03-そして下される裁き
異例のスピード逮捕だった。『犯人』として祀り上げられた男には捜査員さえついていなかった。『地道な捜査』と『新証拠』に基づき、彼は罪状も告げられず逮捕された。
僕はマジックミラー越しに、取り調べの様子を見ていた。
ここまでは入れたのは、協力者である刑事の協力があったからだ。あの警備員が強面の刑事に囲まれ、縮こまっている。彼らは暴言で、あるいは甘言で、彼の自白を募った。
『お願いします、帰してください。
私には家族がいるんです』
逃げ出したい気分だった。それでも、逃げるわけにはいかなかった。僕が余計なことを嗅ぎ回ったから、彼は捕らえられた。スケープゴートとして。僕がした事はなんだ? 反抗期の子供の如く楯突き、無実の人を刑務所に送る手伝いをしたのか?
「彼はこれからどうなるんですか?
実刑を……受けるんですか?」
僕は隣に立っていた協力者、片倉刑事に問いかけた。
そうならないで欲しかった。
「スピーディに判決が下るだろうな。
殺人だ、執行猶予はまずつかんだろう」
彼は無慈悲に言った。ベテラン捜査官の言葉は的確だ。
彼はこれから『自白』し、裁判にかけられる。証拠はロクに吟味もされないまま素通りし、彼は刑務所に入れられる。どうしてそこにいるのかも分からぬまま。彼のすべて無に帰すのだ。
「僕のせいで、こんな……」
「そうなる予定だったんだ。お前がどう動こうが変わらん。
それが都市のルールだ」
慰めているのか、それとも諦めろと言っているのか。
多分両方だと僕は思った。
忸怩たる思いを抱えながら、僕は街を歩いた。
いまあの映像を流しても、メディアに押し流されるだろう。警察がダメならメディアを利用しようと思っていたが、間違っていた。敵の手は既に警察を、情報を掌握している。メディアもより映りがいいものを選ぶだろう。貧乏人が嫉妬から未来ある若者を殺した、という筋書きの方が受ける。
『信じられないです。逮捕されてよかったですね』
僕は顔を上げた。街頭ヴィジョンには、真犯人であるライ=チェンが映っていた。まるで何も関係ありません、とでも言わんばかりに。沸々と怒りが湧き上がって来る。
テレビで、ラジオで、ネット上で。彼をバッシングする文言がいくつも発信されている。その横では汚染された河川で発見された、愛らしいラッコの映像が流れる。情報は洪水のように流され、消費され、忘れ去られる。すべては敵の意図通りに。
交差点で立ち止まり、僕は空を見上げた。鈍色の空を。
視線を戻すと、高級リムジンが信号待ちをしていた。車体の側面にはチェン・インダストリの社章が刻まれている。スモークガラスの向こう側にはあの男が、ライ=チェンがいるのだろう。
(――どうしてお前がのうのうと生きていて、人が死ぬ?
関係ない人がお前の代わりに罪を被らなければいけない?
本当に悪いのは……お前だけだというのに!)
僕は湧き上がる怒りのままに、キースフィアを取り出した。
それをバックルに挿入しようとして、やめた。
ライ=チェンを殺せば溜飲は下がるだろう、だがやってはいけないことだ。そこから先に踏み込めば、僕は取り返しのつかない領域に踏み込むことになる。
信号が変わり、ライを乗せたリムジンが勢いよく発車する。道行く人々はそれを避け、あるいは避けきれず尻もちをついた。僕はその後ろ姿を、じっと睨んだ。
だから僕ははっきりとその瞬間を見ることが出来た。
リムジンが爆発する瞬間を。
「――え?」
道路の真ん中で、ライを乗せたリムジンが爆発した。
人々は突然の出来事に浮足立ち、逃げまどう。その流れを、僕は逆流した。つい先ほどまでとは打って変わって、道に人は一人もいなくなった。燃える車体へと僕は急いだ。
車は何かに踏みつぶされたかのようにひしゃげていた。防弾仕様のリムジンが、だ。尋常な破壊力ではあるまい。運転席からは腕だけが突き出しており、炎に焙られている。
僕は状況を観察するために、側面に回り込んだ。
そして、それを見た。
それはボンネットを掴み、何かを引きずり出した。傷らだけになり、炎を纏っているが、それがライだとすぐに分かった。引きずり出したそれは、僕の方に目を向けた。
「黒い……エイジア?」
メタリックブラックの装甲に身を包んだそれは、エイジアだった。
黒いエイジアは僕を睨み、そして跳んだ。
ライの死体を掴んだまま。あれは、いったい?
北側だからだろう、すぐにパトカーのサイレンが鳴った。
僕はそこから逃げ出した。
僕は憔悴し切り、事務所へと足早に戻って行った。現実に対して、僕の理解が追い付いていないのだ。それが負担になってる。戻って来た僕を、陽気な声が出迎えた。
「あっ、結城さんお疲れ様です。
ってあれ、どうしたんですか? お疲れですか?」
「いや、大したことじゃないんだ。
大丈夫、ところでどうしてここに……」
「ウチらがいちゃ悪いか? 枕を涙で濡らせんもんなぁ」
クーデリアだけでなく、エイファさんもすでに到着していた。
「早速ニュースが回って来たわ。
ライ=チェンとかいう坊ちゃん、死んだんやてな」
「ええ、そうです。ただの事故じゃないんです、黒いエイジアが……」
話そうとしたところで、玄関のドアが開いた。
野木さんが入って来たのだ。ずぶ濡れになっている、外ではいつの間にか雨が降り出していた。工場から吐き出される煤煙を多分に含んでおり、健康に悪い。野木さんは無言でシャワーを浴びに行った。
「……んで、なんやったっけ? 黒い何とかとか言っておったやろ」
「いえ、何でもないです。野木さんが戻って来てから、話しますよ」
僕は野木さんが上がる前に、ネットで事件の概要を確認した。
概ね、僕が見て来たものと同じだった。事件の原因がロスペイルだと報じられていないということ以外は。運転手は即死、ライ=チェンの死体は見つかっていない。事故の余波で数名の死傷者が出ているということだった。現在警察は車両整備不良だと断定して捜査を進めているらしい。
(ロスペイルの存在が公にされていないとはいえ……
断定が早すぎないか?)
責任を回避するために、警察の発表は後々になるのが通例だ。それが今回に限っては、スピーディに原因を特定し捜査している。何となくだが、気持ちが悪くなって来る。
「まさか降られるとは思っていなかったな。
待たせたかね」
「いえ、何でもありませんよ。先生。
それより、事件の件ですが……」
僕は野木さんが戻って来たのを見て、話を始めた。
ライ=チェンに関する証拠を入手したこと。だが、先手を取られ第一発見者が犯人として祀り上げられたこと。そして、ライの乗るリムジンが何者かによって襲撃されたこと。ライは既に死んでいること。
「まさかロスペイルに裁きを下されることになるとはな。
分からんものだ」
「本当なら、僕らが立件してあいつを刑務所にブチ込むはずだったのに」
「だが、考え方によってはこれでよかったのかもしれんな」
えっ、と僕は野木さんの顔を見た。
エイファさんもクーデリアも黙っている。
「ライ=チェンは法とメディアと権力によって守られている。
お前たちが証拠を掴み、立件したとしても、重い刑にはならなかっただろう。
過失致死と麻薬の不法所持で執行猶予が付き、メディアは報道を自粛する。
しばらくすれば奴は大手を振って世間に出て行けるようになる。
奴に裁きを与えることは、この都市では不可能なのだ」
「野木さんは、ライが死んでよかったと思っているってことですか?」
「そう言うことではない。だがこういう裁きの形もある、ということだ」
野木さんには野木さんの考えがある。
そして、それはいままで間違っていたことはない。
それでも、僕はこの時に限っては、間違っていると思った。
「あいつを殺したのは……人を殺すロスペイルなんです」
「そうだ。だが、裁きを下すのは誰であっても変わらない」
「僕は変わると思います。
ライはたまたまターゲットにされたに過ぎない。
死の瞬間だって、あいつはなぜ死んだかを理解していない。
ただ偶然に死んだんだから当たり前です。
ただ裁きを下すだけじゃ、ダメなんじゃないですか?
罪を犯した人間がその罪を自覚し、反省する。
それがなければ、罰はただの暴力に過ぎないんじゃないですか?」
「だが罪と罰を超越したところに奴はある。
お前の論法は無意味だ」
その通りだ。
それでも……死んでよかったわけではないと、僕は思う。
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重厚なコンクリートと鉄柵によって守られた、否、隔離された地。都市唯一の刑務所に、今宵新たな住人が迎えられた。彼は酷く落ち着かない、びくついた様子で刑務官に連れられ歩いた。それもそのはず、彼の周囲にいるのは生粋の犯罪者たちだけだ。
(俺は……こんなところで一週間だって保つのだろうか?)
立派なモヒカンヘアーの男が、柵越しに彼を睨む。筋肉質な男がむき出しのパイプを鉄棒代わりに懸垂をしている。テーブルナイフを愛おし気に舐める女がいる。都市は慢性的な土地不足、ゆえに軽犯罪者は収監されず自宅待機となる。逆に言えば、いま刑務所にいるのは重犯罪者だけだ。殺人、強姦、決闘、テロリスト。男は恐れから静かに失禁した。
彼が導かれたのは、面会室。薄暗い部屋には仕切りのアクリル板が置かれており、向こうにはすでに人がいた。男は腰掛けるなり、いきなり話し始めた。
「私は無実です。
ハメられたんです。信じてください、弁護士さん」
「分かっています。
少しでも刑を軽くするために、全力で挑みますよ」
弁護士は眼鏡の弦を押し上げ、柔和な笑みを浮かべて言った。
気休めで言っているわけではない、ということが分かった。
男は刑務所に来て、初めて安心した。
「私は弁護士の結城一馬です。
よろしくお願いします」




