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「それで、そのあとお姉さんはどうしたの?」

「えっ?」


 エリザは放心から解けたかのように意識を戻し、自分をまじまじと見つめてくるつぶらな瞳と目を合わせた。

 いつの間にか少女達が彼女を取り囲むように陣取って、好奇心に溢れた視線を送ってきている。


「え……と、私……?」


 今、何をしていたんだろう

 戸惑いつつ口篭れば、主役をしていた少女が焦れったそうに擦り寄ってきた。


「んもう、この村を出てお姉さんは何をしていたの? 続きを聞かせてよ」

「続き?」

「そう!」


 一斉に頷かれた彼女は、いつの間にか見ず知らずの少女達を前に、自分の昔話を披露していたことに気がつく。


「続きはまた今度ね」


 苦笑を浮かべるエリザに、彼女達は不満げに詰め寄ってきた。


「そんなこと言って逃げる気でしょう」

「そうよ、そうよ。お姉さんのケチ」

「ち、違うわよ。そろそろ行かなくちゃいけない所があるからお暇しなきゃならないの。あなた達も休憩は終わりにした方がいいんじゃない?」


 エリザは、帰り支度を始めたらしい少年達の集団へと顔を向けた。


「彼らはあなた達を待ちくたびれたみたいよ」


 すっかり練習をする気が削がれたらしい少女達は、お互いに目配せしあい渋々立ち上がる。


「しょうがないか……」

「うん」


 エリザも借りていた椅子を近くの少女に渡し、彼女達に別れを告げた。


「じゃあ、またね」

「ーーあ、ねえ、お姉さん」


 その時、一人の少女が思いつめたような顔でエリザを呼び止めてきた。


「なあに?」


 躊躇いがちに少女は口を開く。


「お姉さんはこの村に……何をしに帰って来たの? もしかして……自分を虐めた男の子達に……あの……」


 復讐をしに帰って来たのーー?


 彼女の唇が不安げにそう動いていた。








 この村を出てからのエリザは、たった一人で生きる道を切り開いてきたと言える。

 彼女は早々に村での生活に見切りをつけ、都に住む母方の遠い親戚を訪ねることにした。どうせこの村にはエリザとの別れを惜しんでくれる人間などいやしない。

 親戚の家には仕事が見つかるまで世話になるつもりでいた。住む場所を確保しなければ、仕事も何も探せやしないからだ。

 随分無鉄砲な子供だったと言えるだろう。だが、都会の恐ろしさを知らない子供だったからこそ、出来た行動だった。

 頼りにしていた親戚は、エリザの出現にいい顔をしなかった。

 それもその筈で、親戚の家は決して裕福ではなかったし、エリザとの縁も薄いものだったからだ。

 それでも彼女はしばらくの間、肩身が狭いながらもお世話になることが出来た。一刻も早く仕事と住む場所を見つけて出て行く、それを希望にして頑張った。

 しかし、そんな悠長なことも言ってられないことが起こる。

 親戚夫婦が、まだ十三歳という幼い年齢のエリザを、強欲な商人の元へ奉公に出すつもりでいることが分かったのだ。奉公先の商人男性は評判の好色家だった。奉公とは体のいい口実に過ぎなくて、実態は娼婦に等しい仕事に違いない。

 彼女は何の準備も整ってはいなかったが、親戚の家を飛び出した。

 エリザの手持ちは、村を出る時持って来ていた小さな鞄が一つ。身寄りの全くいない、村とは違う冷たい都会で一人ぼっち。

 このまま飢えて野垂れ死ぬ運命しかないのかもしれない。

 空腹と絶望感で打ち震え、当てもなく見知らぬ道を歩いていたエリザは、酒場が建ち並ぶ柄の悪い通りへと辿り着いていた。

 そして、賑やかな声が聞こえてくる一軒の店先で、彼女はとうとう意識が途切れる。

 酔った客が騒ぐ声が遠くに聞こえた気がした。この時にはもう、エリザの意識は霧の中に沈んでいた。


 あとになってエリザは、何度もマスター夫妻に言われたものだ。


「うちの前でよかったぞ。他の店なら、今のお前はいなかった」


 とーー。


 本当にそうだと彼女は思う。あそこで行き倒れたのは、神のくれたこの上ない幸運だったのだ。







 少女達と別れたエリザは遠い昔通いづめた道を歩く。周囲の景色から徐々に家々が消えていき、前方に横に広がる長い塀が見えてきた。どこまでも続く塀はこの村一番の屋敷を取り囲んでいるものだ。

 くすんだ色の塀には昔はなかった蔓草が伸び放題でまとわりついており、手入れの行き届いてない荒れ果てた印象を与えている。

 やっと門まで行き着いたエリザは飛び出してくる忠犬を想像して、一瞬身を竦ませた。

 しかし、当然ながら犬は出て来ず、誰の歓迎も受けなかったエリザは、たいして力を入れなくても鈍い音を立て開く古びた門を潜る。

 門の向こうには想像を絶する世界が広がっていた。

 かつて、この広大な庭に所狭しと植えられていた目にも鮮やかな美しい花々は全て枯れ果て、あるいは引き抜かれて、代わりに地味な植物が土の上に顔を覗かせている。

 職人が丹精込めて栽培していたこの家自慢の花壇は、今や野菜を植える畑と成り果てていた。

 男が一人、屈み込んで作業をしているのが見える。

 エリザは城のような建物の前で、農夫と見まごうその男を目を凝らして見つめた。

 広い肩、大きな背中。

 筋肉の盛り上がる逞しい腕は力仕事をする人間のものだ。

 あの頃とは違う日に焼けた素肌が、遠目にも分かった。一心不乱に黙々と土いじりを続ける背中は、エリザの来訪に気づいてもないらしい。


 その後ろ姿に、王様気取りだった生白い少年の面影はない。


「やっぱり、ここにいたのね」


 エリザが声をかけると、男はピクリと肩を揺らして顔を上げる。

 それからゆっくりと振り向いた。


「精が出ることね、ミスター。ねえ、私が誰だか分かる?」


 男はエリザを驚愕の表情で見つめていたが、フッと口元を緩めると体を起こし立ち上がった。

 立ち上がった男は、こちらを圧倒するように大きかった。エリザは思わず体を固くして身構える。

 あの頃も、そして今も、この男は恵まれた容姿を余すことなく見せつけてくる気らしい。農作業のせいで汗と土にまみれ、みすぼらしく汚れた肌や衣服でさえ、少しも損なわない自らの魅力に変えるのはどういうことか。


「もちろん、知っていますよ。あなたは今をときめく新進女優エリザベス・ドーソンさんだ、いやーー」


 男ーー、ジャック・アトキンスは眩しげに目を細めたあと、皮肉っぽく口を歪めた。


「エリザ・ドーソン。俺の一番会いたくない古い知り合いだ」

 


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