04-ヤクザ連続殺人事件
あの事件から数日、何事もなく日常は過ぎた。
相変わらずだ。街ではロスペイルが暗躍し、それを押さえつけるように権力者たちが行き交う。濡れ衣を着せられた警備員の裁判は、思いのほか順調に進んでいるようだ。なるべくニュースは見ないようにした。
見れば見るほど、僕の弱さを突きつけられるようで嫌だった。
ともかく、いまは目の前の敵に集中しなければ。僕はロスペイルに殴りかかった。敵は腕を天に向けたかと思うと、伸ばした。窓枠を掴み、腕を収縮。攻撃を回避して逃げた。
「ちょこまかと……! 鬱陶しいんだよ、こいつ!」
内心の苛立ちをロスペイルに向けながら、僕は跳んだ。
屋上までは10mほどあるが、エイジアの脚力なら一瞬だ。屋上に昇った僕の顔面を、敵の拳が狙った。僕は頭を振り回避、いやこれだけではだめだ。側転を打った。引き戻しの一撃も回避し、仕切り直す。
相手は極度の軟体と伸縮性を持つ進化態。
ゴムロスペイルとでもいうべき存在だ。
ゴムは腕を鞭のようにしならせ、僕を打って来る。拳の方に重心が偏っているためか、本物の鞭のような鋭さで僕に迫る。受け止め、掴もうとするが、引き戻しのスピードが速く上手くいかない。しかも、敵の鞭は二本ある。僕は防戦を余儀なくされた。
(相手の懐に飛び込まないと……!
だが、この攻撃密度は!)
僕は周囲を観察し、使えるものがないかと探した。
そして、それを見つけた。屋上へと出て来るエントランス。僕は攻撃を受けながら後退、左右の鞭を弾くと同時に裏へと回った。ゴムはそんなことは関係ない、とでもいうばかりに鞭を伸ばした。だが見えない場所へと攻撃を行うことは出来なかったようだ。攻撃を避け、僕は上に昇った。
ヘリを掴み体を持ち上げ、持ち上げた先にあった地面を蹴り跳躍。上空からゴムに襲い掛かった。腕を戻し迎撃しようとするが、しかし落下の勢いを加えた僕を止められない。僕は全体重と加速を加えた蹴りを繰り出した。
次はどうする? 予測は出来ている。
ゴムは左腕を伸ばし、屋上のヘリを掴んだ。そして引き伸ばし、高速で移動する。だが、その軌道は既に呼んでいる。エイジアのモニターは、ゴムの挙動予測を既に映し出していた。僕は着地と同時に地を蹴り、再びゴムに跳びかかる!
今度はゴムも避けられなかった。
横合いから放たれた拳をもろに受けたたらを踏む。僕はゴムの足を踏みつけ、右手で背中を押さえた。衝撃を逃がせないようにしながら、何度もレバーブローを叩き込む! ゴムは抵抗するが、組み付かれては上手く軟体を生かせない。力自体は他のロスペイルよりも弱い、そしてその抵抗も徐々に弱まっていく。
一際強いブローを打ち込み、背中に込める力を強めた。ゴムは押し倒され、屋上に突っ伏した。その背中を踏みしめ、僕はブースト機構を作動させた。脚部にエネルギーが収束、右足が赤熱していく。そして、それがどんどんゴムの背中にめり込んで行った。ロスペイルの外殻を焼き溶かし、貫いた。ゴムロスペイルは爆発四散!
「……ふう、やっぱりあの時のロスペイルとは違うな」
僕は装着を解除し、数日前にあったバーでの戦闘を回想した。
あのロスペイルは単に姿が異様だっただけではない、何かが違った。上手く表現することは出来ないが、立ち回りに知性を感じたのだ。これまでのロスペイルには感じることのなかったものを。
(そう言えば、牧野さんも言っていたな。
クーデリアを追っていたロスペイルは言葉を話したって。
そんなロスペイルが、本当に有り得るんだろうか……?)
少なくとも、いまのゴムには出来なかったことだ。だが、悩んでいる暇はなかった。携帯端末の着信音が鳴り響いた。相手は野木さん、僕は慌てて電話を取った。
「お疲れ様です、野木さん。
こちらの対処は終わりましたので、すぐに戻ります」
『そうか、ご苦労だったなトラ。
お疲れのところ悪いが、次の仕事が入っている』
次の仕事、ということは探偵としての仕事ということだろう。
気が重い、学園での一件のようにまた失敗してしまったら?
不安が僕の心を支配した。
「分かりました。
ところで、どういった筋からの御依頼なんですか?」
とはいえ、僕に選択肢はない。探偵をやっているからこそ、僕はあそこにおいてもらっている。途中で仕事を投げ出すわけにはいかないのだ。
『鵲雪音という人物を知っているか?』
「いえ、存じ上げません。有名な人物なんですか?」
『いや、中小ヤクザ組織の長だ。
半年前先代が急死し、家督を継ぐことになった。
堅実な経営をしていたんだが、彼女からある依頼を受けた。
護衛の依頼……だそうだ』
護衛?
ヤクザは警察にも引けを取らない戦力を保有しているはずだ。普通は自前で十分な自衛力を持っている。それが護衛を必要とする、ということは……
ロスペイルが絡んでいる事件、ということだろうか?
思えば、ヤクザの事務所に真正面から入って行ったことはなかった。
いつもは野木さんがいたり、エイファさんがいたり、一人ではなかった。だが、今回は僕一人で行かなければならない。エイファさんはクーデリアの世話をしているし、野木さんは私用で外出中。そもそも彼は事務所を引退した身だ、いつまでも頼っているわけにはいかない。
「……やってやる。僕一人でも、仕事を達成して見せる……!」
僕は玄関をノックした。三度ノックしても返事はなかった。
留守にしているのだろうか?
ドアノブを捻ってみると、回った。体重を掛けると、あっさり開いた。
中には紫煙が立ち込めており、何人もの強面の人々が控えていた。彼らは扉を開いた僕をじろりと睨む。僕は反射的に身を竦めてしまった。扉が乱暴に開かれる。
「何してんだ、坊ちゃん。ここは遊び場じゃねえんだぞ? エエ?」
ガムかバイオスルメイカをくちゃくちゃと噛みながら男が僕を見下ろす。眉毛には剃り込みが入れられ、ピアスが付けられている。刈り上げられた頭と筋骨隆々の肉体。そして、肩口から覗く魔神を描いた恐るべきタトゥーが僕を威圧する。
「んだ、お前。口利けねえわけじゃねえだろ。
ナメてんのか、ああ?」
「舐めてんのはお前の方だろ。客人になんて真似してるんだい」
後ろから飛んで来た何かが後頭部に当たり、男は悶えた。彼がしゃがむと、古ぼけたフクスケと女性が見えた。キモノ姿の、ヤクザ映画に出て来るような女性。
長い黒髪を腰の辺りまで伸ばした女性だ。これくらい長い髪をした人を見たことはあるが、彼女ほど綺麗なものではない。丁寧に櫛をかけた流れるような黒髪、そこには不可思議な光沢があった。薄く引かれた紅と化粧、ぱっちりと開いた目。少し余裕を持たせたキモノ。
ヤクザだと聞いていたが、しかし……不思議な気品があった。
「迷い込んでしまったのかな、キミは?
ここはキミが来るようなところではない」
「いえ、そうでないんです。
野木探偵事務所から参りました。
結城虎之助、と申します」
「野木探偵事務所……? まさか、キミが?」
彼女は目をぱちくりとさせて、僕のことをまじまじと見た。
「確認しておきたいのだが、朝凪氏はどうしているのかね?」
「朝凪……朝凪幸三氏のことですか?
僕が入って来る前に、もう」
それを聞くと、彼女は目頭を押さえた。
「……いや、話を聞くだけは聞いてもらうとしよう。
私は鵲雪音だ」
彼女は白い手を伸ばした。
僕はその手を取る。ほのかな温かさを感じた。
僕は鵲組の応接間に通された。古びているが味わいのある趣。
きっと主の趣味がいいのだろう。彼女は僕に茶を振る舞ってくれた。
「護衛依頼と伺ったのですが、いったいどういうことなのでしょうか?」
「キミの言いたいことは分かる。我々はヤッパもチャカも持っている。
並大抵の相手であれば十分に対処可能な戦力を持っている……
だが、今回に限ってはそれが難しくてね」
そう言って、鵲さんは数枚の写真を見せた。いずれも死体を写している、それも目を背けたくなるほど陰惨なものだ。見たことはあるが、しかし慣れるものではない。
「武闘派で鳴らしている私の部下が何人も殺害された。
道端で、家で、あるいは事務所で、私たちを挑発するようにね。
敵対組織の刺客かとも思ったんだが」
「そんな噂は聞いたことがねえし、こんな殺し方が出来る奴だって」
側近と思しき男は思わず口元を押さえた。彼らにとってもショッキングなものなのだろう。仲間が殺されたのだから、きっとそれも関係している。
「朝凪さんは、こう言うことの相談をよく受けてくれたんだ。
だから彼に頼めば何とかなると思った。
けど、彼が引退していたとは知らなかったよ」
鵲さんは不安げな表情をして言った。胸が締め付けられる。形こそ違えど、この人もまた大きな力に押し潰されそうになっている。学園で被害者となった警備員のように。
「朝凪氏に比べれば、未熟かもしれません。
ですが、僕も探偵として研鑽を積んで来たつもりです。
それに、常軌を逸した殺し方をする化け物のような相手には心当たりがある。
彼らに対処する術を、僕は持っています。やらせていただけませんか?」
僕は逆に、深々と頭を下げた。関係が逆転していた。
「……そこまで言うならば、分かった。引き受けてもらおう。
ただ、危険な仕事になるのは確かだ。
命の保証は出来ないが、それでもいいかな?」
「もちろんです。命の保証があった戦いなんて、一つだってなかった」
二度と被害者を出してなるものか。
ロスペイルに殺される人も、何か大きな力に押し潰されるような人も。
僕はこの仕事を完遂すると、心に決めた。




