洗脳教室
同情されたくて、巧みに自分の弱みを利用することは、人としてやってはいけないことである。そんな一部の高齢者を無条件に同情してしまう中学生。何かしら義務教育に問題があると詮索してしまう。とはいえ、教育に関しては素人なので、何が問題とはいえない有様である。
ケンイチは義務教育という洗脳プログラムによって自分を見失ってしまった。サトシはケンイチにかけられた洗脳を解くために必死に語るのだ。
「すべての高齢者を聖人君子として見るのは宜しくない。むしろ性格を疑え、悪人として見るのが好ましい。年を増しているが根本的な部分は子どものまま。高齢者を敬うなんてナンセンスで本当に愚かなこと。平気に弱みを語る高齢者を注意しろ。いちいち構っていたら自分の時間が無駄になる」と。
なぜかケンイチの口からサトシが語ろうとする言葉が発せられる。
「生きていることは共存であるが、死ぬときは一人寂しく死ぬのが常だ。高齢者は何かしらの死の恐怖心を周囲に漂わせている。気付いたとしても見て見ぬふりをして、あえて関わらないことが良い。思いやる心を大人に植え付けられて、自己犠牲に重んじるばかり大切な自分を見失ってしまうことになる」と。
まあ、作者の僕が思うには、自己犠牲は金銭や心に余裕があるときにすべきもの。人を同情するにも覚悟を持ったないと甘やかすことになる。つまり洗脳されなくても、同情する心は生まれながらに持っているから偽善者にだって簡単になれるのだ。
「あれれ、どこかの教室が急に静まりかえったよ」と声が聞こえる。とにかく耳を澄ましてみよう。
「あなたたちにもサトシやケンイチになれる、ここは洗脳教室だから」と軽やかな口調で教師が生徒たちに断言するのである。