1
先人の遺跡から発掘される遺産は、外観も大きさも様々である。
それがどういう原理で作動するのか理解できる者はいないし、どういう用途に使うのかさえわからないことが多い。
それでも、僅かな手がかりを元に人々の生活に取り込まれている遺産もあった。
身近なところでは、灯りになるものや、暖めたり冷やしたりするもの。そして大きなものの代表が、飛船を動かす動力炉となる遺産である。
先人たちの時代には、この遺産を載せて空を飛ぶ流線型の乗り物があったらしい。
だが、その乗り物ごと使用可能な状態で発掘されることはまずない。そこで人々は、部分的に掘り出された遺産を、身近な大型の乗り物である帆船に載せて使い始めた。
その遺産を動作させるには、陽の光が必要である。
そのために、本来は風を受けるためだった帆が転用された。
煌糸という、光を集める性質を持つ特殊な糸を使って、帆が織られる。その帆によって集められた陽光が、遺産を動かす。
そうして飛船と呼ばれる帆船が大空を行き交うようになったのだった。
いまいち掴みどころのわからない人だ、というのが、カーツに対するアデライードの感想だ。
甲板で他の船員たちと一緒に帆綱を引いているカーツの姿を、クォーターデッキの柵に凭れて眺めながら、アデライードは改めてそんなことを思う。
ドルトムント港で彼をこの船に乗せてから三日目。
今のところ、カーツは特に問題もなく船員たちに混じって仕事をこなしている。
最初、医務室で意識を取り戻したカーツと話したときは、気の良さそうな青年だと思った。
けれど、見た目通りの人の良さそうな側面だけではないことにも、すぐに気が付いた。
アデライードたちが発掘屋だと見抜いたサイファとのやりとり。そのときのカーツの表情は、ただの飛船乗りにしては鋭かった。
その鋭さは、出港後に他の船員たちに紹介したときには、既に消えていた。気安げに、すぐに船員たちと打ち解けているところを見ると、少し前の鋭さが見間違いだったのではないかという気もしたくらいだ。
他に感じた違和感は、ときどき見られるカーツの“上品さ”。言葉遣いや仕草が、飛船乗りにしては丁寧なのだ。
とはいえ、逞しいというほどではないが均整のとれた体躯で、力の必要な船仕事も問題なくこなしている。慣れているから、飛船乗りだったというのも嘘ではないだろう。
前の飛船が上流階級の持ち物だったのか、通っていた技師養成所が上流向けだったのか、それとも意外と良いところの家の出身なのか。
いずれにせよ、今までアデライードが接したことのない類いの人物である。
「……まだ三日しかたってないし。よく分からなくても当然かしら」
ひとつの帆を張り終わって、仲間たちと朗らかに労いの言葉を交わしているカーツの様子に、アデライードはひとりごちた。
「そんなヤツに、船員の仕事をさせるなんてずるいよ、アデル」
「リューク」
聞こえた声に振り返ると、茶色の髪の少年がデッキブラシ片手に立っていた。榛色の瞳には拗ねたような色が浮かんでいる。
「あいつの方が新入りなのに、なんでオレより先に帆を扱ってるのさ」
「だって、カーツは船員の経験があるから。それに、今リュークが帆を触れないのがどうしてかは、わかってるでしょう?」
「それはわかってるけどさ……」
リュークの語尾は小さく掠れていった。
ドルトムント港での荷崩れを引き起こした原因である彼に、アデライードが与えた罰は、“飛船の操作に関わる仕事に一週間携わらない”というものだった。
なので今のリュークは、甲板掃除や厨房の手伝いなどの雑用ばかりこなしている。
ようやく帆の操作を習い始めた見習い船員の彼にとって、それはかなり悔しいことのようだ。
「でも、あんな入ったばっかりのヤツを信用するなんて、アデルは甘いよ。もうちょっと様子見てからでもいいだろ」
「どうしたの? リュークより後に雇われた船員は別にカーツが初めてじゃないのに。他の人のときはそんなこと言わなかったじゃない」
単に船の仕事に関われないことに苛立っているだけだと思っていたのに、リュークの不機嫌さには他にも理由がありそうだ。
けれどアデライードにはその理由に思い当たる節がない。
「……いいよ、もうっ」
頬を膨らませてリュークは背中を向けた。いささか乱暴に甲板の木床を擦りながら、遠ざかっていく。
「なんだっていうのよ」
リュークが何に引っ掛かっているのかわからなくて、その後ろ姿を見送りながらアデライードは眉を寄せる。
「気にしなくても大丈夫ですよ。あの子は少し嫉妬と心配をしているだけです」
次にクォーターデッキに現れたのは、船医のメレディスだった。
一般的な船医というと、航行中は医務室に籠っていて用がなければ甲板には出てこないものだ。だがメレディスは違っていた。
暇ができると甲板や船倉を歩き回っては、船員たちの様子を観察している。そのおかげで、この船では調子の悪い船員が早期発見されやすく、悪化する前に対処されることが多かった。
そして同じように船内を回っているアデライードとは、よく顔を合わせる。
そんなとき、アデライードはメレディスに話を聞いてもらうことがたびたびあった。
「メレディス先生……どういうこと? リュークがカーツの何を心配しなきゃいけないの?」
「リュークの後に雇われた船員はいますが、アデルに拾われたのはカーツが二人目です。リュークは貴女をカーツに捕られる気がしているのではないですか」
「拾った、って、そんな、犬や猫みたいに」
「同じようなものでしょう。たまたま見かけた、困っていた人物を船に迎えて面倒をみてるのですから」
この船医は、穏やかな顔でたまにあっさりとミもフタもないことを言ったりする。
「別にカーツがいるからって、それでわたしがリュークに違う態度を取るつもりはないのに」
「理屈ではないんです。リュークは、身寄りも行く宛もなかったところを、貴女とロイに拾われてこの船に来た。姉のように思っている貴女を、独り占めしたいのでしょう」
アデライードが前船長だった父ロイと一緒に、まだ子供だったリュークをこの船に連れてきたのは三年ほど前のこと。一人っ子で、身近に年の近い子供がほとんどいなかったこともあって、アデライードもリュークのことは弟のように思っている。
だからこそ、カーツがいるからといってリュークの扱いを変えるつもりなどまったくない。
だいたいカーツを雇ったのは、リュークの失態の肩代わりみたいなものなのに。
いまひとつ納得しきれなくて眉をしかめているアデライードに、メレディスは柔らかい笑みを向けた。
「まあ、所詮はリュークの気持ちの問題です。アデルは気にせずに、自分の思うとおりにしていればいいんですよ」
「……そうするわ」
他にいい策があるとも思えず、アデライードはひとまずメレディスの助言を聞き入れることにする。
ふと、この船医がカーツのことをどう捉えているかが気になった。
「メレディス先生は、カーツをどう思う?」
「そうですねぇ……気さくな青年だと思いますが。他の船員たちともすぐに親しくなっていますし」
「やっぱり、そうよね。あのサイファとのやりとりも、勘が良いだけで、気にするほどのことじゃないのかしら」
「……ただ、彼は、きちんと鍛えた身体をしていますね」
「……え?」
メレディスの発した言葉が何を意味するのかわからず、アデライードは首を傾げる。
「最初に診察したときに気付いたのですが、カーツは飛船乗りにしては足が弱っていません。船上でも意識して、全身を偏りなく動かしているようです」
狭い船の中ではどうしても動き回れる範囲が限られるため、帆綱などで力を使う上半身に比べて、下半身の筋力が衰えやすい。それを避けるためには意図的に鍛錬しなければならないが、日々の仕事に流されて忘れてしまう飛船乗りがほとんどだ。
「それは……どういうこと?」
「別にどうとも。ただそれだけです」
曖昧に微笑まれて、アデライードは眉を寄せた。
単にカーツが自分の身体をよく気にかけているだけだと考えていいのだろうか。
根拠があるわけではないが、それだけではない気がする。
だからといって、何か他の疑わしいことがあるわけでもない。
ますます判断に迷ってしまったアデライードに、また別の声がかかった。
「少なくともこの三日の間に、あいつが特別な鍛練をしている様子はなかったぞ」
「サイファ」
クォーターデッキに上ってきた三人目は航海長だった。
いつもどおりの無愛想な顔で、サイファはアデライードたちの元にやってくる。
「船乗りとしては、今のところマシな方だが」
「航海長がそう言うということは、カーツはなかなか優秀ということですね」
メレディスの言うとおり、船員たちに厳しい態度を崩さないサイファの言葉にしては、今の評価はかなり高い方だ。
「サイファも何か気にかかることがあるの?」
生真面目で厳格な青年だが、アデライードはこの航海長を一番信頼している。
サイファもそれをわかっているから、アデライードに対して遠慮することなく思うところを述べる。
それが、よりいっそう船長と航海長の二人の関係を強固なものにしていた。
「別にない。が、俺が怒鳴ることがないというのが、あえて言えば気になる」
「いいことじゃない」
「前の船がよほど厳しかったのか、船員の躾に優れたヤツがいたのか……」
「航海長より厳しい人がいる船には、乗りたくないですねぇ」
メレディスがしみじみとした感想を漏らす。
それには確かにアデライードも同感だ。
サイファ以上に厳しいとなると、それはもう理不尽な船員苛めだろう。
「だから、今のアイツには特に気に掛かるほどのことはないが、どういう船に乗っていたかは気になる」
「……うーん、わたしの気にしすぎかしら」
アデライードは視線を再び下の甲板に移す。
そこでは自分が話題の種になっているとは知らずに、また次の帆を張る作業に取りかかっているカーツの姿があった。
しばらくそのカーツを見ていて、アデライードはひとつ頷いた。
「うん。いいわ。考えてもどうしようもないことは考えない。カーツがどんな人かは、わたしが実際に彼と接してみて理解すればいいんだもの」
反動をつけて柵から身を起こし、アデライードは甲板に向かって歩きだした。