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 ジャックとの練習は意外と楽しいものだった。


 エリザはジャックにポンポンと何でも好き勝手に言い、彼もまた同じように遠慮もなく返してきた。

 学校では変わらず些細な嫌がらせが続いていたが、それに塞ぎ込むことはもうなかった。そして、見違えるほどに変わったアーデルヘイトの堂々とした演技を、間抜け面した級友達に見せつけてやることが出来た。






 子供達が用意してくれた特別席で、エリザは彼らの稽古を眩しい思いで眺める。

 暖かい風が吹いてきて、少女達のスカートを優しく揺らした。わあっと歓声が波立つように湧き起こり、彼女達は皆幸せそうに笑い合う。

 不意にエリザは目を瞬き、睫毛のふちを指で拭った。

 懐かしい記憶が彼女の体をあの頃へと運んでくれる。目の前の少女達と同じ年頃だったあの頃へと。


「ねぇ、お姉さん。後夜祭には参加するの?」


 劇の練習が一段落したのか、一人の少女が話しかけてくる。


「後夜祭……?」


 記憶の淵を漂うエリザは、ぼんやりと反応を返すのみとなっていた。柔らかい印象の少女は、そんなエリザを子供を叱る母親のような顔で覗き込んでくる。


「そうよ。復活祭のあとに教会前の広場に皆で集まって、大きな焚き火を炊いた灯りの前で一晩中踊りあかすのよ」


 少女は息を荒くして隣に座り込んだ。


「年頃の子は好きな人と踊るんだって、誘ってもらうのをずっと待っているんだから」


 別の少女が近くの少年を意味ありげに見つめつつ近づいて来た。


「そうよ、早く声をかけてくれなきゃ」


 少年は顔を赤らめ気まずげに走り去って行った。


「おませさんね。あなた達はまだ子供でしょう?」

「あら、子供なんて関係ないわ。この日ばかりは父さんも母さんも少々のことは大目に見てくれるんだから。チャンスは逃しちゃ勿体ないじゃないの」

「まあ」


 エリザが苦笑すると、少女達は興味津々といった顔を寄せてきた。


「お姉さんは誰かと踊るの?」

「私? 私は……」


 誘われたことはある。

 一度だけ。


 エリザは胸元のネックレスへと手を伸ばし、服の上から確認するように触った。


 でも、それはエリザの胸に深い傷を残していったのだ。






 後夜祭を一緒にーー。


 そう、誘ったのは彼だったのか、それともエリザの方だったのか。

 今となっては、どちらからだったのかすら曖昧な記憶。

 だが、二人は間違いなく約束を交わした。


 ハリー・スミス作寸劇『 アーデルヘイトの物語』は大盛況のうちに幕を閉め、エリザ扮する女神はシナリオをまとめた教師を初め観客達皆をエキサイトさせた。

 級友らからも初めてとも言える親しみを込めた言葉を貰い、得もいわれぬ達成感と喜びで彼女は胸がいっぱいになった。

 それから、他の子達と同じように家族と復活祭を楽しみ、日が暮れて教会の前に焚き火がたかれるようになる頃には、彼女はその輪からこっそりと抜け出していた。

 村の誰もが浮かれて羽目を外していた。

 復活祭から後夜祭へと続く一連のイベントは、この村での最大の娯楽であったからだ。

 だから、そんななかをエリザ一人が姿を消しても誰も気にやしない。そうやって密やかな時間を手に入れる人間は、何もエリザ達だけではなかったのである。

 逸る気持ちを抑え村一番の大木を目指してエリザは急いだ。駅の前にある、あの大きな樫の木だ。

 教会から離れた位置にある目的地には、今の時間なら誰も寄りつかない筈だった。

 エリザと彼、ジャック・アトキンスの他には。


 彼の家に通ううち、ジャックの真の姿を知ることとなったエリザ。

 その姿に急速に惹かれていくのを、彼女は止められなかった。

 恵まれた環境にいるにもかかわらず、村の不十分な教育施設に通い続けていたジャック。

 ずっと不思議だった。何故この人は、こんな辺鄙な学校へ来ているのだろうかと。

 広大な、エリザから見ればまるでお城のような屋敷に住んでいながら、幸福とは対極の孤独を感じさせる物憂げな表情。

 ジャックのひねくれた性格は、温かみを感じないあの屋敷の中に原因があるのではないか。

 あれほどエリザを目の敵にして虐めていたくせに、今何故か救いの手を差しのべてきたその意味も。

 ジャックが見せる言動やその表情に、全ての答えが表れていた。そう、信じてしまった。


 彼も私と同じ気持ちでいるに違いない。

 

 見慣れた木の影が目に入り、期待が最高潮に達する。

 木に縋り背中を見せる人影に幼い心臓が喜びに震えた。後ろ姿からは、はっきりと人物を特定出来なかったが、こんな時間にこんな場所にいるのは彼しか考えられない。

 熱に浮かされたように、ふらふらと樫の木へと近づいて行く。

 そして、勇気を振り絞って目前の人影に声をかけた。


「ジャック……あの……」


 振り向いたその顔は、ジャック・アトキンスとは似ても似つかぬ意地悪な級友のものだった。


「うわっ、本当に来やがったよ、男女」


 驚いて固まるエリザを他所に、級友は笑いながら後方へ顔を向ける。


「ジャック、見てみろよ。勘違い女が来ているぜ。あんたに誘われたと本気にしてさ」


 ジャック? ジャックって言った……?


 エリザが級友の背後に目線を変えると、暗がりから細身のシルエットが現れた。

 信じられない思いで彼を見つめるエリザを、ジャック・アトキンスは顔をしかめ横を向いたまま見ようともしない。

 時を同じくして、ジャックの取り巻き達までもが、ぞろぞろといやらしい笑みを浮かべて彼女の前へ出て来る。


「だれがこんな男女を相手にするかよ。身の程を弁えろってんだよな、なあみんな?」


 一人が大声を出して笑った。


「ああ、そうだ。ガキが色気づいて気持ち悪いってえの。馬鹿じゃねえのか、このクソ男女」

「見てみろよ、こいつポカーンとしてやがる。俺らのゲームにまだ気づいてないみたいだぜ」


 静かな周囲の雰囲気を乱す嘲笑が、彼らの間からドッと湧いた瞬間、エリザは理解した。


 騙されていたのだ。

 自分はまんまと罠にはめられた。


 ジャック・アトキンスがこれまでこちらに見せてきた好意や行動は、全てエリザを天国から地獄へと突き落とすために、仕組まれていたものだったのだと。


「な、なによ……」


 彼女は襲い来る衝撃を振り払いながら懸命に考えた。

 どうすればこの卑怯者に一矢報いることが出来るのか。

 どうしたら、自分は傷ついたりなんかしていないと思わせることが出来るのだろうか。


「なによ、あんたなんか五つも年上のくせに、私に負けたくせに……」

「何だと?」


 ジャックの代わりに取り巻きの一人が凄むが、負けじと睨み返す。

 級友達の陰に隠れるように彼女から距離を取るジャックが見えた。

 憎たらしい。こんな時まで傍観者を決め込む相手が。


「だってそうじゃないっ!」


 傷ついてなんかいない。こんな男、元々大嫌いだった。冷徹で最低で、最も忌むべき敵である。


「大きなお屋敷に住んで、家庭教師が勉強を見てくれてるくせに、貧乏人の年下の子に負けたのよ。先生が優秀だと認めてくれたのはあんたじゃなくて私だった。分かる? あんたなんかその程度なのよ。チヤホヤして貰えるのは田舎の学校の中でだけ。あの広いだけの寂しい家と一緒よ。表面だけ飾りたててるかわいそうな人ね!」

「黙れ!」


 エリザが叫び終えると、珍しくジャックが怒鳴り声を上げた。

 彼女を咎めるように見下ろす瞳に色をなくした肌。青ざめた唇は荒い息を吐いて僅かに震えていた。

 明らかに動揺している。エリザはジャックの急所を的確に攻撃していたのだ。


「やめないわ、私はあんたの召使いじゃない! あんた達を一生軽蔑する! 一生憎んでやる!!」


 彼女は捨て台詞を吐いてその場から逃げ出した。

 何もかもを忘れてしまいたかったのである。たった今受けた辱めも、心の奥に生まれた仄かな感情の存在も。

 全てを封印して忘れると心に決めた。


 それからのエリザは、以前よりも更に意固地になっていった筈だ。

 級友達のからかいは全て無視した。いつしか、可愛げのない氷のような女と言われるようになっていたが、それも無視した。

 ジャック・アトキンスはあの祭り以降、村の学校に登校することはなかった。級友達はどこかの上級学校へ編入していったと噂をし、そのうち彼の話題も出なくなった。

 教室に燦然と君臨していた王がいなくなったこともあり、エリザを虐める人間もやがていなくなった。

 彼女を苦しめていたものは全て消え去り、やっと待ちわびていた平安が訪れたのである。

 エリザが十三になる頃、祖父母が相次いで病死した。

 彼女は遠い親戚を頼り、いよいよ忌まわしい思い出のあるこの村を出て行くこととなった。



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