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目を開けたとき、カーツは自分がどこにいるのかすぐには理解できなかった。
正面に見えるのは、木の板で張られた天井。薄暗い室内は飛船内の一室のようだ。
背中に感じる木綿の感触から、固い寝台に寝かされているらしいことはわかる。
身を起こそうとして、身体のあちこちが重く痛むことに気付いた。
「……ってて……」
小さく呻きながら、上半身だけ起き上がった。じんじんとした痛みはあるが、動けないほどではない。
「気が付きましたか」
後方から、柔らかい声がかかった。同時に、室内がさっと明るくなる。
背後を振り返ろうとして、彼は再び痛みに顔を顰めた。
そろそろと慎重に視線を動かす。
声の主は、優しげな面持ちの青年だった。
窓の木戸を押し上げたところらしい。青年の長い銀髪が光を弾いて眩しくて、カーツは目を細める。
青年はカーツのいる寝台の横までくると、彼の顔を覗きこんだ。
「目眩や吐き気はありませんか? ないですか。では、頭部は大丈夫そうですね。崩れてきた荷が頭に当たって気を失っていたようなので、そこが心配だったのですが」
手首を取られて脈を計られる。そちらも特に異常はなかったようで、青年は穏やかに微笑んだ。
そこまできて、カーツはほぼ自分の置かれた状況を思い出した。
彼は港の荷役の一人として、朝からいくつかの飛船に荷を運び込んでいた。
昼過ぎに担当していた古い船。荷は大判の織物だったから、嵩張るし重さもそこそこある。
小さな車輪の付いた荷台に複数の包みを乗せて、何度か桟橋と船倉を往復していたところに、突然、上の桟橋から何かが降ってきた。
荷台に積み上がった包みに落下したその何かのおかげで、荷の均衡が崩れた。
あっ、と思ったときには遅かった。
自分に向かってくる荷の山。その影で暗くなる視界。そして——
「荷の下敷きになってたのか……助けていただいて、ありがとうございます」
「私は船医として診察しただけですよ。貴方を助けたのは他の人たちです」
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれる音がした。
「メレディス先生ー。さっき聞いた薬の件は手配しておいたわ。それからその人の素性だけど、やっぱり荷役の……あら、気が付いた?」
入ってきた人物に、カーツは視線を奪われる。
まず目に止まったのは、燃えるように鮮やかな赤金の髪。
豊かなその髪を背に流しているのは、華奢な少女だった。
適度に陽に灼けていても滑らかな肌。整った顔に意思の強そうな琥珀色の瞳。
男物の服に素足の姿は、普通の船員と変わらない。けれど、彼女が現れた後は、部屋がいっそう明るくなったように感じられた。
男がほとんどの飛船乗りのなかで、女、しかも十代後半の少女というのは、かなり珍しい。
思わずまじまじと少女を見てしまった。
そんなカーツの不躾な視線を気にする様子もなく、少女も寝台の近くまでやってきた。
「ごめんなさい。うちの見習い船員のせいで、こんな目に遭わせてしまって」
頭を下げられて、ようやくカーツは我に返った。
「いや、まあ、驚いたけど、でも、たいした怪我もなかったみたいだし」
「そうなの?」
「ええ。あちこちに軽い打撲や擦り傷はありますが、せいぜい一日痛む程度でしょう」
隣を見上げて首を傾げた少女に、船医の青年は柔らかく微笑む。
それを見て、少女は安心したようだ。
「そう。なら、まだ良かったわ。でも本当にごめんなさいね」
「君が助けてくれたのかい? ありがとう」
少女の口調から、カーツはそう推察してみたのだが、首を振られた。
「いいえ、わたしはこの医務室に連れてくるように言っただけ。実際に崩れた荷の中からあなたを助け出して、ここまで運んだのは、他の船員たちよ」
「それでも、君のおかげで、ちゃんと医者の先生に診てもらえた。感謝するよ」
少女はカーツの言葉にくすぐったそうに笑った。
「律儀な人ね。……遅くなったけれど、わたしはアデライード。この『黒の天鵞絨』号の船長よ」
「……え? 船長?」
再び、カーツは少女を見返してしまった。
女の飛船乗りというだけでも珍しいのに、荒くれの男たちを束ねる船長などという荒業を、この華奢な少女が勤めていることが、にわかには信じられなかった。
「……こういう反応には、もう慣れたけど。そんなにわたしは船長らしくないかしら」
「仕方ありませんよ。貴女がもっとごつごつした女性だったら違ったかもしれませんが」
「これでも、二年前よりは背が伸びてるのよ……ああ、こちらは、船医のメレディス先生」
少女の紹介で軽く会釈した青年に、カーツも頭を下げ返す。
「俺は、カーツ。今日は港で荷役をしてたんだけど……」
船長と聞いて、丁寧な言葉遣いにすべきかと思ったが、目の前に立っているのは自分よりずいぶん年下の少女にしか見えなくて、結局そのままの口調になってしまった。
しかし、そんなことは当のアデライードは特に気にしていないようだ。
「ああ、やっぱり。さっき他の荷役の人たちに聞いてみたんだけど、あなた、今日から働き始めたばかりだったのね。だからまだ仕事仲間にも顔を覚えられてなくて、すぐには誰が事故に遭ったのかわからなかったんだわ」
「うん。荷役を始めたのは今日から。その前は、俺も飛船乗りだったんだけど……」
「けど?」
「十日ほど前に、乗ってた船の船主が破産して解雇された。僅かに貯めてた金でこの港まできたものの、ここで資金が尽きちゃって。それで、荷役でもして、次の雇われ先が決まるまで凌ごうかと思ってたんだ」
でもたいして働けなかったから、もう馘になったかもしれない、と小さく肩を竦めてみせる。
そんなカーツの話に、アデライードは眉根を寄せた。
「カーツ、飛船乗りの経験はどれくらい?」
「えーっと、十六のときからだから、船員としては六年、かな? それ前は養成所に行ってたから、歳のわりには経験は短いかもしれない」
一般的に、見習い船員になるのは十三歳前後からだ。それと比べると、彼の出足は遅い方だ。
「養成所? ということは、カーツは技師なの?」
養成所というのは、各地に設置された、遺産を扱う技術を教える場所だ。そこに通って資格を取ると、遺産の専門家である技師になれる。
「いちおう、資格は持ってる。でも、前の船では熟練の先輩技師がいたから、あんまり技師らしいことはしてなかったかな。どっちかというと普通の船員の仕事をしてた方が多かった」
その答えに、アデライードはしばし考えるそぶりを見せた。そして。
「だったら、この船で働かない?」
「……え?」
「うちにも技師はいるから、扱いは一般船員になるけれど、遺産に詳しい人が増えるのは歓迎だわ」
アデライードの真剣な瞳を見る限り、義理で誘っているわけではなさそうだ。
隣に立つメレディスに視線を移すと、彼はアデライードの言動に口を出す気はない、とばかりに微笑んでいるだけだ。
何と答えるのが一番いいのか——カーツはしばし逡巡する。
だが思い切って目の前の好機に手を伸ばすことにした。
「君の船のお仲間たちが構わないのであれば、俺にとってもすごく望ましい話だ」
「それは大丈夫よ。航海長の許可さえ取れれば、あとは問題ないわ」
そのとき、再び医務室に来訪者が現れた。
「アデル。そろそろ出港準備が整う。さっき拾ったその男は陸に戻さないと……」
「サイファ! ちょうどよかった!」
扉口に立っていたのは、褐色の肌の青年だった。
黒髪と黒い瞳から冷徹そうな印象を受ける。
そんな青年に向かって、アデライードは気を許した笑顔を見せると、カーツの側まで引っ張ってきた。
「カーツ。こっちはうちの航海長のサイファ。彼の言うことは船員にとっては絶対だから、そのつもりで。それからサイファ。彼はカーツ。幸いたいした怪我もないっていうし、もともと飛船乗りだったそうだから、うちの船で雇うことにしたわ」
「……は?」
「この前、一人辞めたところだし、ちょうどいいでしょう? サイファも新しい船員を探してたじゃない」
「それはそうだが、急に言われても……」
サイファは、カーツに値踏みするような視線を向けてきた。
アデライードとサイファの短いやりとりを見ていて、カーツは彼らの関係を推察する。
どうやら船長アデライードの意見は尊重されているようだが、実質的に船を切り盛りしているのは、この航海長の男のようだ。
そうなると、ここで彼の眼鏡に適わなければ、カーツの雇用の話はなかったことになってしまう。
慎重に受け答えをしなければ、と息をのんだ。
「前の船では何の仕事をしていた?」
「船員の仕事は一通り。あと、通信回りの担当もしてた。発掘屋だったら、遺産を扱える方が役に立つだろう?」
「あれ? わたしたちが発掘屋だって、まだ言ってなかったわよね?」
「……何?」
アデライードの疑問に、サイファの目が鋭くなった。
ここが山場だ、とカーツは背筋に力を込めた。
「ああ。アデライードには聞いてないよ。でも、船倉を見れば予想はつく。商船にしては荷が中途半端で片寄っているし、大砲もちゃんと設置されてる。それに古い船のわりに船体は厚い。発掘屋のものらしい飛船だ」
サイファの瞳をまっすぐに見返して答えた。
サイファもそれを受け止めて、二人ともしばらく無言で視線を固める。
サイファの黒い瞳の中で、何かを思案する様子が見てとれる。
やがてその目が伏せられて、アデライードに向けられた。
「……いいだろう。馬鹿ではなさそうだ」
「ありがとう、サイファ!」
「……感謝するよ」
うまく自分を認めさせることができて、カーツはいつの間にか止めていた息を大きく吐き出した。
そんなカーツに、サイファは相変わらず厳しいままの顔を戻す。
「この船に乗るからには、船長のアデルの言葉が絶対だ。次が航海長の俺。それは肝に命じておけ」
「了解です、航海長」
カーツは痛みをこらえてベッドから立ち上がると、二人に向かって姿勢を正す。
それに、アデライードは明るい笑顔で、サイファは硬い表情で頷いた。