12-金の力と黒の力
歪みが僕たちの前に広がる。僕はスレイプニルを敢えて加速させ、歪みの中に飛び込んだ。チリチリとした感覚があったのは刹那のこと、脱出した1秒後に空間は押し潰され、爆発した。押し戻そうとする翼の風圧を懸命に耐えながら近付いた。
「クー、知恵を出してくれ。
あの子には『エデンの林檎』なるものが埋め込まれているらしい。
それを取り除くことが出来れば、あるいは助けることが出来るかもしれない」
クーは険しい顔をした。そりゃそうだろう、どこに埋め込まれているかも分からないんだから。と、思ったがクーが顔をしかめたのは、別のところに原因があったらしい。
「彼女の喉元……ちょうど喉仏の辺りに林檎はあります。見えますか?」
歪みと腕の攻撃を避けながら、僕は指定されたポイントを見た。盛り上がった男性的な喉仏が、金色に光っているのが見えた。あそこに『エデンの林檎』とやらが?
「クー、どうしてそんなことが分かるんだ?」
「分かりません、でも分かるんです。
『エデンの林檎』っていう名前もパッと頭の中に浮かんで来たし。
あれがどこにあるのか、ボクの視覚には常に表示されているんです。
でも、だからこそ……あんまり見たくないものも見えちゃうんですよ」
見たくないもの? 爪と爪の間を紙一重ですり抜ける。
「『エデンの林檎』はアリーシャちゃんの体と融合を始めているんです。
このまま行けば完全に癒着し、切り離すことが出来なくなってしまいます。
ですが、いまの段階でも無理矢理切り離そうとすればダメージが入る。
もしかしたらそれで彼女が……」
死んでしまうかもしれない。
僕は息を飲んだが、しかしそれしか方法がない。
「『エデンの林檎』の位置、もっと詳しく教えてくれ。
林檎だけをピンポイントで破壊する……
難しいかもしれないけど、それがいま取れる最善の手段だ」
どちらにしろ完全癒着すればもはや取り返しのつかない事態になる。彼女を生きて取り戻すためには、リスクを取るほかない。そのリスクを一身に受けるのが彼女だというのは胸の痛む話だが……とにかくやるしかない。耐えられる可能性に賭けるしかない。
「彼女の救出可能性は5%を切っています。
彼女を止めるだけならば、もっと簡単な手はあります。
それでも……やるんですよね、トラさんは?」
「当たり前だろ。
こんな理不尽を殺すために、僕はエイジアになったんだ!」
クーは少し躊躇しながらも、頷いてくれた。彼女もアリーシャを殺したいわけではない。歪みを越え、その先へ。アリーシャの喉元へと近付いて行く!
「AAAAAARGU!」
それを察知したアリーシャは巨大な口を開いた。歯の隙間からちろちろと炎が舌めいて踊る。寸でのところで車体を傾け、放たれる炎を回避した。直撃を受ければスレイプニルと言えど一撃で爆発炎上してしまうだろう。追って来る炎を避けるため、僕たちは彼女の周りを旋回した。クーが断続的に放つガトリング弾を、彼女は意にも介さない。
「硬ーッ! 硬すぎますよ、この子!
銃弾がまったく通りませんよーッ!」
「分かっている!
牽制程度で構わない、アリーシャの動きを止めてくれれば!
位置は分かっている、あとはどうやって打ち抜くかを考えるだけッ……!」
クーからもたらされた位置情報は、ある意味で絶望的なものだ。いまも炎を吐き続ける口の、そのすぐ下。彼女を暴走させた正体不明の物体、『エデンの林檎』はそこにある。どうすればいいのか、砕けば止まるのか。それすらも分からないのに、やるしかない。
だがまずはどうやって近付くかだ。
このままでは接近さえもままならない。
「エリヤさん、御桜さん、市長! 足止めをお願いします!」
「分かってらい。どうせ、私たちはそっちには行けんのだからな!」
振り下ろされる足をかわし、右親指の付け根に強烈な踵落としを繰り出しながらエリヤさんは言った。あれは痛い、市長と御桜さんも縦横無尽に戦場を駆けまわり、甲殻の剣や爪牙でアリーシャの足に攻撃を繰り返している。だが、それはすぐに再生する。
(それでいい!
再生にはエネルギーを大量に使用するって御桜さんは言っていた。
彼女とて物理法則に縛られた存在、エネルギーなしに動けるはずは……)
(否! それは違うぞ、虎之助くん! 見てみろ、彼女の力の正体を!)
朝凪幸三の声を聞き、僕ははっとした。HMDに表示されている視覚データには、いつの間にか『エデンの林檎』が表示されていた。減衰したエネルギーは、しかし次の瞬間には充填されていた。僕は虚空より生じ、アリーシャに収束していく黄金の光を幻視した。
「あれは!? まさか、幻覚でも見せられているのか……!?」
(幻覚ではない!
あれは大気成分や地中成分、更には星そのものを分解再構成した結果だ!
『エデンの林檎』はロスペイル細胞を活性化させ、その能力を飛躍的に高める。
彼女はもはや星そのものと一体化したと言っても過言ではないだろう!)
星の、僕たちがいま生きる大地に匹敵するエネルギー。それは間違いないようだ。傷は瞬時に再生し、再生に使ったエネルギーさえも即座に充填される。まさしく桁の違う力を持っているのだろう。どうすれば、これを攻略することが出来るんだ?
「……だったらこっちは、ちっぽけな命でも燃やすしかない……!」
(どうするつもりだ!?
悪いことは言わん、アリーシャ=マックスベルを殺すんだ!
脳を破壊すれば『エデンの林檎』と言えど生体を再生することは出来なくなる!
再生の命令を下す期間を破壊すればいいんだ! 虎之助くん!)
「うるさい、黙っていろ! それはアンタの事情であって、僕の事情ではない!」
圧倒的エネルギー差。ならばチマチマと攻撃していては埒が明かない。すべてのエネルギーを一撃に掛け、突破する。キースフィアを押し込む、一度、二度、三度、四度! スフィアに内包された力が僕の体を包み込み、物理的な熱量すらも生み出す! 僕の周囲は陽炎めいて大気が歪んでいた。アリーシャはそれを、目ざとく見つける。
「全隊、整列! ッテェーッ!」
轟音が鳴り響き、アリーシャの体表でいくつもの爆発が起こった。地上に展開した市長軍が放ったロケットランチャー一斉砲撃だ! 彼らはなぎ払うように放たれた空間圧砕を見て、三々五々に散って行った。だが、彼らが作った隙は実際大きい。スレイプニルの背を蹴り、跳躍。ブースターを作動させ突貫する。
黄金の目が僕を睨んだ。だが、何も起こらなかった。アリーシャは訝し気に視線を下に向ける。腹から何本もの樹が生えていた。ユキが放った、生命の樹の連撃だ。
「これだけ、たくさん植えれば……少しは効果があるだろう!?」
『エデンの林檎』はエネルギーを常に充填する。だが、充填した端から生命の樹がそれを吸い取って行く。エネルギーは無限にして絶大、だが一度に使える量には限りがある。生命の樹はその上限値を常に削っているようなものだ。
僕は一本の槍と化した。先端にすべての赤熱力を収束させ、更に放出された熱を重力フィールドによって収束させる。喉元のただ一点を貫くために――!
「AAAAAAAAAARRRRRGU!」
絶叫。
激突。
貫通。
『エデンの林檎』を守る重力場と、僕の展開した重力場がぶつかり合った。放出された重力波がありとあらゆるものを、そして刹那の間鈍色の雲を押し流した。槍の先端が黄金のエネルギー体に激突、粉砕した。
肉体を維持していたエネルギーを喪失し、アリーシャの体が光の粒子に分解されて行く。彼女を助けるため、クーデリアは天を駆ける馬を叩いた。




