった。
「やはり下水処理の環境が悪いせいかねぇ。
詰まらせるかと思った」
シックな色合いのスーツを着た男性。柔和そうな笑みを浮かべ、若くして白髪の混じった髪を丁寧にまとめている。柔らかな印象を持ちながらも、ハーフフレームの眼鏡から覗く眼光は鋭い。
彼は僕の姿を認めるなり、ニコリと頬を緩めた。
「久しぶりだね、虎之助。元気にやっていたかい?」
「……父さん。あなたがどうして、こんなところに」
ハンカチで丁寧に手を拭き、父――結城一馬は事務所へと入って来た。こうしてここにいるということは探偵に何か依頼があるのだろうか? 僕も所定の位置についた。
「実は早急に調べて欲しいことがあるんだ。
カッツ=ランと言う名に聞き覚えは?」
よくある。
マルドゥク学園殺人事件で犯人にでっち上げられた警備員の本名だ。
「彼が獄中で死亡しました。
殺害されたんです。調査をお願いしたい」
「ちょっと待ってください、刑務所で死んだなら警察の管轄でしょう。
探偵が出向いて行ってどうにかなる話じゃない。
それは分かっているでしょう?」
「もちろんです。ですがこうした事件が頻発しているんです」
「こうした事件……?
獄中死が頻発している、ってことですか?」
「ある時は不審死、ある時は殺人事件、ある時は死亡事故。
ある事柄に関連する人々が多く、不可解な死を遂げている。
もしかしたら、何らかの意図を持った連続殺人かもしれない。
これは弁護士としてではなく、一人の人間として調査してほしいんです」
父さんは真剣な目で僕を見た。
父としての目ではない、仕事人としての目だ。
「ですが……そんなことを一介の探偵が調べられるとは……」
「ゴネるやないか、トラ。アンタは仕事を選べるほど偉いんか?」
沈黙を保っていたエイファさんが言葉を発した。それは、いままで僕が聞いたどんな言葉よりも厳しいものだった。エイファさんは僕を睨み付け、一言一言に力を籠め言った。
「法の闇に隠れた犯罪を見つけ出すのが探偵の仕事やろうが。
そこに何も違いはあらへん。
アンタにはアンタの確執があるんやろうが、そんなもんはどうでもええ。
ここに来た以上、依頼人と探偵の関係に変わりはない。
そうと違うんか、ええ? トラ」
エイファさんの言葉に、僕は反論出来なかった。
一つも間違いはなかったからだ。
仕事は仕事だ。
それに、連続殺人が起こっているというのも気になった。
「詳しい話を聞かせてください……一馬さん」
父は少しだけ寂しそうな顔をして、バッグに入れて来た資料を渡して来た。
「南方未開発地域、通称サウスエンド開発計画。
反対者が次々と亡くなっています」
またサウスエンドか。住処に近いとはいえ、いい加減にうんざりしてくる。この辺りには辛いことと、悲しいことが多すぎる。口には出さないようにしたが。
「これとカッツ氏に何の関係が?
彼は学園の警備員、開発計画とは何の関係もない」
「彼に関係がなくても、雇用関係にあるチェン重工業は別です。
あそこは都市開発にも関わっていますから。
それに、時期を同じくして関係者であるライ=チェン氏が死亡しています。
彼は創業者一族の中でも、後継者に近い立場にあったそうですから」
巡り巡っていろいろなものが関係している、ということか。
資料によるとライ=チェンはサウスエンド開発に反対の立場を取っていた。儲けが不確かな事業に手を出すことで、継いだ後に不都合が起こるのを恐れた。彼を溺愛する現在の経営者は、子供の戯言に従おうとした。事実、息子が死んでから開発計画に対して多額の出資をしている。
「住民との間にも反対闘争があったそうです。
その関係者が多くなくなっている。
主導的立場にあった方々のほとんどが。
極めて陰惨な事件です」
それを聞いて、また苦い感触が口の中いっぱいに広がった。消し炭になり、砕かれた鵲さんの姿をまた思い出してしまったのだ。僕は密かに歯を噛み締めた。
「それで、僕は何をすればいいんでしょうか?
ある程度当たりを付けておいでで?」
「残念ですが、私が調べられたのはここまでです。
口惜しいことに、あまり自由に動き回れる身ではない。
協力者が必要なんです、あなたのような」
まるで僕が暇だと言われているようで、何となく面白くはなかった。
「よろしくお願いします、結城探偵。
人々の無念を晴らすためにも」
父さんは立ち上がり、僕に深々と頭を下げた。そして鞄を持ち、部屋から出て行った。僕はそれを見送ることもなく、ぼんやりと考え事をしていた。
「兄さん……
父さんは、兄さんのことを信じているからこんなことを……」
「帰れよ、ユキ。ここから先は僕の仕事だ。
大方ここのことを紹介したのはお前なんだろうけど……
関係ない。僕がやるべき仕事とは、何の関係もないんだ」
ユキは呻き、そして出て行った。
僕はソファに体を預け、目頭を押さえた。
「……取り敢えずは、関係する企業を調べてみるところからだな」
仮に何らかの組織が暗殺者を放っているというのならば、推進側が怪しい。都市開発機構、メガコーポ、末端開発組織。多くの殺人が起こっているならば、それだけ多くの証拠がある。人間は自分が思っているほど、自分の痕跡を消せはしないのだから。
「ほえー、大変そうですね結城さん。
これだけの資料に目を通さないといけないなんて」
「キミみたいに一目見ただけで記憶出来れば楽なんだけどね。
そうもいかないから」
「あっはっは、ボクは覚えることが出来てもそこから先が出来ませんから」
クーデリアは恥ずかし気に頭を掻いた。そこから先、ということは応用的な方面……すなわち情報を繋ぎ合わせて真相を推理するとかだろうか? 僕だってそんな器用なことが出来るわけじゃない。現場を歩き回り、証拠を集め、繋ぎ合わせていくだけだ。
「よーし……決めましたよ、結城さん!
ボク、結城さんを手伝います!」
「……はぁ?
何を言ってるんだよ、ついて来るって言いたいのか?」
冗談じゃない。
都市の常識を知らない子供が付いて来ても面倒なことになるだけだ。
「ここ何日かで都市のことを詳しく教えておいた。
対人交渉もバッチリやで、敬語尊敬語謙譲語、スラングに淫語まで完璧や。
取り敢えず、つれてっても面倒にはならん」
「すいませんエイファさん、最後のって本当に必要なんでしょうか?
……クーデリア、キミも顔を赤くしない!
ああ、もうわかりましたよ。連れて行けばいいんでしょ?」
長いことエイファさんの世話になっていたのだ。
そろそろ恩を返さないとマズい。
「そらよかった。
アンタ一人じゃ、化け物相手に戦えるかどうか不安やったからな」
「……確かにこの前は負けました。
でも、二度と同じ間違いを繰り返す気はありません」
ジャッジメントの力を前に、僕は成す術なく敗北した。だが、一度戦ったことであいつの強みはある程度分かっている。流麗な体捌き、電流放出、そして何らかの手段を使った高速攻撃。いずれもエイジアの力で対応出来ないものではないはずだ。
「さよか、だったら早く行き。
親父さんも、待っとるやろうからな」
父のことは関係ない。僕は僕のために……
この仕事をやり遂げる。ただそれだけだ。




