二周目、はじめます
たしかに、覚えはあった。
あれは確か、会社で部長に怒られて同僚と一緒にテラスで食事を摂っていた時だったと思う。
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「また怒られたな、結城」
そう俺に声をかけたのは、同僚の増田。彼とは就職試験を共に勝ち抜いた仲で、入社してからの付き合いだ。
増田の声を皮切りに、俺達の卓に笑いが起こる。
俺が部長に怒られるのはこの会社の名物のようなもので、俺=よく部長に怒られている人、という不本意な印象が蔓延しつつあった。
俺はわずかに溜息をこぼして笑い、もし未来がわかってたら怒られることもないのに、と呟いた。
すると俺の隣に座っていたOLの中居が、
「未来がわかってたら、か。もし過去に戻れるなら、それが可能かもしれないね。ほら、たまにオカルト番組でやってるじゃん、タイムリープとか」
中居の言葉を受け、俺は彼女がオカルト系に興味があることを珍しく思った。
生真面目な彼女はそういった話は嫌いなのかと勝手に思い込んでいたからだ。
「また中居のオカルト話か」
と増田。
どうやら、俺以外の連中には周知の事実だったらしい。
なんとなく疎外感を感じながら、俺も会話に混ざっていく。
「確かに、過去に戻れるならいいな。過去の失敗をやり直せるとしたら、俺はやりたいこといっぱいあったな」
俺の言葉に、皆がうんうんと頷き、何となくそこで会話が止まる。
それぞれが過去に戻れたら、という想像をしているのだろう。
―――もしも過去に戻れるなら。
俺も彼らに習って、胸の中でその言葉を復唱した。
そうして少し考え、俺は言うのだった。
「もしも過去に戻れるなら、小学校高学年くらいからやり直してみたいな」
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ええ、確かに覚えはありますとも。だってつい一週間くらい前の話だもん。
俺は手狭な個室の中で、ふとそんなことを思っていた。
訂正、声に出ていた。
青っぽい色で統一されたその空間は、どうやらどこかのトイレらしい。
らしい、という曖昧な表現を選んだのは、俺がこの場所に入ってきた覚えが全くないからである。
ひとつ前置きをしておくなら、別に俺は健忘症ではない。ものすごい便意に襲われて、我を忘れてこの個室に駆け込んだわけでもない。
本当に、ただシンプルに覚えがなかったのだ。
ここはどこで、一体自分は何をしていたのか。
何をしていたかについては覚えがある。
たしか俺は、午後から会社で行われる企画会議に参加するはずで、その資料の確認をしていたはずだ。ブルーのファイルに閉じた資料についさっきまで目を通していた覚えがある。
なのに、ブルーなのはファイルではなくトイレだった。
何を言ってるかわからない?俺もわからない。
だって気がついたら手ぶらで、どこかわからない空間にいたのだから。
とりあえずここにいても仕方がない。いろいろ疑問は山積みだが、俺にはやるべきことがある。今日の会議は司会進行を務める俺の信用に関わっているのだから。
俺は内側から鍵を開け、個室から外へ出た。手狭なトイレは小便器が5つ、個室も5つという造りだった。
どうやら俺が入っていたのは一番奥の個室だったらしく、4つの個室を横切りながらやっとトイレから出ることができた。
自分では用を足した覚えはなかったが、手は洗っておかなければならないだろう。
俺はスリッパを脱ぎ、手洗い場の水道に手をかけ、
「あああああああああああああああああああああ!?!?」
間抜けな叫びを上げた。
鏡に、見知らぬ人物が映っていた。
まず、眉にかかるほどの黒髪。…違う、俺の髪はもっと短い。ビジネスマンは清潔感が大事なんだぞ、この新参平社員め、髪切ってこい!
次に、とろんとした二重まぶた。…なかなか可愛いじゃないか。でも俺にはもっとキリッとした大人の男の眼光があったな、うん。
小さな鼻と口…俺の鼻はもっと高く、大人の魅力が…
見知らぬ人物の顔は、どこか見覚えのある――――
まるで、タンスの奥にしまったアルバムから出てきたような――――
「ちょっと、変な叫び声上げて、どうしたのよ結城くん」
何がなんだかわからなくなった俺は、とりあえず声のした方に目を向ける。
そこには30代と思しき女性の姿が…。
いや、待て。結城くんって俺のこと?まあ確かに結城は俺だけど、でも鏡に写ったのは昔のおれ――――
「昔の…お…れ…?」
どんなご都合主義か、トイレの先にはアナログ時計があって、その時計は年月日をデジタル表示していた。
そして、俺は息を呑んだのだ。
時計の針は、13時30分を。デジタル表示はXXXX年9月8日をそれぞれ表示していた。
XXXX年といえば、そう、いまから15年ほど前。俺が小学5年の時の年だった。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええ」
確かに俺には、過去に戻れたら…なんて事を口走った覚えがあった。
でも本当に実現するなんて、一体誰が想像したよ。