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子供の頃のエリザのあだ名は、「男女」であった。
これはあだ名と言うより、陰口などに分類される類いのものだろう。しかしながら、陰ではなく彼女は表で、つまり面と向かって言われていた。
誤解のないよう付け加えれば、彼女は決して男のような見た目をしていた訳ではない。
外見だけで言うなら身長は少し高めだが、ほっそりとした体つきに小振りな顔、絹糸のように輝く金髪は腰まで長く、顔立ちは柔らかく整っていて、むしろ可憐な印象の少女にしか見えなかった。
そんな彼女が男女などと不似合いなあだ名を付けられた由縁は、可愛げのないその性格にあった。
年端もいかない頃から、エリザは華奢な外見に似合わず、負けず嫌いで意地っ張りな性格をしていたため、なにかと周囲と軋轢を生んでいた。
平素は口数も少なく目立たない位置でおとなしくしているのに、いったん衆目に晒され攻撃されてしまうと、自分を抑えることが出来なかったのである。
そのせいで彼女は相手に付け入る隙を与えてしまい、結果嘲笑やからかいの対象になってしまうのであった。
エリザが少女時代を過ごした田舎の農村は、近代化が進む都市部とは違い、古い時代の慣習が根強く残る閉鎖的な空間だった。
彼女はそこに物心がつくかつかないかの頃から、祖父母と三人で暮らしていた。
エリザの両親は早くにそろって他界しており、若い働き手のいない家計は、他の住民と比べても貧しかった。だが、祖父母は彼女に学校へと通い学ぶ自由を与えてくれていた。
学校と言っても、しょせん田舎のささやかな一施設に過ぎない。ゆえに、たいしたものは学べる筈もなかったが、勉強の好きなエリザは朝の手伝いを手早く済ませ嬉々として通っていた。
まさかそこで、厄介な感情を周囲からぶつけられる羽目になるなどとは夢にも思わずーー。
ホームに降り立ったエリザは、久しぶりに懐かしい郷里の地を踏んだ。
大きな汽笛を鳴らし彼女をここまで運んできた蒸気機関車が、黒い煙を振りまきながら次の駅を目指して出発する。
汽車を見送っていた駅員が、田舎に不似合いな装いの女に気がつき、不躾な視線を向けてきた。
体を締め付けるコルセットを外した、流行の先端をいく黒いドレスとお揃いの帽子。
豊かな金髪は後れ毛だけを残して、帽子の中に緩く纏められている。透き通る程に白い肌に徴発的な赤い唇。
こんな田舎には隅から隅まで探しても、見つからない女だろう。いや、田舎でなくとも、エリザほどの美女にはそうそう出会えない。
ぼうとなって自分を見つめてくる駅員の横を、エリザは悠然と通り過ぎていく。
「ごきげんよう」
「あ、はい、ご……ごきげんよう」
彼女がチラリと流し目を送ると、男は半開きにあいた口をぎゅっと引き締め、真っ赤になって俯いた。
いったい何歳ぐらいの男だろう。
エリザと同じぐらいの年齢であろうか。
彼女がこの村で過ごしていた当時、村に一つしかないあの古びた学び舎で、同じく机を並べていた幾人かの子供達の中に、この男もいたのだろうか。
こちらを気にしつつ業務に戻る男に背中を向け、エリザは駅舎を出た。
汽車を降りたのは彼女一人だけであった。
現在エリザが暮らす都ではあり得ないことだ。
駅の周囲には、のどかな田園風景がどこまでも広がっていた。記憶の中にある景色と何ら変わっていない。まるで時代を遡ったような気さえしてくる。
彼女がこの村を出て、ゆうに十年は経っていると言うのに、村は少しも変わっていなかった。今にも十代の自分が道の向こうから現れそうだ。
駅の前の道をエリザは迷うことなく歩く。道順を忘れていなかったことに、彼女はおかしくなって笑った。
畑仕事をしている農夫や行き交う住人が、歩く彼女に驚き立ち止まる。
エリザが視線を向けると皆一様に顔を赤らめた。
誰も気づいていないーー。
エリザは吹き出しそうになりながら、彼らの視線を置いてけぼりで先を急いだ。
私がエリザベス、いいえエリザ・ドーソンだってことーー。
懐かしい景色のあちらこちらに、幼い少女の自分が見えた。
いつも泣いていたわーー。
記憶の中のエリザは、たいてい声をころして泣いていた。
悔しくて悔しくて、家に帰る前に川で顔を洗って泣き顔を消したこともあった。祖父母を心配させたくはなかったからだ。
泣いてなければ……、
エリザは服の下に隠すようにつけているネックレスを、布越しにぎゅっと握り締めた。
酷く怒っていたわーー。