12-Sideトラ:凍える空の下で
凍えるほど寒々しい空を見上げ、僕はため息を吐いた。シティの夜景は綺麗なものではなかったが、それでも一面に鈍色の空が広がる無感動なものではなかった。まるでありとあらゆるものが消滅し、自分一人だけ残されてしまったような……そんな虚無的な感覚に陥ってしまう。
そして、ある意味でそれは間違っていないのだろうとも思う。
ここは、墓場だ。
かつてあった世界の残骸。
ここは死の世界なのだ。
「まだ起きてたんだ、結城さん。
こんなところ見たって、何も楽しくないのに」
「まだ起きてたのか、って。
分かってたんでしょう、二つもコーヒー持ってるんだから」
悪戯っぽく笑い、御桜さんは僕の隣に腰かけた。
「……不思議な光景だよね。何もないんだ、ここ。
見渡す限り一面、なにも」
灯りすらもない荒野。
より暗い建物や山の影だけが、闇の中でコントラストを作る。
「でも、不思議と嫌いじゃないんです。
何て言うか、落ち着くんですよね」
「奇遇だね。あたしも好きだよ、これは。
じゃなきゃ、こんなところにはいないか」
そう言って、僕たち二人は闇の中で並んだ。荒野を根城にする危険な盗賊たちでさえ、夜の闇の中で動きを止める。時たまコーヒーを啜る音だけがあった。
「ご両親、心配していましたよ。
戻る気は無いんですか、御桜さん?」
彼女の失踪を告げに行った時、両親が浮かべた顔をいまでも思い出すことが出来る。母親は殆ど狂乱し、父親は泣かぬように努めながらも、胸元を押さえ震えた。気の毒過ぎて見ていられず、僕は逃げるようにして出て行った。
「……今更戻れないよ。こんな体になっちゃったんだからさ」
「大丈夫ですよ。ちょっと着る服に困るくらいじゃないですか?
受け入れてくれます」
僕はなるべく、言い切るようにした。あの二人の様子ならば、きっとそうするだろうという確信もあったからだ。けれども、御桜さんは首を横に振った。
「受け入れてくれるかもしれない、そうなったら本当にうれしいよ。
でも、そうならなかったらどうしようって考えてしまうんだ。
あたしのこの姿は受け入れられず、独りぼっちになってしまう。
いや、それよりも……愛する人に否定される方が、辛い」
僕は何も言えなかった。
軽々しく答えを出していいものではなかった。
「……ごめんね、結城さん。
何だか愚痴っぽくなっちゃって。もう、寝るから」
御桜さんは涙を拭って立ち上がり、屋上から立ち去ろうとした。僕はその背を見つめた。何も言えない……いや、そうじゃない。言わなきゃいけないことがある。
「御桜さん!
例えあなたがどうなっても……僕は、ありのままのあなたを受け入れたい。
人であるか、そうでないかより、あなたが一番大事だと思うから……!」
僕の言葉は聞こえただろうか? 御桜さんは振り返りもせずに去っていった。僕は鈍色の空を見上げた。人間とロスペイル、それを隔てる壁は……きっと高いのだろう。
翌日、僕は欠伸を噛み殺しながら地下街を歩いた。僕の隣を子供が勢いよく通り過ぎる、こんな場所でも逞しく生きている命がいるのだ、と思うと微笑ましい。
(しかし、いつまでもこんなことはしていられないだろう。
あの人にはこれから先のヴィジョンがあるのか?
この集落を維持出来るだけのヴィジョンが……
いや、そんなことは僕が考えても仕方がないだろうな)
頭を切り替えよう、僕がアウトラストに来た理由はなんだ? オーバーシアから離脱した科学者を探すためだろう。ならば、それに集中しなければ。見知った顔と会って、センチメンタルな気分になっているのかもしれない。目標をしっかり見据えなければ。
そんなことを考えていると、携帯端末が跳ねた。久しく鳴らなかったものだから、思わず飛び上がってしまう。何があったのだろう、と僕は端末を覗いた。
……朝一約束していた三波さんとの話し合いのために、僕は地下のソイフード・ジェネレーターの前まで来た。すでに三波さんと御桜さんがそこに待機していた。三波さんは彼女の言う通りマズいソイフードを差し出してくれた。親愛の証なのだろうか。
「よく眠れたかい、お兄ちゃん?
スイートルームとはいかないが……」
「いえ、部屋を提供していただいただけで十分です。
それより聞きたいことがある」
僕は携帯端末を差し出した。
そこには一枚の写真、アーノルドのものがあった。
「アーノルド=バッカーマンというそうです。
見覚えはありませんか?」
「いや、ないね。すまないねえ、あんたの役には立てそうにない」
「いえ、この写真に見覚えがないだけで十分です。
やはり、フェイクだったか……」
アーノルド成る人物は実在するのかもしれないが、僕に渡されたこの写真はフェイクだ。これを使っている限り、永遠に情報など集まらない。すべては僕をアウトラストに誘導するための罠だったのだ。最初の襲撃も計画されていたものだろう。
「お世話になりました、三波さん。それでは、失礼します」
僕は三波さんに頭を下げ、退出しようとした。
それを御桜さんが呼び止める。
「ちょっと待って、いったい何があったんだ?」
「僕が預かっている子がさらわれた。
やったのはオーバーシアと関連を持つブラッドクラン。
すべては警戒をあの子から逸らすための罠だったんだ……!
あの子が危ない!」
「ちょっと待ってって、だから!
土地勘もない場所でどうやって人探しすんのさ!」
そう言われると、弱い。
だが一刻を争うのだ、ここで言い合っている時間も惜しい。
「だったらあたしが着いて行ってやるよ。
この辺りのことは結城さんよりも詳しいし、足手まといにはならない。
ブラッドクランの連中には、借りも貸しもいっぱいあるからね。
是非とも連れてってくれないかな、結城さん」
願ってもないことだ。
だが、また彼女に迷惑をかけることになるのは……
「すみません、御桜さん。また僕は、あなたに……」
「迷惑だなんて思っちゃいないさ。
あたしは結城さんにも借りがある、デッカイ借りがね。
だからそれを返せるんなら、何だってやってやるさ。ね?」
御桜さんはニッ、と笑った。それはロスペイル態となった時に浮かべる狂暴な笑みではなく、ごく自然と出てきた笑みだった。僕もそれに対して、ぎこちなく微笑む。と。
爆音と衝撃が地下街を揺らした。通路を見てみると、崩落が始まっている場所さえもあった。尋常ではない、僕と御桜さんは顔を見合わせ、頷きあった。
「三波さん、みんなの避難をお願いします。
御桜さん、行きましょう!」
「誰がやってんのか知らないけど、さっさと排除してくるからさ!」
僕と御桜さんは駆け出した。
地下街を抜け、地上へと向かう。




