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 数人の船員が呼吸を合わせて綱を引く。光沢のある白い帆布がばさり、と広がった。

 煌糸で織られた帆は、光を集めるために普通のものと比べると白さが眩しい。

「よし、これで総帆だ」

 船員たちは満足そうにその帆を見上げている。アデライードは彼らに近付くと、労いの言葉を掛けた。

「みんな、お疲れさま!」

「船長!」

「見てくだせぇ、この立派に張った帆!」

「ええ。さすが、この船の乗組員だわ。ありがとう!」

 甲板をぐるりと見渡して、船縁に立っているカーツを見付ける。男たちの間を抜けてカーツの側に寄った。

「お疲れさま。だいぶん慣れてきたみたいね」

「アデル船長。幸い、前の船での勘は忘れてなかったみたいだ」

「サイファも認めてたわよ」

「航海長が? それは、恐れ多いな」

 おどけた調子のカーツに、二人で顔を見合わせて笑った。

「次の港に着いたとたんに、放り出されるようなことはないわ」

「次はどこに泊まる予定なんですか?」

「天候次第ね。目的地のハンブルク遺跡の前に、いくつか荷を降ろさなきゃいけないからブレーメン港には泊まるけれど、天気が良くなかったらその前にもう一箇所くらい寄るかもしれないわ」

 発掘屋が遺跡に向かう時には、空いている船倉に商人らから預かった荷物を積んで運ぶことが多い。この『黒の天鵞絨』号も例に洩れず、目的地途中の港まで託された荷を積んでいた。

「天気だったら、しばらく大丈夫じゃないですか? この辺りは今の時期なら雨はほとんど降らないし」

「そうね。でも風が弱いから」

「風? 総帆にしてたら、動力炉に必要な日光は十分確保できるでしょう?」

 飛船の帆は陽光を集めるのが主な用途だが、一般の帆船のように風の力で船を走らせるのにも使われる。

 だがそれは曇天で陽光が足りないときの補助的なものだ。今日のように雲が少ない状態で、しかも総帆にしていれば、普通は風の力は関係ない。

 マストに翻る帆を見上げて、訝しげな顔になったカーツの反応は当然だ。

 そんなカーツにアデライードは苦笑で応える。

「古い船だから動力炉もあまり性能が良くないの。風のあるときは帆で距離を稼がなきゃ」

 言いながら、縁が磨り減って丸くなった舷側の手摺を撫でる。手入れは行き届いている船だが、そこかしこに長年の使用に耐えてきた疲れが溜まっているのはどうしようもない。

 ところがそのアデライードの回答に、カーツは碧緑の瞳をマストにじっと向けて考え込んでしまった。

「……いくら古い船だからって、総帆の集光量が風力に劣るはずは……陽光の動力変換効率が悪いのか……? いや、曇りの状態でここまでは順調に来ているんだから、浮力は足りてるわけで……」

「カーツ?」

 アデライードも発掘屋であるから一般の人々よりは遺産に詳しい。

 だが飛船の動力炉のように大きくて複雑な遺産については、あまり細かいことまで把握できていなかった。そのあたりはこの飛船専属の技師であるウェンリーに任せてある。

「カーツ? 何かわかるの? うちの技師のウェンリーに聞いてる限りでは、古い動力炉だから仕方がないって言ってたんだけど」

「専属の技師の人がそう言うんなら、俺の思い過ごしかも……ただ、なぁ」

 カーツは遠慮がちにしつつも、気がかりそうに帆を見ていた。

「じゃあ、一度カーツも動力炉を見てみる?」

「いや、それは差し出がましいんじゃないかと」

「大丈夫よ。それに、いつも見てる人とは違った視点で見られれば、何か気付くこともあるかもしれないじゃない」

 そうしてアデライードは、渋るカーツを動力室まで引っ張っていった。

 飛船の構造は、だいたいどれも同じだ。

 後部甲板のクォーターデッキの下が船長室、そしてその下層に動力炉となる遺産が設置されている動力室がある。

 動力炉が発する、ごぉんごぉん、という低い音が、壁越しにも聞こえる。音がひと際大きくなるのは離着陸のときだが、通常航行のときもここまで近付くと身体に響く。

 アデライードはこの音が好きだ。

 幼い頃から飛船に乗っている彼女にとって、この重低音は馴染み深いものだ。

 開け放ったままの扉を潜ると、部屋の中央には人の背丈ほどの遺産が鎮座していた。

 部屋の隅に置かれた椅子にぼんやり座っていたウェンリーが、入ってきたアデライードとカーツに気付いて慌てて立ち上がる。

「船長。そいつは何です? なんで新入りなんかをこんなところに……」

「カーツも技師の資格を持ってるそうなの。せっかくだから、動力炉の調子が悪いところを見てもらおうと思って」

 技師、と聞いてウェンリーの眉が険しくなった。カーツに向ける目が胡散臭げに細められる。

「遺産の管理は俺の持ち場だ。昨日今日入ってきたばっかりのヤロウにどうこう言われる筋合いはねぇ」

「別にウェンリーの仕事を奪おうというつもりじゃないわ。ただ、他の飛船を見てた技師が見たら、何か違うことに気が付くかもしれないでしょう?」

「よけいなお世話ですよ。違うも何も、この動力炉は俺が一番良くわかってるんだ」

「ウェンリー……」

 ウェンリーはアデライードたちと遺産の間に立ち塞がって、それ以上カーツを近付けさせまいという姿勢だ。

 まさかここまで反発されるとは思っていなくて、アデライードは困惑した。

「ほら、部外者はさっさと出ていったらどうだ。船長も、俺の仕事には口出さねぇでください」

「まあ、待て。少し見せるくらい構わないだろう」

 そのとき、アデライードの背後から声をかけたのは、いつの間にかやってきていたサイファだった。さらに動力室の入り口には、物見高そうに顔だけ覗かせているメレディスも見えた。

「航海長まで、そんなこと言うんですかい!」

「ウェンリー。お前が技師として自信があるのだったら、たかが新入りに少しくらい見られたところで、困ることは何もないだろう」

「そ、そりゃあ、そうですが……でも……」

「でも、何だ」

「い、いえっ……なんもねぇです」

 航海長の冷たい眼に睨み据えられて、ウェンリーは渋々ながらも身を脇に避けた。

 それにアデライードはほっとして、サイファを見上げる。

(ありがとう、サイファ!)

(もう少しうまくやれ、アデル)

 瞳だけでそんな会話を交わして、アデライードはカーツに向き直った。

「じゃあ、そういうことだから、カーツ」

「……そんな期待されても、成果は出ないかもしれないですよ」

 カーツはウェンリーとのやり取りの間、できれば関わりたくないとでも言いたげに一歩下がっていた。だがアデライードの好奇心に満ちた瞳で見つめられ、さらに品定めするようなサイファの視線と妬むようなウェンリーの視線を向けられ、肩を竦めると遺産に向かって足を踏み出した。

 部屋の中央に置かれている遺産は、カーツの頭とほぼ同じくらいの高さがあった。幅と奥行きも同程度の立方体である。

 つるり、とした銀色の表面は何の材質でできているのかわからない。その表面全体が、ごぉんごぉん、という低音に合わせて、呼吸するかのように淡くゆっくりと明滅している。

 ところどころに、すぱっと真っ直ぐに切れ目があって、そこから細い管が何本も出ている。その一部には縒り合わせられた煌糸が繋げられているが、ただ宙に突き出しただけの管も多い。

 切れ目の隙間から微かに覗ける内部は、その細い管が芸術的なまでの複雑さで絡み合っていて薄暗く、深奥の様子までは伺えない。

 アデライードは、何度見てもこの遺産がどういうものなのかよくわからなかった。

 素材ひとつとっても現在の人々の生活で作り出せる物とはかけ離れていて、構造も機構も原理も、何一つ理解が及ばない。

 遥か遠い昔の先人たちの叡智に畏敬の念を抱きつつ、目の前にあるのは、ただ『遺産』という、そういうものなのだ、と受け止めるしかできなかった。

 ほとんどの人は、遺産に接するのに、そういう意識でしか臨めない。

 けれどごく僅かに、そんな遺産の不可思議さに臆せずに、原理を知ろうと考えられる者がいる。そういう素質を持ったものが更に専門の知識を学んで、技師になれるのだ。

 その技師の資格を持つというカーツが、この遺産を前にどんなことをするのか。アデライードは興味深く彼の後ろ姿を見つめていた。

「ぱっとみた感じ、古くはあるけど特に問題なさそうかな……」

 カーツはまず正面に嵌められた操作盤をざっと眺めた。けれど彼は、動力炉の状態を示すいくつもの光と、この遺産を動かすためのいくつかの突起があるその操作盤には手を触れなかった。

 側面に回って切れ目の内部を覗いたりしながら、遺産の表面にそっと掌を這わせる。

 その手の動きに、アデライードは目を惹き付けられた。

 カーツの大きな掌は、まるで年老いた馬や犬を撫でるように、優しく表面を滑っていたのだ。そして。

「ああ。長い間、よく頑張ってきてるなぁ……」

 誰に聞かせるでもなく小さく呟かれたその囁きは、遺産に向かって心から労っているかのようで。

 その声が耳に届いたとたん、アデライードの胸が、どくん、と大きく鳴ったようだった。

 遺産に語りかける者は珍しくはない。ウェンリーの前に船にいた技師も、よく遺産に声をかけていた。

 だが、今のカーツのように、遺産に対して慈しむような態度を見たのは初めてだった。

 一般の人々は、遺産に畏怖や感嘆の想いは持てても、いとおしむ存在だとは考えることさえない。それはアデライードも同じだ。

 だから、カーツのそんな行動は、とても印象的だった。

「……思ったとおり本体の方には問題ないな。となると、こっちの方が……ああ、うん。やっぱり、ここか」

 アデライードがそんなことを思っている間にも、カーツは休まずに遺産を確認していた。やがて側面上方の管のあたりで手を動かしだした。

「カーツ? 何かわかったの?」

「おい、新入り! 何やってんだ! 勝手なことするんじゃねぇぞ!」

「ちょっと待ってくださいね。……ここを、こうして、っと」

 カチ、と何かが嵌まる音がした。

 一拍置いて、遺産の明滅が全体的に強くなった。発する重低音も心なしか軽くなったような気がする。

 そして、船倉内にいてもわかるほどに、飛船の速度が上がった。

 何が起こったかわからなくて、ただ顔を見交わしていたアデライードたちのところに、ゆっくりした足取りでカーツが戻ってきた。

「カーツ! 遺産が急に調子が良くなったみたいだわ。いったい何をしたの?」

「特別なことはしてないですよ。煌糸と動力炉との接続部分が緩んでいたから、しっかりつなぎ直しただけ」

「それだけ?」

「ええ。遺産本体には問題がなさそうだったから、管を見てみたらやっぱり接続不良だった。だからせっかく帆を張っても陽光を満足に取り込めてなかったんです」

 あっさりとそう言われて、アデライードは遺産を見直してみた。

 この遺産は飛船に載せられてずいぶん時間が経っているから、出力が弱いのは仕方がないとウェンリーに言われて、そういうものなのだと思っていた。

 古いなら古いなりに大切に使おうとはしてきたが、元気を取り戻したかのごとく軽快な低音を奏でる遺産を目にすると、整備不足だったことが申し訳ない気がしてくる。

「確かに船脚が軽くなったようだな。それだけのことに気付かなかったのか」

「簡単なことですが見落としやすい場所ですからね。俺も以前に同じような症状の遺産を見たことがあったからすぐにわかっただけです」

「……お、俺だって、遺産以外に原因がありそうだとは薄々感付いていたさっ。煌糸との接続だってそのうち確認するはずでっ」

 サイファの感心した声に焦ったのか、ウェンリーが言い訳がましく言葉を重ねる。しかしそれは誰の耳にも届いていなかった。

「とにかく遺産が快調になってくれたのはありがたい。技師だと言うのも嘘ではないようだな」

「ありがとう、カーツ。遺産も喜んでいるみたいだわ」

「どういたしまして。遺産がその能力を発揮できるようにするのが技師の仕事だから、俺は自分の仕事をしたまでですけどね」

 そう言って、カーツは屈託なく笑った。

 再びアデライードの胸が小さく跳ねる。

 彼の笑顔には、自分の仕事に誇りを持っている者の静かな挟持が伺えて、アデライードの内側に響いた。

 そしてその笑顔を見て、アデライードは決めた。

 カーツが過去にどんなことをしていたか、もう気にしないようにしよう、と。

 たとえ以前がどうであろうと、少なくとも今のカーツは自分の能力に対して自信を持っていて、それに見合う実力も備えている。この飛船の船員としてはそれで十分だ。

「それじゃあ、動力炉も直って速度も上がったし、このままブレーメン港に寄って、その後はハンブルク遺跡まで一直線よ!」

「アイ、船長」

 カーツとサイファの返事が重なる。

 その二人に向けて、アデライードは晴々とした笑顔で応えた。





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