表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

再会と算数


「ちょっと結城(ユウキ)君、ほんとにどうかしたの?」

ついに発狂した俺に、推定30代の女性が優しく声をかけてきた。

本当に俺はどうしちゃったんですか?と聞きたいのは俺の方なので、その質問には答えられない。

俺は女性の存在を無視し、再び鏡に向き直った。

どうやら、鏡が歪んでいて他のところを映しているわけでも、鏡と見せかけて実は空洞でした~というオチもつかないらしい。

つまり、鏡が映し出しているのは俺の姿だということになる。そもそも、時計のデジタル表示が示していたのは間違いなく15年前の9月の日付だった。


と、いうことは。


俺は一週間前の言葉を実現させてしまったらしい――――なんて素直に思えるはずもなく……。俺の推理は、あくまでここが夢の中であるというものだった。

だってそうだろう?もしも『うわーい、過去に戻ったぜー!』なんて言い出す奴がいるとすれば、そいつは相当疲れている。リポビタンDでも飲んで早く寝た方がいい。

ふとした瞬間に過去に戻ってしまうなんてトンデモ展開は、現実には起こりえない。

そこまで考えて、俺はある一つの絶望的な考えに至ってしまった。

ここが夢の中の世界であるということは、現実の俺は、大事な会議を前にして居眠りに興じていることになる。

まだ準備の途中であるのにもかかわらず、デスクに突っ伏していびきをかいているのだろうか。だとしたら間抜けすぎる。昇給昇任どころか晴れてクビなんて事態になりかねない。なんせ、会社の上役や顧問といったお偉いさんも多数参加する一大イベントなのだから。

おい早く起こしてくれよ!なにやってるんだよ現実の同僚たち。まさか一歩先に出世のチャンスを掴み取った俺に嫉妬して、わざと起こしてくれないとか?

おい、薄情すぎるだろちくしょー!

クッソ!もう頼まねえ!だがな、一つ覚えておけ。もしお前たちが大事な仕事を前にして眠ってしまう事態がこの先訪れても、俺は貴様らを起こしたりはしない!

俺は目尻に浮かぶ儚い友情の砕ける涙を必死に無視し、なにやら声をかけてきた女性も無視して、まっすぐに飛び出した。

さすがは小学生の身体。全然前に進まねえよ。

俺は短く頼りない腕を振りながら、それでも必死に走るのだった。



………



さすがはやんちゃだった小学校の頃の俺、予想外に息切れはしない。

だが残念なことに、俺には目指すべき場所がなかった。

俺の小学校から現実の会社までは電車や飛行機に乗らなきゃ行くこともできないし、加えてこの身体だ。名探偵コナンじゃないけれど、この姿じゃ門前払いを食らうだろう。

それにここは夢の中。

現実世界の俺の居場所なんてどこにもなかった。

俺は校庭でサッカーやドッジボールに興じる小学生たちの歓声を聞きながら校庭を歩く。

夢の中だが妙にリアルな背景描写で、ウサギ小屋や鶏小屋を見れば逆に俺が昔を思い出してしまう。俺の脳は意識しないまでも、昔のことを鮮明に覚えているのかもしれない。

市立XX小学校、全クラス2組ずつくらいだったっけ?と思い出しながら、妙に懐かしい気持ちでブランコに座った。周囲に子供の姿はない。

外で遊んでいるのはグラウンドの校舎側で球技をする子たちだけだった。

夢の中ならジタバタしても仕方ないか、というのが今の俺の心境だ。

そうする他にないし、モヤモヤした気分のままでは落ち着かない。こういうときはまず落ち着くのが先決だな、と俺は達観した考えに身を委ねる。

現実世界はピンチだが、今の俺にできることはない。

こうなれば、俺の中の好奇心がせめて夢が覚めるまでこの世界を楽しんでみようと訴えてくる。

それも悪くはない。いい気分転換になればリフレッシュできるしな、と強引に考えをまとめた俺はブランコから降り立ち、校舎へ向かって歩き出す。

ちょうど聞き覚えのあるチャイムが鳴った。

校庭にいた子どもたちが我先にと駆け出していく。

俺も深呼吸し、彼らの後に続いた。



……



俺はどうにでもなれ、という気持ちで5年1組の教室へ入った。迷いなく入ることができたのはクラス数が少なかったせいか、俺が歴代のクラス番号を覚えていたからだ。

さすがに席順までは覚えていなかったが、今はそんなことはどうだっていい。

俺の前には、なつかしき15年前の顔ぶれがあふれているのだから。

今でも交流している人間は二人しか残っていなかったが、俺はクラスの人間を全員覚えていた。

今目の前を通ったのは前田だし、遅れて入ってきたアイツは北村だったっけ。

俺は懐かしい思いで胸が一杯になり、つい夢の中であることも忘れて近くの少女に声をかけた。

「よ、よう。凛…だろ?」

彼女の名は前田凛。肩までのセミロングのサラサラな黒髪に、奥二重の力ある目。細く整った眉に控えめな口元。

忘れもしない、かつての俺が特に仲良くしていた少女だった。

あの頃から何も変わっちゃいない。思い出補正でもかかっているのか、ずいぶん可愛く見える。

俺はつい目頭が熱くなり、涙が零れ落ちるのを感じた。

「え?なに言ってんの翔太?うわっ…なんで泣いてるの!?」

凛は俺の肩を両手で抑え、ブンブン前後に振ってくる。表情こそ心配したように俺の顔を覗きこんでくるが、凶暴な怪力によって身体を揺らされた俺はたまったもんじゃない。視界がめまぐるしく揺らぎ、首筋に痛みが走る。

ギャグシーンのような一コマだが、俺の涙は全く止まろうとしなかった。

まだ心が震えているのがわかる。

彼女と俺たち5年2組はずっと昔にお別れをしたから。

もう会えないと思っていた少女に、俺はこうして再び会っている。夢の中だけど。

俺は自分の肩をつかむ彼女の手を、大事なものを見つけたかのようにできるだけ優しく掴み取った。

温かく柔らかい感触はたしかにそこにあって、白い手首はちゃんと脈を打っていた。

それだけのことが、ただひたすらに嬉しかった。

凛が生きて、目の前にいる。

凛は突然の俺の奇行にびっくりしたように目を見開き、やがて強引に手を振りほどいてきた。

え?え?と目をぱちぱちする俺の耳に、小学生らしいひゅーひゅーというヤジが飛んでくる。

凛はヤジに耐えかねたように顔を真赤にし、ドタバタとバカな男子たちに制裁を下すべく走って行く。

俺は未だ手に残る彼女の手のぬくもりを大事そうに胸に抱き、やがて別グループからのヤジを受け、自らの恥ずかしい行いに頬を染めるのだった。



……



まだ夢は覚めない。

25歳会社員の俺は、なぜか小学校5年の教室で算数の授業を受けていた。

授業開始から既に10分が経ち、昼間元気に遊んでいた子供のなかにはウトウトとしはじめる者がいる。

懐かしいな、と俺は微笑む。

黒板に数式を書き込んでいた30代の女性は、さっきトイレで見かけた人だった。どうもこの学校で、しかも俺の担任だったらしい。あまり印象に残っていなかったせいか、授業のはじめに名前を聞いてやっと少し想い出が戻ってきたというレベルだ。

印象の薄いやつってどこにでもいるなあと俺はしみじみ思う。

と、授業中に笑う俺を目ざとく見つけた女教師山内が、長い指示棒で俺を指し、

「結城くん、授業中に何を笑ってるのよ。ここ、答えてみて」

挑むような目つきで当ててきた。

エロい事でも想像してたのかよ翔太ー、というヤジはいかにも小学生らしい。昔の俺ならムキになって憤慨していた場面だろうか。だが25歳会社員のスルースキルは伊達ではない。俺は適当に男子をあしらい、黒板へ歩いて行く。

ノートはいらないの?という山内先生の忠告には、そんなもの必要ありませんキリッ、と返したいところだが、なくても大丈夫ですという当たり障りない返答に甘んじておく。

たとえ夢であっても下手なことはしたくない。

俺は黒板にたどり着くと、いかにも簡単な問題を心のなかで笑った。


問:縦10cm、横2cm、高さ5cmの直方体の体積を求めよ。


俺は考える間もなく、100cm^3と黒板に書き込む。

すると、山内はびっくりしたように黒板と俺の嫌味なドヤ顔を見比べていた。

おい、昔の俺ってそんなにバカだったのかよ、と思わずいいそうになるのをこらえ、俺はしたり顔で席へと戻っていく。

そんな俺に、山内が、さてはドリルの答え見てきたでしょと笑いかけ、クラス全体に笑いが巻き起こるのだった。理不尽である。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ