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 子供達の明るい声が聞こえてくる。

 エリザはハッとして、目前へと焦点を合わせた。

 いつの間にか、過去へと意識が飛んでいたらしい。村の景色は少しも変わってないのだから、無理もない。

 俯いた先には、白い小さな花をつける雑草が一面に絨毯を作っていた。

 白詰草だ。

 エリザは懐かしさのあまり、足元に目を奪われた。

 いつも、いつもいつもこの村を出たあとだっていつも、エリザをずっと支えてくれていた小さな存在。

 彼女は泣きそうになるのをぐっと堪え、白と緑に覆われた地面に膝をついた。そう、子供の頃のように。


「お姉さん、誰?」


 突然、横から声がかかり、エリザはびっくりして顔を上げる。

 彼女のすぐ側に少女が二人、丸い目をしてこちらを凝視していた。


「旅の人?」

「え、ええ、どうして……?」


 エリザがためらいつつも答えると、少女達は顔を見合わせて笑った。


「だって、お姉さんみたいに綺麗な人見たことないもの」

「わ、私は……」

「ねえ、どうしてこんな所にいるの?」


「何? 何? 何があったんだ?」


 彼女達の気配に気づいた他の子供達が、あとからあとからわらわらと湧いてくる。

 エリザはたちまちの内に、数人の子供達に囲まれていた。

 子供達の向こう、古い学び舎が山を背にして建つのが見える。

 そうだ。気づかぬうちに、自身も通った学校へと辿り着いていたのだ。

 

「私達、お芝居の練習をしていたの。お姉さんは復活祭のためやって来たお客さんでしょ?」


 快活そうな少女が、黙ったままのエリザに痺れを切らしたらしく、得意そうに胸を張った。


「私は主役の女神、アーデルヘイトが人間だった頃をやるのよ。お姉さん、残念だけど今日は本番じゃないわ。祭りの当日に来て」

「え? アーデルヘイトのお話をするの? シナリオは誰が書いたものかしら」


 ぼうっとしていたふうなのに突然目をむいて質問を始めたエリザを、少女は面食らったように見返してくる。


「え? シナリオ? 誰だっけ……、えっとね、先生が伝統演目だからって持ってきたやつで。古い昔のものみたいで……」

「確か、ハーリー・スミスって人の作品よ」


 別の少女が遠慮がちに答えた。


 ハーリー・スミス!


 間違いない。

 エリザが演じたものと全く同じだ。


 彼女の中に過去の記憶が再び戻ってくる。






「ハーリー・スミス?」


 エリザが思わず聞き返すと女教師はにっこりと微笑んだ。


「そうよ、エリザは彼の名前を知ってるでしょ?」

「はい、知ってます。もちろん」


 ハーリー・スミスは、思想家ヤングが子供の頃に自分が書いた小説につけていたペンネームだ。

 宿題でヤングの半生について感想文を書いて以来、エリザは彼の残した作品を読んでみたいと方々を探していたが、小さな村ではとうてい見つけ出すことは叶わなかった。


「これは、もしかして……」


 エリザは期待を込めて女教師を見つめた。彼女の熱意が教師の心を動かし、探してきてくれたものだと直感的に分かったからだ。


「そうよ、ヤングが残した作品の一つよ。それをシナリオに起こしたものなの」


 女教師は力強く肯定してくれた。それは間違いなくエリザの熱望していたものだと、輝く瞳は言っていた。

 ヤングが書いていたのはあくまでも小説だったはずである。つまり、今回のシナリオはそれを芝居用に書き換えたものだったのだ。


「先生……が?」


 エリザの問いかけに教師は笑みを深くした。


「ええ、そうよ。私があなたに主役をお願いしたかった理由、分かってくれるわね」

「は、はい。分かりました先生」


 エリザは熱い涙が頬をこぼれ落ちるのを懸命に押し止めた。

 彼女の肩を優しく撫でてくれているこの教師だけは、彼女の味方であったのだ。

 それがたった一人だったとしても、自分を見ていてくれてる人がいる。即ち、孤独ではないということである。

 そのことがどれだけ人に勇気を与えるか、この時エリザは身をもって知ることになった。


「私、やります。このお芝居をやらせてください」


 エリザは固い決意で承諾した。そのあとに押し寄せてくるであろう反発には、強靭な意志で立ち向かう覚悟で。


 翌日から早速劇の練習が始まった。

 元々物覚えのいいエリザは台詞覚えに困らなかったが、他の子供達は違った。

 彼らはスラスラと台詞が出てくるエリザを妬み、様々な方法で練習を中断させることに熱中した。

 善良な性分の女教師は、卑怯な教え子の悪巧みに全く気づかない。エリザは一人で闘うより他はなかった。

 

 結局、劇の配役はエリザが主役に選ばれ、あとは幾人かの立候補者で埋まり、ジャック・アトキンスは何の役も手に入れはしなかった。

 それが益々ジャックらの反感を買ったらしい。

 エリザに対する嫌がらせは、以前にも増して激しくなっていった。

 エリザにとって不運だったのは、そのほとんどが教師の目の届かない場所で行われていたため、彼女は唯一の理解者に助けを求めることが出来なかったことだ。

 それがたとえ本当のことだとしても、告げ口をする人間は、子供の世界では最も忌み嫌われる存在である。エリザだとてそこまで自分を貶めたくない。

 学校への行き帰り、授業と授業との間の休憩時間、はては劇の練習をしている最中にまで、巧妙な虐めは続いたが彼女は一人で堪えるしかなかった。

 このままでは反発を予想しながらも決意した一大決心を、早々に翻し教師を落胆させてしまうかもしれない。エリザがそう悲観し始めた頃、彼女への嫌がらせが不思議なことに段々と減っていった。

 もちろん、ピタリと止まった訳ではない。

 それゆえか、ある意味「男女」と常にからかいの対象にされていたエリザには、そのことになかなか気がつけなかったのだ。


 復活祭も近づいたある日、エリザは一人でいつもの道草をしていた。この日の道草は、のんびり花を愛でるような呑気な類いのものではなかった。

 エリザは大事な場面である、アーデルヘイトが不思議な力に目覚めるシーンで、多大なる苦戦を強いられていた。

 大きな声で皆の諍いを鎮め、彼女が只者ではないと知らしめる要とも言えるシーンで、いつも他の共演者に声を遮られ「声が小さすぎて何を言ってるか分からねえよ」と揶揄されていたのだ。

 身長が高く意地っ張りな性格とは言え、出演者の中で年齢も一番小さかった少女の声はすぐ枯れた。

 生来の気の強さでもって、意地悪な同窓生の前でだけは泣き出す羽目にはならなかったが、彼女の小さな自尊心は今やボロボロに砕ける寸前だった。


 緑の葉の中に可憐に咲く白詰草に顔を突っ込み、エリザは思い切り声を上げて泣いた。

 耳障りでからからに渇いた嗄れ声が、静かな周囲の風景すら汚していく騒音のような気がして、落ち込みに拍車をかける。

 まるで人生の終わりを迎えたかのように絶望に暮れる彼女に、その時、刺のある声がいきなりかかった。


「酷い声だな、うるさい」


 誰もいないと思ったのに彼女の他にも人がいたらしい。その人物に今の醜い泣き声を聞かれてしまったのだ。


 エリザが驚きのあまり顔を上げると、そこには眉をしかめたジャック・アトキンスが、彼女を不遜な表情で見下ろしていた。



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