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Prologue:約束―Rainy day―

 九月になったばかりのこの日、僕が住む全工都市マグノレアは今世紀最大の熱帯低気圧――つまり台風が勢力を強めつつ近づいてきていた。

 朝から流れ続ける被害拡大のニュースに母さんがハラハラとして同じことを何度も言う。その中で、僕はそれにてきとうに同意しながらも内心ワクワクしていた。

 僕は昔から地鳴りがするくらいの雷鳴や、突風吹き荒れる嵐など、人的被害が出る異常気象が好きで仕方なかった。小さい……というか、四、五歳の時は台風の中外に飛び出そうとして両親に怒られたとかなんとか……。

 ともかく、こんな性格の僕にとって、今のこの状況は誕生日やクリスマスにもらうプレゼントに匹敵、いやそれ以上のものだった。

明人あきと-?」

 トントン、と階段を上がってくる足音と母さんの声に、僕は慌ててカーテンを閉め、ベッドにあらかじめ置いておいた本を手に取って読み始めた。ちなみに読んでいるのは古代文献、昔流行ったらしい小説を読むのが大好きな僕がコツコツと溜めていった代物だ。

「明人? 入るわよって、またそんな格好で読んで……。止めなさいって言ってるでしょ?」

「ごめん、母さん。癖になっちゃってさ」

へへっ、と笑ってベッドに腰掛ける。母さんは僕の部屋のカーテンが閉まっているのを見ると、小声でよし、と呟いた。

「それじゃあ、これから母さんはお父さんのところに行ってくるからね。三時にアイサが来るから、それまでおとなしくしてるのよ?」

「分かってるよ、もう子供じゃないんだからさ」

 いってらっしゃい、と手を振りながら部屋を出ていく母さんを見送る。階段を下り、玄関のドアが閉まるのを聞いた瞬間、僕は普段よりも格段に速い動きで計画を開始した。

 今日、母さんが単身赴任中の父さんの下へ向かうのも、母さんが不在の間僕の世話をするためにアイサおばさんがくるのも知っていた。だが、予想外だったのは台風の接近だった。

 今日のニュースでは、台風がマグノレアに直撃するのが午後二時四十七分。アイサおばさんが来るのは午後三時。十三分という貴重な時間を、僕が無駄にするはずがない。

 半袖にハーフパンツという軽装だと、さすがに寒いと思い申し訳程度に薄手のパーカーを羽織る。特に持っていくものもないため、これで準備は完了だ。

 はやる気持ちを抑え、玄関へ。小説とか、テレビとかで主人公が異世界を開く扉を開ける感覚で、僕はドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開いた。

 開けた瞬間に聞こえたのは獣のような唸り声。それから、ドアを押し戻すほどの風圧。

押し戻ってくるドアを全力で支え、ゆっくりと確実に押し開いていく。

開けきってから見た景色は、僕の心を震わせるには十分すぎた。

 轟々と唸る風音、大きくしなる木々。全身を打ちつける大粒の雨……。

これが、僕が待ち望んでいた景色と感覚だった。

あっという間にぬれそぼった僕の体は、冷たいはずなのに内側から湧いてくる興奮によって打ち消されていた。

 開けっ放しのドアを閉め、僕は雨の中を全力で走った。口に飛び込んでくる雨も、靴が吸い上げる水も、何もかもが僕を刺激し、震わせる。十年という短い人生の中で、最も興奮した日だった。

 台風のせいで異次元に来た気がしてしまう歩きなれた通りを気の向くまま、ただただ走っていたら中央公園にまで着いた。普段なら子供や家族、あるいは恋人など、様々な人たちが集まっては思い思いのことをしていく。そんな場所も、今は誰一人としていなく、閑散としていた。鳥くらいはいるだろうと思ったが、それすらも巣で引きこもっているらしい。

 いるはずの人たちが一人としていないという状況、それが新鮮で、感じることができるのは僕だけというよく分からない優越感が支配した。ピチャピチャと足元の泥を撥ねさせながら中へ。いるはずもない人を探すように、ゆっくりと首を動かし続けた。

「…………あ」

 広大な公園の端、あまり乗る人がいないブランコに、真っ白い何かを見つけた。この雨の中、自発的に発光して見えるそれに、恐る恐る近づいてみる。

外形が見えてくるにつれて、それが一人の少女であることに気が付いた。薄く緑が入った白い髪。青いラインが映える真っ白なワンピース。この世のものとは思えないほど、神々しさを与えるその子は、錆びた鎖をぎゅっと握ったまま俯いていた。

「あのー……」

 思い切って声をかけてみる。が、ざあざあと降りしきる雨の音によって、僕のか細い声はかき消された。

「すみません、聞こえてますか? おーい」

 そろりと手を伸ばすと、その子が緩慢な動きで首を持ち上げた。大きな丸い目は、鮮やかなトルマリン色。

これで羽なんか生えてたら、僕はきっとこの子の前にひれ伏してたんだろうなあ。

 なんて考えてたら、ぐいと服を引っ張られていた。もちろん、目の前の少女に、だ。

「ねえ、何してるの?」

「……それ、僕に聞いてるの?」

「君以外、ここに話す人はいない。答えて」

 短く紡がれているためか、それとも口調のせいなのか、上からにしか聞こえないその子に、僕は少しだけムッとした。いや、ここで爆発しちゃだめだ、落ち着け自分。

「僕は……、散歩してただけ」

「散歩? こんな日に?」

「そうだよ、そういう君だって何してたのさ」

「……遊び?」

は?

「だから、遊んでた」

「こんな日に?」

「こんな日に」

 おうむ返しの連続、もはや会話になっているのかも定かではない。

目の前の少女は隣のブランコを指さし、交互に僕とブランコを見た。要は座れってことか……喋れよそれくらい。

 座った瞬間きしむブランコに少しだけ焦る。思えばブランコに乗るの久しぶりかもしれない。

「そういえば、名前、聞いてない」

「名前? ……ああ、僕は明人。桜庭さくらば明人」

「私は、遠野葵とおのあおい

 この子はコミュニケーションがどういうのか知らないのか、と言いたくなるほど単語しか紡がない遠野に、ゆっくりと苛立ってくる。

「ねえ、明人は、雨が好きなの?」

「好きっていうか、こういう嵐が好きなだけかな。遠野は嫌いなの?」

「……特に、そういうの、ない」

 ぽつぽつと紡がれる声にやっと慣れ始め、そのまま他愛のない話を続ける。家の位置や自分たちの趣味、家族構成エトセトラ……。

 その会話の中で、僕は遠野の姿にある感情が芽生えていた。どうやっても回避できない、自分と遠野の差。

それは――。

「そういえば、明人の、髪は、元々?」

ほら、やっぱり。

「そうだよ。遠野だってそうだろ?」

 そう言って、この世のものではない髪と目を睨むように見た。

ここ、マグノレアでは“デザインチャイルド”が流行している。要は、我が子がまだ胎児の時に遺伝子を操作して親の好みの容姿にすることで、十五年前から流行りだし、現在も人気絶頂中である。

その結果、両親に全く似てない子供やいかに珍しい色の子を産むかという、子供を物のように扱う親が増えてきている。

「明人の、髪色、綺麗」

 ふわり、と頭にかかる重さと温かさ。

それが遠野の手だと分かった瞬間、力強くその手をはねのけた。

――僕の髪が、綺麗だって?

「お世辞をどうもありがとう。でもそれはどこまでが本心?」

 毒をたっぷりと含んだ物言いに、遠野がおびえたような、困ったような顔をした。

「君はさ、そうやってお世辞を言い続けてるの? “僕ら”みたいなのに。いいよね、“君たち”は、綺麗な色で生まれてさ」

 違う、そうじゃない。綺麗だって褒められたのに、どうして僕は心にもないことを言っているんだろう。

止めようにも止められないのは、僕の心にくすぶっていた本音があっさりと顔を出してしまったからなのだろう。

 “デザインチャイルド”が、全部うまくいくとは限らない。親の意に沿わない色に生まれてきた子も確実にいる。そういった失敗作の“デザインチャイルド”の中でも一番嫌われるのは、僕のような鳶色の髪に薄紫の目。目に関していえば、その薄紫に赤い色が混じるとそれはもはや迫害されるレベルにまで達する。理由は簡単、マグノレアに伝わる童話に出てくる精霊たちの目や髪の色がそうだったからだ。全体的に暖色系でふわふわとした姿、温厚な性格で知られている精霊たちが、歪曲次元ワームから来た悪魔の術により凶暴かつ凶悪に成り果てる。そうなってしまった“異端”の精霊たちはその姿を赤と紫を中途半端に混ぜた色になる。そうして姿を変えた彼らはいつしか古代語で異端を表す“ゼノ”と呼ばれるようになっていた。そこから、一定の名前がない悪魔ではなく、総称だが名前がある“異端”の精霊たちの名前を、僕らみたいな子供たちにつけたのだ。

 そんな僕らゼノは、親から愛されることはまれで、ほとんどは孤児院に入れられるのがオチなのだ。孤児院を通るたび、大人や子供が窓から外を覗く彼らを見て蔑み嗤っているのをよく見かける。

 僕は両親のもとで暮らしてはいるが、事あるごとに蔑まれ、比較され、罵倒されてきた。だが――、一度も罵倒していない遠野に当たるのは間違っている。

罪悪感にさいなまれながらも、止まらない罵倒は僕の息切れにより終焉を迎えた。ドロドロの地面に目を落とし続けるのは、きっと泣いているであろう遠野の顔を見たくないからで。

「     」

 不意に、何かが聞こえた気がした。恐る恐る顔を上げると、先ほどの困った顔を何処かへ拭い去り、最初と同じ表情をした遠野がそこにいた。

「伝わるか、分からない。けど、言う。私は、あなたの色が、羨ましい」

「羨ましい………?」

「デザインチャイルドでも、表現できない色。私の色は表現できても、貴方の色は誰にも作れない」

 遠野は軋むブランコから降りると、僕の髪に触れた。

「神秘的な色、私は、この色が、好き。あなただけの、色」

 たどたどしく連ねる言葉だからなのか、それとも遠野だからなのか、とげとげしかった僕の胸の奥深くに、その言葉は染み渡った。

誰も――両親以外誰も言ってくれなかった言葉を、目の前の少女が言ってくれた。その事実が、温かくて優しくてどうしようもなく嬉しかった。

「……? 明人?」

「んぇ!? ……あ、ううん。大丈夫、何でもないよ」

喜びを噛みしめすぎてぼうっとしてたらしい。変な声を出してしまったが、まあ、気にせず流してくれることを祈ろう。…………むしろそうしてくれ。

「まあ……、その、ありがとう…………」

照れ隠しのために、小声でそう言うと遠野はほんのちょっとだけ笑った。その瞬間に天使の橋が彼女に降り注ぐ。金色の光に包まれた遠野は本当に神々しくて、でもなんか精霊とか神様くらいの地位ではなくて――ああ、もう。うまく説明できないけど、とにかくなんか人という存在の一線を越えるような越えないようなそんな感じだった。

「そういえば、雨止んだね」

 言わなくても気づくようなことを言ってみる。不審がらずに同意をする遠野に今は感謝するしかない。

「そろそろ、帰る。多分、お母さん、帰ってくる」

「お母さ――あ゛っ!!」

しまった!おばさんの存在忘れてた……。今頃もう僕の家に来て、僕がいないからって捜索願を出しているかもしれない。母さんに似て――というか姉妹だけど――心配性だからそうしてるだろう。容易に想像がつく。

「用事? なら、もう、帰らなきゃね」

 たたっ、と入口に走っていく遠野。あ、という声と共に戻ってくると、ポケットから何かを取り出し、僕の手に乗せた。

「あげる。次会ったときに見せあう。勘合……みたいなの?」

「勘合って……」

 この子も僕と同じく古代文献を見る趣味があるのだろうか。いや、そうじゃないと勘合なんて言葉が十歳そこらの少女の口から出ることはないだろう。

 掌に乗せられたものを見ると、透明なのに深い青の石だった。少しくらい加工しても壊れることがなさそうな、そんな感じ。

「私も同じの持ってる。雨の日に初めて会った子に渡そうと思ってた。それは明人だけのもの。他の人に同じのあげない」

 もう一度ポケットを探って同じ石――こちらはイヤリング……いや、ピアスか――を取り出した。

「これが、目印。雨の日に、また会うための」

「目印……。分かった、必ず持ってくる」

 僕も笑うと、遠野は満足したように大きくうなずくと今度こそ入口まで走り、僕の家とは反対方向へと走って行った。

それを見届けてから、僕もできるだけ急いで家路についた。




「もうっ! 一体何やってたのよ!!」

 ただいま、と言い終わるよりも先におばさんの怒号が飛んできた。薄紫の髪が逆立ちそうな勢いだ。

「ごめんなさい、アイサおばさん」

「ごめんで済まないわよ、全く。捜索願出しちゃったし、姉さんになんて報告すればいいか分かんないし……。そりゃあ、無事で良かったけど」

 やれやれ、と頭を抱えるおばさんの姿を見てほんの少しだけ罪悪感を覚える。僕の台風の中に飛び込むという願いは達成されたことや、遠野に会えたことが大半を占めていることは口が裂けても言ってはいけない。

 追いやるように風呂へ入らされ、ご飯を食べ、部屋にこもる。ベッドに倒れこむとどっと疲れが全身を支配した。

ふと思い出してポケットからあの青い石を取り出す。薄闇の中でも煌々と光る石、遠野がピアスだったから、僕はペンダントにしよう。

 ふっと笑って目を瞑ると、吸い込まれるように眠りに落ちた。




 母さんが帰ってくるや否や、僕は雨の日の外出を禁止された。まあ、完全に外出禁止にされるよりはまだ軽い方だが、遠野に会えなくなるのは悲しかった。

 晴れている日を見計らって、アクセサリー工房へ行き、あの石をペンダントにしてもらった。こげ茶色の紐に括り付けられた石はなにか不思議なものを感じさせた。僕はこれを肌身離さず身に着け、いつか遠野に会えるその日を待った。

 ついに雨の日の外出(ただしあの嵐みたいな時は絶対にダメ)を許された最初の雨の日、僕はドアが壁に当たって大きな音をたてるくらい勢いよく開け、あの公園を目指した。

 水たまりを気にせず走っているせいで靴もズボンも泥だらけだが、そんなことはどうでもいい。とにかく、あの公園の、あのブランコへ――。

 ついにその場所へ着いた時、僕は心底がっかりした。

あの真っ白な女の子の姿はどこにもなかったのだ。

 もしかしたら、もうすぐ来るかもしれない、というはかない希望を胸にブランコに腰掛ける。





 なんとなく空を見上げた時、雲間から濃紫色の光が点々と見えた。












僕はこの時、その光が僕のその後を変える光だと思うはずもなかった。


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