13-ウルフェン
その周辺だけは時間が静止したようだった。ユキは構えを取り、ベヒモスを見据える。彼の腕から生えていたブレードが引っ込み、代わりに鉤爪めいた形の武器が出現した。
「ガキが。与えられた力に粋がっておるようだが、とんだ増長よ」
ユキは答えない。代わりにアストラの装甲がパキパキと音を立てながら形を変えて行く。ベヒモスはそれを見て鼻を鳴らした。虚仮脅しと判断したのだろう。
「消し去ってくれる、貴様のすべてを。そうすれば理解出来るのだろう?」
ベヒモスは口元に炎を充填。無慈悲なる炎の吐息を放った。
その瞬間、ユキは動いた。サイドステップで炎から逃れ、そこから直角に飛びベヒモスの首を狙った。死の接近に気付いたベヒモスは慌てて首を捻り、切断を免れる。しかし、首筋には痛々しい裂傷が刻まれ、赤黒い液体が噴出した。
「これは……!? いったいどういうことだ!
貴様、いったい何をしたッ!」
ユキはクルクルと回転しながら片膝立ちで着地。尚もパキパキと音を立てながら装甲は変形を続ける。ユキはゆっくりと息を吐き、ベヒモスに向き直った。
そこにアストラの姿はなかった。そこにいたのは、白と緑の新たな戦士だった。顔の忠臣はウルフロスペイルを思わせる口牙と豊かな体毛を模したギザギザの飾りが付けられていたが、外側はこれまでのアストラと同じ緑色のトカゲめいたものだ。
ガントレットと脚甲は白と緑が交互に折り重なっており、胴体側の装甲は狼を、背中側の装甲をトカゲのそれを思わせるような形になっていた。ユキに内在するウルフロスペイルとアストラの特徴をそれぞれ合わせた姿だ。
「行こう、ウルフ。
ようやく分かったんだ、僕が何をしなければいけないか」
内なるウルフはもはや答えなかった。元々、彼の中にウルフロスペイルと言う自我は存在しない。ウルフとはロスペイルになったことを受け入れられない彼が、肥大化した闘争本能を自らと切り離したもの、すなわちイドであった。そしてこれまでの戦いの中、そして自らの思いに決着をつけ、ユキはウルフを受け入れた。これはその結果だ。
アストラシステムはエイジアのそれとアプローチの仕方が異なる。エイジアやセラフのようなTCAが人間の体に装甲を纏わせるのに対して、アストラは人間そのものを組み替える。その能力は、むしろロスペイルのそれに近い。
アストラの力とウルフの力、それが相互に干渉し合い、この形態を生んだ。ロスペイルをより強く組み替える、アストラ仕様外の力。ウルフェンフォームとでも呼ぶべき力を。
「脆弱な、小僧が……
いくら力を得たとしても、貴様はただの矮小なクズだ!」
『プロメテウスの火』を得た自分が敗北することは許されない。ベヒモスの胸中には屈辱と怒り、そして教主の怒りへの恐怖が満ちていた。彼は腕を振り上げ、ユキを打とうとした。だが、その背に刃が叩きつけられ、爆発が彼の体を揺らした。
「手前の相手は、俺だろうが!
よそ見してんじゃねえぞ、クソッタレが!」
「市長、貴様ッ! 黙っていろ、貴様など俺の相手にはならない――ッ」
一瞬、ベヒモスは意識をジャックに向けてしまった。それが、彼の生死を分けた。ユキは下げた左足に重心を傾け、そして踏み出した。矢のような勢いで一直線にベヒモスの左膝を横から蹴りつけた。爪が食い込み、関節が砕ける。ユキは反動で斜め上方に飛び、続けて右太ももを踏みつけた。爪が食い込み、大腿骨が砕ける。ユキは更に跳んだ。
左上腕、右わき腹、左脇、右鎖骨。ユキは各所を蹴りながらジグザグに駆けあがって行く! ベヒモスは巨体が仇となり、ゼロ距離まで接近したユキを迎撃出来ない!
「イィィィィィィィヤァァァァァァァァーッ!」「グワーッ!」
右鎖骨を蹴ったユキは空中でぐるりと回転し、ベヒモスの顎先を蹴り上げた。太い頭はアストラの蹴りにさえ耐えたが、衝撃が全身を貫いた。ユキはベヒモスの胸に足の爪を突き立て体を固定、上半身の力で垂直に立った。そして戻って来るベヒモスの顎に――
「イヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤッ!」「グワーッ!?」
爪を引き、何度も殴りつけた。ベヒモスの顎の形が変形するほど凄まじいラッシュ! 100にも及ぶ拳打を打ち込んだ後ユキは爪を胸から剥がし、最後に両足で顎を蹴り地上に降り立った。連続バック転でベヒモスと距離を取り、残心する。
「ハァーッ……ハァーッ……無駄だ、無駄なのだ小僧。俺には、無駄だ」
しかし……ベヒモスに打ち込んだ傷がすぐさま煙を立てて再生していく。恐らくは、あまりにも修復速度が速すぎるからだろう。ベヒモスは口の端をニヤリと歪めた。
「どれほど打たれようと、抉られようと、俺は死なぬのだ。小僧。
我が身に顕現せしベヒモスの力、そして教主より与えられし禁断の力!
その二つが合わさったいま、俺に歯死ぬことすらも許されない!
この身尽きるまで敵と戦えと言う啓示なのだ!」
ベヒモスは誇らしげに叫んだ。
ユキも、ジャックも、言葉を失った。
(死ぬまで戦え、ってか?
そんな奴に……どんな正当性があるっていうんだよ。オイ)
ユキは息を吐き、手を上げた。
そして人差し指と中指を、パチリと鳴らした。
同時に、ベヒモスの損傷個所から樹の根がせり出して来た。根はすぐさま体中を覆ったかと思うと、彼の体を這い回り、拘束した。ベヒモスは狼狽した。
「バカな?! 貴様の力は把握している! だが、種を撒く様な暇は……」
「違う、もう打っておいたんだ。切りつけたそのタイミングで」
生命の樹は尚もベヒモスを浸食し、飲み込んで行こうとする。ベヒモスはそれに必死で抵抗するが、しかし無限にもたらされるエネルギーを喰らう樹を跳ね除けることは出来ない。絶叫を上げるベヒモスを、ユキは憐れみを込めた目で見た。
「もうやめにしませんか? これ以上戦うことはありません」
「なん、だと? 貴様、俺に情けを……クソーッ!」
「そういうことじゃありません。
あなたにあるのは教主がどうしたいかだけじゃないですか。
あなたは……あなた自身は、いったい何をしたいんですか?」
ベヒモスは雷に打たれたように静かになった。
そして、考える。
「俺が……俺がやりたいこと。俺が……それは、そうだ!」
そして、爛々と目を輝かせる!
殺戮への昏く熱い衝動を秘めた目を!
「殺したい、もっと殺したい! クズを、弱者を、強者を!
どんな人間でもロスペイルでも構わない! 俺はもっと殺したい!
この力をもっと確かめたいんだ!」
ユキは一瞬目を伏せ、そしてベヒモスを真っ直ぐ見据えた。
「ならば、もう躊躇はしません。これで終わりです、ベヒモス」
ユキはアストライバーを操作した。『LIMIT OVER』の機械音声が流れたかと思うと、ユキの全身を電光めいたものが駆け巡った。電気刺激によって全身の柔軟性を高め、神経伝達速度を高める。エイジアのブースト機構が外的エネルギーによる強化を図るのに対して、アストラのものは装着者に内在するエネルギーを引き出す。
ザン、斬、惨!
一筋の光とかしたユキはベヒモスの周囲を目にも止まらぬ速度で駆け巡る! スピードを乗せたアームブレードがベヒモスの体を抉り取り、再生するよりも先にバラバラに引き裂く! ベヒモスは恐怖の叫びを上げた。
「嫌だ。俺は、俺はもっと殺したい。殺さなきゃいけないんだよ――!」
それが最後の言葉だった。ベヒモスロスペイルは爆発四散、その前にユキが降り立った。ブレードを格納し、戦場を睥睨する。まだ戦いは続いている。
「スゴイな、ユキくん。
キミがあれほどの力を持っていたとは、正直驚きだ」
その傍らにジャックが立った。
ユキはジャックに目を向け、マスクの中で笑った。
「兄貴はあん中で戦ってる。
勝って帰って来るって、信じようぜ。俺も信じてる。
俺たちに出来ることは、あいつらが帰ってきた時の安全を確保することだ」
ユキは頷き、構えを取った。
二人の戦士は敵を見据え、死の戦場を目指し駆け出した。




